第10話 転写魔術
食堂で話を終えた後、俺は自室で静かな時間を過ごしていた。
しかし、自室に戻ってきたはいいが、ルカがやってくる九時半まではまだ時間が有る。
「暇だな……」
そんなことをポソッと言いつつ、時間潰しのためにテラスに出ることにした。元々、俺はこういう一人の時は黄昏たい人間なのだ。
テラスに出ると割と冷たい夜風が吹いており、空には満点の星空が輝いている。その星空は現実世界とは比べ物にならないほど綺麗で素晴らしいものだった。
異世界に来て一日という短い期間ではあるが、やはり、世界は素晴らしい場所だ。
でも、俺は未だに領主を引き受けることが正しいことだったのか、悩んでいた。
事実、この世界での俺の立ち位置は国家ともいえるリテーレ領の領主だ。その立場に立つ人間は領民の命を守り、時には戦い、そして導いていかなくてはならない。
そんな役目を現実世界で“彩を守れなかった”俺が引き受けて良かったのだろうか?
今更ながら、そんなことを自問自答しながら時折、吹く風を浴びつつ、しばらくの間、夜空を眺めていた。
「でも退路なんてどこにもないんだ。進まなければそこで終わりだ」
俺はそう一言、呟いた。今はただただ前に進むしか、道はないのだ。
仮に退路があったところで俺にはそれを選ぶ資格が無いのだから。
「ふぅ……冷えてきたな」
さすがの俺も寒さに負けて部屋に戻り、得に何もしないままベットに横になりながらルカが来るのを待った。そして、自室の時計が9時25分を差した頃、自室のドアがノックされた。
「達也さん、ルカです。入っても大丈夫ですか?」
「どうぞ」
俺が返事をするとルカが大きな黒塗りの鞄を持ってやってきた。
「その鞄は……?」
「これは魔術陣を描くための道具が詰まった鞄です。とりあえず……今から魔術陣を作成するので達也さんは椅子にでも座って少し待っていてください」
ルカはそう言い切ると鞄をドカッと床に置いて作業を始めた。
最初はルカが何をやろうとしているのか聞こうとも思ったのだが、質問させてくれるような雰囲気ではなかった。ルカの目は真剣そのもので動きに無駄が無い。
まず、ルカは部屋の床にチョークを砕いたような粉で星型の魔術陣を描き始めた。
続いて、その描いた魔術陣に鞄から取り出した何種類かの液体をその粉の上に流し込み、最後に左手の人差し指をナイフで少し切って少量の血を魔法陣に流し、言葉を紡いだ。
「……<我が生き血・触媒となりて・色発せよ!>」
すると、魔法陣が数秒間、虹色に光った。
「よし……」
それを確認するとルカはさらに魔術陣の中にミミズ文字を丁寧に書き入れていく。
そこから大体、三十分程した時点で魔術陣が完成した。
「達也さん、この魔術陣の中央に寝てください。もう床の線は固定してあるので踏んでも大丈夫ですので……」
「ああ、分かった。ここでいいのか?」
「はい。大丈夫です」
ルカは真剣な面持ちで俺に位置を的確に指示していく。
「(なんか人体実験される気分だな……)」
当の俺は指定された場所におどおどしながらも仰向けで横になった。
一方のルカは魔術陣の外に座り、鞄の中から青色の液体が入った瓶を大量に自分の周囲に並べながら、説明を始めた。
「これから始めるのは『転写魔術』という“記憶”を転写する魔術です。これは術者、つまり……私の記憶の内、言語の記憶を送り込むもので達也さんの体や記憶には害はありませんので安心してください。朝起きれば文字が読めるようになっているはずです」
なるほど……なかなかの秘策だと説明を聞きながら俺は思った。つまり、ルカが今やろうとしているのは『言語の記憶を全て俺にコピーしようという魔術』だ。
俺としては助かるし、うれしいことではあるが、何もそこまでする必要があるのか、些か疑問だ。
「でも、ルカ? そこまでしなくても……」
「読めるようになっていただかないと私達が困るんです。ですから、私にすべて任せてください」
ルカは一瞬、手を止めたが、そのように即答し、腕の裾をまくり上げた。
「では、そろそろ始めますね? 一応、念のためにお伝えしておきますが、術式を展開するにあたって達也さんを強制的に魔術で睡眠状態にさせていただきます」
「わかった。ルカに全て任せるよ」
ルカはその返事にコクリと頷き、目を閉じて深呼吸をして呼吸を整えながら目を開けて俺の手を握った。
「それでは始めます」
そう宣言してルカがゆっくりと言葉を紡いでいく。
「……<眠りの精霊よ・かの者に・安静なる安らぎを>」
それと同時に俺の体は温かな風に包まれた。この感覚を例えるなら、寝起きのベットの温かさに似ている。
「では、達也さん。目をゆっくり閉じてください」
ルカにそう言われてゆっくりと目を閉じると眠りの中に落ちた。
「ん……?」
気がつくとカーテンの隙間から日差しが薄っすらと部屋に差し込んでいるのが見えた。どうやら、朝のようだ。辺りを見渡してみると魔法陣の外で無数の空瓶と共にルカが寝ていることに気付いた。
「さすがにこんな場所で寝たら風邪引くだろ……」
いくら部屋の中が寒くないとはいえ、床で寝たら風邪を引いてしまいかねない。
俺はルカを起こそうと体を揺すったが、すぐに違和感を感じた。
ルカの体が異常に冷たいのだ。
「ルカ?」
少し体を強く揺するが、反応がない。
「おいおい、嘘……だろ?」
俺は急いでルカを抱きかかえて様子を確認すると顔が青白くなっている。とりあえず、俺は慌てずに口や鼻に手を当て、胸に耳を押し当てバイタルを確認していく。
