あまり一般的ではない歌謡曲⁇について
思い出話です。と言うかこの歌謡曲雑感はそういうつもりの個人的なエッセイ、です。備忘録とも言います。なろうに何入力してんだろう?
これは、いわゆる歌謡曲と言うよりアイドルソングの事でしょうか。私は高校卒業後、とある機関の養成所(ヤバいとこじゃないよ、多分)にいたのですが、そこで師匠ともいうべき2人の人物と出会いました。まあ、私が勝手に認定しているだけですが。ひとりはO君と言って、もの凄いカメラオタク(カメラ小僧というジャンルですね。まだいるのかな?)で、彼の地元のコンサート会場では名の通った人物だったようです。知らんけど。でも彼には、そういう場での作法とかいろいろ教わりました。なお同様な事は別にS君と言う人もいたのですが、そちらはまた別ジャンルの人なので今は割愛。もう一人は、Kさんと言って今でも尊敬している、見た目ナンパなでも卓球マンで、彼のおかげで高校時代の暗すぎる自分から少々方向転換が出来たと感謝しております。いや、何かが悪化してるのか?いやいや。で、その彼からはBOØWYを教わりました。歌謡曲じゃないだろうって、いえいえまだこれから。当時その界隈で(どの?)人気があったのは、浜田省吾(『J-BOY』)とかTMネットワーク(『セルフコントロール』)とか、BOØWY全般でして、そちらに嵌っていたKさんから、半ば強制的に『BEAT EMOTION』とか聞かされまして、ほかにもカセットテープ(寮生活で、それしか持ち込めなかった環境だったのです)を色々借りました。よくこんな暗い野郎に気をかけてくれたもんだと感謝しています。社交的でいっこ歳上、そんで毎晩彼女に電話(これも公衆電話。寮生活ですし)という周りにはそれまでいなかったタイプの人でして、良くも悪くも影響を受けました。あ、けむりぐさは別ね。当時まだ未成年ですし、性に合いません。もとい、音楽的にそういった当時で言うニューウェイブに偏見を持っていた私に、そういったものを聞かせてくれた人物です。もっともBOØWYについてはその前から知ってはいて、すでに「B-BLUE]が流行ってましたし、それに当時ファンであった(さあここからだ)奥田圭子さんが雑誌「明星」でのインタビューでファンを公言していましたので。奥田圭子さん、憶えてますか?パイロット万年筆のCMでデビューして「夢ください」(いい歌でしたよ)を歌っていた方です。その後「瞳の中に」(B面の「グラデーション」がまた名曲)と、3曲目に「プラスティック」を出して、これがBOØWYの二人、氷室&布袋の手によるもの。売れなかったけど。ただ当時のアイドルとしては抜群に歌が上手い人でした。でもドラマ「天使のアッパーカット」はどうかと思ったけど。これは本人のせいではないな。その後の活動も不安定で、次の「家族」の後はレーベル移って「シングルウーマン」を最後に引退?しちゃったけど、今でも新曲を望んでいる歌手でもあります。美人だったし。それが良くなかったのかな?1stアルバム「クレッシェンド」、これも以前の火事で焼失して長年ほぞをかんでましたが、10年くらい前かな、再発してくれてアポロン時代の全楽曲は手元にあります。でもSONY時代の2曲は、まあ無理なんだろうな。「テイストオブハニー」聴きたいけど、奥田さんのレコードそのものを、中古市場で見たことないや。でもまだ、マシな方なんだろうな。同時期だと吉成香「はにかみ天使」辺りはほぼほぼ見たことすらない。当時ですら。今は市川かおりさんとして活動中のようですが。うーん、ググるのは大事だわ。
関係ないけど、上記の時期の思い出としては、同期の人物(また別の人です)に松本典子ファンという実に希少な人がいて、たまたま「セレモニー」(中島みゆきさんの作品です。セルフカバーしないかな、あれを)(してたらどしよ)を知っていた私はよく揶揄ったものですが、よく私もそんな事憶えてるな。別に、アイドルマニアじゃないやい。ちなみに前述のO君はそのすべてを知ってたはず。うう、何と恐ろしいところにいたんだろう。
ともかく、80年代は色々深い闇がありました。ファンではなかったけど岡田さんとか。あーくわばらくわばら。つーか自分の行動を反省しよう。




