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『追放悪役令嬢の発酵無双 〜腐敗した王国を、前世の知識(バイオテクノロジー)で美味しく改革します〜』  作者: 杜陽月
発酵と侵蝕

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星の免疫系

仮説——千年前の知恵は、今も生きているか。

 心臓の大樹(ハートウッド)の鼓動が、森に帰ってきた。

 あの壮絶な儀式から三日が過ぎ、テル・アドリエルの都は、静かな、しかし確かな再生の息吹に包まれていた。

 大樹の幹から剥がれ落ちた死の結晶は、今や子供たちが集める美しい石ころとなり、その下からは、傷つきながらも生命力を失っていない、新しい樹皮が顔を覗かせている。

 都を流れる小川の水は、その濁りを失い、再び水晶の輝きを取り戻しつつあった。


 大樹の根元に設えられた、我々の臨時研究キャンプは、前代未聞の熱気に満ちていた。そこには、もはや種族の壁など存在しない。

 人間の科学者である私と、ドワーフの技術者たち、そしてエルフの賢者たちが、一つのテーブルを囲み、世紀の発見を前に、目を輝かせていたのだ。


「……信じられん。この結晶片の内部構造、何度見ても、まるで星空のように複雑で、美しい……」


 ギムレックが、ドワーフ特製の高精度なルーペを片手に、感嘆の声を漏らす 。彼の視線の先にあるのは、あの日、心臓の大樹から剥がれ落ちた、あの結晶片。

 ナノマシンの活動が停止した今、それはもはや脅威ではなく、古代文明が遺した、未知の叡智を秘めた、神秘のオブジェと化していた。



「ええ。ですが、これはただ美しいだけではありませんわ、ギムレック殿」


 私は、羊皮紙に書き留めた膨大な観察記録を指し示す。


「この幾何学模様は、心臓の大樹の鼓動と完全に同期して明滅している。しかもパターンは二度と繰り返さない」


 私は息を呑んだ。


「単なる模様ではない。膨大な『情報(データ)』が記録されているのです。古代文明が遺した、生きた記録媒体(アーカイブ)ですわ」


 私の言葉に、議長エララが、静かに頷いた。


「……我らエルフの、最も古い伝承に、こうあります。『心臓の大樹は、星の最初の記憶を、その内に秘めている』と。我らは、それを、詩的な比喩だと考えておりました。ですが、科学者よ。お主は、それが、比喩ではないと申すのか」

「はい、議長殿。これは、比喩などではない。科学的な事実です。問題は、このアーカイブに記録された情報を、どうやって『解読(かいどく)』するか、ですわね」


 それが、我々が直面している、新たな、そして巨大な壁だった。私の顕微鏡では、その表面構造を観察できても、内部の三次元的な情報の流れを、読み解くことはできない。

(無理やり破壊して、内部を調べるわけにもいかない。この結晶体は、あまりにも脆く、そして、おそらくは唯一無二のサンプル……)

 私が、思考の袋小路に入り込みかけた、その時。


「……お嬢ちゃん。つまり、アレだろ? この石っころの中身を、壊さずに、でっかく映し出して見たいってことなんだろ?」


 ギムレックが、その無骨な指で、顎の髭を扱きながら言った。


「ええ、簡潔に言えば、その通りですわ」

「ふん。ならば、話は早い。要は、『幻灯機(げんとうき)』の、バケモノみてえなやつを作りゃいいってことだ」

「幻灯機……ですって?」

「おうよ。レンズと、強い光を使って、小さな絵を、壁にでっかく映し出す、あれだ。俺たちの技術で、寸分の狂いもないレンズを削り出し、この石っころを完璧に透過する、精密な機械を組んでやる。」


