奇跡の証明
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イザベラが放った、七日後の勝利宣言。その約束の日が、ついに訪れます。
王都の絶望と、ヴェルテンベルクの希望。二つの戦場で孤独に戦う者たちに、科学はどのような答えを示すのか。
聖女の偽りの奇跡を打ち破る、壮大な反撃の幕開けです。
約束の七日目。王都エーデンガルドの空は、まるで民衆の心を映し出すかのように、重く、暗い雲に覆われていた。
王城の議場は、異様な熱気と殺気に満ちていた。旧体制派の貴族たちは、この七日間で、摂政レオンハルトに対する不信任案をまとめ上げ、今日、この場で彼を断罪する手筈を整えていた。その背後には、もちろん、聖女セラフィナの影がある。
「もはや、待つ必要などありますまい、摂政殿下!」
旧体制派の筆頭侯爵が、勝利を確信した笑みを浮かべてレオンハルトに迫る 。
「ヴェルテンベルクの魔女からの『武器』とやらは、まだ届かぬご様子。所詮は、時間を稼ぐための、虚しい虚言だったのですな! さあ、ご決断を! あの女の首を差し出し、聖女セラフィナ様に許しを乞うことこそが、この国が生き残る唯一の道!」
「そうだ!」「摂政の座を降りろ!」
議場は、レオンハルトを糾弾する怒号の嵐に包まれる。彼は、玉座の隣で、ただ一人、その嵐に耐えていた。その表情は、氷のように静かだったが、固く握りしめられた拳は、彼の内心の激しさを物語っていた 。
(……来い、イザベラ。お前の科学は、俺の最後の砦なのだ……)
彼が、心中でそう呟いた、まさにその時だった。
議場の重い扉が、外から、厳かに開かれた。
そこに立っていたのは、ヴェルテンベルクの紋章を掲げた、王国治安維持局長官クラウス。その背後には、一糸乱れぬ動きで整列する、漆黒の騎士たちが控えている 。
「摂政殿下。イザベラ・フォン・ヴェルテンベルク様より、約束の品を、お届けに上がりました」
クラウスの声は、静かだったが、議場の全ての雑音を切り裂くほどの、鋼の響きを持っていた 。
貴族たちが、ざわめく。武器? 兵士か? だが、クラウスたちが運び込んできたのは、彼らの想像を遥かに超える、奇妙なものだった。
一つは、ドワーフが鍛えた頑丈な木枠に、厳重に封をされた、巨大なガラスケース 。その中には、赤黒い病斑に蝕まれ、見るからに枯れ果てた麦の穂が、数本、植えられていた 。
そしてもう一つは、ヴェルテンベルク王立発酵ギルドの紋章が焼印された、いくつもの樫の樽 。
「……なんだ、これは」
侯爵が、訝しげに呟く。
「枯れた麦と、酒樽か? 我らを愚弄するにも、程があるぞ!」
「これは、酒ではございません」
クラウスは、動じることなく、樽の一つから、琥珀色に輝く液体を、ガラスの小瓶に取り分けた。
「これは、聖女セラフィナ様が『神罰』と称された生物兵器『赤蝕病』を、治療するための、科学の『解毒剤』。イザベラ様が、生命の雫と名付けられた、希望の液体にございます」
その言葉に、議場は嘲笑の渦に包まれた。
「解毒剤だと? 馬鹿馬鹿しい!」
「神の罰を、人の小賢しい知恵で覆せるとでも言うのか!」
「魔女の戯言を、いつまで信じているのだ、辺境伯!」
その嘲笑の輪の中心に、聖女セラフィナが、静かに歩みを進め出た。彼女は、慈愛に満ちた、しかし、その瞳の奥に、絶対的な勝利を確信した冷たい光を宿して、レオンハルトに告げた。
「おやめなさい、辺境伯様。これ以上、神を冒涜する行いは、あなた様ご自身の身を滅ぼしますわ。その液体が、ただの水でないというのなら、この場で、その『奇跡』とやらを、証明してごらんなさいな」
それは、絶対的な自信からくる、挑戦状だった。彼女は知っているのだ。自らが創り出した生物兵器が、この世界のいかなる魔法でも、薬草でも、治癒不可能な、完璧な存在であることを。
「……望むところだ」
静かに答えたのは、レオンハルトだった。彼は、玉座から立ち上がると、クラウスの隣に並び立つ。
「クラウス。やれ」
「はっ」
クラウスは、ギムレックがこの日のために作り上げた、噴霧器を手に取った 。そして、貴族たちが固唾を飲んで見守る中、ガラスケースの小さな投入口から、その内部の枯れた麦に向かって、『生命の雫』を、霧状に、そして均一に、散布した。
