幼少期くらいのクマ
野生に出る前にはそれなりの準備と経験が必要です。それを怠るとどうなるのか、という話?ですが、まあ良い子は普通やらねえわな。いくら何でも。まあクマの振り見て我が振り・・・なんて直せるかい。
どうにも恥の多い熊生を歩んでいる終活中のクマであるが、我が家は少々珍しい風習がある一族で、どうやら戦前からそうであるようなのだが、長男が相続するのではなく長子が家を相続するという慣習であったのだ。大日本帝国権憲法にも悖るなかなかに奇妙な風習であるが、そのせいでいろいろ問題が起こったようで、特に長子が女性であった場合、弾かれた長男がいつまでも不平不満をぶつけて来たり(その関係で、数代前の人物の子孫が怒鳴り込んできたこともある)、戦争等で長男が死亡した折は、次男以下であっても権利の主張が激しくて、色々軋轢を起こすことがあったようで、故にか近所には基本的に親戚がいない。娘の嫁ぎ先、はあるのであるが、男で家を出たモノは、まあ独力で生きていけ、という育てられ方を、子供の頃からされたものである。そんなわけで、ほんの子熊の時分から、家には住まわせてもらっているもの、という教育を受けていたのであるが、今のご時世またさまざまな事象があるので、こんな熊でもまだ田舎の山にて狩猟生活を送っているが、学校教育はクマでありながら普通に行われたので、とりあえずは日本語と算数くらいは普通にできるようにはなった。ただ、もの凄い粗忽熊である故に、現代生活には順応できないようで、また色々やらかしたものである。そんな恥ずかしい熊の生態を一つ。
熊がやらかした一番の失敗は、小2の頃であるが、近所のお兄さんたちに誘われてまだちゃんとは乗れなかった自転車に乗って親の反対を尻目に出かけて、転んで右手を骨折してくるという事態を招いたことである。バランスを崩して右方向に倒れて、アスファルト路面に肘を打ち付けて、それでも泣きながら一人で家まで帰ろうとして、結局その地区の知人に呼ばれたらしい親の手を借りて自動車で町の病院まで連れて行ってもらった、という本当に情けない事件ではありました。親の手間になるわ、近所の子たちには余計な気を遣わせるわ、何より今に至るに、骨折箇所が若干曲がっている。その後10年以上後に一念発起して、柔道習ってみたり筋トレしてみたりして、筋力だけは人並みについたのだけれど、熊が人並みではねえ。若干忸怩たるものがあります。何と言っても小2の春の遠足に行けなかったことが。・・・あ、これ、大丈夫だわ。
そんな事もああってか運動嫌いの幼体期を過ごしたクマですが、丁度その頃、思えばそのチョイ前か、もの凄くおまぬけなこともしておりました。小1のみぎり、何でか初めて町のおもちゃ屋でゼロ戦のプラモデルを(100円で売られていた)買ってもらい、普通に作ればいいものを、帰宅後一人で説明書も見ずに箱から出して(小さな箱でした。かつ、小学生には読めない漢字も多数。)組み立てようとしたのですが、今のようにニッパーなどないし、はさみを使ってパーツをばらして、さあどうすんだろう。何か袋ラーメンの薬味のような小袋が入っている。さあこれなんだ、となったのですが、何を思ったかこの図体ばかりがでかい子熊はその小袋をはさみで切って、中身を舐め始めようとしたのです。こら、はちみつじゃねえぞ。その途端、口中に広がるビリビリした苦み。すぐに吐き出してティッシュ(そんなハイカラなモノまだ無かったから千代紙ですが)で口の中を拭いて事なきはえたのですが、そもそもプラモデルは買うのも作るのも初めて。せめて年長者と一緒にやれよ。何でプラモデルの箱の中に食べれれるものが入っていると思ったのだか。後に考えると、というか理解したことですが、薬味のような小袋とは当時の模型メーカーが考え出した少量のセメダインを流通させるための容器、だったわけです。そんなもの口に入れる阿呆がいることなど想定外だったとは思いますし、まあ、今なお生きているという事は、それなり以上の毒性はなかったのでしょう。そんな事もあって、基本的に初めての物体には口をつけない(当然じゃん)ことを、やっとその時(経験として)憶えたクマでありましたとさ。凄い馬鹿熊ですね。だから誰にも言ったことはありません。言えるもんじゃないクマ。その頃流行していたのが「わたしをあげる」と「ふたりでお酒を」だったのでした。「いやよいやいやこどもじゃないわ」って、もろ子供の所業じゃん。お酒飲んで忘れることも出来ないし。都合悪いことは、すべてなかったことにいたしましょうクマ。まだあるけど、この後円広志「夢想花」のごとく飛んで行っちゃいました。ほんにどうしようもない熊です。
ほとんどアホちゃうか?というお話です。でもこういうアホ熊でも生き残る場合もあります。チッ、あん時始末出来ていれば。・・・やべえ熊だな。駆除決定。




