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生命の設計図

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

古代文明が遺した、世界の根幹を揺るがす真実が暴かれました。『沈黙の災厄サイレント・カラミティ』の目的は、単なる破壊ではなく、生命そのものの『上書き』。

しかし、その絶望の深淵で、イザベラたちは、生命が自らを守るために進化させた、究極の『免疫システム』という、唯一の希望を発見します。イザベラの、新たな探求が始まります。

 心臓の大樹(ハートウッド)(うろ)の中は、荘厳な静寂と、知的な熱狂が同居する、奇妙な空間と化していた。

 私たちの目の前には、ドワーフの技術とエルフの魔法が映し出した、光の二重螺旋(にじゅうらせん)が、ゆっくりと回転している。それは、この星の、全ての生命の歴史と未来を刻み込んだ、究極の設計図。古代の叡智そのものだった。

 そして、その美しい螺旋を無慈悲に解体し、自らと同じ無機質な結晶パターンへと『上書き(・・・)』していく、黒い棘――『沈黙の災厄サイレント・カラミティ』の、可視化された脅威。

 だが、私たちは、絶望だけを見ていたのではなかった。

 その視線は、螺旋の中でも、一際複雑な構造を持ち、黒い棘の侵食を、頑なに弾き返している、ある一点に集中していた。


「……これこそが、私たちの、唯一の希望ですわ」

 私は、震える指で、その光り輝く一点を指し示した。

「この星の生命が、何億年もの歳月をかけて進化させてきた、究極の『免疫(・・)システム(・・・・)』。ナノマシンの分解酵素を中和し、その自己増殖を阻害する、自己防衛プログラム。……聖女と教皇が、世界を終わらせるためのパンドラの箱を開けたのだとすれば、これは、その箱の底に、唯一残されていた、希望(きぼう)なのです」

 私の言葉に、その場にいた誰もが、固唾を呑む。エルフの議長エララも、ドワーフの親方ギムレックも、この小さな光の塊に、自分たちの、そして世界の未来が託されていることを、直感的に理解していた。


「だが、お嬢ちゃん。どうやって、この『希望』とやらを、取り出すってんだ?」

 ギムレックが、最も現実的な問いを、口にした 。



「こいつは、光の絵だ。手で掴むことも、槌で打ち出すこともできねえ。これじゃ、絵に描いた餅と同じじゃねえか」

「ええ、その通りですわ、ギムレック殿。だからこそ、私たちは、この『絵』を、現実の世界に『写し取る(・・・・)』のです。この、生命の設計図を、私たちの手で、再構築(さいこうちく)するのですわ」

 私の、あまりにも大胆な宣言に、その場の空気が、再び緊張した。

「再構築……ですと?」

 エララ議長が、訝しげに問う。

「はい。私の専門は、農芸化学。そして、その根幹を成すのは、目に見えぬ小さな生命――微生物を、理解し、育て、そして、私たちの望む働きをしてもらう、バイオテクノロジーですわ」

 私は、壁際に設置した、私の研究道具が並ぶテーブルへと歩み寄った。そして、一つの、雪のように白い菌糸が満たされたシャーレを、手に取る。

「この子たち――魔法機械(グレイ・ダスト)を分解する、白い放線菌 。彼らは、古代文明の遺物に適応する、類稀なる能力を持っています。ならば、彼らの遺伝情報に、あの『免疫システム』の設計図を、教え込む(・・・・)ことができるかもしれない」



「……菌に、物事を教え込む、だと……? 小娘、お主は、いよいよ神の領域にでも足を踏み入れるつもりか」

 エルフの長老の一人が、畏怖の念を込めて呟いた。

「いいえ、神の領域などでは、断じてありませんわ。これもまた、科学。生命の理に基づいた、地道な、実験の積み重ねです」

 私は、仲間たちに向き直り、前代未聞の、共同研究の計画を、明らかにした。


「まず、エララ議長。あなた方エルフの、古の『(ひかり)(うた)』の力が必要です。あの光の螺旋の中から、免疫システムの部分だけを、共鳴させ、他の部分よりも、強く輝かせることはできますか?」

「……難しい相談だ。だが、心臓の大樹の鼓動が戻った今、森のマナは、我らの歌に、以前よりも素直に応えてくれるはず。……やってみよう」

「ありがとうございます。次に、ギムレック殿。あなた方ドワーフには、新たな機械を、急ぎで開発していただきたい」

 私は、羊皮紙に、走り書きで、新たな装置の設計図を描き出す。

「これを、『光情報転写装置(ライト・シーケンサー)』と名付けます。エルフの歌で増幅された、特定の光のパターンだけを、寸分の狂いもなく捉え、その三次元的な構造と、エネルギーの周波数を、水晶板の上に、焼き付けるのです。あなた方の、精密なレンズ研磨技術と、歯車の連動機構が、不可欠となりますわ」



