21.いざ、裁きの時はきた
ザウロニア大使館別館に設けられた巡礼祭会場では、神面都市で権威のある主だった者達、評議員と各国大使館から来賓者が予定通り集まっていた。親衛隊長が行方不明にも関わらず、巡礼際は滞りなく執り行われていた。
女王が祭壇に向って頭をたれて祈りを捧げている姿を見つめながら、ファオは腹の底から這い上がってきた欠伸を口中に閉じ込め、鼻腔から押し逃がす。
なんともいえない日だとファオは思った。昨晩、アルシアのおかげで一睡も出来なかったせいか、どうも体の気だるさが抜けきらない。
それでいて頭の方はすっきりとしている・・・はずなのだが、時折、二日酔いのような偏頭痛が襲ってきて片手で頭を抑えながら低く呻いてしまう。その度に隣から注意するような咳払いが聞こえた。
こんな気乗りしない日に限って、外交的に重要な存在の警備をせねばならないとは面倒なもんだと、ファオは心から思いつつ再び欠伸を噛み殺す。
もちろん、その時に短い妙な鼻呼吸音が微かに漏れるのだが、それも隣から注意するような肘打ちが脇払い喰い込む。
どうやらファオの右隣にいる御仁は何時もより不機嫌なのか、今日は荒っぽい指導が目に付く。
ふと、隣のチアノを見やれば、昨晩、いや早朝にヤン隊長達と共同で大捕物をしていたとは思えないほど鬼気迫る表情で警備についている。
いかな手錬の下手人が感づかれずに潜伏したとて、この石虎を射る様な双眸に捉われれば、武具を放り出し、たちまち罪の告解をしだすことは確実に思えた。
その反対側には、子供には退屈すぎたのだろうか?背が低いのを良いことに、ファオにもたれかかって居眠りをしている小僧を挟み、アルシアが佇んでいた。
ファオにはアルシアが晴れやかな且つ、穏やかな表情で舞台上で厳かに行われる儀式を見つめているかの様にみえた。
だが、アルシアの眼に、巡礼祭の終わりと巡礼の始まりを告げる女王の、厳かなる出棺の儀式は映っていない。
視線は僅かに下方へ逸れて、儀式が執り行われている檀上の下に立ち並ぶ、ある親衛隊の男へ向けられていた。
その男は、以前ファオが熱い眼差しを向けていた男だったが、アルシアの眼には男の姿が映ってはいたが、映っていなかった。
正確には彼女が名前と噂だけしか知らない想像上のアザリアという卑猥な長耳の民の女が、素知らぬ顔で立ち尽くしている姿が見えていた。
隣で呻く存在、昨晩、彼女に盛られた薬と睡眠不足のせいで苦しむファオの姿と声も、彼女には見えることも聞こえることもない。
昨晩、この長耳女の知らない所でファオは自分のなすがままになったという事実が彼女を満足させ、ファオの痴態が脳裏にちらつく度に、得も言われぬ優越感が彼女に充ちていくのであった。
他の事、職務である警備に集中しようとしても、あの姿を見つけるたびに心中勝ち誇ってしまうのだろうか?
