■■ 16. 砂の十字架
わたしには愛奈という妹が居た。
年齢は一つ下。見た目は良く似ている。時々双子と間違われるが、愛奈はわたしをきちんと姉として見てくれている。
わたしたちの仲はとても良かった。遊ぶときも寝るときもお風呂に入るときも同じ。
着ている服装もそっくりだ。こどもの一才というのは体格にもそれなりの差がでるが、愛奈はわたしのお下がりでも嫌がることが無かった。
ただ、靴だけは別だ。わたしは主に青い靴、愛奈は赤い靴を好んで履いていた。
愛奈はその赤い靴を履いてへんてこな踊りをするのがスキだった。まるで童話の赤い靴のようだ。
わたしも愛奈と一緒に踊ろうとするのだけど、どうもそういうのは苦手だ。わたしのどこか不格好な踊りを見て愛奈には何度も笑われた。
そうやってわたしたちは常に一緒に過ごしていた。
だからわたしが小学校に上がると、一日の半分わたしと逢えないと愛奈は鳴いていたという。
そのためか、休日は特に二人で遊ぶことが多かった。
「お姉ちゃん、かくれんぼしよう」
わたしが六才の日曜日。とても天気の良い日だと覚えている。
部屋でテレビを見ていたわたしたちだったが、それに飽きたのか愛奈が言い出した。
今日は両親が用事で出かけている。わたしたちは二人で留守番をしていた。お昼ご飯は母親が用意してくれたおかずを電子レンジで温めて食べたばかりだ。外は良いお天気だが留守番を行っているので家の中に居なくてはいけない。
「かくれんぼかぁ。いいけど、外に出たら駄目だよ」
「うん!」
そこでわたしたちはジャンケンで鬼を決める。最初の鬼はわたし。
六〇数えてそれから探し始める。だいたい愛奈の隠れているところはすぐに判る。
わたしはまずトイレの扉を開いた。ここに居ないとするとお風呂場かな。
脱衣所には居ないので風呂場に入ると、湯船の蓋が微妙にずれていた。そこを押し開いてみると、しゃがんで頭を抱えている愛奈の姿があった。
「愛奈みーっつけた」
「お姉ちゃん、はやーい」
「愛奈がいつでもおんなじところに隠れるからだよ」
さて今度は愛奈がわたしを探す順番だ。ただ気を付けないと、愛奈に比べるとわたしは身を隠すのが上手だそうだ。
特に変な箇所に隠れているわけでは無いのだけど、本気で隠れると愛奈はなかなか見つけてくれない。
時には探すのに飽きて外に遊びに出てしまう。だから適度に見つかりそうな場所に隠れないといけない。
かといってあんまりにも簡単に見つかってはそれでも機嫌が悪くなる。
さて、今回はどこに隠れようか。愛奈は探す順番もほとんど変わりない。そして自分が隠れる場所にはあまり探しにこない。
わたしはトイレの中に隠れた。家のトイレは洋式だし、フタを閉めて座っていれば隠れていても疲れない。
一応照明を消して扉を閉じるとまっくらになる。ややすると扉の隙間から外の灯りが本の少しだけ漏れてきた。
そして愛奈が六〇を数え終えたのだろう。家の中を歩き回る足音が響いてくる。
まず最初に訪れるのはわたしたちの部屋。わたしたちは二人で一つの部屋を使っている。ベッドは二段ベッド、わたしが上で愛奈が下だ。
そこでしばらく物音が聞こえてきたのだが、そこに居ないと判ると移動する。次が両親の部屋。ここにはベットが無く大きな収納がある。愛奈はそこを調べると部屋を出た。
一戸建てでも平屋の広くない家だ。部屋の数も限られる。
あとは台所とトイレ、そして風呂場。このままでは台所を探してトイレに居るわたしを見つけてくれるだろう。
あと五分くらいかな。そう思ったとき、わたしの身体が揺れた。
揺れたのは身体では無く言え全体だ。それなりに大きな地震が起きていた。
大きな縦揺れのあとに横揺れがしばらく続く。そこで扉の向こうで音が聞こえた。
「お姉ちゃん!」
台所からだろうか、愛奈の悲鳴に似た声が聞こえた。何かあったのだろうか、揺れが収まってわたしは扉に手をかけた。
