帰る場所
第96回 帰る場所
ノクスヴァルムの胸から喉へ、また魔力が集まり始めた
さっきまで何度も見てきた動きと同じだった
頭がわずかに上がり、首の動きが止まり、胸部の同じ位置で鱗が浮く
その奥側では、周囲とは比べものにならないほど強い魔力反応が一か所へ集中している
弱点だと決めたわけじゃない
そこへ攻撃を通せば倒せると分かっているわけでもない
ただ、ここまで観察した中で最も大きく状態が変わる場所であり、実際に火と風の複合魔法を当てた時には浅いながらも傷が残った
今、狙うならそこしかない
「来る」
ルッカの声が飛ぶ
ダリオがすぐに動いた
「右へ流す、セイジはそのまま」
俺は動かない
正確には、動かないことを選ぶ
今から組む
昨日まで紙と頭の中でしか存在していなかったものを
火
水
風
土
光
闇
六つ
使えるから入れるんじゃない
必要だから入れる
俺は目の前へ魔力を出した
最初は火
一点へ通すための主力
ただし《火槍》にはしない
知っている形へ逃げない
細く
高密度
前へ向かう一本の主流
そこへ風を重ねる
風だけの魔法にしない
火を外から押すだけにもならない
中心へ寄りながら、同じ方向へ加速させる流れとして組む
最初の二つだけなら、火と風の複合魔法に近い
違うのはここからだ
土属性の魔力を外側へ置く
岩を作るわけじゃない
地面を固めるわけでもない
この魔法式の中で、形を保つための外枠と軸として配置する
頭の中で考えていた位置へ、一本ずつ
ずれる
少し戻す
《精密魔力制御》
外からノクスヴァルムの魔力圧が押してくる
まだ攻撃は放たれていない
それでも周囲の魔力が荒れ始めている
火が揺れる
風が外へ膨らみそうになる
土の外枠がそれを支える
次
水
中心と外枠の間
火の熱を冷ますためじゃない
今回の構造の中で急激な魔力変化を受けるための緩衝として置く
一度に流しすぎない
細く
前から後ろへ
さらに戻す
完全に循環させるわけじゃない
短い時間だけ、構造内部の乱れを受け止め続ける
「セイジ」
エナの声
「大丈夫」
答えながらも視線は外さない
ノクスヴァルムが動く
ダリオが前を横切った
巨体の頭がそちらへ向く
ルッカが反対側から声を出す
ノクスヴァルムの首が少し戻る
二人が時間を作っている
俺は次へ進む
闇
外側
土よりさらに薄く
魔力が外へ逃げる場所を抑える
《暗幕》ではない
視界を遮るために広げない
この魔法の中だけで、外向きの散りを抑える役割として置く
火が強い
風も強い
土が支える
水が揺れを受ける
闇が外へ逃げるものを抑える
五つ
もう頭が重い
でも最後
光
《治癒》の形を作らない
傷を治す必要はない
細い補助経路
火の近く
風の近く
水と土の境目
複数
魔力圧で内部の流れがずれた時、そのずれを戻すためだけの細い線として置く
一つ
二つ
三つ
多い
多すぎる
《多重並列制御》
今までなら、火と風を同時に維持するだけでも意識を取られた
今は六属性
しかも全部が別の役割
それぞれを別々に動かすんじゃない
一つの魔法構造として扱う
そこを間違えたら終わる
「尾」
ルッカの声
次の瞬間、地面が震えた
俺の右側で轟音
見ない
ダリオたちが避けたことだけ、声で分かる
「問題ない」
ダリオ
「続けろ」
俺は息を吐く
構造が崩れかける
闇が外へ流れた
止める
戻す
水の経路が一つずれる
光で補正
土の軸が傾く
風の比率を下げる
火を少し圧縮
《高密度魔力圧縮》
中心
もっと細く
まだ足りない
一点へ通すなら、先端が太い
前の《火槍》と同じじゃ駄目だ
先端だけをさらに絞る
火
風
土
闇
全部を同じように細くする必要はない
突破する先端では火を最も細く
風はその後ろ
土は形を支えるため少し広く残す
闇はさらに外
水と光は内部
形が見える
俺の前に、まだ光とも槍とも呼べない魔力の塊が浮いている
六色に見えるわけじゃない
属性ごとの色を眺める余裕もない
