『創世の光』と、その代償
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ついに聖女リリアナが、自らの全てを賭けた最後の奇跡を発動させます。
それは王国に救いをもたらすのか、それとも……。物語は、破滅へのカウントダウンを始めます。
王都エーデンガルドは、異様な熱気に包まれていた。
数日前、王家の直轄農園が毒の沼と化したという凶報は、瞬く間に都中に広まった。民衆の不満と絶望は頂点に達し、王家の権威は、もはや風前の灯火だった。
その絶望の淵で、王太子アランは、起死回生の一大スペクタクルを企画した。聖女リリアナが、その身の全てを捧げ、王都周辺の全ての土地を、一夜にして黄金の穀倉地帯へと変えるという、究極の聖魔法の儀式。その報せは、最後の希望を求める民衆を、王宮前の大広場へと集結させた。
広場に設えられた巨大な祭壇の上に、リリアナは一人、立っていた。純白の儀式服を身に纏い、その顔は死人のように青白い。だが、その瞳だけは、狂的なまでの光を宿していた。
(見てなさい、イザベラ……。あなたの小賢しい科学など、私の起こす本物の奇跡の前では、塵芥に等しいと知らしめてあげる……!)
彼女の視線の先には、玉座から儀式を見守るアランがいる。彼は、民衆に向かって高らかに宣言していた。
「見よ、我が愛する民よ! 聖女リリアナは、お前たちの苦しみを救うため、その身を賭して、神の御業をここに顕現させる! これこそが、王家に与えられた、真の権威の証なのだ!」
彼の言葉に、集まった民衆から、期待と不安が入り混じった、地鳴りのような歓声が上がる。
リリアナは、静かに目を閉じた。意識を集中させ、血筋に刻まれた「魔力変換遺伝子」を、その限界を超えて活性化させる。
(接続……気象コントロール衛星『エデン』……最終安全装置……解除……!)
彼女の脳裏に、古代文明の遺した、膨大な情報が流れ込んでくる。
(実行プログラム……コードネーム『創世の光』……起動……!)
次の瞬間、世界から、音が消えた。
リリアナの体から、眩いばかりの光の柱が、天へと向かって突き抜ける。空を覆っていた厚い雲が、まるで巨大な手で払いのけられたかのように消え去り、その向こう、遥か上空の宇宙空間に、一つの星が、太陽のように輝き始めた。
衛星「エデン」。古代文明が遺した、神の杖。
その星から、純粋なエネルギーの奔流が、地上に立つリリアナへと降り注ぐ。彼女の体は、その膨大なエネルギーを受け止める、生きたレンズと化した。
「おお……! おお、おお……!」
民衆が、天を指さし、ひれ伏す。アランが、恍惚とした表情で、その光景を見つめている。
リリアナは、そのエネルギーを、自らの生命力を触媒として、豊穣の魔力へと変換し、解き放った。
「今こそ、奇跡の時……! この地に、永遠の豊穣を……!」
光が、爆発した。
それは、視界を真っ白に焼き尽くす、絶対的な光の洪水。王都周辺の、枯れ果てた大地、毒に汚染された畑、その全てを、光が包み込んでいく。
人々は、あまりの神々しさに、涙を流し、祈りを捧げた。
やがて、光が、ゆっくりと収まっていく。
そして、人々は、息を呑んだ。
そこにあったのは、黄金の穀倉地帯ではなかった。
枯れ果てていた大地は、確かに、その姿を変えていた。だが、それは生命の色ではなかった。まるで、ガラスでできた雪のように、どこまでも、どこまでも、白く、きらきらと輝く、結晶の大地。
草木一本、虫一匹、存在しない。生命の気配が、完全に消え失せた、美しく、そして、あまりにも不毛な、水晶の砂漠だった。
「……な……ぜ……?」
誰かが、呆然と呟いた。
『創世の光』。それは、大地を初期化する、究極のプログラム。だが、暴走した古代のシステムは、もはや生命を生み出す術を知らなかった。それは、大地に存在する全ての物質――土も、石も、そして、大地を汚染していた魔法機械さえも、その構成要素を根源まで分解し、最も安定した結晶構造へと、再構築してしまったのだ。
それは、確かに、浄化ではあった。だが、同時に、二度と生命を育むことのない、完全な「死」を、この土地にもたらしたのだった。
「あ……ああ……」
