王都の審判
仮説——正義は、科学で証明できるか。
王都エーデンガルドへの道は、地獄への道行きそのものだった。
ヴェルテンベルク領とシュヴァルツェンベルク領の境界を越えた途端、景色は一変した。
黒々とした豊かな畑は姿を消し、代わりに広がるのは、聖女の最後の魔法によって生命を奪われた、白く輝く水晶の砂漠。
太陽の光を不気味に反射するその大地は、美しく、そしてどこまでも死んでいた 。
王都に近づくにつれ、その惨状はさらに色濃くなる。
道端には、飢えと疲労で倒れた人々が横たわり、その虚ろな目は、私たちの行軍を、もはや憎む気力もなく、ただぼんやりと見つめている。
彼らの前を、私たちは、ヴェルテンベルクで収穫された食料を満載した荷馬車と共に進んでいく。それは、あまりにも残酷な光景だった。
「……これが、王都の現状か」
私の隣で馬を並べるレオンハルトが、苦々しく呟く。彼の率いるシュヴァルツェンベルクの騎士たちは、その精悍な顔に怒りと憐れみを浮かべ、固く口を閉ざしていた。
「ええ。科学を、いえ、世界の理を無視した者が招いた、必然の結末ですわ」
私は、扇子の骨が軋むほど強く握りながら、答えた。
私の科学は、命を育むためにある。だが、彼らが弄んだ力は、命を弄び、そして奪った。
その罪は、決して許されるものではない。
王都の城門は、もはやその機能を果たしていなかった。衛兵たちは逃げ散り、飢えた民衆が、最後の食料を求めて王宮へと殺到している。
私たちの軍が、規律正しく、そして食料という絶対的な力と共に入城すると、民衆は驚き、そして道を開けた。
彼らは、この黒い騎士団が、新たな支配者であることを、本能的に理解したのだろう。
王宮の中は、外の混乱が嘘のように静まり返っていたが、その空気は淀み、腐臭が漂っていた。高価な調度品は打ち捨てられ、壁に飾られた絵画は歪んでいる。
国の崩壊は、その中心から始まっていた。
玉座の間。
私たちが足を踏み入れると、そこにいたのは、かつての威光を完全に失った、哀れな敗残者たちの姿だった。玉座にしがみつくように座る王太子アラン。
その足元で、老婆のように変わり果てた姿で泣き崩れる、元聖女リリアナ。そして、彼らを見捨てることもできず、ただ狼狽えるだけの、数人の側近貴族たち 。
「……イザベラ……! それに、レオンハルト……! き、貴様ら、反逆者めが! この王宮に、何の用だ!」
アランが、虚勢を張って叫ぶ。だが、その声は震えていた。
冷たい空気。
レオンハルトは、彼には一瞥もくれず、ただ静かに、玉座の横に立つ。その無言の圧力が、アランの言葉を封じ込めた。
私は、ゆっくりと、玉座の前へと進み出た。私の背後には、アルフレッドと、クラウス副官が控えている。
「お久しぶりですわね、アラン殿下。いいえ、もはや殿下とお呼びする必要もありませんわね。アラン様」
私の穏やかな、しかし一切の敬意を欠いた声に、アランの顔が屈辱に歪む。
「……何を、しに来た。私を、嘲笑いにでも来たのか」
「いいえ。私は、科学者として、失敗した実験の結果を、その目で確認しに来ただけですわ」
私は、床に散らばる割れた杯や、食べ散らかされた皿を、冷ややかに見渡した。
「あなた方は、壮大な実験を行いました。『聖女の奇跡という、根拠のない仮説に、国家の全てを賭ける』という、あまりにも愚かで、無謀な実験をね。そして、その結果が、これです」
私は、窓の外――煙が立ち上り、民衆の怒号が聞こえる王都と、その向こうに広がる水晶の砂漠を、指し示した。
「これが、あなた方の招いた現実ですわ」
「う、うるさい! 私のせいではない! 全て、お前が、お前のような悪女が、私を裏切ったからだ! それに、リリアナが……! この役立たずが、奇跡を起こせなかったからだ!」
アランは、見苦しく責任転嫁を始め、足元にすがりつくリリアナを、汚物のように蹴り飛ばした。
「ひっ……!」
リリアナが、短い悲鳴を上げる。
長い、沈黙。
私は、その醜悪な光景を、冷たい目で見下ろした。
「まだ、お分かりになりませんか。あなた方が信じた奇跡の正体を、私が科学的に解説して差し上げましょう」
