22.明けの明星は斯くて弊えり
女王一行が出立し寂しげな風景になった大使館中庭を、執務室の窓から見つめながら、トート大使は嘲笑を浮かべた。
「所詮、神の眼とやらも節穴だな」
事が上手く行き過ぎたせいだろうか?思わず本音が口をつく。だが、それを咎める者は誰も居なかった。
居るとすれば天の神か?地に伏す悪魔か?だが、昨日の騒動などなかったかのように静かなザウロニア大使館には何の兆しも見えない。
トート大使が窓から見下ろす神面都市の景観は、彼が此処に赴任してきてから、今に至るまで何一つ変わらない。ただ、時が流れただけだ。
幾年も目にし見飽きた退屈な光景へ、憎々しげな視線を投げかけながら、天へ疑問を投げかけた。
(もし、神の眼が節穴でないのなら、何故、貴族として生を受け全てにおいて優れた私を、私のような選ばれた存在にして優秀な人材に相応しいザウロニア宮殿から遠ざけさせ、生涯の大半を不快な湿気と異教徒が溢れる土臭い未開の辺境の地で過ごさせるように仕向けたのか?)
いや、優秀な人材であればこそ、このあらゆる神が集う交易の重要地点へトートを赴任させたのだが、貴族に産まれた彼にとって王宮から離れて暮らすことは何事にも変えがたい苦痛であり、大いなる屈辱であった。
それが彼の知性の眼を曇らせ、女王への猜疑心を抱かせてしまったのだろう。
何時からであろうか?彼が、そのような疑心を抱くようになったのは?それは彼自身も憶えていない。
ただ、その日から疑心は叛心へ変わり、信仰は不信となった。いや、以前から些細な慣習が彼には馴染めなかった。
彼自身、自惚れるほど幾つかの方面で人並み外れた才能を持っており、魔術もその内の一つだ。
例えば魔力元素を用いて、ある種の事象・現象を顕現させる魔術を、神に使える者達は総じて奇跡と言い換える慣習があるが、少なくとも彼自身が行使してきた魔術は、己が技量からくるものであって、決して信仰という名の神の助力をして顕現させてきたわけではない。
他にも彼の母国、ザウロニア国内における政策の数々は女王の御神託をもって決められている。いや、その内の大半は貴族出身の大臣や、それに仕える文官が作成した草案を元にしたものだが、時に本当の御神託が下れば、それは何よりも優先された。
彼が神面都市の大使に任命されたのも、この女王御自らの御神託によるものだった。思い出す度に、なにもかもが馬鹿らしくなる思い出だ。
その何時までも忘れられない忌々しい思い出から、彼を救いだすかのように廊下へ通じる扉から、軽い打音に聞きなれた濁声が響く。
「トート様!大変ですぜっ!」
「どうした?入って来いッ!」
執務室にメンチュとモンチュの双子が、いそいそと入ってくるや口を開き
「大変なことになりやした・・・隊長が死にましたぜ」
「ん?それはどういうことだ?」
メンチュの意外な報告にトートも思わず眼を丸くした。
「掃除婦がどかしちまって魔法が切れちまったんですよ」
驚くトートへモンチュが冷静に語る。
「なに?あの重い荷物を動かしただと!?」
「ええ、どうしても床全体を掃除したかったらしく・・・」
どうせ何れは殺めてしまう対象だったのに、まるで警護対象が殺された護衛官の様に、モンチュが申し訳なさそうに語り、最後には語尾が消え入る。
「で、あれを私の部屋に運んだのか?」
「らしいですね」
メンチュが肯定するとトートは満足気に微笑むと
「そうか・・・じゃあ最期の収穫だな」
トートの返答に双子も愉悦の笑みを浮かべるが、トートは心中で彼らを罵っていた。
(馬鹿なやつらだ。おまえらの様にしくじるような奴らを信用できるか!最後の収穫は、お前達から払いすぎた給料を取り戻した時だ。逃亡先で投資でも勧めて上手く騙して回収してやろうか?)