ところが、ノブは回るのに扉が開かない。
さっきの物音は何かが倒れて扉につっかえてしまったのだろうか。わたしは扉を叩いてみたが、六才程度のこどもの力ではどうにもならない。
「きゃー!」
そのうち、愛奈の大きな悲鳴が聞こえて来た。それと同時に何かが爆発するような音が。
扉の隙間から漏れてくる光りの色合いが変わる。そしてどこか焦げ臭い匂いが漂ってくる。
煙がしみこみだしてトイレの中に流れてくる。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、助けて!」
愛奈の絶叫。わたしも手のひらが壊れるのでは無いかという勢いで扉を叩いた。
「こっちよ、トイレにいるから、愛奈!」
「助けて、助けて!」
しかし愛奈の声は遠くなったり近くなったりを繰り返す。わたしは煙が充満するトイレの中で扉を叩き、愛奈の名前を叫び続けて気を失った。
次に気が付いたとき、わたしはどこか知らない所で寝ていた。
全体的に白い部屋。壁にはいろいろな機械があって、わたしの旨とか手とかになんだか判らないチューブが着いている。
「真奈!」
わたしを呼ぶ大きな声に振り向くと、わたしの横には母親が居た。目を真っ赤にしてわたしを見ていた。
「大丈夫、わたしが判るわよね」
「お母さん」
わたしがそう答えると、母親は大粒の涙を浮かべると何かのスイッチを押した。
ややあって、部屋の扉が開くと看護士さんが二人入ってくる。その後にお医者さんだと思う女の人も一人入ってきた。
お医者さんはわたしにいくつかの質問をする。看護士さんはその間にわたしの左腕に何かを巻き付けたり、聴診器でわたしの身体の音を聞いていた。
「どうやら異常は無いようですね。煙をかなり吸っているので、肺の一部が炎症を起こしているかもしれません。今日明日は入院して様子を見ましょう」
お医者さんは母親にそう告げた。わたしには何がなんだか判らない。
わたしが寝かされているのは家の近所にあった大塚総合病院。一階だけインフルエンザにかかったときにわたしも来たことのある大きな病院だった。
わたしの入院は三日間続き、特に異常が無いままに退院した。
そして家について、そこに愛奈の姿は無かった。
居間には白黒の縦縞のカーテンが飾られて、白いおひな様みたいな段があった。そこに愛奈の写真が飾ってあった。
その写真には黒い帯が斜めに掛けられている。たくさんのお花と果物、愛奈がスキだったぬいぐるみが並んで居る。
「……愛奈はどこに行ったの?」
「遠い所よ」
わたしは自分の部屋に帰った。二段ベットの下には愛奈が隠れていない。どこか焦げ臭い家の中、トイレと風呂場を探しても愛奈は居なかった。
愛奈が隠れているのは小さな木の箱の中。でも、母親も父親も、わたしを愛奈とは逢わせてくれなかった。
あのとき、何が起きたのかを知ったのはそれから一年もたってからだった。
わたしがトイレに隠れ、愛奈は台所にわたしを探しに向かう。そこで大きな地震が起きた。
愛奈は慌てて何かをひっくり返してしまった。それが元で何かに引火したという。萌えたのは台所だけだが、運が悪く日が愛奈の洋服に燃え移ってしまった。
愛奈だけではどうにもできない。そこでわたしに助けを求めたが、わたしはトイレに閉じ込められていた。
愛奈の身体はトイレの前の扉に寄りかかるように倒れていたという。
愛奈のお葬式が終わって、近所のお寺の三上家の墓というそこに小さなツボヲ治めて。それでもわたしの部屋は愛奈が居たときのままだった。
どうしてわたしはトイレなんかに隠れたのだろう。どうしてすぐに外に出なかったのだろう。
「真奈は悪く無いわ。台所をきちんとしていなかったわたしの責任だから」
母親はわたしを慰めてくれる。それでもわたしは納得できない。
愛奈の最後の姿を見ていないから、どうしても愛奈が真だとは思えない。