俺には流れとして分かるだけだ
「胸、開く」
ルッカ
早い
まだ放せない
「あと少し」
俺が叫ぶ
ダリオがノクスヴァルムの正面へ入る
「こっちだ」
危ない
止めろと言いたくなる
でもダリオは分かっている
ノクスヴァルムの頭が向く
胸もこちらへ
ローデンが叫ぶ
「射線、今なら通る、奥も大丈夫」
俺の後ろから前
その先にノクスヴァルム
さらに奥は迷宮核側ではない
大きな岩壁まで距離がある
外した時の危険が小さい方向
ミラが胸を見ている
「集中、前と同じ、まだ上がる」
エナ
「セイジ、呼吸」
言われて気づく
止めていた
息を吸う
吐く
構造を維持
まだ俺とつながっている
放す前に、自分の魔力供給を切っても短時間だけ形を保てるようにしないといけない
水と光
戻り
閉じる
前へ
戻す
また前
短い内部循環
迷宮核で見た魔力流を真似しているわけじゃない
あれの物理構造なんて知らない
ただ、一方向に流して終わるだけではなく、魔力の一部を戻しながら流れを保つ考え方を、ここで使う
一度
維持
二度
維持
外から圧
乱れる
光の補助経路が一本外れかける
戻す
水が受ける
土が保つ
闇が散りを抑える
「いける」
思わず声が出た
でも、まだ
起動した
構造も今のところ保っている
それだけ
放てるかは別
ノクスヴァルムの胸部の鱗がさらにわずかに浮いた
その奥
強い魔力反応
今までで一番はっきりしている
物理的に何があるのかは分からない
ただ魔力が一点へ集中している
「今」
ルッカ
その声で決めた
先端側
火と風を前へ
土と闇を追従
水と光の戻りを内部へ閉じる
俺からの供給
まだ切らない
前へ押す
構造全体が俺の手元から少し離れる
壊れない
もう少し
そこで供給を切る
一瞬
全体が揺れた
怖い
崩れる
そう思った
光の補助経路がずれを戻す
水が内側の乱れを受ける
土の軸が残る
闇が外へ逃げる魔力を抑える
火と風が前を向いたまま
残った
「放す」
俺は前へ手を出した
魔法構造が飛ぶ
音が遅れて来た
真っすぐ
速い
ノクスヴァルムの魔力圧が横からぶつかる
構造が揺れる
でも壊れない
水
光
戻る
補正
命中まで
ほんの短い時間
それだけでいい
ノクスヴァルムの口が開いた
喉へ集まった魔力が放たれる
同時
俺たちの方へ濃密な魔力が走る
「伏せろ」
ダリオ
俺はその場から横へ飛ぶ
視界の端で
俺が作った魔法がノクスヴァルムの胸へ届いた
当たる
鱗
前と同じ位置
衝撃
火+風の複合魔法を撃った時とは違った
広がらない
表面で散らない
一点に留まる
押す
削る
さらに押す
鱗が割れた
一枚
その下
さらに硬い抵抗
止まりかける
「まだ」
俺の声なのか分からない
魔法は俺から離れている
もう直接押せない
それでも内部の流れが続いている
風が前へ
火が中心
闇が散りを抑え
土が軸を保つ
水と光が乱れを戻す
ほんの一瞬
それで十分だった
二枚目の鱗が砕ける
その奥
魔力反応の集中点
そこへ先端が届く
ぶつかる
止まる
硬い
想像していたような柔らかい急所じゃない
鱗を抜いた先なのに、さらに高密度の魔力が壁みたいに抵抗している
届いただけでは足りない
「通れ」
俺は叫んだ
どうにもできない
もう手を離れている
それでも魔法構造は残っている
圧縮した火
風の加速
外枠
封じ
緩衝
補正
全部がまだ働いている
一点
さらに一点
広がらず
押し込む
次の瞬間
音が消えたように感じた
魔法が
高密度の反応の中心を抜いた
光が弾ける
炎ではない
ノクスヴァルムの胸から、濃い魔力が一気に外へ噴き出した
巨体が大きく反る
咆哮
空間全体が震える
「下がれ」
ダリオの声で我に返る
ノクスヴァルムが暴れる
尾
翼
爪
どこへ来るか分からない
俺たちは距離を取る
俺の脚が重い
魔力が減っている
一気に
立てる
でも次は無理
同じものをもう一度組めと言われても、今はできない
エナが腕を掴む
