表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『追放悪役令嬢の発酵無双 〜腐敗した王国を、前世の知識(バイオテクノロジー)で美味しく改革します〜』  作者: 杜陽月
科学の王国と支配の聖女

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/68

二つの戦場

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

イザベラが科学的な勝利を掴み取ろうとする、まさにその裏で、王都では彼女を社会的に抹殺するための、巧妙な情報戦が繰り広げられていました。

物理的な脅威と、見えざる悪意。二つの戦場で、イザベラは同時に戦うことを強いられます。追い詰められた彼女が下す、次なる一手とは。

 伝令兵が差し出した羊皮紙が、私の手の中で、くしゃりと音を立てた。そこに綴られていた言葉の一つ一つが、小さな、しかし鋭い棘となって、私の心に突き刺さる。

 呪い(・・)()魔女(・・)……。

 私が? この、科学の徒である私が?

 民を救うために、この国の未来のために、全てを捧げる覚悟を決めた、私が?


「……ふざけないで」

 私の唇から漏れたのは、自分でも驚くほど、冷たく、そして低い声だった。研究室(ラボ)の空気が、一瞬で凍りつく。隣に立つアルフレッドが息を呑み、私の顔を心配そうに覗き込むハンナの小さな肩が、びくりと震えた 。



「お、おねえちゃん……?」

「……ごめんなさい、ハンナ。少し、頭に血が上ってしまったようですわ」

 私は、かろうじて冷静さを取り繕い、ハンナの頭を優しく撫でる。だが、私の内心は、怒りと、そして、これまで感じたことのない種類の、冷たい哀しみの嵐が吹き荒れていた。

 聖女セラフィナ。彼女のやり方は、あまりにも狡猾で、そして、科学者としての私の誇りを、根底から踏みにじるものだった。彼女は、物理的な破壊だけではない。人心という、最も脆く、そして最も厄介な戦場を、巧みに選んでみせたのだ。


 私が羊皮紙を机に叩きつけるように置くと、アルフレッドが、意を決したように口を開いた。

「お嬢様。王都の民は、愚かではございますが、根っからの悪人ではございません。飢えと、聖女の名がもたらす権威に、目が眩んでいるだけで……」

「わかっているわ、アルフレッド」

 私は、彼の言葉を遮った。

「ええ、わかっている。恐怖は、無知から生まれる。そして、飢えは、人の理性と思考力を、いとも容易く奪い去る。……だからこそ、腹立たしい。セラフィナは、その全てを理解した上で、民の弱さを、最も効果的な武器として利用しているのですから」

 私は、窓の外に広がる、ヴェルテンベルクの景色に目を向けた。そこには、エリックの指揮の下、防疫作業に汗を流す村人たちと騎士たちの姿があった 。彼らは、私を信じてくれている。私の科学を、その目で見て、その手で触れ、その温もりを感じてくれたからだ 。



 だが、王都の民は、違う。彼らは、私の科学を知らない。彼らが知っているのは、聖女が語る、甘美な『奇跡』の物語と、私が『悪役令嬢』であったという、過去の事実だけ。その二つを繋ぎ合わせれば、彼らがどのような結論に至るかなど、火を見るより明らかだった。


 その時、研究室(ラボ)の扉が開き、クラウスとギムレックが、厳しい表情で入ってきた 。彼らもまた、王都からの報せを、それぞれの情報網で掴んでいたのだ。



「イザベラ様。聞きましたぞ。王都の連中、とんだ言いがかりを……!」

「がっはっは! 魔女だの(・・・・)呪いだの(・・・・)、笑わせてくれるわい! 奴らは、このワシらが三日三晩、鉄を打ち鳴らして作り上げた、この美しい『生物反応槽(バイオリアクター)』の仕組みを、理解することすらできん、ただの蒙昧な輩よ!」

 ギムレックは、完成したばかりの培養タンクを、誇らしげに拳で叩く 。その言葉は、仲間を鼓舞するための、彼なりの不器用な励ましだった。



 私は、彼らの顔を、一人一人、見渡した。

 私を信じ、支えてくれる、かけがえのない仲間たち。

(……そうよ。私が、ここで立ち止まるわけにはいかない)

 私は、深く息を吸い、迷いを振り払った。

「皆さん。聞いてください。私たちは今、二つ(・・)()戦場(・・)()、同時に戦うことを強いられています」

 私の言葉に、全員が、真剣な眼差しで私を見つめる。

「一つは、ここ、ヴェルテンベルク。聖女セラフィナが放った生物兵器『赤蝕病』との、科学戦(かがくせん)。これは、私たちの知識と技術の、総力戦ですわ」

 私は、琥珀色に輝く『生命の雫(エリクサー)』の試薬瓶を、光に掲げてみせる。

「そして、もう一つは、王都。聖女が仕掛けた、人心(・・)()巡る(・・)情報戦(じょうほうせん)。これは、我らの『真実(・・)』が、彼女の『虚構(・・)』に打ち勝てるかどうかを問う、思想の戦いです」