だから、わたしは部屋の中で愛奈に語り続けた。一人の部屋で下のベットに向かって今までと同じように語り続けた。
それが六年も過ぎただろうか。
そのうち、おかしなことが起き始める。
ある日、勉強机を見ると、わたしが置いた覚えの無い一枚のメモ用紙があった。
昨日の宿題の残りだろうか。そのメモ用紙を見ると、こう書いてあった。
『お姉ちゃん、今日の給食は何だったの?』
わたしはその紙を床に落とした。忘れる訳がない、それは愛奈の文字だ。わたしは机の中に保管している愛奈の落書き帳を取りだして文字を見比べる。
ほとんど同じ。誰がこんないたずらを。
わたしは怖くなってその紙を丸めて捨てた。
しかし、翌日以降もメモ用紙は机の上に置かれていた。
『今日の体育はつまんなかったね』
『算数の宿題、難しくない?』
『クリスマスにはノラリックマのぬいぐるみが欲しいな』
もしかして、この部屋のどこかに愛奈が隠れているのだろうか。わたしはメモ用紙の隅っこに、こんな文字を書き加える。
『あなたは愛奈なの?』
そして翌日の朝。
『そうだよ。お姉ちゃん、あたしを忘れたの?』
間違いない。ここに愛奈が居る。でもどこに居るのかが判らない。そこでわたしはメモ用紙と一緒に携帯電話を置いた。
『愛奈、あなたの姿が見てみたい。この携帯電話で自分の姿を撮ってみて』
翌日、携帯電話の写真フォルダを見てみると、そこには地鶏している愛奈の姿が映っていた。
ただ、彼女が着ているのはわたしの洋服。愛奈の年齢はあのときから同じでかなりだぶだぶの服装になっていた。
もしかしたら……。
わたしはフリーのメールアドレスを作るとそれをメモ用紙で愛奈に知らせる。そして携帯電話を通じてわたしと愛奈は話をする。
そこで判ったこと。
愛奈はわたしだ。わたしが寝ているとき、わたしは愛奈になっている。愛奈にしてみると、彼女が寝ているときにわたしになっているのだという。
二重人格。正確には解離性同一性障害と言うらしい。
一人の頭の中に複数の人格が存在し、そのうちのどちらかが表面に出てくる。もう一つの人格はそのあいだの記憶を有さない。
わたしはわたしの中にいつのまにか愛奈の人格を作り上げていたのだろうか。しかも、わたしの容姿すらも愛奈に変化させて。
それでも構わない。例え一緒に並ぶことができなくても、わたしはこうやって愛奈と話せるのだから。
『ごめんね、愛奈。あの時はあなたを助けられなくて』
『平気だよお姉ちゃん。それよりね、あたしもっと外を歩いてみたい。あたしの洋服、残って居るかな』
『もちろん、全部とってあるわ。でもお父さんやお母さんに見つかると大変だから、外に出たくなったらわたしに教えてね』
そして外出を許した数日後。
『あのね、あたし車に轢かれそうになったの。でもね、とってもかっこいい男の子が助けてくれた』
『大丈夫だったの? 外に出るときは気を付けないと。ところであなたを助けてくれた人にはきちんとお礼を言ったの?』
『それがね、名前を教えてくれなかった。今度見かけたら、きちんと名前を聞いておくね』
そして数日後。
『判ったよ、あたしを助けてくれたのは、神足健太郎っていう男の子』
神足健太郎? どこかで聞いたことがある名前だと思ったら、わたしの通っている一ノ瀬高校では有名になりつつある二年生の男子だ。
わたしは彼の写真をこっそりと取った。
『この写真の人手間違いない?』
『そうだよ。お姉ちゃんの知り合いだったんだ』
『わたしと同じ学校の先輩だよ。今度わたしからもお礼を言っておくからね』
『ねえ、お姉ちゃん。お願いがあるんだ。その男の人と仲良くして。そしたらあたしももっと逢えるでしょ』
それは愛奈のわたしへのリクエスト。わたしはそれに頷いた。
§
ぼくは三上さんの姿を見て動けない。今さっき愛奈の姿だったのに、見ている目の前で三上さんに変化した。
確かに魔王さまの扱う年齢変化の魔術が使えるとしたら。でも、彼女がその能力を持っていると言うの?
