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『追放悪役令嬢の発酵無双 〜腐敗した王国を、前世の知識(バイオテクノロジー)で美味しく改革します〜』  作者: 杜陽月
科学の王国と支配の聖女

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発酵ギルドと経済戦争

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

ついに設立された『王立発酵ギルド』。それは、イザベラの科学が、国の産業と経済の根幹を成すための、新たなる城です。

しかし、その誕生は、旧体制への最後通告でもありました。剣ではなく、パンと、そして『価値』を巡る、静かなる戦争の火蓋が、今、切られます。

 ヴェルテンベルク王立発酵(おうりつはっこう)ギルドの設立式典は、華美な装飾も、退屈な祝辞もない、極めて実務的なものだった。

 場所は、村の広場に隣接する、最も大きな石造りの倉庫。ギムレックと彼の一党が、この日のために昼夜を問わず改修してくれた、我らが新時代の城だ。内部には、巨大な発酵樽が整然と並び、清潔な木の香りと、パンが焼ける香ばしい匂いが満ちている。


 集まったのは、ギルドに所属する最初の職人たち――エリックを筆頭に、村の中から選抜された、手先の器用さと探求心に溢れる男女だ。彼らの前で、私はギルドの三大憲章を、高らかに宣言した。

「第一に、『品質の絶対性(・・・・・・)』。我らが生み出す全ての製品は、科学的根拠に基づいた、揺るぎない品質を保証する。この印にかけて」

 私が掲げたのは、真新しいギルドの紋章が刻印された、樫の木の盾。中央に、私が発見した**「雪の(・・)ように(・・・)白い(・・)放線菌(・・・)」を様式化したシンボル。その背景で、「黄金色に(・・・・)実る(・・)麦の穂(・・・)」が交差し、全体を、ドワーフが鍛えた「歯車(・・)」**の意匠が囲んでいる。科学と大地、そして技術の融合。それこそが、我らの力の源泉だ。


「第二に、『知識の(・・・)共有と(・・・)継承(・・)』。我らの技術は、決して秘匿しない。ギルドに所属する全ての者は、学び、そして教える義務を負う。この国の未来を担う、次世代のために」

 私の言葉に、最前列に立つ弟子、ハンナが、きらきらとした瞳で、こくりと頷いた。彼女のような子供たちが、当たり前のように科学を学び、未来を選べる国。それが、私の目指す場所だ。


「そして、第三に、『絶え間なき革新(・・・・・・・)』。我らは、決して現状に満足しない。常に新しい知識を求め、より良い製品を生み出し続ける。科学の歩みは、止まらない。我らの歩みもまた、止まることはない」


 私の宣言が終わると、広場は割れんばかりの拍手に包まれた。それは、貴族の権威でも、聖女の奇跡でもない。自分たちの手で、自分たちの未来を創り上げていくのだという、力強い決意の表明だった。

 私は、ギルドの主要な役職を、仲間たちに託した。

 ギルドの実務を取り仕切るギルドマスター(・・・・・・・)には、私の科学を最も深く理解し、その誠実さで皆の信頼を集める、アルフレッドを。

 三大憲章の『品質の絶対性』を守護する品質管理監査長官クオリティ・インスペクターには、不正と妥協を一切許さない、クラウスを。

 全国の農家を指導し、後進を育成する現場総監督フィールド・スーパーバイザーには、民の心を誰よりも知る、エリックを。

 そして、ギルドの技術的根幹を支える名誉技術顧問オノラリー・アドバイザーには、最高の職人である、ギムレックを。

 彼らは、それぞれの持ち場で、私の科学を、この国の血肉へと変えてくれる、かけがえのない仲間たちだ。


「そして、これが、我らがギルドの最初の製品ですわ」

 私が披露したのは、丁寧に梱包された、一つの樽だった。樽には、ギルドの紋章の焼印――品質保証印(クオリティシール)が、誇らしげに押されている。

「『騎士の休息(ナイト・レポーズ)』と名付けました。シュヴァルツェンベルクの騎士の方々の協力を得て完成した、特別なザワークラウトです。乳酸菌の量を極限まで高め、疲労回復効果のある数種類の薬草をブレンドしました。これこそが、我らが掲げる『品質(・・)』の、最初の証ですわ」


 その証は、翌日、早速その真価を発揮することになった。


 ヴェルテンベルク領と、旧王都領との境界に新設された、簡素な関所。そこは、新時代の価値が、旧時代の価値を断罪する、最初の法廷となった。

 一人の商人が、数人の屈強な傭兵を伴い、関所の前に馬車を止めた。王都でも名の知れた、強欲で知られる穀物商だ。彼は、積み荷の空の麻袋を指し示し、警備にあたる騎士に、傲慢な態度で言い放った。

「おい、聞いたぞ。この先の村では、食い物が余っているそうだな。俺が、有り金はたいて買ってやる。有り難く思え」

 商人が、革袋から取り出したのは、王家の紋章が刻まれた、旧王国の金貨だった。だが、その輝きは、もはや虚しいだけだった。聖女の奇跡が失われ、食料の供給が途絶えた今、この金貨で買えるものは、王都のどこにもなかった。