琥珀色の霧が、枯れた麦を、優しく包み込む。
だが、当然ながら、すぐに劇的な変化が起こるわけではない。麦は、枯れたままだ。
「……ふふ。これが、答えですわ、皆様」
セラフィナが、勝ち誇ったように微笑んだ。
「魔女の科学など、所詮はこの程度の、児戯に等しいもの。さあ、皆様、ご決断を。神の代理人である、この私に従うか、あるいは、魔女と共に、神罰の炎に焼かれるか……」
彼女の言葉が、貴族たちの心を、完全に掌握しようとした、その時だった。
「待て」
レオンハルトの、地を這うような低い声が、再び議場を支配した。
「科学とは、お前たちの言う『奇跡』のように、安っぽい見世物ではない。それは、生命の理に基づいた、静かで、そして、確実な真実だ」
彼は、議場に集まった全ての者たちに向かって、宣言した。
「このガラスケースは、今、この場で、王家の封蝋をもって、完全に封印する。誰の手も触れさせん。そして、明日の夜明け、再びこの場に全員を集め、その封印を解く。……その時こそ、どちらが本物の『奇跡』で、どちらが偽りの『神罰』であったか、全ての答えが、明らかになるだろう。……それで、文句はあるまい、聖女殿」
レオンハルトの、あまりにも堂々とした宣言に、セラフィナの微笑みが、一瞬、凍りついた。だが、彼女はすぐに、余裕の表情を取り戻す。
(……面白い。自ら、破滅への時間を稼いでくれるとは)
「ええ、よろしいでしょう。神の真実が、一夜で揺らぐことなど、ありえませんから」
その日の議会は、異様な緊張感の中、解散となった。封印されたガラスケースは、レオンハルトの騎士と、王家の近衛兵によって、厳重に警護されることになった。
そして、運命の夜が明けた。
議場には、昨日を遥かに超える数の貴族と、噂を聞きつけた民衆の代表たちが、詰めかけていた。誰もが、固唾を飲んで、中央に置かれたガラスケースを見つめている。
レオンハルトと、そして、昨夜とは打って変わって、わずかな焦りの色を浮かべたセラフィナが、同時に封蝋を解く。
ガラスケースの扉が、ゆっくりと開かれた。
そして、人々は、息を呑んだ。
そこにあったのは、昨日と同じ、枯れた麦ではなかった。
赤黒い病斑は、その勢いを失い、まるで瘡蓋のように、乾き、縮小している。そして、何よりも……その枯れた茎の根元から、土の中から、数本の力強い、鮮やかな緑の新芽が、天に向かって、まっすぐに、伸びていたのだ。
「……な……」
セラフィナの唇から、信じられない、といった声が漏れた。
「……芽が……出ている……?」
誰かが、呆然と呟いた。
それは、聖女の魔法のような、派手な光も、劇的な変化もない。だが、そこにいる誰もが、理解した。
これは、本物だ、と。
死んだはずの命が、再び、その内側から、力強く蘇ろうとしている。偽りの奇跡では決して起こしえない、生命そのものが持つ、荘厳な光景だった。
「これが、答えだ」
レオンハルトが、静かに、しかし、勝利を確信した声で、告げた。
「これが、イザベラ・フォン・ヴェルテンベルクの『科学』だ。破壊ではなく再生を。支配ではなく共生を。虚構ではなく真実を。……さて、諸君。お前たちが、この国の未来として選ぶべきは、どちらだ?」
彼の言葉に、もはや、反論する者は、一人もいなかった。
貴族たちは、顔面蒼白で立ち尽くし、民衆は、目の前の小さな緑の芽に、まるで神を見るかのように、ひれ伏していた。
そして、聖女セラフィナは、自らの完璧な計画が、根底から覆されたという、信じがたい現実を前に、ただ、震える唇を噛み締めることしか、できなかった。
王都の戦場で、私の科学は、聖女の偽りの奇跡を、完全に、打ち破ったのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
イザベラの科学は、ついに王都の民衆と貴族たちの前で、その正しさを証明しました。聖女セラフィナのプロパガンダは打ち破られ、物語は大きな転換点を迎えます。
しかし、追い詰められたセラフィナが、このまま黙っているはずがありません。
次回「敗者の次なる一手」。窮地に立たされた聖女と教皇が、さらに危険な計画を始動させます。
明日7時10分に更新予定です。
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