 私は、仲間たちに、王都の状況を、ありのままに伝えた。民衆の敵意、旧体制派の暗躍、そして、その全ての矢面に、たった一人で立たされている、レオンハルトの苦境を。

「……なんということだ……」

 エリックが、唇を噛み締める 。



「摂政殿下は、俺たちを信じて、あれだけの物資を送ってくださった。それなのに、王都では、そんな……!」



「イザベラ様。我ら治安維持局の兵を、王都へ……!」

 クラウスが、逸る気持ちを抑えきれずに進言するが、私は静かに首を横に振った。

「いいえ、クラウス。今、あなたが王都で兵を動かせば、それは内乱の火種となり、セラフィナの思う壺ですわ。それに……」

 私は、きっぱりと言い切った。

「……この戦は、剣では勝てません」


 その頃、王都エーデンガルドの王城では、レオンハルトが、まさにその『剣では勝てない戦』の、渦中にいた 。



 摂政として彼が招集した臨時議会は、もはや議論の場ではなく、彼に対する糾弾の場と化していた。

「辺境伯殿! 民の声が、聞こえぬのか!」

 旧体制派の筆頭である、恰幅のいい侯爵が、唾を飛ばしながら叫ぶ。

「彼らが求めているのは、聖女セラフィナ様の、祝福された『奇跡』だ! あのヴェルテンベルクの魔女がもたらした、得体の知れぬ『呪い』ではない!」

「そうだ! そもそも、あの女を婚約者と宣言されたこと自体が、王家への反逆行為に等しい!」

「即刻、婚約を破棄し、魔女の首を、聖女様へと差し出すべきだ!」

 議場は、セラフィナのプロパガンダに煽られた貴族たちの、ヒステリックな怒号に満ちていた。レオンハルトは、玉座の隣に設けられた摂政席で、腕を組み、氷のような表情で、その全てを聞いていた 。



 やがて、怒号が少しだけ途切れた瞬間を狙い、彼は、静かに、しかし、議場の隅々まで響き渡る、重い声で口を開いた。

「……民の声、だと?」

 その一言で、議場は水を打ったように静まり返る。

「恐怖に煽られただけの雑音(ざつおん)を、民意(みんい)と履き違えるな。それに、俺の婚約者に手を出すというのなら、それは、このシュヴァルエンベルク辺境伯家、その全てを敵に回すということだと、心得よ」

 彼の言葉は、絶対的な覇者のそれだった。貴族たちは、その威圧感に気圧され、たじろぐ。

 だが、侯爵は、狡猾な笑みを浮かべて言い返した。

「……力で、我らを黙らせるおつもりか、辺境伯殿。だが、よろしいかな? あなたが守るべき民は、もはや、あなたを支持してはおりませぬぞ。彼らが信じるのは、聖女様の奇跡。そして、憎んでいるのは、あなたの婚約者。……その現実から、いつまで目を背けておられるおつもりかな?」

 それは、痛いところを突いた、事実だった。レオンハルトは、貴族を力で黙らせることはできても、民衆の心を、力で変えることはできない。彼は、自らが最も不得手とする、言葉と、信仰と、感情が支配する戦場で、孤立しつつあった。


「……レオンハルト様は、たった一人で、この嵐に耐えてくださっている」

 ヴェルテンベルクの研究室(ラボ)で、私は、王都の状況を、正確に分析していた。

「ならば、私たちが為すべきことは、一つしかありませんわ」

 私は、仲間たちに向き直る。その瞳には、もはや迷いも、哀しみもない。科学者としての、冷徹なまでの闘志が燃え盛っていた。

「王都の戦場を戦うレオンハルト様に、我らが、最強(・・)()武器(・・)()送る(・・)のです(・・・)

「武器……ですと?」

 クラウスが、訝しげに問う。

「ええ。聖女セラフィナの、偽りの『奇跡』を、根底から覆し、彼女の『神罰』が、ただの安っぽい手品であったことを、満天下に証明する、科学の武器を」

 私は、完成したばかりの『生命の雫』の瓶を、高く掲げた。

「この血清は、もはや、ただの薬ではありませんわ。これは、王都の民の、洗脳された心を解くための、解毒剤(げどくざい)|でもあるのです。……アルフレッド、すぐに王都へ伝令を。レオンハルト様に、こう伝えなさい」

 私は、一言一句、区切るように、告げた。


「『七日(・・)()()()あなた(・・・)()()()なる(・・)真実(・・)()送ります(・・・・)それこそが(・・・・)、聖女の偽りの奇跡を打ち破る、唯一の力です』と」


 それは、二つの戦場で、孤独に戦う、私の同盟者への、絶対的な信頼と、勝利への、固い約束だった。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

物理的な脅威と、見えざる悪意。二つの戦場で、イザベラは同時に戦うことを強いられます。

しかし、彼女は決して屈しませんでした。仲間たちの支えと、レオンハルトへの信頼を胸に、彼女は科学の力で、この二つの戦場を同時に制圧する、壮大な反撃作戦を開始します。

次回「奇跡の証明」。イザベラが放つ、科学の『武器』とは、一体どのようなものなのか。

明日7時10分に更新予定です。

面白いと思っていただけましたら、ブックマークや↓の☆☆☆☆☆での評価をいただけますと、執筆の大きな励みになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