 関所の管理を任されていたアルフレッドは、穏やかな、しかし一切の揺らぎない声で、商人に告げた。

「申し訳ございませんが、商人殿。その通貨では、我らのギルドの製品をお売りすることはできかねます」

「……なんだと? この金貨が、目に入らんのか! これは、国王陛下の御威光の証だぞ!」

「ですが、その金貨では、お腹は膨れますまい。我らが受け取るのは、ただ一つ。この『麦の手形(ヴェルテンビル)』のみでございます」

 アルフレッドが示したのは、ドワーフの技術で作られた、偽造困難な紙幣だった。中央には、「交差する麦の穂と歯車」の紋章が描かれている。

「……紙切れだと? 馬鹿にするのも大概にしろ! そんなもので、食料が買えるか!」

「ええ、買えますとも」

 アルフレッドは、静かに続けた。

「なぜなら、この手形は、我らが銀行の地下倉庫に眠る、現物の食料(・・・・・)によって、その価値が保証されているからです。いわば、これは『食料の引換券(・・・・・・)』。いつでも、規定量の食料と交換できることを、摂政レオンハルト様と、イザベラ様が、その名において保証しておられます。……さて、商人殿。あなたは、飢えた民を救うことのできない、ただの輝く金属と、確実に民の腹を満たす、この『引換券』と、どちらに真の価値(・・)があると、お考えですかな?」


 商人は、言葉を失った。アルフレッドの言葉は、あまりにも単純で、そして揺るぎない真理だったからだ。

 彼は、しばらくの間、手の中の金貨と、アルフレッドが持つ紙幣を、憎々しげに見比べていたが、やがて、屈辱に顔を歪ませながら、金貨の入った袋を、カウンターに叩きつけた。

「……交換しろ。その、紙切れと」

 その日、ヴェルテンベルク再生銀行の記録には、こう記された。

『旧王国金貨一枚に対し、麦の手形一枚のレートにて、最初の兌換取引成立』

 それは、剣も、魔法も使わない、静かなる革命の第一歩。イザベラの科学が生み出した『信用』という名の新秩序が、旧体制の虚構の権威を、完全に打ち破った瞬間だった。


 その夜、教会の研究室で、私は一人、顕微鏡――ギムレックに特注して作らせた、水晶レンズを組み合わせた簡易的なもの――を覗き込んでいた。今日の取引の成功に浮かれることなく、次の課題に取り組んでいた。パン生地の発酵を、より安定させるための、新しい酵母菌の選別だ。

「……やはり、この株は、低温環境下での二酸化炭素生成量が、他の株より12%も高い。これなら、辺境の寒い冬でも、ふっくらとしたパンが焼けるはず……」

 夢中になってデータを羊皮紙に書き込んでいると、背後で、静かな足音がした。振り向かなくても、誰かは分かっていた。

「……また、食事を忘れているのか」

 レオンハルトが、呆れたような、しかしどこか優しい声で言った。彼の手には、簡素な木の盆。その上には、焼いた黒パンと、チーズ、そして温かいスープが乗っていた。

「今日の報告は聞いた。見事な手腕だ。旧体制派の貴族どもは、今頃、自分たちの金蔵に積まれた金が、ただの石ころに変わっていく悪夢にうなされているだろう」

「ええ。ですが、これは始まりに過ぎませんわ。追い詰められた鼠は、猫を噛みます。彼らが、無謀な軍事行動に出る前に、我々は、彼らが逆らう気力すら失うほどの、圧倒的な経済的優位性を確立しなければなりません」

「……お前は、いつも二手、三手先を読んでいるな」

 彼は、盆を私の隣の机に置くと、私の研究ノートを興味深そうに覗き込んだ。

「これは、パンか?」

「ええ。次の、ギルドの主力商品ですわ。ただ腹を満たすだけでなく、心をも豊かにするパン。文化(・・)とは(・・)、そういうものから生まれるのですわ」

「文化、か……」

 彼は、何かを考えるように、窓の外の闇を見つめた。

「俺が考えていたのは、いつだって、戦のことだけだった。どうやって敵を討ち、どうやって領地を守るか。だが、お前は、その先を見ている。戦が終わった後の、民の暮らし、そして文化までもな」

「戦うだけでは、国は作れませんわ、レオンハルト様。人は、パンのみにて生くるにあらず、ですから」

 私がそう言って微笑むと、彼は、ふ、と息を漏らすように笑った。

「……違いない。俺は、どうやら、とんでもない女を、未来の王妃に選んでしまったらしいな」

 その言葉は、からかいのようでもあり、そして、心の底からの感嘆のようでもあった。


 その時、私たちはまだ知らなかった。

 遥か西方の聖アグネス神聖法国。その大聖堂の最奥で、教皇ヴァレリウスが、水晶盤に映る私たちの姿を、静かに見つめていたことを。

「……見事なものだ。科学による、信用創造。実に、美しい。だが、それ故に、あまりにも、脆い」

 彼の傍らに控える、聖女セラフィナが、冷たい声で問いかける。

「猊下。いかがいたしますか」

「決まっておろう。彼らが『価値』の根源と信じる、その『食料』そのものを、我らの『奇跡』で、根こそぎ腐らせてやるのだ」

 セラフィナの唇に、慈愛に満ちた、しかしどこまでも冷たい微笑みが浮かんだ。

「……彼らの科学が育んだ作物の、その遺伝情報にのみ作用する、新たな『神罰』を、お見舞いするとしましょう」


 私の科学に対する、もう一つの科学による、静かで、そして最も残酷な攻撃が、始まろうとしていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

イザベラの経済戦争は、見事な初戦勝利を飾りました。そして、レオンハルトとの絆も、少しずつ深まっていきます。

しかし、その裏では、聖女セラフィナが、イザベラの科学そのものを標的とした、恐るべき計画を始動させようとしていました。

明日7時10分に更新予定です。

次回「聖女の神罰と、見えざる脅威」。物語は、新たなサスペンスへと突入します。

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