トートが如何にして最後の収穫を得ようかと思案していると庭先から、怒声と馬蹄の響きが聞こえてくる。
「おっと!語れば寄せる遭難者」
トートが母国の言葉で、北の辺境らしい冬場の厳しさから生まれた諺を口にする。一同が窓から庭を覗き見れば、装飾された荘厳美麗な金色の鎧を纏まった騎馬隊に先導され、重厚謹厳な六頭立て馬車が、ゆっくりと大使館へと向ってきていた。
「やっこさん気合が入ってますな」
揶揄するかのような言葉を口にしながらも、メンチュの口調から顔をみなくとも、花崗岩の片割れが緊張しているのがありありと伝わってきた。
規律正しい隊列で編制された80名の黄金の騎士達は、総勢150名からなる各神殿の有志で編制された評議会儀仗兵だ。都市の中心部である鼻教区に神の小鼻と称される小高い丘を取り囲むように石畳の大通りがある。
評議会儀仗兵達は大通りを、二人一組で常時歩哨しており、神面都市の権威の象徴の一つであり、観光の目玉でもあった。
この不眠不休で活動する数限られた権威の象徴を、大使への謝罪を目的とした使者の警護という名目で総人員の半数以上に割くことは、残る者達にかかる負担を考えれば、神面都市側が今回の不祥事をどれだけ深刻に受け止めているのかがトートにも伝わってきた。
「ふふふ・・・殊勝な心がけだな。よし、奴らの眼につくといかん。お前たちは奥へ下がれ」
「「はっ」」
トートのもっともらしい言葉に双子が声を揃えて下がる。
花崗岩の双子が去った後、椅子に座り机に向い、さも先程から作業しているかのように、巡礼際の費用報告書類に目を通しながら「ふふふ・・・最後の最後で下手を打たれてはかなわんからな」と、嘲るように本音を呟く。
ほどなくして扉の向うから嗄れた声が慇懃無礼に使者の到着をつげた。
「大使閣下!神面都市全権大使司法神司祭長ビゼィ・クラミツ様がいらっしゃいました!」
老いさらばえているが声が大きいので雇った現地人が、その買われた長所をいかんなく発揮する。
「お通ししろ」
トートが一声答えると、執務室の扉が開き三人の女性が姿を現した。
一人は先に紹介に預かった司法神司祭長にして神面都市評議員の一人でもあるビゼィ・クラミツ。彼女が評議員の一人であることはトートは知っていたし、ビゼィが評議員の証である外套を儀礼用の法衣に重ねて着込んでいることで、周囲の人間にもわかることだろう。
もう一人は、あの失礼極まる行いにより、今は名声が地に堕ちた嘗ての女法皇チアノ・ヴァレンチノ。彼女は何時もの司法神の紋章が縫い付けられた法衣ではなく華美な礼服に身を包み両手に伝令筒を携えていた。
残りはチアノに仕える取るに足りない奉仕人の女だとトートは記憶を手繰り寄せて、その姿と肩書きを一致させてゆく。
老紳士が恭しく二人の女性を執務室へ案内すると、ビゼィは取るに足りない女奉仕人と認識された廊下のリン・ファオへ
「では交渉中、誰にも盗み聞かれぬよう警護を頼みましたよ」
と、穏やかに声をかけた。
「ハッ」
何時もと変わらぬ鎧姿に儀仗兵の兜を身につけた真顔のファオは、どうみても不恰好でチアノは笑いをこらえようと口の端を引き攣らせる。
「ぐっ・・・」
チアノが低い呻きを盛らす。ビゼィの肘がチアノの鳩尾に綺麗に収まっていた。
「誰のせいで、此処へ来たと思ってるの?」
「すみません・・・」
小声で囁くビゼィの殺気だった眼を見てチアノは素直に謝った。その愉快な光景を見て廊下のファオは噴出してしまい、口元を右手で覆うが、ビゼィはチアノを睨んだままだ。
「どうなさいました?」
老紳士が気まずい雰囲気を切り替えようと声をかけると、ビゼィは眼が線の様に細くなった笑顔で振り返り
「お忙しいところ、失礼いたします」
部屋の中へと進み、チアノもこれに続く。入れ替わるように老紳士は一礼して部屋を後にした。
老紳士が退出した後、トートは両手を大きく広げ歓迎の意を表しながら二人に歩み寄りながら
