エルフの森の異変
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
イザベラの科学と、ドワーフの誇りが融合し、ついに世界同盟の第一歩が踏み出されました。絶望の淵から立ち上がる、鋼の民の姿は、頼もしい限りです。
しかし、『沈黙の災厄』の脅威は、彼らの奮闘を待ってはくれません。イザベラたちの知らない場所で、災厄は、次なる悲劇を生み出そうとしていました。
鉄槌の王国での共同研究は、私の予想を遥かに超える速度で進展していた。
ドワーフという種族は、一度『理』を認め、仲間と認めた相手には、驚くべき献身と情熱を注いでくれる、最高の技術者集団だった。ギムレックの指揮の下、山の地熱を利用した巨大な『生物反応槽』は、わずか数週間でその骨格を現し、王立技術院の地質学者たちは、私と共に、不眠不休で『沈黙の災厄』に汚染された鉱石サンプルの分析を続けていた。
「……やはり、私の仮説通りですわ」
王城の地下にある、広大な地質研究所。その壁一面に貼り付けられた王国全土の地質図を前に、私はチョークを片手に、ドワーフの王ブロック・アイアンハンマーと、ギムレック、そして数名のドワーフの地質学者たちに説明していた。
「このナノマシンは、ただ無差別に有機物を分解しているわけではない。彼らは、この星の生命力の源泉――あなた方が『マナ』と呼ぶエネルギーの流れに、まるで寄生するように、その汚染を拡大させているのです」
私が地図の上に、赤いチョークで、マナの主要な流れ――いわゆる『龍脈』を書き込んでいくと、それは、黒鉄山から発生した汚染が、まるで川の流れに乗るように、特定のルートを辿って広がっていることを、示していた。
「彼らは、マナを直接のエネルギー源としているわけではない。ですが、マナの流れが活発な場所ほど、ナノマシンの自己増殖活動もまた、指数関数的に活性化する。いわば、マナは彼らにとっての『触媒』なのですわ」
「……なんと、忌々しい……」
ブロック王が、その白銀の髭を震わせながら、呻くように言った。
「我らが、この山の恵みとして崇めてきたマナの流れが、逆に、この山を殺す毒の通り道になっておったとは……」
「ええ。そして、ここに、一つ、極めて憂慮すべきデータがあります」
私は、地図の上、黒鉄山から遥か東に位置する、広大な森林地帯を、指し示した。
「この龍脈の、最も大きな支流の一つが、向かう先……。それは、エルフたちが住まうという、古代の森ですわ」
その言葉に、ドワーフたちの間に、緊張が走った。
「……あの、気取った尖り耳どもの森か」
ギムレックが、苦々しげに吐き捨てる。ドワーフとエルフの仲が、古くから険悪であることは、私も知識として知っていた。職人気質で、現実主義のドワーフと、自然との調和を重んじ、精神性を貴ぶエルフ。その価値観は、水と油だ。
「陛下。このままでは、いずれ、あの森にも災厄が及びます。いえ、マナの流れがこれほど強い場所です。汚染の速度は、この黒鉄山を遥かに上回るかもしれない。……彼らに、警告を発するべきですわ」
「……無駄だ、お嬢ちゃん」
ギムレックが、私の言葉を遮った。
「奴らは、我ら『山掘り』を、大地を傷つける野蛮な種族だと、見下しておる。我らからの言葉など、聞く耳を持つものか。むしろ、我らが災厄を招いたのだと、逆恨みするのが関の山だ」
彼の言葉に、他のドワーフたちも、重々しく頷く。それは、何百年にもわたって積み重ねられてきた、根深い不信感だった。
私が、どう説得すべきか、言葉を探していた、まさにその時だった。
「ご報告します! 王都より、摂政レオンハルト殿下の、緊急伝令です!」
研究所の重い鉄の扉が開き、一人のドワーフの衛兵が、シュヴァルツェンベルク家の紋章を掲げた、人間の騎士を伴って現れた。その騎士の顔には、ただ事ではない、切迫した色が浮かんでいる。
「イザベラ様! 摂政殿下より、親書にございます!」
彼は、私に駆け寄ると、厳重に封蝋された羊皮紙の筒を、恭しく差し出した。私は、その場で封を切り、中の書状に目を通す。
そして、その内容に、私は息を呑んだ。
「……なんてこと……」
私の呟きに、ブロック王が、鋭い視線を向ける。
「……何が、書いてある」
「……エルフの森に、異変が発生した、と……」
私は、書状の内容を、そこにいる全員に読み上げた。
それは、エルフの森との境界を巡回していた、レオンハルト配下のレンジャー部隊からの、詳細な報告書だった。