私は、クラウスに合図を送る。彼が広げた羊皮紙には、衛星「エデン」の概念図と、聖女の魔法の作用機序が、詳細に記されていた。
「あなた方が『聖女の魔法』と呼んでいたものは、古代文明の遺した気象コントロール衛星の、単なるオペレーションシステム。そして、リリアナ様の血筋は、そのシステムを起動させるための、生体認証キーに過ぎません。」
クラウスは続けた。
「彼女の力は、土地のマナと、彼女自身の寿命を前借りして、一時的な豊穣を『見せかけて』いただけ。その代償が、国土を汚染する魔法機械の増殖と、土地そのものの死。そして……」
私は、床に蹲るリリアナに、憐れみの一瞥をくれる。
「……彼女自身の、老化ですわ。彼女は、あなたに愛されたい一心で、自らの命を削り、その若さと美しさを、たった数回の見せかけの奇跡のために、全て燃やし尽くしてしまった。あなたという、最も価値のない男のためにね」
私の言葉に、リリアナが顔を上げる。その目は、絶望と、そして初めてアランに向けられた、かすかな憎悪に染まっていた。
「そして、あなた方が私から盗んだ『種菌』。あれは、私が仕掛けた罠。特定の条件下で、土壌を猛毒へと変える、科学の罠です。あなた方は、自らの強欲さによって、その罠に、まんまと嵌ってくださった。」
私は一同を見渡した。
「……これで、お分かりになりましたか? あなた方は、誰かに負けたのではない。ただ、自らの無知と愚かさによって、自滅したのですわ」
玉座の間は、死んだように静まり返っていた。
アランは、顔面蒼白で、わなわなと震えている。もはや、反論の言葉さえ、出てこない。
私は、彼に、最後通告を突きつけた。
「この国は、終わりました。ですが、私は、この国を、私の科学で、再生させます。そのために、あなたには、その玉座を、明け渡していただきます」
当然の帰結。
「……ふ、ふざけるな……! この私が、国を……お前のような女に……!」
「あなたに、選択肢はありませんわ」
私の言葉を合図に、玉座の間の扉が開き、レオンハルトの騎士たちが、粛々と入ってくる。
その手には、シュヴァルツェンベルク辺境伯家の名の下に、王国中の有力貴族たちから取り付けた連判状が、掲げられていた。
王太子アランの廃嫡と、レオンハルトを摂政とする新体制への、賛同を示すものだ。
政治的にも、軍事的にも、そして民衆の支持においても、アランは、完全に孤立した。
「……ああ……ああ……」
彼は、力なく玉座に崩れ落ちた。彼が支払うべき代償は、剣で断罪されることではない。
自らが信じた全てに裏切られ、自らの愚かさを、満天下に晒され、その権威の象徴であった玉座から、自らの足で降りること。
それこそが、彼に与えられた、最も相応しい結末だった。
その目は、乾いていた。
涙は一滴も流れなかった。泣き方を知らないのだ、この男は。生まれてから一度も、自分の非を認めて泣いたことがない。
奪われること、失うこと、裏切られること。全てを他者のせいにしてきた人間には、自分の痛みで泣くための回路が、そもそも存在しない。
(……あなたが泣ける日が来るとしたら、それは、あなたがようやく「自分」を見つけた日でしょうね)
私は、その乾いた目を最後に一瞥して、背を向けた。
後日、王国の臨時議会において、王太子アランの廃嫡と、辺境の離宮への幽閉が、正式に決定された。
そして、聖女リリアナは、その聖女の地位と、貴族としての身分を全て剥奪され、一平民として、王都から追放された。
彼女が最も恐れていた、貧しく、誰からも忘れ去られる生活へと、彼女は戻っていく。
そして、レオンハルト・フォン・シュヴァルツェンベルクが、新たな王国の摂政として、そして、私、イザベラ・フォン・ヴェルテンベルクが
その婚約者であり、国土再生計画の最高責任者として、この国の未来を担うことが、宣言された。
私の、長くて、静かな戦いは、こうして、一つの終わりを告げた。
いや、終わりではない。
ここからが、本当の始まりなのだ。この国を、科学の力で、本当の意味で豊かな大地へと甦らせる、壮大な実験の、始まりが。
断罪は、終わった。だが、この物語は、ここから始まる。
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