勝利の代償
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
混沌の連鎖反応――イザベラの最後の賭けは、執行官を打ち破りましたが、その代償はあまりにも大きなものでした。仲間たちの決死の覚悟によって、かろうじて守られた希望の種。そして、その戦いの果てに暴かれた、教皇たちの真の狙い。
物理的な脅威は去りましたが、彼らは傷つき、希望の心臓部であったプラントを失いました。ここから、どう立ち上がるのか。フェーズ2は幕を閉じ、物語は最終章へと向かう、その序章が始まります。
どれほどの時間が、過ぎたのだろうか。
私が、ゆっくりと目を開けると、そこは、静寂と、舞い散る塵の匂いに包まれていた。
私の体の上には、巨大な岩盤が、今にも落ちてきそうな形で、静止していた。
いや、違う。その岩盤を、下から支えているものが、あった。
「……親方……?」
ギムレックが、その鋼のような両腕で、落下してきた岩盤を、一人で、支えていたのだ 。その口からは、血が流れ、その巨体は、限界を超えて、震えている。
「……へっ……。ドワーフの、石頭を……なめるんじゃ、ねえ……。お嬢ちゃんの、希望の種は……このワシが、命に代えても……」
彼の周囲では、エルフたちが、緑色の光を放つ魔法で、他の場所の崩落を、必死に食い止めていた。クラウスの騎士たちは、盾を構え、私たちを、さらなる落石から守っている 。
誰も、諦めてはいなかった。
私は、ゆっくりと体を起こす。幸い、大きな怪我はないようだ。アルフレッドとハンナも、無事だった 。そして、彼らが守り抜いた、ガラスケースの中の『母株』もまた、静かな光を放ち続けていた。
希望は、まだ、ここにある。
「親方! しっかりしてください!」
ドワーフたちが、瓦礫を掻き分け、ギムレックの元へと駆け寄る。
「議長殿! 彼の命が……!」
「わかっておる!」
議長エララが、厳しい、しかし慈愛に満ちた声で応じた。彼女は、自らの手のひらを、ギムレックの血に濡れた額に、そっと置いた。
「古の森よ、母なる樹よ。その生命の息吹を、今、この気高き魂に、分け与えたまえ……」
彼女の手から、柔らかな、エメラルド色の光が溢れ出す。それは、これまで私が見てきた、どの魔法とも違う、生命そのものに直接語りかけるような、温かく、そして力強い、癒しの光だった。
ギムレックの荒い呼吸が、少しずつ、穏やかになっていく。彼の周囲に集まったドワーフたちが、憎き宿敵であったはずのエルフの長老に、深く、深く、頭を下げていた。
この、絶望の地下深くで、何百年にもわたる、愚かな確執の歴史が、静かに、終わりを告げようとしていた。
私は、立ち上がると、破壊された執行官の残骸へと、歩み寄った。
その、黒焦げになった残骸の中心部。そこに、私は、あるものを発見した。
それは、執行官の動力炉の、一部だった。だが、その構造は、ただのエネルギー発生装置ではない。周囲の岩盤の振動を増幅させ、特定の周波数で共振させる、指向性の、地盤兵器。
私の脳裏に、レオンハルトからの、あの報告が、雷鳴のように蘇った。
『……山が、泣いている、と』
「……そうか……。そうだったのね……」
私は、全てを理解した。
教皇ヴァレリウスと聖女セラフィナ。彼らの、本当の狙い。
執行官の目的は、このプラントを破壊することだけではなかった。それは、陽動。
本当の目的は、この動力炉で、このテル・アドリエルの地下にある、巨大な地質学的な断層を刺激し、大規模な地殻変動を誘発すること。
この森を、心臓の大樹ごと、物理的に、地の底深く、埋葬すること。
彼らは、古代の叡智の存在を、知っていた。そして、それを、何よりも、恐れていたのだ。
私の科学ではなく、この星に残された、最後の希望そのものを、彼らは、根絶やしにしようとしていたのだ。
その、あまりにも恐ろしく、そして、あまりにも冒涜的な計画の全貌を前に、私の胸に宿ったのは、もはや怒りではなかった。
ただ、絶対的な、科学者としての、闘志だった。
「……あなた方の、思い通りには、させませんわ」
私は、静かに、しかし、地の底から響くような声で、呟いた。
「この星の生命が、何億年もかけて紡いできた希望を、あなた方のような、愚かな支配者のために、終わらせてなど、あげませんから」
それから、半日が過ぎた。
エルフたちの懸命な治療と、ドワーフたちの持つ驚異的な生命力のおかげで、ギムレックは、一命を取り留めた。まだ起き上がることはできないが、その意識は、はっきりとしていた。
私たちは、かろうじて崩落を免れた、プラントの一角に、新たな作戦司令部を設けていた。そこには、種族を超えた、真の『世界同盟』の、最初の評議会が開かれていた。