祭壇の上で、か細い声が漏れた。
光の中心に立っていたリリアナは、そこに、かろうじて立っていた。
だが、その姿は、もはや聖女のものではなかった。
雪のように輝いていた銀髪は、色を失い、老婆のように真っ白になっていた。瑞々しかった肌は、水分を失った果実のように萎び、深い皺が刻まれている。潤んだ瞳は落ち窪み、その光は、完全に消え失せていた。
彼女は、震える手で、自らの顔に触れる。そして、祭壇の水盤に映った自分の姿を見て、絶叫した。
「いやあああああああああああああああああああああああっ!」
それは、聖女の悲鳴ではなかった。全てを失った、ただの女の、魂からの叫びだった。
彼女の「魔力変換遺伝子」は、システムの暴走に耐えきれず、その生命力のほとんどを、たった一度の「奇跡」のために、完全に燃やし尽くしてしまったのだ。
「……リリアナ……?」
アランが、信じられないものを見るような目で、彼女に近づく。
「どうしたのだ、その姿は……。奇跡は……奇跡はどうなったのだ!?」
「ひっ……あ、アラン、様……わ、私は……」
「黙れ、化け物め!」
アランは、リリアナの伸ばした手を、汚らわしいものでも払うかのように、乱暴に振り払った。
「役立たずが! 貴様のせいで、全てが台無しだ! この国も、私の名声も……!」
彼の目に、かつての愛情の色は、ひとかけらも残っていなかった。そこにあるのは、自分の失敗を認められない、子供のような癇癪と、醜いものへの、あからさまな嫌悪だけだった。
その時、集まっていた民衆の中から、一人の男が、水晶の砂漠と化した畑から、一つの結晶を拾い上げて叫んだ。
「……騙されたんだ、俺たちは!」
その声が、引き金だった。
「そうだ、王太子も、聖女も、俺たちを騙していたんだ!」
「食い物をよこせ!」
「俺たちの畑を返せ!」
希望が、絶望へ。信仰が、憎悪へ。民衆の怒りが、ついに爆発した。彼らは、なだれを打って、玉座にいるアランと、祭壇の上で泣き崩れるリリアナへと、殺到し始めた。
その報せが、ヴェルテンベルク領のイザベラとレオンハルトの元へ届いたのは、それから半日後のことだった。
「……王都で、大規模な暴動。王宮は、民衆によって包囲され、王太子と聖女は、玉座の間に立てこもっている、と……」
レオンハルトが、伝令の報告書を読み上げ、静かに目を閉じた。
「……自業自得、としか言いようがないな」
「ええ。ですが、あまりにも、大きな代償ですわ」
私は、窓の外に広がる、黒々とした、生命力に満ちたヴェルテンベルクの畑を見つめながら、呟いた。
「『創世の光』……。古代文明の技術者は、きっと、星を緑で満たす夢を見ていたはず。それが、千年以上の時を経て、大地を永遠に殺す力として使われるなんて……。科学とは、いつだって、使う者の心次第で、薬にも、毒にもなる。それを、改めて思い知らされましたわ」
私の声には、勝利の喜びはなかった。そこにあるのは、科学者としての、静かな哀悼の念だった。
レオンハルトが、私の隣に立ち、同じように外の景色を眺める。
「……だが、お前の科学は、命を育んだ。それが、真実だ」
彼は、私の肩に、そっと、その大きな手を置いた。
「イザベラ。……いや、我が婚約者殿。王都の混乱は、もう誰にも止められん。王の権威は失墜した。国は、新たな統治者を必要としている」
彼は、私に向き直ると、その銀灰色の瞳で、私の心を射抜くように、言った。
「行くぞ。我らの手で、この国を、本当の意味で『再生』させるために」
その言葉は、もはや問いかけではなかった。共に未来を創る、同盟者への、そして、彼が選んだ唯一の女への、力強い、宣言だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
聖女リリアナの最後の賭けは、最悪の結末を迎え、王都は崩壊の淵に立たされました。ついに、イザベラとレオンハルトが、歴史の表舞台へと上がる時が来ます。
次回は、明日更新予定です。
次回「王都の審判」。物語は、ついにクライマックスへ。全ての決着がつきます。
面白いと思っていただけましたら、ブックマークや↓の☆☆☆☆☆での評価をいただけますと、執筆の大きな励みになります!