彼女の優しい聖女のような微笑は絶えることがなかった。
チアノはあれから一睡もしてなかった。あの晩、あれから、どこをどう帰ったかはわからないが、ふと、気がつけば港で海をみつめていた。
やがて月が役務を終えて地平線へと入水し、命溢れる眩しき日輪が天駆けたとき、己が本能に呼び戻されるがまま家路を辿ったのであった。
帰宅時に気がついたのだが、法衣に大きな赤い染みが幾つかあった。返り血であることは、すぐに予測がついた。
思い起こせば、頭の片隅に港へと流れる道すがら、時々、下卑た声をかけ、腕を引いたり、道を塞ぐ者が幾人かいたという微かな記憶があるからだ。
なんと答えたかは記憶にない。ただ、無意識の内に条件反射で、相手の首を血煙に舞わせたのは憶えている。
無闇に人を殺めるのは罪だが、貧民街に巣食ってる連中は脛に傷をもつ身が多い。いくらでも罪をでっち上げて死罪に追い込むこともできよう。
しかし、チアノのような権力を持つ身でなくとも、刃物で脅しかけられたり、女性が如何わしい宿へ連れ込まれそうになったら、どのような手段で身を守っても許される側面が貧民街にはあった。
ただ、若い時ならいざ知らず、身体的に技量が上回る者が、軽々しく相手の命を奪うことは法の番人として誇れることではなかった。むしろ、チアノくらいの立場になれば恥としか言いようのない出来事であった。
更に、もう一つ。この法衣についた返り血が、チアノに己の未熟さを再認識させ恥じ入らせた。
常時であれば穢れることを知らぬチアノの純白の法衣は、返り血を一滴も浴びることはない。
何故なら、もし対峙した相手の血液が毒を含む、または毒その物だった時、不用意に露出している肌や顔に浴びせられたら?
いや、強力な酸などであれば顔でなくとも良かろう。このような場合、鎧など用を成さないだろうから。やはり返り血の類は、避けれるものなら絶対に避けるべきものなのだ。
しかし、避けるべきものを避けきれなかった。昨晩の出来事がチアノの平常心を奪ってしまったのだ。法衣の現状はチアノの心と表裏一体。心にできた隙と澱みが法衣に証となって顕れてくるという戒律めいた諺もあるくらいだ。
常在戦場を心がけるチアノだからこそ、これは恥じ入らねばならない出来事であった。
昨晩の捕り物に、この二つの出来事と睡眠不足が加わり、チアノは切歯扼腕し、何時になく不機嫌な態度を抑えきれないでいた。
今日までに起こったことを全て綺麗さっぱり忘れてしまえるように、早く眠りにつきたいと心底思った。
その為には手段は選んでいられない。手短に全てを片付けてしまうのだ。そうだ!全てを終わらせ、もう早く寝ようと、チアノはそればかり考えていた。
巡礼祭会場にわれんばかりの拍手が鳴り響きチアノを正気に返らせる。祭壇上では女王が祈りを捧げ終わり、背後の来賓席側に振り向き両手を天を仰ぐかのよう掲げた後、足音を聞かせぬ幽玄の歩みで祭壇を、ゆったりと降りてゆく。
祭壇下で腰を直角に曲げ、深い角度で最敬礼の姿勢をとっていたトート大使の前を通り過ぎ、女王は舞台奥へと去ってゆく。
入れ替わるかのようにトート大使は舞台中央に出でて来賓者に向かって儀式の終わりを告げる。
「女王の鎮魂の祈りも終わりました。それでは最後に」
「お待ちください!女王よ!今、暫しお待ちを!」
最後尾列を警備するチアノが、稲妻が轟くかのような裂帛の気合を籠めた一喝を響かせながら、来賓が出入場に使う会場中央の通路を、最前列目指し、独り歩んで行く。
祭壇を警護する親衛隊からキワサカ副長が困惑しながらも、なんとか一歩前に出て「チアノ殿、陛下の御前ですぞ!儀式の最中ですぞ!」と、チアノの途上に立ち塞がろうとするが、それを玲瓏たる声がとどめた。
「よい、キワサカよ」
「じょッ、女王陛下!」
何時の間にか女王はトート大使の背後から、少し離れた位置まで戻っていた。檀上で起きた不可思議な出来事に来賓者達も騒然とし、口々に神と等しき女王の神秘を怖れ讃える。
そんな諸人の様子には構わず女王は「チアノよ、なんなりと申せ」と続きを促す。
「女王よ!もう、御一方、貴方の巡礼に加わらなければなりません」