『なるほどな、いつぞやかの学校のエレベータ。このようなカラクリであったか』
「どういうことさ」
『あの照明が切れたところで幼子に変化したのであろう。そこに極度の興奮状態がまざり服が脱げてしまった。その後、元の年齢に戻ったのであろう。
あのとき、脱いだというより脱げたように見えたのはこのようなことか』
「んなことより、黒豹の動きが変だぜ!」
カミラの叫び声。残った一頭の黒豹は、ぼくでもカミラでもなく、うずくまる三上さんに向かって跳躍する。
『あのモンスター、制御を離れてあの三上を襲うつもりだ!』
「装着、展開!」
ぼくはガントレットを展開すると三上さんに向かって跳躍する。
彼女は動けない。黒豹の前足が伸びて三上さんの背中にかかる。
ぼくは更に加速、黒豹の真下に回ると拳で腹を殴り上げた。
「マグナムナックル!」
黒豹の身体が真上に跳ね上がる、黒い姿は鳴き声と共に虚空に消えた。
しかし、黒豹の爪は三上さんの身体を引き裂いていた。
レインコートを引き裂いて、背中から鮮血が吹き出している。うめき声をあげてうつぶせに倒れる。
「ティファ! 彼女に治療を!」
「ま、待って」
そこで倒れた三上さんが声を上げた。
「大丈夫、すぐに傷は治る」
「でもそれでは愛奈が神足さんを傷つけ続ける。わたしを……このまま見捨てて」
「そんなことが出来るか!」
しかし三上さんは首を振った。
「わたしが死ねば愛奈も死ぬ。そうすれば……もう神足さんを苦しめることは……」
『お姉ちゃん、何しているの! このままだと本当に死んじゃうよ!』
「それでいい……あなただけでは淋しいでしょうから、わたしも一緒に……」
『このまま、このまま一緒に死ねないのよ!』
そこで三上さんの身体から愛奈の身体が浮かび上がる、いや、愛奈では無い、その姿は異国の姿だ。
年齢はぼくと同じほど。身長も三上さんほどあるかもしれない。金色の長髪に赤い瞳の女の子がそこに居る。
これがアイシャの姿か!
「まだまだ、ケータお兄ちゃんはあたしが……」
そこで彼女の言葉が止まった。
カミラが鷹飛丸を振り抜いたのだ。
そのまま地面に降りる彼女、袈裟懸けに衣服の前あわせがぱっくりと開くと、そこから大量の血液が噴き出した。
さらに、その口からも血を吐き出した。
彼女は自分の切り口を見る。ぼくも……それを見ると……旨が……
「……そう、結局、あたしは、いつも、こんな最後……」
「すまねえな。俺はケンタを守らなきゃなんねえんだ」
「……ふふふ、構わないわ」
そこでアイシャはぼくを見てほほ笑む。
「あの世で待っているよ、ケータお兄ちゃん」
その直後、彼女の身体が光るとそこには黄色の魔石だけが残って居た。
ぼくがそれを拾い上げようとすると、それは目の前で粉々に崩れ、雨と風がそれを全て四散する。
「ティファ、三上さんに治療を!」
カミラが引っ込んで、次に登場したティファはキュルスの杖をかざす。
「完全回復[フルヒーリング]」
三上さんの身体を緑色の光が包んだ。
しかし痛みは継続しているのか、顔を歪めていた。
「三上さん、傷は塞いだよ」
「……ごめんなさい、どうしても、愛奈が止められなくて」
「大丈夫。もう……愛奈ちゃんは本当の天国に行ったから」
ぼくがそう言うと、彼女は笑顔となって目を閉じた。
ぼくは三上さんを抱き上げると前を見る。
一ノ瀬高校の校門を。
17. ウソだと言ってよ、シスター に続く