緊急時の対処については、大学で反復練習をして学んでいただけあってお手の物になっていたことが幸いした。
「呼吸と心音は……しっかりしてるし、脈拍も大丈夫……ということは、意識を失っているだけか……?」
俺は医者じゃないから何ともいえない。若干のパニックを起しながらも冷静に状況を確認をしているとルカが薄っすらと目を開けた。
「あ…………たつや、さん……?」
「ルカ!? 俺が分かるか?」
「はい……すいません…………今から朝食を……」
「馬鹿か! そんな事より今、こうなっている原因が自分でわかるか?」
「ええ……魔力……の使い、過ぎです……」
再度、ルカの意識が落ちた。念のためもう一度、バイタルをチェックしたが、特段の変化はない。ただ単に気を失っただけのようだ。
さっきの話からしてルカは魔力の使いすぎで意識を失ったという事になるが、それが命に関わるのか、関わらないのか現状では分からない。とりあえず、俺はルカをベットに寝かせ、布団をかけてから部屋を飛び出した。
治療できればしてあげたいところだが、俺にはその力がない。
仮にあの場にとどまって居たとしてもルカの容態が急変した場合、俺は延命治療をする事はできない。
故に助けを呼ぶことが最優先だと判断して飛び出したのだ。
俺は廊下を駆けて抜けて玄関ホールの階段を下り、外に助けを呼びに出ようとした時、客間がある右の通路からミレットが歩いてきた。なぜここにミレットが居るのか分からないが、ミレットなら何とかできるかもしれない。
「ミレット! 助けてくれ!」
「はぁ……? 一体、どうしたんだよ……? こっちはルカ姉のせいで徹夜だっ……」
「いいから! 早く来てくれ、ルカが大変なんだ!」
「えっ……?」
ミレットも俺の表情を見て状況を察したのか今までの経緯を俺から聞き、ルカが寝ている俺の自室に急いで向かった。
自室に着いてからミレットは、ルカの状況を確認し、一通り部屋の中を見て歩いた後、ルカが寝ているベットまで戻り、手を握って言葉を紡いだ。
「……<精霊よ・聖なる光を以て・かの者を癒せ>」
眩い黄色の光がルカを包み込み、青白かった肌も徐々に色が戻り始めているように見えた。ミレットは魔術を起動しつつ、俺にルカの状況を説明してくれた。
「ルカ姉が真っ青になって倒れてた理由は『魔力欠乏症』っていうのに陥ってたからだな……。まぁ、簡単に言っちまえば魔術の使いすぎっていうこと。でも今、治癒魔術をかけてるから命にはもう問題はねぇけど……魔力補充用ポーションを大量に使って無理くり術式を持続させようとしたみたいだから意識が戻っても二、三日はまともに魔術は使えねぇだろうな」
とりあえず、命は無事ということをミレットから聞いてホッとしたが、それと同時に案外、ルカが秘策の事を言いにくそうにしていたのは『記憶のコピーだけではなく、こうなる事も含まれていたのかもしれない』と感じたのだった。
ミレットは依然として魔術を展開しつつ、すやすやと寝ているルカを見ていたが、ブツブツとルカに向けて語り出した。
「ったく……ルカ姉がこんなんでどうするんだよ……。人に頼らず突っ走って、馬鹿かつーの……!」
その言葉はミレットの本心だったのだろう。ミレットは手を握りながらガクリと頭を落としている。
「……俺のせいだ。俺が危険性について気付いていれば……ルカがこんな事にはならなかったのに……」
その様子を見ていると自分に強い嫌悪感を抱かずにはいられなかった。
俺が今回の魔術起動の危険性を知っていれば、事なきを得たかもしれないという思いもあって、俺はどうなるわけでもないのに気付けばミレットに謝っていた。
「タツヤには非はねぇよ……この馬鹿が仕出かした事だったんだからさ……。それにこっちの世界に来て一日しか経ってないのに魔術の良し悪しなんか判断つくわけねぇだろ?」
ミレットは頭をこっちに向けながらそう答えた。
「でも、まぁ……本当に無事で良かった……」
ミレットは安堵したようにそういいながら立ち上がってルカの頭を撫でて俺の方に振り返った。
「よし、もうルカ姉は大丈夫だな! あとは目覚めたら飯でも食わせりゃ、回復すると思う!」
「良かった……本当に」
内心、この魔術が原因でルカが死んでしまうようなことがあったら、俺はとてもじゃないが立ち直れなかっただろう。ふぅーと安堵しているとミレットが俺に何か言いたそうな顔をしている。
「ど、どうかした……?」
「そのぉ……ご飯って作れたりは……?」
なるほど、確かに俺もミレットも朝食を食べて居ないから腹は減っている。
「出来るけど……こういう場合は何が良いかな……?」
「うーん……ルカ姉はしばらく起きねぇとは思うけど……やっぱり、暖かくて食べやすいものじゃねぇかな?」
となると、雑炊が辺りが妥当だろうとメニューに考えをめぐらす。
「うーん。じゃあ、ちょっと三人分、作ってくるからルカのこと頼むぞ?」
「了解! あ、でも……ルカ姉のことだから目覚めたらご飯作るって言い出して意地でも這って行くと思うんだけど……」
確かにルカの事だからやりかねない。
ならば、地位の差を利用するのが一番だ。
「ああ……そん時は『寝てるように。これは領主命令だ』って言えばルカだって諦めるだろうからそう言っておいてくれ」
「なるほどねぇ……領主命令か、了解!」
そして、俺は自室を後にして食堂へ向かった。