「……へっ! 面白い! 光を、石に刻み込め、か! ドワーフの技の見せ所じゃねえか!」

 ギムレックの瞳に、職人としての、挑戦の炎が宿った 。



「そして、最後に、私の仕事ですわ」

 私は、白い放線菌のシャーレを、掲げてみせる。

「ドワーフの機械が転写した、光の設計図。その情報を元に、私は、この子たちが、その免疫システムを、自らの体内で『再現(さいげん)』するための、最適な環境――特殊な栄養素を配合した、新しい『培地(ばいち)』を、開発します。いわば、菌のための、英才教育ですわね」


 科学と、魔法と、技術。

 三つの、決して交わることのなかった力が、今、生命の設計図を解読するという、一つの目的のために、再び、融合しようとしていた。


 それからの日々は、まさに戦いだった。

 エルフの歌い手たちは、エララ議長の指揮の下、交代で、心臓の大樹の洞にこもり、古の光の歌を、紡ぎ続けた。それは、精神力を極限まで消耗する、過酷な儀式だった。

 ギムレックの工房では、ドワーフたちが、不眠不休で、巨大なシーケンサーの建造にあたっていた。カン、カン、という、規則正しい槌の音が、森の中に、希望のリズムを刻んでいく。

 そして、私は、彼らから送られてくる、断片的なデータを元に、来る日も来る日も、培地の配合を、試行錯誤し続けた。

(……ダメ。このアミノ酸の配合では、免疫システムの定着率が、0.1%にも満たない。もっと、特殊なミネラルが必要……? そうか、あの響振石に含まれていた、微量元素……!)

 失敗の連続。だが、その度に、私は、仲間たちの顔を思い浮かべた。一人ではない。この戦いは、私一人の戦いではないのだ。


 そして、運命の、十日目の夜。

 ついに、光情報転写装置が、完成した。エルフたちの歌声が最高潮に達し、光の螺旋の中で、免疫システムの部分が、まるで太陽のように、眩い光を放つ。

 |ガション!|という、重々しい音と共に、シーケンサーが作動する。ドワーフが磨き上げた、巨大なレンズが、その光を、一点に集束させ、純白の水晶板の上に、叩きつけた。

 水晶板の上に、焼き付けられたのは、息を呑むほどに美しい、複雑な、光の紋様だった。

「……やった……! やったぞ、お嬢ちゃん!」

 ギムレックの、歓喜の雄叫びが、洞に響き渡った。


 私は、その水晶板を、震える手で受け取ると、すぐさま、私の研究キャンプへと持ち帰った。

 そして、その光の紋様が示す、複雑なエネルギーパターンを元に、最後の調整を加えた、究極の培地を、完成させた。

 ガラスのシャーレに、その黄金色の培地を満たす。

 そして、その中央に、私の希望の全てである、白い放線菌を、そっと、植え付けた。

 最後に、私は、懐から、小さな、黒い結晶片を取り出した。ドワーフの山から持ち帰った、『沈黙の災厄』の、サンプルだ。

 私は、その死の欠片を、シャーレの端に、そっと置いた。

 集まった、エルフと、ドワーフの仲間たちが、息を殺して、その様子を見守っている。

 シャーレの中で、二つの、相反する力が、対峙する。

 黒い結晶から、目に見えないナノマシンが、じわり、と、その侵食を開始する。

 だが、その侵食が、シャーレの中央に到達しようとした、その時。

 白い放線菌のコロニーが、まるで意思を持ったかのように、その姿を変え始めた。菌糸の先端が、淡い、しかし、力強い光を放ち始めたのだ。それは、あの、生命の設計図が放っていた、希望の光と、同じ色だった。

 そして、光る菌糸は、侵食してくるナノマシンに向かって、まるで白い軍隊のように、前進を開始した。

 黒と、白。

 死と、生命。

 二つの力が激突した境界線で、黒い侵食が、ぴたり、と、止まった。

 いや、止まっただけではない。白い菌糸が触れた部分から、ナノマシンが、その構造を維持できなくなり、まるで砂のように、さらさらと、崩壊していく。

「……喰っている……」

 誰かが、畏敬の念に満ちた声で、呟いた。

「……あの白いカビが、災厄を、喰っている……!」


 それは、まだ、このシャーレの中で起きた、あまりにも小さな、勝利だった。

 だが、それは、この星の生命が、自らの手で、反撃の兵器を生み出した、歴史的な、第一歩だったのだ。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

ついに、イザベラたちは、古代の叡智を解読し、『沈黙の災厄』に対抗する、生ける兵器を生み出すことに成功しました。絶望の淵で掴んだ、大きな、大きな希望です。

しかし、シャーレの中の勝利と、世界を救うことの間には、まだ大きな隔たりがあります。


次回「反撃の量産計画」。生み出された希望を、どうやって、世界を覆う絶望へと届けるのか。イザベラの、次なる挑戦が始まります。


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