「セイジ、下がる」
「うん」
ノクスヴァルムが翼を開く
大きく
一度
羽ばたく
魔力圧
俺たちは岩陰へ
でも前までと違う
圧が乱れている
強い
なのにまとまっていない
ノクスヴァルムの胸から漏れた魔力が周囲へ広がり、身体外側を巡っていた流れも不安定に見える
「胸」
ミラが叫ぶ
「傷、深い」
目で見ても分かる
黒紫の鱗が砕け、その奥に深い傷がある
そこから魔力が漏れている
ノクスヴァルムがこちらを見る
まだ立っている
倒れていない
俺たちは全員構えた
ダリオが前
ルッカが横
ローデンは退路
エナは俺の近く
ミラも後方
俺は残った魔力を確認する
既存魔法なら使える
でも大きいものは何度も無理
ノクスヴァルムが一歩出る
床が揺れる
二歩目
来る
そう思った
けれど、その脚が途中で止まった
巨体が傾く
翼が床へ触れる
尾が大きく動き
岩を叩く
咆哮
もう一度
今度は低い
胸から漏れる魔力がさらに増える
俺は攻撃しなかった
ダリオも行かない
まだ危険
でも無理に追う必要もない
ノクスヴァルムが頭を上げる
喉へ魔力が集まりかける
胸側から流れる
途中で乱れる
まとまらない
口が開く
何も放たれない
魔力だけが散る
そして
前脚が崩れた
巨体が床へ落ちる
轟音
土煙
岩の破片
誰も近づかない
待つ
一呼吸
二呼吸
長い
ノクスヴァルムの尾が動く
まだ生きている
さらに待つ
呼吸
大きかった胸の動きが小さくなる
一度
間
もう一度
その次が来ない
「まだ行くな」
ダリオ
誰も動いていない
俺は《魔力探査》を狭く使う
ノクスヴァルムの周辺
巨大だった反応
弱くなっている
消えたとは言わない
まだ残っている
でも体内を巡っていた大きな流れは、さっきまでのようには動いていない
「反応、かなり弱い」
俺が言う
「死んだ」
ルッカ
「匂いだけじゃ分からない」
「動かない」
「もう少し待つ」
ダリオの判断
待つ
エナが俺を見る
「座らない」
「まだ」
「ふらついてる」
「立てる」
「それと大丈夫は違う」
後ろの岩へ下がらされる
反論しない
本当に脚が重い
水を一口
ノクスヴァルムは動かない
ルッカが遠くから観察する
胸
首
翼
尾
「呼吸、見えない」
ミラも見る
ダリオが石を一つ拾う
近くではなく、ノクスヴァルムの前方へ投げる
音
反応なし
さらに待つ
俺の探査で感じる魔力反応は、環境側の濃い魔力と混ざるほど弱くなっている
「近づくなら俺から」
ダリオ
「一人で行くな」
俺が言う
「近くまで行かない」
ダリオとルッカが少しだけ前へ
俺たちは後ろ
数歩
止まる
ノクスヴァルムは動かない
さらに少し
ルッカが匂いを取る
長い時間
「動かない」
ダリオが首を見る
「呼吸もない」
エナも距離を保ったまま確認する
「もう少し近く」
全員で少しずつ
最後まで警戒する
そして
胸の動き
なし
目
反応なし
魔力
俺が確認する
体内を巡っていた高密度の流れは止まっている
周囲へ押し出していた魔力圧も、もう発生していない
「終わった」
ダリオが低く言った
誰も喜ばなかった
少なくともすぐには
俺もノクスヴァルムを見る
大きい
最初に見た時と同じ身体
倒れても大きい
俺たちを襲った
戦った
殺されかけた
だから倒した
でも、悪いやつを倒したという感じはしなかった
深部にいた竜
巨大な魔力を持ち
迷宮核側の流れと干渉し
俺たちが近づいた時には攻撃してきた
それだけ
「全員確認」
エナの声で意識を戻す
今度は人
六人
ダリオ
腕に擦り傷
脚も問題なし
ルッカ
尻尾じゃなく、ノクスヴァルムの尾を避けた時に転んだらしく膝に軽い傷
本人は気にしていない
ローデン
手
肩
問題なし
ミラ
無傷
俺
魔力消費が大きい
肩の古い傷は開いていない
新しい怪我なし
エナ
自分も確認
問題なし
「重大な負傷なし」
エナが言った
その言葉で、ようやく息が抜けた
六人
全員いる
俺は座り込んだ
「終わった」
