5-1:読解される人間
大学の中央図書館は、すでに三嶋の知っている知の殿堂としての機能を、内側から完全に喪失しつつあった。
6月の声を聞く頃には、館内を流れる空気そのものが、おびただしい数の古書を狭い地下室に詰め込んだ時のような、ひどく乾燥して粉っぽい、不快な紙の匂いに染まっていた。
利用客である学生たちの姿は目に見えて減り、代わりに、ただスマートフォンを凝視したまま、ぶつぶつと虚空に向かって意味不明の解釈を呟く者たちが、閲覧室の片隅に点在するようになっていた。
その日の朝、三嶋は学内で掲示されているポスターの有効期限を確認し、古いものを撤去するという、総務担当としてのルーティンワークで館内掲示板の前を通りかかった。
掲示板の周囲には、イベントの案内が色鮮やかに並んでいる。
三嶋は手慣れた手つきで古い催し物のポスターを剥がそうと手を伸ばした――その瞬間、彼の足は凍りついたように動かなくなった。
掲示板の中央、周囲の鮮やかなお知らせを完全に圧殺するような、異様な紙がピンで留められていた。
光を一切反射しない、煤けたような闇の黒。
ざらついた手触りを予感させるその黒い紙の表面には、鋭利な筆圧で、あの以前図書館で見た文字列が、禍々しい赤黒いインクによって印刷されていた。
ʑ̥ɤ̽ʃ̇ ɰ̄ʔ̦ɬ̥ ʘ̇ɭ̄ʑ̥
ɬ̥ʔ̦ɤ̽ ʃ̇ɰ̄ʘ̇ ɤ̽ʑ̥ɭ̄
ʔ̦ɬ̥ʘ̇ ɭ̄ʑ̥ʃ̇ ɰ̄ʔ̦ɤ̽
「……誰が、こんなものを……」
三嶋の喉から、ひび割れた声が漏れた。
彼は周囲を見回した。
早朝のロビーには、まだ数人の学生と、事務員の同僚が数人いるだけだ。誰も掲示板を気にする様子はなく、ただ眠たげに通り過ぎていく。
三嶋は震える手で掲示板に近づき、その黒い紙を引き剥がそうとした。だが、ピンを抜こうとした彼の指先が、紙の表面に触れる直前でピタリと止まる。
剥がせない。
いや、本能が全力で警告を発していた。この文字に触れてはならない、と。
じっと見つめていると、コンクリートの壁に浮かび上がっていたあのシミのような記号とは異なり、掲示板の紙に印刷された文字は、まるで今刷り上がったばかりであるかのように、インクの濡れた光沢を放っているように見えた。
誰が貼ったのか、という疑問への答えは、すぐに絶望的な形で脳裏に閃いた。
――誰も、貼っていないのだ。
この大学の中に、あるいはこの世界の中に、あの黒い本の画像を熱狂的に拡散し、勝手な解釈を書き殴っている人間が何百万人と存在する。
そのネットの向こうの莫大な悪意の熱量が物理的な現実へと結露し、誰の手を借りることもなく、この世界のありとあらゆる場所に、あの文字を滲み出させているのだ。
世界そのものが、あの本という巨大な怪異のプリンターへと改造されてしまっている。
その瞬間、三嶋は強烈な違和感に襲われた。
背中をじっと凝視されているような、粘り気のある、冷たい視線。
それは、背後に誰かが立っているというレベルの生易しいものではなかった。
天井から、床から、壁のひび割れから、そして今剥がそうとしていた掲示板の文字そのものの奥から、無数の目が、じっと自分を観察しているという、逃げ場のない感覚だった。
(本が……俺を見ている……)
そう、見られているのだ。
ネットの住人たちが本を読み、解釈しているのではない。
本そのものが、その文字という触手を現実に突き立て、唯一の読めない人間である三嶋をじっと見つめ、彼の正気度を、彼の脳内の焦燥を、冷酷に読解しようと観察している。
三嶋は掲示板から飛びのくようにして距離を置くと、激しい動悸に胸を押さえながら、逃げるようにその場から走り去った。
しかし、どの通路を曲がっても、どの本棚の影に隠れても、あの見られているという全方位からの視線だけは、彼の皮膚にべったりと張り付いて剥がれることはなかった。