「……つまり、敵の狙いは、我らの森と、心臓の大樹に眠る『叡智』そのものだった、と……」
エララ議長が、私の報告を、厳しい表情で要約する。
「はい。彼らは、人類が、再び古代文明と同じ過ちを犯すことを、極端に恐れている。だからこそ、その叡智に繋がる可能性のある、全てのものを、この星から消し去ろうとしているのです。私の科学も、その一つに過ぎません」
「……とんでもねえ、迷惑な話だぜ」
担架に横たわったまま、ギムレックが、悪態をつく。
「自分たちが怖えからって、星ごと心中しようなんてな。だが、お嬢ちゃん。奴らの切り札は、俺たちがぶっ壊した。プラントは滅茶苦茶になっちまったが、これで、少しは時間が稼げたってことじゃねえのか?」
「いいえ、親方。おそらく、逆ですわ」
私は、静かに首を横に振った。
「執行官は、おそらく、彼らが持つ切り札の、ほんの一部。そして、私たちは、彼らの最も触れられたくない秘密――古代の叡智の存在を、知ってしまった。……彼らは、必ず、次なる、そして、より直接的な手を、打ってきます。残された時間は、決して多くはありません」
私の言葉に、その場は重い沈黙に包まれた。
私たちは、戦いに勝った。だが、その代償として、希望を生み出すための、唯一の工場を失った。そして、敵は、私たちの存在を、完全に『根絶やしにすべき脅威』として、認識しただろう。
状況は、以前よりも、さらに悪化していた。
「……ならば、どうするのだ、イザベラよ」
沈黙を破ったのは、エララ議長だった。その瞳には、もはや私への疑念はない。ただ、同盟の頭脳に対する、絶対的な信頼だけがあった。
「我らは、プラントを失った。だが、希望の『種』は、ここにある。そして、我らの同盟も、ここにある。……次なる、お主の『科学』を、示せ」
私は、頷いた。
「はい。私たちの、次なる一手。それは……」
私は、仲間たちの顔を、一人一人、見渡した。
「……一度、ここを、放棄します」
「なっ……!?」
私の、あまりにも意外な言葉に、エルフも、ドワーフも、驚きの声を上げた。
「お嬢ちゃん、正気か!? ここを捨てて、どこへ行くってんだ!」
「鉄槌の王国へ、戻るのですわ、ギムレック殿」
私は、執行官の動力炉から回収した、黒焦げになった、しかし、その内部構造をかろうじて留めている、未知の合金の塊を、テーブルの上に置いた。
「このプラントは、もはや安全ではありません。敵は、この場所を、正確に把握している。ですが、私たちは、この戦いで、二つの、かけがえのないものを手に入れました。一つは、この『敵の技術』。これを解析すれば、彼らの科学レベルを理解し、対抗策を練ることができます」
そして、私は、仲間たちの、固い絆で結ばれた顔を見渡した。
「そして、もう一つは、この『同盟』です。私たちは、この絶望的な戦いの中で、種族を超え、互いを信じ、共に戦うことを学びました。……これこそが、教皇たちが、決して持ち得ない、私たちの、最強の武器ですわ」
私は、地図を広げ、鉄槌の王国を、指し示した。
「鉄槌の王国は、天然の要塞。そして、そこには、ギムレック殿の工房という、最高の技術開発拠点がある。私たちは、一度そこへ戻り、体勢を立て直します。エルフの皆さんには、心苦しいですが、この森を一時的に離れ、私たちと共に来ていただきたい。あなた方の『叡智』と、癒しの魔法が、これからの戦いには、不可欠となりますから」
私の計画に、もはや、異を唱える者はいなかった。
絶望の淵で、私たちは、勝利し、そして、全てに近いものを失った。
だが、その代償として、私たちは、本物の『仲間』と、そして、次なる戦いへの、明確な『道筋』を手に入れたのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
執行官との戦いは、勝利というにはあまりにも大きな代償を伴いました。希望を生み出すためのプラントは崩壊し、仲間たちは深く傷つきました。しかし、その絶望の灰の中から、種族を超えた本物の『同盟』という、かけがえのない宝が生まれたのです。そして、暴かれた教皇たちの真の狙い――。
戦いの舞台は、最終決戦の地へと移ります。守り抜いた希望の種を手に、イザベラたちは一度体勢を立て直すことを決意しました。ここからが、物語の最終章の始まりです。
次回「鉄槌の王国にて」。傷ついた仲間たちと、彼らが持ち帰った『執行官』の残骸。最終決戦に向けた、イザベラの新たな科学が動き出します。
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