「チアノとやら、その者の名はなんと申す」
「ザウロニア親衛隊隊長セムト様と申し上げます。女王よ、今、親衛隊長殺しの犯人をお引き渡し致します」
予測もつかぬ事態に会場は水を打ったように静まり返る。
チアノは物言わずにトートの方へ歩みより、檀上手前まで来ると印を結びつつ、神へ捧げ助力を願う祈りの言葉を唱え始める。
「万物の法を司る司法神よ御照覧あれ。御身の力にて本質を見抜かせ給へ偽りを法の名において裁かせたもうッツ!」
チアノの体が射す様な細い光の線が集い収束してゆく。
「チアノさん!こんなところで虚偽抹殺の奇跡を!」アルシアが両の眼を見開き、両手で口元を覆い驚愕する。
虚偽抹殺の奇跡、それは司法神に仕える者の詰問に対し、偽りの言葉をもって返答すれば、たちまち虚言は見破られ、看破されし者の額に司法神の刻印が刻まれるという。
使い方によっては個人の秘密も強制的に暴かれてしまう為、公の場で用いる事は暗黙の了解で禁忌とされている奇跡だ。
今、まさにチアノは不遜かつ不作法、無礼千万、狂気の沙汰と紙一重の驕慢、非礼の極みと言える不埒な真似をしているのだ。
だが、アルシア以外の者達は、このチアノ行為に対して意外にも肯定的だ。
ミチェットは両拳を握りながら興奮した面持ちで呟く。
「でも、これでアイツの嘘がばれて」
「全てが終わる」
続けてディアモントも一言呟き、この緊迫した状況下で体を強張らせ、喉を鳴らし唾を嚥下する。
ファオが、これで奴も終わりだなとばかりに相好を崩しながらアルシアに対して両肩をすくめて答える。
光り輝くチアノがトート大使へ問うた。
「トート大使、ヴェルナの名において汝に問う。汝はセムト警備隊長の命を奪いましたね?」
トート大使は怒るでもなく、慌てることもなく、取り乱すことなく落ち着いて答えようとする。
「いいや、滅相も無い。私が、そんな事するはずないじゃないですか!」
やや、語尾の否定が大きくなったのは、この状況が、沈黙する会場の静けさが彼に罪がなくても告白しろとばかりに圧力をかけたせいか?
トート大使が返答するとチアノの体に集まった光が、一瞬、大きく輝きを増した後、静かに霧散した。
「・・・失礼しました」
チアノは微動だにせず静かにトート大使へ非礼を詫びる謝罪の言葉を述べた。
あってはならない結果に会場が再び騒然とした。ざわめきが、やがて非難するかののような、どよめきに変わる。
チアノ達も驚き、衝撃の余り身を固める。想定外の事態に体が硬直してしまったのだ。
唯一人、ファオだけが、いてもたってもいられずチアノに駆け寄ってゆく。走りながらファオは考えた。
奇跡が失敗したのあろうか?時折、御業の習得に未熟な者が奇跡や魔術を不発させたり、違った効果を発現させる場合がある。今回もきっとそうだろうと。
「チアノ隊長!?まさか・・・」
「ええ・・・彼は殺してないわ・・・」
チアノは表情を一つ変えず冷静に、一言、一言、区切るように答えた。それはファオにとって一番聞きたくない返答であった。
檀上から降りてきたトート大使が目の前までやってきた。意外と落ち着いた表情でファオは安心した。
怒りを抑えた慇懃無礼な態度のトート大使の口から、静かに抗議の言葉が吐き出されるが
「チアノ神官、これは由々しき事態ですぞ。国の代表たる私を疑うのは職務の内だとしても、公の場で私を犯人呼ばわりした上、虚偽抹殺の奇跡を公衆の面前で用いる粗野な振る舞いをなさるとは!司法神の使徒とはいえ傍若無人、無遠慮にもほどがありますぞ!」
段々と語尾が上がり、後半は強い怒気を孕んだ言葉が続く。チアノが、もう取り返しのつかない事を仕出かしたという事実は、鈍いファオでも理解できた。
トートの抗議に、チアノは両目を閉じ、唇をきつく噛みしめ顔を背けた。
「どういうことになるか理解してらっしゃるのでしょうな?これは立派な外交問題ですぞ!」
「申し訳ございません・・・」
顔を背けたままチアノは謝罪の言葉を述べる。この事態でも頭を下げないのは余りにも衝撃的な事態に気が動転しているのか?それとも、この期に及んでも相手に頭を下げたくないチアノの傲慢さの表れか?
「後日、しかるべき方面から抗議させていただく!」
そうチアノに厳しく申し渡すと、踵を返して舞台袖にある出口へ向ってゆく。その後ろを衛兵とは違う鎧を身に纏った大使館の警備兵が、トートの後に続き、チアノ達に向って罵声を浴びせる。
「さあっ!さっさと、ここから出て行け無礼者どもがっ!!」
メンチュと呼ばれる警備兵が罵声をあげれば、モンチュという名の警備兵は親衛隊にむかって「おい!衛兵!こいつらを会場から摘みだせっ!!」と、そんな権限もないのに命令した。
だが、衛兵の頭を占めたのは権限の問題ではなく、面子の問題であった。即ち、この警備兵という部外者に指摘されるまで、神聖且つ厳粛な場である巡礼際を乱した無礼者を会場から追い出すという任務を忘れてた事実だ。
彼らは四名ほど前に出るとチアノ一行を取り囲み、嘗て祖国の英雄が操ったという投槍を構え、騒然とする会場から追い立てる。
そんな哀れなチアノ一行が追い出される光景をトート大使は舞台袖の陰から、ほくそ笑みながら一行が会場を追い出されるまで見つめていた。
チアノ一行は前後を二名づつの親衛隊に挟まれながら、大使館別館の通路を出口へ先導されていた。
信じられない出来事であった。今日は朝から頭痛が酷い、これも何かの幻覚じゃないのかと思って、ファオは、時折、足を止めて後ろを振り返るが、その度に「きりきり歩け無礼者が!」親衛隊が怒声を吐きながらファオの足元へ槍を突き立てる。
当てる気がないのはわかっていたので、身じろぎせず、ゆっくりと振り向きなおしたが、これを幾度となく繰り返してゆく内に親衛隊兵士も、だんだん当てるよう槍を突き立ててきた。なんとなく面白くなってきたのでファオは、からかうように紙一重でかわす。
そんな真似をしていると、今度は、後方を担当している、もう一方の親衛隊兵士が槍を突いてきたので、今度は逆立ちをしながら避け、そのまま逆立ちの姿勢でチアノの後をついてゆく。
「お主、ふざけるにも程があるぞ」
ディアモントも心配そうな声をかけるが顔は笑っていた。その笑顔が更に衛兵達を燃え上がらせた。槍を腰溜めに構え、ファオの胴体を一突きにせんとするが
「おまちなさい」
一行の背後から声がして親衛隊兵士の凶行を止める。思わず、その場にいた皆が振り返ると、そこには「誰だ!あっ、あなた様は・・・」振り向いた先にいる人物に親衛隊兵士はかしこまり、道の両脇に控え、穂先を天に向け槍を両手で捧げた。
背後から現れたのは女王陛下その人であった。
「客人を、そう無下に扱うものではない」
女王は十代の少女らしい明るいが、どことなく少し悲しさを感じさせる微笑をチアノ一行に向けながら、優しく親衛隊兵士に礼儀を諭す。これが最後となった。
この日を境にチアノと女王は、二度と直接言葉を交わすことはなかった。
翌日、朝早くに、昨夜の騒動を余所に、死者の女王が率いる壮大な葬列は、次の巡礼地を目指して出立した。
親衛隊と数台の馬車が大使館前から旅立っていく。チアノが司法神神殿に仕えて、幾年もかけて積み重ねてきた全ての功績が、手元から飛び立ち逃げ行くかのように・・・