今度は俺が言う
ルッカが近くへ来る
「当たった」
「当たったな」
「通った」
「通った」
その言葉で思い出す
魔法
俺は自分がさっきやったことを順番に思い返した
六属性
一つの起動
構造を組んだ
維持した
俺から切り離した
放った
ノクスヴァルムの胸部へ命中した
鱗を抜き
その奥の高密度魔力の集中点を一点で突破した
全部
やった
紙の上だけじゃない
頭の中だけでもない
実際に
「できた」
俺は自分の手を見る
「何が」
ルッカ
「魔法」
名前はない
でも
今までの魔法を改造したものじゃない
《火槍》に何かを足したものでもない
火+風複合魔法を拡張しただけでもない
必要な結果を先に決め
六属性の役割を決め
魔力経路
形
密度
流れ
維持
発動位置
放出
全部を最初から組んだ
そして実際に成立した
「白紙から」
ミラが近くで聞いていた
「うん」
「全部」
「少なくとも、今の一回は」
一回
そこは忘れない
今すぐもう一度できるとは限らない
準備も長い
魔力消費も大きい
六人があれだけ時間を作ってくれた
射線
位置
鱗が動く瞬間
全部揃ってやっと一発
完成した万能魔法じゃない
使いにくい
重い
危ない
でも
成立した
「名前」
ルッカが聞く
「まだいい」
「また六個のやつ」
「それでいい」
今日はそれで十分だった
少し休んだあと、迷宮核側の魔力を確認するため、俺たちはすぐには帰らなかった
ノクスヴァルムの近くへ居続ける理由はないので、距離を取って迷宮核の大空間まで戻る
途中
魔力の流れが違う
すぐ正常になった
そんなことではない
まだ乱れている
奥へ向かう流れ
浅い側へ戻る流れ
横へ抜けるもの
複数
ただ、前まであった強い押し返しの一部が弱くなっているように感じる
「変わった」
ミラが聞く
「少し」
「良くなった」
「そこまでは分からない」
俺は迷宮核周辺を見る
魔力は出入りしている
強弱もある
でも、ノクスヴァルム側から押し寄せていた大きな圧は今のところ感じない
「乱れが小さくなってる部分はある」
「全部」
「全部じゃない」
「収まってきてる」
「そう見えるところはある」
ミラが記録する
迷宮核そのものを触らない
壊れているかも分からない
直す方法も知らない
今は観察だけ
ローデンも構造周辺を見る
「崩れ増えてない」
「戦闘の影響」
「ここでは大きくは見えない」
それなら安心した
俺たちは迷宮核を離れる
帰路
深部で、魔物の反応をいくつか確認した
前のように一斉に外へ走っているわけではない
ただ、それだけで分布が戻ったとは言えない
森まで全部変わるには時間がかかるかもしれない
そもそも、ノクスヴァルムを倒したことで全部が解決したのかもまだ分からない
「すぐ戻るわけじゃないよな」
俺が言うと、ルッカが床の痕跡を見る
「跡は残る」
「そうだな」
大きな魔物が動き
縄張りが空き
別の魔物が移動し
その影響がさらに浅い側へ広がった
それが一瞬で元通りになる方がおかしい
今確認できるのは
深部の魔力流の一部が、さっきまでより落ち着いて見える
それだけ
安全確保地点で長めに休む
俺はほとんど魔法を使わない
エナに止められている
「帰る分は」
「問題ない」
「戦闘」
「避ける」
「魔法」
「必要最低限」
それで許可が出る
幸い、帰路で大きな戦闘はなかった
一度だけ小型魔物がこちらへ近づいたが、ルッカが先に気づき、互いに距離を取った
追わない
俺たちは大迷宮を出た
外の空気
空
木
風
全部いつも通り
ルッカが立ち止まり、大きく息を吸う
「終わった」
「まだ報告あるぞ」
「戦い」
「それは終わった」
ダリオが振り返る
「帰るまでが探索だ」
「分かってる」
俺たちはガルディアへ向かった
報告は長くなった
ノクスヴァルムとの戦闘
胸から喉への魔力集中
鱗の変化
六人で作った攻撃機会
俺が白紙から組んだ魔法
命中
一点突破
ノクスヴァルムの死亡確認
