【番外編・優乃視点】春のひととき、あなたと(後編)
――よし。ここは、合わせてあげよう。
私も、不知火さんとお散歩したいし。
「なんでもないです。行ってみましょう」
「なんか、テンション高いですね」
「気のせいです」
古いエレベーターを使って、2階に上がる。
人気のない静かな病院を歩いていると、異世界に来たみたいで、楽しい。
「こうしてみると、古いですね。何か出そう」
白い壁は、所々、剥がれている。
今日のお天気は晴れのはずなのに、光が差さず、薄暗い。どことなく、淀んだ空気だ。
こういう時、出るんだよ~とよく先輩の看護師に言われたっけな。
「え……出そう……とは?」
不知火さんが、恐る恐る尋ねる。
「オバケです」
病院あるある~。
私は、もう慣れちゃったけどね。
「お、お、オバ……ええっ!?」
不知火さんの大きな体がぶるぶると震えている。もしかして、オバケ、苦手なのかな。
「私は、霊感がないから、よくわからないんですけどね」
「そ、そうなんですね……」
ちょっと、動揺させすぎちゃったかな。
話題を変えよう。
私は、正面から見える、奥の扉を指差した。
「ちなみに、不知火先生が勤められてたのは、あの辺だと思いますよ」
「そ、そうですか……」
不知火さんの震えが、まだ止まってない。
心なしか、顔も青くなってきている気がする。
――その時。
奥の扉が、ギィ~っと嫌な音を立てて、静かに閉まった。え? 何か……いる……?
「い、今、扉が……勝手に開いて、閉じた気が……」
不知火さん、大パニック。
このままだと、過呼吸になっちゃいそう。
「不知火さんは、ここに座ってください」
看護師らしく、長椅子に誘導する。
この長椅子も穴だらけで、古いけど……大丈夫だよね?
「す、すみません……」
いったん、隣に腰かける……けど、すぐに立ち上がる。
「ちょっ……! ど、どこに行くんですか!?」
不知火さん、涙目。でも、私は、気になる。
「私は、様子を見てきますので」
だって、不審者だったら、通報しないといけないし。
「は、春川さん……!」
「すぐに戻ります!」
ダッシュで行って、ちらっと見て、帰ろう。そう思って、扉を静かに開けた。
「失礼しま~す……」
埃っぽい、薄暗い部屋に、そ~っと突入する。
大量の書類が並べられた棚がいくつも並んでいる。人影はないけど、物音はする。いったい、何が潜んでるんだろう。
……と思ったら、懐中電灯に照らされた。
「えっ……!?」
ま、眩しくて……何も見えない……!
「お~。春川さん。どうしたの?」
あ。この声は……。
顔を上げると、懐中電灯を持った、不知火先生が立っていた。ほっと胸を撫で下ろす。
「い、いえ……。ちょっと、散歩に……」
弟さんと2人で……とは言えず、言葉を濁す。
「もしかして、篝もいる?」
図星だ。不知火先生の勘って、鋭いんだよね。
「え? ど、どうして……」
当てられて、動揺する。な、なんで、わかっちゃったんだろう。
「さっき、ちらっと見えたんだよね~」
えっ!? いつ、どこから、見たんだろう。
誰とも、すれ違ってないはずなのに……。
「あ……えっと……私は、弟さんのリハビリの付き添いで……」
一応、弁解はしておく。だって、事実だし。
「大丈夫。そういうの、別に疑ってないから」
「そ、そうですか……」
「むしろ、弟のリハビリに付き合ってくれて、ありがとう。助かるよ」
「いえ……そんな……」
不知火さんは、夜勤明けの私を気遣ってくれた。むしろ、付き合ってもらってるのは、私の方なのに……。
おろおろしている間も、不知火先生は、懐中電灯を照らして、何かを探す。
そして、青いチューブファイルを手に取った。
「あった~。じゃね~」
「は、はい……」
不知火先生は、風のように、さ~っと、いなくなってしまった。
よかった。オバケでも、不審者でもなくて。
……と思ったのも、束の間。
「うわああああ! 出たああああ!」
不知火さんの叫び声が聞こえる。
「あ……そうだった……」
多分、出くわしたのは、オバケじゃないだろう。でも、心配は心配だ。私は、慌てて部屋を出た。
「あ……」
不知火さんが、白い帽子を深く被った不知火先生を見て、ビビってる。パニックになってるから、わかんないんだろうな。中身は、お兄さんなのに。
「お、オバケが……!」
ビビる不知火さん。
不知火先生は、キャッキャと楽しそうに笑う。
「来てみてよかった~」
「え?」
じゃ、じゃ~ん!
不知火先生がどや顔で帽子を取る。
「あ、兄貴……!」
「相変わらず、ビビりだな~」
「ちょっ……! 俺が、オバケ苦手なの、知ってて、びっくりさせただろ!」
「だって、面白いんだもん」
「ぐっ……!」
なんだか、このやり取り、微笑ましい。
思わず、笑ってしまった。
「は、春川さん……これは……その……」
不知火さんが、慌てふためく。顔が真っ赤になってて、かわいい。
「……じゃ、俺は仕事に戻るね」
不知火先生は、満足したらしく、どこかへ行ってしまった。
不知火さんが、深いため息をつく。
「……お騒がせして、すみません」
「いえ……それより、歩けますか?」
腰が抜けたとか、怪我が増えたとか……そんなことがあったなら、大変。
でも、不知火さんは、力強く、松葉杖を使って、立ち上がった。
「大丈夫です。ちゃんとお見送りして、戻ります」
これなら、大丈夫かな。
「無理しないでくださいね」
「……はい」
私は、再び、不知火さんと一緒に歩き出した。他愛ない話をしながら、ゆっくり進む。いつの間にか、職員用の駐車場に着いていた。
「ここまでで、大丈夫ですよ」
自動ドアの前で、立ち止まる。お散歩、とっても楽しかった。
「今日は、ありがとうございました」
不知火さんが、にこっと笑う。
「こ、こちらこそ……」
胸がきゅっとするのを感じる。
あれ? 私、今、ときめいた?
気のせい……だよね。
「リハビリ、引き続き、頑張ります」
「応援してます」
彼は患者で、私は看護師。
今日は、看護師として、リハビリに付き添った。そういうことにしておこう。
「それじゃあ、また」
不知火さんが、ぺこりとお辞儀をする。
「はい。お疲れ様でした」
私も、ぺこりとお辞儀を返す。
自動ドアを出ると、晴れやかな青空がどこまでも、続いていた。
こういうお休み、またあったら、いいのにな。




