反撃の第一歩
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ついに、イザベラは反撃の糸口を掴みました。それは、絶望の灰の中から見つけ出した、小さな、しかし力強い希望の光です。
仲間たちの絆に支えられ、彼女の科学は、聖女の悪意に満ちた科学に、今、立ち向かおうとしています。完成した血清を手に、イザベラたちは、汚染された大地を救うための、壮大な作戦を開始します。
反撃の狼煙は、上がった。
だが、それは、これから始まる長く、そして困難な戦いの、ほんの始まりに過ぎなかった。私の研究室と化した教会は、一夜にして、王国再生のための、最も重要な作戦司令部へとその姿を変えた。
「皆さん、聞いてください。私たちは、聖女セラフィナが放った生物兵器――『赤蝕病』に対する、有効な対抗手段を手に入れました」
夜明けと共に、私は仲間たちを全員集め、祭壇の前に立っていた。その手には、琥珀色に輝く『生命の雫』を満たした、ガラスの小瓶が握られている。
「ですが、問題は、その量ですわ」
私は、壁に貼り付けたヴェルテンベルク領の地図を指し示す。その地図には、エリックと騎士たちが徹夜で調査した、赤蝕病の汚染状況が、赤インクで無数に記されていた。それは、まるで人体の血管を蝕む病のように、我らの大地に深く、広く、その根を伸ばしていた。
「この血清の元となる植物、『蛇の舌』は、極めて希少です。領内の全てを捜索しても、汚染された畑全体を救うだけの量を確保するのは、不可能に近い。そして、敵は待ってはくれません。一日、一時間、いえ、一分一秒ごとに、病は進行し、我らの大地は死んでいく」
集まった仲間たちの顔に、再び緊張の色が走る。せっかく掴んだ希望が、あまりにも細く、か弱いものであることを、誰もが理解したからだ。
「……ならば、どうするのだ、イザベラ様」
クラウスが、静かに、しかし力強く問う 。彼の瞳には、もはや私への疑念はない。ただ、為すべきことを求める、兵士の光があった。
「決まっていますわ。無いなら、創り出すのです」
私は、きっぱりと宣言した。
「私たちの科学の力で。この『生命の雫』を、この研究室で、大量生産してみせますわ」
私の宣言を合図に、反撃の第一歩となる、三つの作戦が、同時に始動した。
第一作戦、『蛇の舌』栽培計画。指揮は、私と、助手のアルフレッド、そして弟子のハンナが執る。
「ハンナ、この植物の根を見てごらんなさい。小さな瘤のようなものが、たくさんついているでしょう?」
「うん、おねえちゃん。これ、なあに?」
「これは、この子と共生している、特別な菌のお家よ。この菌が、空気中の窒素を、植物が食べやすいご馳走に変えてあげているの。だから、この子は、あんなに痩せた土地でも、元気に育つことができた」
私は、ハンナに根粒菌の仕組みを、できるだけ分かりやすく説明する 。私たちの最初の仕事は、この『蛇の舌』が好む土壌環境を、人工的に再現すること。採取した土壌を分析し、最適なpH、栄養素のバランスを割り出し、教会の一角に設えた苗床で、栽培を試みるのだ。それは、未来への、最も重要な種まきだった。
第二作戦、『生命の雫』量産化計画。この作戦の鍵を握るのは、王立技術院長ギムレックと、彼の率いるドワーフたちだ 。
「……なるほどな、お嬢ちゃん。つまり、あの雑草が持つ特別な成分とやらを、この連続式蒸留器で、効率よく抽出しろ、と。面白い! だが、それだけじゃ、まだ足りねえんじゃねえのか?」
ギムレックの慧眼は、私の計画の核心を、すでに見抜いていた 。
「ええ、その通りですわ、ギムレック院長。抽出だけでは、効率が悪すぎる。だから、私たちは、その成分を、発酵によって合成しますの」
私は、彼に新たな設計図を見せる。それは、私が『生物反応槽』と名付けた、巨大な密閉式の培養タンクの図面だった 。