 彼は続けた。


「問題は、光源だ。蝋燭やランプの光じゃ、弱すぎる。太陽光を使ったとしても、これほど複雑な内部構造を、鮮明に映し出すほどの、純粋な光は得られねえ」


 ギムレックの言葉に、私は光明を見出した。だが、同時に、新たな壁に突き当たる。純粋で、強力な、指向性のある光。この世界に、そんなものが……。


「……その光ならば、あるいは、我らが用意できるやもしれぬ」


 静かに口を開いたのは、議長エララだった。


「エルフの秘宝に、『星詠みの水晶』と呼ばれるものがあります。月光を、純粋な光の束へと変える、魔法の水晶です」


 エララは、私とギムレックを交互に見た。


「……我らの魔法と、ドワーフの技術、そして、お主の科学。その三つを合わせれば、あるいは……」


 彼女の言葉に、その場にいた全員が、顔を見合わせた。

 憎み合っていたはずの、ドワーフと、エルフ。

 そして、そのどちらとも異質な、人間の科学者。


 三つの、決して交わることのなかった知性が、今、一つの目的のために、再び、融合しようとしていた。


 それから、五日間。テル・アドリエルは、前代未聞の共同プロジェクトの熱気に包まれた。

 ギムレック率いるドワーフたちは、驚異的な集中力で、複雑なレンズを研磨し、寸分の狂いもない

 美しい機械――私が『記録解読器(アーカイブ・リーダー)』と名付けた装置――を組み上げていく。

 エララ議長とエルフの歌い手たちは、心臓の大樹の傍らで、夜ごと、星詠みの水晶に、古の光の歌を捧げ、その魔力を高めていく。


 そして、私は、その全てのプロセスを監督し、光の屈折率や、焦点距離を計算し、彼らの魔法と技術が、完璧に融合するための、科学的な調整を続けた。

 ハンナとアルフレッドも、私の助手として、懸命に働いてくれた。

 ハンナは、エルフの子供たちとすっかり打ち解け、彼らから教わった森の知識で、私たちの研究を助けてくれた。


 そして、運命の夜が訪れた。

 心臓の大樹の、最も大きな(うろ)の中。そこに、完成した『記録解読器』が、静かに鎮座している。ドワーフの技術の粋を集めた、黒鉄と水晶の、美しい機械だ。

 エララ議長が、星詠みの水晶を、装置の光源部に、厳かに設置する。


「……頼むぞ、古の光よ」


 彼女が、澄み切った声で、短く歌を捧げると、水晶は、まるで自ら光を放つかのように、柔らかな、しかし、力強い、純白の光を放ち始めた。


「よし、お嬢ちゃん! 光源、安定したぜ!」


 ギムレックが、装置の調整ハンドルを握りながら叫ぶ。


「……始めます」


 私は、震える手で、あの結晶片を、装置のサンプル台に、そっと置いた。

 ギムレックが、ゆっくりとハンドルを回し、レンズの焦点を合わせていく。

 そして、私たちの目の前の、洞の壁に、光が当たった。


 そこに映し出されたのは、私たちの想像を、遥かに超える光景だった。

 それは、文字でも、絵でもなかった。

 空中に浮かび上がる、巨大な、三次元の、光の螺旋。二本の光の帯が、複雑に絡み合いながら、どこまでも続く、美しい構造体。


「……これは……」


 私は、息を呑んだ。

(……二重螺旋(にじゅうらせん)……!まさか、この世界にも、この概念が……!いや、違う。これは、私が知っているデオキシリボ核酸などではない。)


(もっと、遥かに、複雑で、高次元の……!)

 それは、この星の、全ての生命の、遺伝情報を記録した、生命(せいめい)設計図(せっけいず)そのものだった。


 私たちが、その神々しいまでの光景に、言葉を失っていると、エララ議長が、震える声で、呟いた。


「……これが……伝承に聞く、『生命の最初の歌……」


 だが、その、荘厳な光景は、次の瞬間、悪夢へと変わった。

 どこからともなく、無数の、機械的な、黒い棘のような影が現れ、美しい光の螺旋に、襲いかかったのだ。

 『沈黙の災厄』。ナノマシンの、可視化された姿だった。


 黒い棘は、光の螺旋に突き刺さり、その美しい構造を、無慈悲に、解体していく。

 そして、解体された光の粒子を使い、自らと同じ、無機質で、単調な、結晶のパターンへと、書き換えていく。

 私の脳裏に、戦慄が走った。

(……そうか。あの災厄は、ただ生命を『破壊』しているだけではなかった。あれは、生命の情報を、『上書き』しているのだ!)


(この星の全ての生命を、自分たちと同じ、無機質な存在へと、作り変えようとしている……!なんという、恐ろしい、冒涜……!)


 だが、絶望だけではなかった。

 黒い棘の猛攻を受けながらも、光の螺旋の一部が、それに、頑なに、抵抗していたのだ。

 螺旋の中でも、特に複雑で、幾重にも折りたたまれた、ある特定の塩基配列。そこだけは、黒い棘を弾き返し、その輝きを、失っていなかった。


「……あれは……!」


 私は、その部分を、食い入るように見つめた。

(……自己修復(じこしゅうふく)機能(きのう)……?いや、違う。もっと、積極的な、防御機構(ぼうぎょきこう)……!)


(あの配列そのものが、ナノマシンの分解酵素を、中和する、何らかの力を持っている……!)

 心臓の大樹は、ただ、古代の記録を、保存していただけではなかった。


 それは、この星の生命が、自らを守るために、何億年もの歳月をかけて進化させてきた、究極の『免疫システム』の、設計図でもあったのだ。

 聖女と教皇が、世界を終わらせるための、パンドラの箱を開けたのだとすれば。

 この心臓の大樹は、その箱の底に、唯一残されていた、希望(きぼう)だったのだ。

千年前の知恵が、今日の武器になる。


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