迷宮核周辺の魔力流について、一部で乱れが弱く見えること
ただし完全に安定したとは確認していないこと
深部から浅い側、森まで含めた魔物分布が戻ったとも確認していないこと
全部
分けて話す
「これで終わり」
聞かれても
俺は首を振った
「分からない」
今の時点ではそれが正しい
大きな原因の一つだった可能性は高い
迷宮核との相互干渉も、かなり近いところまで見えた
でも、今後どうなるかは見ていく必要がある
「少なくとも、深部の大きな魔力圧は一つ消えた」
ミラが補足する
その表現ならいい
報告を終えた後、ダリオが俺の肩を軽く叩いた
「帰るか」
「うん」
今日はもう大迷宮へ戻らない
戻る必要もない
エナ
ダリオ
ローデン
ミラ
ここで一度別れる
「また第二水場で」
俺が言う
ダリオがうなずく
「休んでからな」
エナが先に言う
「分かってる」
「本当に」
「今日は何もしない」
「魔法の確認も」
俺は少し迷う
「STATUSくらいは」
「帰ってから」
「はい」
ルッカが笑う
俺とルッカは第二水場へ戻った
水の音が聞こえる
棚
道具小屋
排水
試験栽培
見慣れた場所
誰かが使った縄が戻されている
布が干されている
道具の位置が少し変わっている
俺たちが大迷宮の奥で竜と戦っている間も、ここはここだった
「戻った」
ルッカが言う
「うん」
大げさなことはしない
持ち帰った物を確認
救護用品
使った布
減った水
壊れた小物
後日補充が必要なものだけ分ける
全部今日やらない
エナがいなくても、言われたことは守る
たぶん
「帰る」
ルッカ
「岩陰拠点」
「うん」
第二水場を出る
森
知っている道
大迷宮から戻るたびに通った
何度も
最初は森の中を歩くだけでも怖かった
魔物がいるかもしれない
道を間違えるかもしれない
水がない
食べ物がない
何も分からない
今は
大迷宮の最深部に近い場所まで行き
巨大な竜と戦い
自分で作った魔法を撃って帰ってきた
それでも
この森の道を歩く時の方が、身体から力が抜ける
前を歩くルッカが振り返る
「遅い」
「疲れてる」
「私も」
「じゃあゆっくり行け」
「セイジが遅い」
「理不尽だな」
いつもの会話
それでいい
岩陰拠点が見える
入口
変わらない
ルッカが先に入る
俺も続く
「帰った」
声に出す
今度は誰かに聞かせるためでもない
ただ出た
荷物を置く
座る
少しだけ何もせずにいる
静か
森の音
近くにルッカ
俺は手を見る
魔力はまだ戻っていない
身体も重い
それでも一つだけ確認したいことがある
STATUS
大迷宮で見る必要はなかった
ガルディアでも
第二水場でも
今
ここならいい
「見る」
ルッカが聞く
「STATUS」
「進化」
「それも表示されるかもしれない」
前に見た時は《アークホブゴブリンメイジ》が出た
今も同じかどうかは確認していない
残っているかも分からない
俺は意識を向ける
表示
NAME セイジ
RACE ハイホブゴブリンメイジ
LEVEL 30
HP B
MP A
筋力 C
耐久 B
敏捷 B+
器用 A-
精神 A-
魔力 A
SKILL
《魔力探査》
《精密魔力制御》
《高密度魔力圧縮》
《多重並列制御》
TITLE なし
ここまでは前と同じ
LEVEL30
変わっていない
そして
その下
進化可能
候補
《アークホブゴブリンメイジ》
ある
前と同じ
俺は少し安心した
後から選べるかは確認していなかった
今、初めて確認できた
でも
その下に
もう一つあった
《ゴブリンマギアコード》
俺はしばらく動けなかった
「何」
ルッカが聞く
「増えてる」
「何が」
「進化候補」
「二つ」
「うん」
《アークホブゴブリンメイジ》
《ゴブリンマギアコード》
見たことのない名前
でも
知らないはずなのに
後者を見た瞬間、今日作った魔法が頭に浮かんだ
火
水
風
土
光
闇
必要な結果から
役割を決め
流れを決め
形を決め