「私が分離した、特殊な酵母菌。この子に、『蛇の舌』の成分の元となる、ごく僅かな有機物を与えてあげる。そうすれば、このタンクの中で、酵母菌が私たちの代わりに、二十四時間、不眠不休で『生命の雫』を造り続けてくれるのですわ」
「……がっはっは! 菌に酒じゃなく、薬を造らせる、か! お嬢ちゃんの考えることは、いつだって俺たちの想像を超えてきやがる! よかろう! その挑戦、このギムレックが、最高の鉄と技で、受けて立ってやるぜ!」
彼の工房に、再び、未来を打ち出す、力強い槌の音が響き渡った 。
そして、第三作戦。最も過酷で、そして最も重要な、防疫作戦。その指揮は、農林再生院現場総監督エリックと、王国治安維持局長官クラウスに、共同で委ねられた 。
「……いいか、皆! 俺たちの仕事は、これ以上、病を広げないことだ! イザベラ様が薬を完成させるまで、俺たちの手で、この土地を、時間を、稼ぎ出すんだ!」
エリックは、村人たちと騎士たちを前に、声を張り上げた 。彼の顔には、もはや絶望の色はない。仲間と、守るべき未来のために戦う、指揮官の顔だった。
彼らの任務は、二つ。
一つは、汚染が深刻で、もはや手の施しようのない畑を、完全に焼き払うこと。断腸の思いだが、感染源を断つためには、非情な決断が必要だった。
もう一つは、まだ汚染が軽微な畑の周囲に、深い堀を掘り、延焼を防ぐための『防火帯』ならぬ、『防疫帯』を築くこと。
「A班は、東の区画の焼却処分を! B班は、西の区画の防疫帯構築を急げ! 決して、風下で作業をするな! 胞子を吸い込めば、人体にどのような影響があるか、まだ分かっていないのだぞ!」
クラウスの軍隊仕込みの指揮が、混乱しがちな現場に、鋼の規律をもたらす 。村人たちは、騎士たちの統率の下、一つの軍隊のように、整然と、そして必死に、鍬を振るい続けた。
それは、あまりにも過酷な作業だった。自分たちの手で育てた希望の芽を、自分たちの手で焼き払わなければならないのだから。涙を流す者もいた。膝から崩れ落ちる者もいた。
だが、彼らは、作業をやめなかった。なぜなら、彼らはもう、知っているからだ。教会の研究室で、たった一人、この国全体の未来を背負い、見えざる敵と戦い続けている、一人の少女がいることを。
彼女が諦めない限り、自分たちも、諦めるわけにはいかない。
その想いが、彼らを一つにしていた。
そして、反撃の狼煙から、七日が過ぎた。
ヴェルテンベルク領は、まるで本当の戦場のように、その姿を変えていた。焼き払われた畑の黒、防疫帯として掘り返された土の赤茶色、そして、かろうじて守られた畑の緑。その三色が、大地に刻まれた、壮絶な戦いの記録だった。
そして、私の研究室の前には、ギムレックたちが三日三晩、不眠不休で作り上げた、銀色に輝く、美しい『生物反応槽』が、朝日を浴びて鎮座していた。
「……イザベラ様。準備は、整いました」
アルフレッドが、厳粛な声で告げる。
私は、頷くと、培養しておいた酵母菌の入ったフラスコを、厳かに掲げた。
「皆さん、見ていてください。ここから、私たちの科学が、本当の意味で、奇跡を起こします」
私がフラスコを傾け、その中の液体を、バイオリアクターの投入口へと注ぎ込む。
それは、聖女の儀式のような、派手な光も、音もない。
ただ、静かに、しかし力強く、人類の知性が、悪意に満ちた科学へと、反撃を開始した瞬間だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
イザベラの指揮の下、仲間たちがそれぞれの持ち場で、自らの役割を果たす。それは、まさに一つの軍隊のようでした。
ついに、反撃の兵器は完成しました。しかし、聖女セラフィナも、ただ黙って見ているだけではありません。
次回「王都のプロパガンダ」。イザベラたちの奮闘の裏で、王都では、彼女をさらなる窮地へと追い込む、巧妙な情報戦が始まります。
明日7時10分に更新予定です。
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