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断罪劇の最中、蘇る前世の記憶と研究者魂

はじめまして、杜陽月です。

この物語を見つけてくださり、誠にありがとうございます。

追放された悪役令嬢が、前世の知識を片手に、美味しく、楽しく、そして華麗に逆転していくお話です。

彼女の奮闘を、どうぞお楽しみください。

「イザベラ・フォン・ヴェルテンベルク! 貴様との婚約を、本日(・・)ただ(・・)()をもって(・・・・)破棄(・・)する(・・)!」


 磨き上げられた大理石の床に、我が婚約者の声が朗々と響き渡った。玉座の前、金色の髪を輝かせたアラン王太子殿下が、私を断罪の指先で指し示している。彼の隣には、潤んだ瞳でこちらを見つめる可憐な少女、聖女(せいじょ)リリアナが、まるで嵐の中の小鳥のように寄り添っていた。

 豪奢なシャンデリアの光が、彼女の清純な銀髪を照らし、まるで後光のように見せている。計算され尽くした演出だ。

 周囲を取り囲む貴族たちが、息を殺してこちらを窺っているのがわかる。扇で隠された口元が嘲笑の形に歪んでいる者、あからさまな侮蔑の視線を向ける者、そして興味深そうに事の成り行きを見守る者。その視線の全てが、私という「悪役」に突き刺さっていた。


 ああ、なんてことでしょう。この光景、この空気、この絶望的なまでのアウェー感。わたくしは、知っている。

 前世で愛読していた少女漫画『星降りの聖女と祝福の王子』。その中で、平民出身のヒロインをいじめ抜いた悪役令嬢が断罪される、まさにクライマックスの場面そのものではないか。


「聞いているのか、イザベラ! 貴様の嫉妬深い行いは、聖女リリアナを、ひいては我が国を貶める大罪だ!」


 王太子の糾弾が続く。リリアナのドレスにワインを「誤って」こぼしたこと。彼女の靴に画鋲を仕込んだこと。全て、私がこの日のために筋書き通りに演じてきた茶番だ。

 だが、記憶が蘇る前の「イザベラ」は、本気で彼を愛し、苦しんでいた。彼の心を取り戻そうと、必死にもがいていた。その記憶が、まだ胸の奥で鈍く痛む。彼女の純粋な恋心を踏みにじり、道具として利用したことへの罪悪感が、チクリと胸を刺した。


(ええ、聞いておりますわ。聞いておりますとも。むしろ、この日をどれだけ待ちわびたことか!)


 扇子で優雅に口元を隠しながら、私は内心で快哉を叫んでいた。

 茅野(ちの)莉子(りこ)。それが私の前世の名前。日本の大学で農芸化学を専攻し、食品メーカーで来る日も来る日も発酵食品の商品開発に明け暮れた、しがない研究者だった。過労で倒れ、次に目覚めた時には、この漫画の世界の悪役令嬢イザベラになっていたのだ。


 思い出した当初は絶望した。だが、すぐに気づいた。この役目を完璧に演じきれば、物語の筋書き通り、私は追放される。王太子妃教育、退屈な社交辞令、非合理的な派閥争い――科学的思考とは程遠い、この息の詰まるような世界から解放されるのだ。

 もう、茶会の席で延々と無意味な噂話を聞く必要もない。刺繍の出来栄えで女の価値を決められることもない。何より、目の前のこの男の、根拠のない自信に満ちた顔を見なくて済む。

 自由が手に入る。こんなに素晴らしい取引はない。


「罰として、貴様には実家であるヴェルテンベルク公爵領の統治権を押し付けよう。あの魔瘴(ましょう)に汚染された土地が、お似合いの『(つい)棲家(すみか)』だ」


 王太子の言葉に、周囲から「おお……」という同情とも嘲笑ともつかない声が漏れる。

 魔瘴(ましょう)

 その言葉を聞いた瞬間、私の脳裏に雷が落ちた。

 そうだ、ヴェルテンベルク領は、聖女の魔法をもってしても浄化しきれなかった、王国内で唯一見捨てられた土地。作物も育たず、民は痩せ細り、絶望だけが満ちる場所。

 この国の経済は、聖女の魔法による『マナ・ウィート』の大量栽培と、『魔石』の精製に依存している。そして、その『魔石』精製の過程で排出されるのが、この魔瘴(ましょう)――古代文明が遺した自己増殖するナノマシンサイズの魔法機械(グレイ・ダスト)なのだ。

 聖女リリアナの魔法は、気象コントロール衛星「エデン」を、彼女の血筋に刻まれた「魔力変換遺伝子」をキーにして操作するもの。土地の生命力を前借りして一時的な豊穣をもたらすが、その代償で枯れ果てた土地は、魔瘴(ましょう)の汚染を受けやすくなる。まさに、この国の歪んだ経済システムの犠牲となった土地だ。


 ……そして、前世の私が、卒業論文のテーマに夢想した『極限環境下における土壌微生物の生態系』を研究するのに、これ以上(・・・・)ないほど(・・・・)最適(・・)()フィールド(・・・・)……!


(最高の研究サンプルじゃない! この魔瘴(ましょう)汚染による特異な土壌菌叢(どじょうきんそう)……これを解析・培養できれば、未知の抗生物質(こうせいぶっしつ)が生成できる可能性すらある! バイオレメディエーションの応用で、この土地は再生できる!)


 絶望するどころか、私の心は研究者としての喜びに打ち震えていた。

 聖女リリアナが、勝ち誇ったように、しかし慈悲深い声色で言った。

「イザベラ様……わたくし、あなた様が心を入れ替えられるよう、毎日お祈りしておりますわ」


(祈る暇があるなら、その魔法の作用機序と、土地に与える長期的影響についてのレポートを提出していただきたいものですわね。客観的データに基づかない奇跡など、科学の世界では再現性のないエラーでしかありませんのよ? あなたのその力こそが、魔瘴(ましょう)汚染を拡大させている元凶だという自覚はおありかしら?)


 心の声は完璧にシャットアウトし、私はゆっくりと扇子を閉じると、背筋を伸ばし、悪役令嬢として最後の、そして最高の笑みを浮かべてみせた。


「その『褒美(ほうび)』、謹んでお受けいたしますわ、殿下」


 私の言葉に、王太子と聖女が、なぜか(・・・)恐怖(・・)()()きつった(・・・・)()をした(・・・)ことなど、この時の私にはどうでもよかった。

 頭の中はすでに、愛すべき微生物たちとの未来計画でいっぱいだったのだから。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

ついに、イザベラの物語が始まりました。絶望的な追放劇は、彼女にとって最高の研究生活の幕開けです。


次回は、明日更新予定です。

いよいよ彼女は自身の領地へと足を踏み入れます。その地で最初に見る光景とは――。


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