維持し
放った
白紙から
「マギアコード」
口に出す
ミラが古い資料で使っていた言葉
魔法を使う者
既存の術を選ぶ者
構造から考える者
あの資料の意味を全部理解したわけじゃない
でも今日
俺は魔法を一つ
最初から組んだ
「どっち」
ルッカ
「分からない」
俺は二つを見る
《アークホブゴブリンメイジ》
前から出ていた候補
《ゴブリンマギアコード》
今日になって初めて確認した候補
条件表示はない
説明もない
何が変わるかも分からない
選んだ後、これまでと同じようにLEVELがどうなるかも確認できない
身体がどう変わるかも
SKILLがどうなるかも
何も
ただ
俺は後者から目を離せなかった
「怖い」
ルッカが聞く
「少し」
「でもする」
「うん」
自分でも驚くほど迷いは短かった
強そうだからじゃない
珍しいからでもない
今日やったこと
ここまで積み重ねてきた魔法
それとつながっているように感じる
確証はない
でも、選ぶならこっちだと思った
「《ゴブリンマギアコード》」
選ぶ
表示が消えた
一瞬
何も起きない
次に
全身の奥から熱が来た
「うわ」
思わず声が出る
ルッカが離れる
「大丈夫」
「分からない」
座ったままではいられない
外へ
入口を出る
これまでの進化で身体が変わったことを思い出した
今回もそうなるかもしれない
岩陰拠点の中で何か壊したら困る
外へ出たところで膝をつく
熱
痛い
でも前の進化と同じとは言えない
感覚が違う
骨
筋肉
皮膚
それだけじゃない
魔力
身体の中を巡る魔力の感覚が一気に広がる
今までは
自分の中に魔力があり
そこから外へ出していた
今は
身体の内側と外側の境目が少し薄くなったような感覚
周囲の魔力まで自分のものになったわけじゃない
でも
自分の魔力がどこにあり
どう流れ
どこから出るかが、前よりはるかにはっきりする
「セイジ」
ルッカの声
「いる」
返す
声
少し低くなった気がする
身体が伸びる
腕
脚
背
前より大きい
でも急に巨体になる感じではない
立てない
まだ
熱が続く
首
腕
胸
何かが皮膚の下を走る
光
自分では見えない
ルッカが言った
「光ってる」
「何が」
「腕」
俺は腕を見る
深い緑
前より暗い
その皮膚の上
細い線
模様
魔力を流すと淡く光る
止める
消える
「模様」
「うん」
首にもあるらしい
顔は自分では見えない
でも手で触れる限り、大きく崩れた感じはない
角が生えたわけでもない
身体は人間の成人男性に近いくらいの高さまで伸びていると思う
以前より細身に見える
筋肉だけが大きく増えた感じではない
熱が引く
呼吸
落ち着く
立つ
少しふらつく
ルッカが手を出す
掴む
「大きい」
「やっぱり」
「でも前ほどじゃない」
「何と比べてるんだ」
「セイジ」
「俺はずっと俺だろ」
立ったまま身体を確認する
腕
脚
指
動く
痛みなし
魔力
ある
むしろ
多い
かなり
でも感覚が変わっている
「STATUS」
今度は見る必要がある
俺は意識を向けた
NAME セイジ
RACE ゴブリンマギアコード
LEVEL 1
HP B+
MP A+
筋力 C+
耐久 B+
敏捷 A-
器用 A
精神 A
魔力 A+
SKILL
《魔力領域》
《魔力掌握》
《極限魔力圧縮》
《魔導多重化》
《魔法式創造》
《自在変身》
《界渡り》
TITLE
《境界超越者》
俺は何度も見る
LEVEL1
これまでと同じように、今回も1へ戻った
ここで初めて確認できた
RACE
ゴブリンマギアコード
選んだ通り
能力
全部変わっている
SKILL
四つあったものが、そのままの名前では残っていない
《魔力領域》
《魔力掌握》
《極限魔力圧縮》
《魔導多重化》
上位になったようにも見える
でも、まだ使っていない
どこまでできるかは分からない
そして
《魔法式創造》
この名前だけは
見た瞬間に今日のことを思い出した
でも順番は逆じゃない