「これはこれは高司祭どの、いや此度は評議員としてですかな?」
冗談めいた口調でビゼィ達に友好的に語りかけてきた。
ビゼィは、その姿勢に迎合することなく目礼した後
「此度は前代未聞の非礼を行なった咎人が属する司法神神殿の代表としてだけではなく、神面都市全体の代表として、先日の巡礼祭に置きまして、当神殿の神官チアノ=ヴァレンチノがザウロニア大使閣下に対して行った非礼を心から詫びるべく参りました」
挨拶が終わると、ビゼィは改めて深々と頭をたれ、最敬礼の姿勢を取り、それにチアノも続く。
その堅苦しい雰囲気に困惑したような表情を見せながらも大使は話を続ける。
大使は、ほうと感嘆の声を漏らした後
「して、どのような謝罪内容ですかな?」と、冷たく聞き返す。
ビゼィはチアノへ眼で合図すると、チアノは伝令筒から一枚の羊皮紙を取り出した。
「はい、チアノを初めとする司法神の捜査従事者三名の位を降格、国外追放処分。神面都市から金貨5000万枚ほどの賠償金を・・・」
トートは、もう沢山だといわんばかりの深い溜息をついて、ビゼィが外交文章を読み上げるのを中断させると、先程とは打って変わった厳しい表情をとり、先程の口調から変わって、重々しい口調で答える。
「貴方達の気持ちは充分わかりました。私も了見の狭い男じゃない。グラード・ヤーとザウロニアの友好のために謝罪を受け入れます。しかし」
謝罪の受け入れを表明している途中で言葉を途切り、一呼吸置いてから
「国外追放は行き過ぎですぞ」と、最後に渋面を作り、その厳しい処置にあからさまに嫌悪感を露にした。
「グラード・ヤー代表として寛大な処置に厚く御礼を申し上げます」
ビゼィは、この変心にも務めて冷静に平身低頭に対応し、チアノと共に再び深々と最敬礼の姿勢をとり、大使の慈悲深くも寛大な処置に恭順の意を示した。
「どうぞ面をあげてください。私は人が争う事を好まないのです。それに人間、誰しも間違いは起こします」
トートはビゼィの肩に手をかけ、頭を上げるように促しながら、チアノにも優しげな視線を向けて
「チアノさん、今は苦しいかもしれないが、貴方が犯した過ちです。貴方の過ごす苦難の日々が貴方を成長させ、その過ちを償いきった時、前よりもっと良い立場に戻れますよ」と、気遣う様な言葉をかけた。
チアノは、トートの言葉に感じ入ったような表情を一瞬見せた後、深々と頭を垂れながら「あれ程の非礼を働いた私めに、なんと慈悲深い御言葉、ありがとうございます」と、感謝の言葉を述べた。
「チアノ、これから私はトート大使に大事な相談事があるので退きなさい」
ビゼィが最敬礼の姿勢をとるチアノへ命令すると、チアノは面をあげて「し、しかし、ビゼィ様の警護が・・・」その命令に異を唱えたが、それはビゼィの意にそぐわない答えだった。
「警備にはファオがいます。重要な話がありますから、おまえは速やかに、ここから退出なさい」
「でも・・・」
「これ以上、私に恥をかかせる気ですか!」
尚も食い下がるチアノにビゼィの容赦ない面罵が浴びせられる。その怒声は執務室を震わせた。何時も笑っている様な表情の彼女が、ここまで怒りを露にするのは珍しい光景だろう。
その一喝にチアノも思わずたじろぎ、怯える様に一歩後ずさった。
「申し訳ございません!しっ、失礼します」
チアノはビゼィの剣幕に慄きながら答えると逃げるように部屋から走り去っていった。
その姿を見てトート大使も満足気に本音を盛らす。
「はっはっはっは、良い気味ですな」
トートはビゼィへ向き直り、改めて問いかけた。
「で、相談とはどのような?」
「実は私も死後の旅路に素晴らしい品々を身につけたいのですが・・・」
世間で噂されてるとおり、臆面もなく自らの欲望を曝け出すビゼィをみて、本領発揮だなとトートは呆れつつも、それを為せる彼女の権勢を畏怖した。