『……森の様子が、おかしい。数日前から、森の木々が、まるで悲鳴を上げるかのように、夜通しざわめいている。森の動物たちが、明らかに凶暴化し、縄張りを越えて、我らの巡回ルートを襲撃する事例が多発。負傷者も出ている』
『そして、昨日、我々は信じがたいものを目撃した。森の境界線にある、樹齢千年を超える樫の大木が……その幹の半分を、あの『水晶の砂漠』と同じ、きらきらと光る結晶体へと、変質させていたのだ。それは、まるで、生命が、その内側から、鉱物へと強制的に作り変えられていくかのような、おぞましい光景だった』
『エルフからの接触は、一切ない。だが、森の奥深くから、時折、彼らのものと思われる、苦痛に満ちた、歌とも叫びともつかぬ声が、風に乗って聞こえてくる……』
報告書を読み終えた時、研究所は、死んだような静寂に包まれていた。
私の、最悪の予測が、現実のものとなっていたのだ。『沈黙の災厄』は、すでに、エルフの森にまで到達し、その生命を、内側から蝕み始めていた。
「……お嬢ちゃんの、言う通りだった、というわけか……」
ギムレックが、苦々しく、しかし、その声に畏敬の念を滲ませて、呟いた。
国王ブロック・アイアンハンマーは、しばらくの間、目を閉じ、深く思案していたが、やがて、その瞼をゆっくりと開くと、私に向き直った。
「……イザベラ・フォン・ヴェルテンベルクよ。お主は、どうすべきだと考える」
その問いは、もはや、私を試すものではなかった。この未曾有の危機に、共に立ち向かう、同盟者としての、真摯な問いだった。
私は、彼の目を、まっすぐに見返した。
「……行くしかありませんわ。エルフの森へ」
私の言葉に、長老たちが、再びざわめく。
「馬鹿な! あの森は、人間を拒む、禁断の地だぞ!」
「奴らと、話が通じるものか!」
「ですが!」と、私は声を張り上げた。
「このままでは、エルフの森は、第二の水晶の砂漠と化します。そして、あれほど強大なマナを持つ森が完全にナノマシンに喰らわれれば、その増殖速度は、我々の計算を遥かに超え、もはや誰にも止められなくなるでしょう。……それに」
私は、一呼吸置いて、続けた。
「……彼らエルフは、古代から、この星の生命の流れ――マナを、誰よりも深く理解している種族。彼らが持つ、失われた『真の魔法』の伝承の中にこそ、この災厄を止めるための、ヒントが隠されている可能性が、ありますわ」
私の言葉は、科学的推論に基づいた、冷静な分析だった。だが、その奥には、同じ星に生きる生命として、滅びゆく者たちを、見捨ててはおけないという、強い想いがあった。
国王ブロック・アイアンハンマーは、私の瞳の奥にある、その決意を、正確に読み取ったのだろう。
彼は、玉座の横に立てかけてあった、彼の王権の象徴である、巨大な戦斧を、その手に取った。
「……ギムレック」
「はっ、ここに」
「お主、あの尖り耳どもとは、犬猿の仲であったな」
「へっ! あんな気取った奴らと、一緒にされるのは、反吐が出ますぜ」
「……そうか」
王は、満足げに頷くと、ギムレックに、驚くべき命令を下した。
「ならば、お主が行け。このイザベラ殿の、護衛としてな」
「……はあっ!?」
ギムレックの、素っ頓狂な声が、大評議会に響き渡った。
「な、なぜ、このワシが! 陛下、ご冗談を!」
「冗談ではない。お主は、この中で、誰よりも、あの娘の『科学』の力を、その目で見てきた。そして、誰よりも、あの尖り耳どもの、石頭ぶりを知っておる。……お主以上に、この困難な交渉の、適任者はおるまい」
そして、王は、私に向き直った。
「行け、イザベラ・フォン・ヴェルテンベルクよ。このギムレックと、我が国の最高の技術者数名を、お主の『世界同盟』の、最初の使節団として、貸し与えよう。……そして、必ずや、あの森の民を、我らの陣営に引き入れてまいれ。これは、王としての、勅命である」
それは、ドワーフという、誇り高き種族が、長年の確執を乗り越え、世界の危機に立ち向かうことを決意した、歴史的な瞬間だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ついに、イザベラは、世界の全ての種族を巻き込む『世界同盟』の、最初の使節として、禁断の地、エルフの森へと向かうことになりました。
犬猿の仲であるドワーフのギムレックを伴っての旅路は、一体どうなるのか。そして、災厄に蝕まれた森で、彼女を待ち受けるものとは。
次回「禁断の森へ」。物語は、新たな冒険の舞台へと移ります。
明日7時10分に更新予定です。
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