これを得たから魔法を作れたんじゃない
今日
進化前の俺が
自分で魔法式を作った
そのあとに
このSKILLが表示された
「変なのある」
ルッカが俺の顔を見る
「いっぱいある」
「何」
「後で」
《自在変身》
《界渡り》
名前だけで気になる
ものすごく気になる
でも今は試さない
何が起きるか分からない
《自在変身》が何へ変われるのか
《界渡り》がどこへ行くものなのか
何も確認していない
今ここで触る理由もない
TITLE
《境界超越者》
これも意味は分からない
表示された
それだけ
「顔」
ルッカが言った
「何」
「変わった」
「どう」
「前より」
言葉を探している
「怖くない」
「前は怖かったのか」
「少し」
「ひどいな」
ルッカが笑う
俺も笑う
顔を触る
鼻
口
頬
骨格
前より整った感じはある
自分では見えない
「目も光る」
「今」
「少し」
魔力を流す
ルッカがうなずく
止める
「消えた」
腕の模様と同じ
魔力を使う時だけ淡く光るらしい
「鏡欲しいな」
「何」
「自分の顔見るやつ」
「水」
「暗いだろ」
明日
第二水場へ行けば水面で少し見えるかもしれない
でも、それも今じゃなくていい
俺は岩陰拠点を見る
入口
前より少し小さく見える
「入れるかな」
ルッカも同じことを思ったらしい
「頭」
「ぶつけそう」
「ローデン呼ぶ」
「また改修か」
前にもやった
進化して身体が大きくなって
入口を直してもらった
今回も必要になるかもしれない
俺は少し屈んで入る
入れる
肩も通る
前より窮屈
でも壊さなくても大丈夫
寝床
これは
「狭いな」
「また大きくする」
「そうだな」
棚
調理場所
全部
少し高さが合わない
また直せばいい
それだけ
ルッカはいつもの位置へ座る
俺も座ろうとして、頭を岩へぶつけかける
「危ない」
「笑うな」
「笑ってない」
笑っている
俺は身体を少し丸めて座る
進化
ゴブリンマギアコード
LEVEL1
新しいSKILL
TITLE
分からないことだらけ
前なら
全部すぐ試したかったかもしれない
《魔力領域》
何ができる
《魔力掌握》
どこまで
《極限魔力圧縮》
前よりどれだけ
《魔導多重化》
何重まで
《魔法式創造》
どう使う
《自在変身》
何に変わる
《界渡り》
どこへ行く
気になる
本当に気になる
でも
今日はやめる
大迷宮から帰った
ノクスヴァルムを倒した
六人全員戻った
第二水場も変わらずあった
そして
俺はまたここへ帰ってきた
岩陰拠点
最初は
雨を避ける場所だった
寝る場所
隠れる場所
それだけだった
少しずつ物が増えた
棚
寝床
調理する場所
ルッカが来た
二人で使う場所になった
進化するたびに狭くなって
直して
また使った
俺がどれだけ変わっても
ここは何度も直しながら残っている
「セイジ」
「何」
「ごはん」
「今から」
「お腹空いた」
「俺も」
魔力が増えても腹は減るらしい
そこは変わらない
立つ
少し頭に気をつける
ルッカが笑う
「大きい」
「明日ローデンに頼む」
「また」
「また」
火を起こす
魔法を使おうとして止める
新しいSKILLの感覚を確かめていない
今日は普通にやる
火種
道具
水
食べ物
いつものやり方
時間は少しかかる
でも困らない
食事を作る
ルッカと食べる
大迷宮の話はほとんどしない
もう終わったから
いや
大迷宮そのものが終わったわけじゃない
異変が完全に収まったとも確認していない
今後も見に行くことはある
迷宮核の状態も
森の魔物の分布も
確認は必要
でも
今日はもういい
「セイジ」
「ん」
「人間みたい」
手が止まる
「どこが」
「大きさ」
「そこだけか」
「顔も少し」
「人間になったわけじゃないぞ」
STATUSには
ゴブリンマギアコード
はっきり書いてある
俺はゴブリンだ
少なくとも今確認できる範囲では
「前、人間になりたいって言ってた」
ルッカが言う
「言ったっけ」
「言ってない」
「じゃあ何で」
「顔」
「便利だな、その顔」
俺は少し考える
人間
前世
間宮誠司
大阪で働いて
三十九歳で
それから
こっちへ来た
最初は戻りたかった
人間の身体
人間の生活
当たり前だと思っていたもの
今も
もし何か方法があると言われたら
気にならないとは言えない
《自在変身》
《界渡り》
名前だけ見れば、色々考えられる
でも
何ができるか分からない
試してもいない
だから今は何も決めない
ただ一つ
今の俺が嫌か
そう聞かれたら
「別に」
声に出ていた
「何が」
ルッカ
「何でもない」
俺は自分の手を見る
深い緑の皮膚
魔力を流せば光る模様
人間じゃない
前のゴブリンとも違う
それでも
この手で棚を作り
水を運び
魔法を覚え
ルッカを助け
仲間と大迷宮へ行き
今日
新しい魔法を作った
悪くない
「明日、第二水場行く」
ルッカ
「行く」
「みんな来る」
「たぶん」
ダリオ
エナ
ローデン
ミラ
報告の続きもある
迷宮核の変化も、これから確認する
ローデンには岩陰拠点の入口も相談する
やることは残っている
たくさん
「その前に寝る」
「早いな」
「疲れた」
「俺も」
片づける
寝床
狭い
俺が大きくなった分、ルッカの場所まで取る
「狭い」
「明日直すって」
「セイジ外」
「俺の家でもあるだろ」
「大きいから」
「理不尽だ」
押し合う
結局
俺が少し端へ寄る
岩壁が近い
前にもこんなことがあった気がする
身体が変わるたび
家の方を合わせてきた
そのうちまた直す
入口
寝床
棚
必要なところだけ
ここを捨てて
もっと大きな家を作ることだってできる
第二水場の近くへ移ることも
人間側へ近づくことも
これから先なら選べるかもしれない
でも今は
その必要を感じない
暗い岩陰
狭い寝床
隣にルッカ
外には森
少し離れれば第二水場
さらに先には人間のいる場所
大迷宮もある
全部
俺が今生きている場所
目を閉じる
今日だけで
身体も
RACEも
LEVELも
SKILLも
変わった
それでも
帰ってきた場所は同じだった
「セイジ」
「何」
「寝た」
「まだ」
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
森の音が聞こえる
水の音はここまでは届かない
代わりに葉が揺れる音
小さな虫
遠くの何か
いつもの夜
俺は少しだけ身体を丸める
明日はたぶん
また入口を直す
寝床も
棚も
新しい身体に合わせる
魔法も
新しいSKILLも
そのうち確認する
大迷宮のことも見に行く
迷宮核が落ち着いていくのか
魔物がどう動くのか
森がどう変わるのか
まだ知らない
知らないことは
これから見ればいい
今は
帰ってきた
それで十分だった
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました
長い物語になりましたが、最後までセイジたちの旅と暮らしを見届けてもらえたことを、とても嬉しく思います
この物語では、強くなることや魔法を覚えることだけではなく、
「自分が帰れる場所」
「自分のままでいられる場所」
というものを大切にしてきました
最初は一人だったセイジも、少しずつ出会いを重ね、仲間が増え、暮らしができ、最後には帰る場所を持つことができました
ここまで続けられたのも、読んでくださった皆さまのおかげです
途中から読んでくださった方も、最初から最後まで付き合ってくださった方も、本当にありがとうございました
セイジたちの物語は、ここでいったん一区切りとなります
この先に何があるのかは、まだ分かりません
それでも、どれだけ遠くへ行っても、どれだけ姿が変わっても、帰る場所はきっと変わらないのだと思います
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました




