幕間 首都イースヴェルム 01
イルダーナ王国歴三七四年度の冬に行われた陸軍第一部隊による討伐遠征は、前代未聞の結果となった。
まず前期のフェルン樹海への遠征時に、希少な聖女の一人であるマイア・モーランドが失踪した。同時に第一部隊に所属する騎士、ラーイ・イェーガーも姿を消していたことから、駆け落ちが疑われ、大規模な捜索が行われた。
月齢的に滞在ができるぎりぎりまで捜索したものの、残念ながら二人とも見つからず、部隊は一旦町に引き上げる事になった。
この時点で遠征を取りやめて首都に戻るという選択肢もあったが、たまたま聖女見習いとして遠征に中途参加していたティアラ・トリンガムが居たため、部隊は後期の目的地であるヴィアナ火山へと向かった。
しかしその途中で、突如ティアラが癒しの能力を喪ったばかりか、老婆の姿へと変わってしまった。
聖女なしで続行できるほど魔蟲の討伐は簡単な任務ではない。陸軍第一部隊は息をひそめるようにヴィアナ火山から引き上げる事になった。
事の顛末を取りまとめた報告書には、下山するまでの間に出た、決して少なくない死傷者の数もあわせて記載されている。
イルダーナ王国国王、イーダル三世は、報告書を目の前の執務机に放り投げると眉間をもみほぐした。
(何故このような事に……)
心の中でつぶやいてから自嘲する。この事態は、そもそもトリンガム侯爵からの圧力に負けて、ティアラ・トリンガムの遠征への中途参加を許した自分の責任だ。
――五年前、ティアラ・トリンガムが聖女の魔力に目覚めたという報告を受けた時に、もう少し侯爵家の状況を調査させるべきだった。
魔力器官が大きく発達するのは三、四歳の頃である。十歳を過ぎて大きく発達することは稀で、マイア・モーランドはその非常に珍しい一例だ。
しかし、あまり世には知られていないが、もう一つ、魔力器官が発達する事例がある。それは死の淵から生還した時だ。
ティアラ・トリンガムは七年前、トリンガム侯爵家のタウンハウスで大きな火災があった際に不幸にも巻き込まれ、両足を失い全身に大火傷を負った。
当時から筆頭聖女の地位にあったフライア王妃が即座に呼ばれ、ティアラの治療にあたったが、どうにか一命だけはとりとめたものの、常時魔術薬の投与が必要な寝たきりの状態になったようだ。
この事件の記憶があったため、ティアラが聖女の能力に目覚めたとの報告を受けた時には、大怪我を原因とする魔力器官の急発達だと不審に思わなかった。
また、これは言い訳になるが、トリンガム侯爵家は何人もの高名な魔力保持者を輩出してきた家柄で、ティアラの祖母にあたる人物はフライアの二代前の筆頭聖女だった。
欠損の再生ができるという触れ込みも、百五十年前に活躍した隣国アストラの大聖女、エマリア・ルーシェンの例があったから純粋にその再来だと喜んだのに――。
(まさか奇跡の治癒魔力が禁術級の儀式魔術によるものだったとは……)
イーダルは憎々しげに報告書を睨み付けた。
報告書によると、ティアラ・トリンガムの治癒魔力には、魅了と思われる付加的な効果があったらしい。
それを暴いたのは、遠征に同行していた宮廷魔術師のジェイル・ルースティンだ。ジェイルは下級貴族の出身ながら宮廷魔術師団長に次ぐ魔力の持ち主なので、唯一ティアラの魅了に抵抗ができたようだ。
これは平民出身のフライア王妃やマイアにも共通するが、天性の才能は血統管理による近親婚を繰り返してきた王侯貴族とは全く無関係の場所から現れるのだから不思議である。
恐らくフライアやマイアの祖先には魔力保持者がいたのだろう。平民から唐突に現れる魔力保持者の中には、ときに王族を遥かに凌駕する魔力を示す者が登場する。優れた魔術研究者として名を馳せるアストラのナルセス・エランドも確か出自は平民だったはずだ。
どういう理由かわからないが、突如ティアラが力を失い老婆に変わった事で、討伐遠征部隊には激震が走った。
指揮官のアベルを含め、主要な軍人はティアラの魔術によって魅了されていたのだが、その精神汚染とも言える状態から唐突に正気に戻ったのである。部隊は混乱状態に陥った。
この時点でティアラを尋問した結果判明したのは、ティアラがトリンガム侯爵の何らかの魔術によって造り出された人為的な聖女だったという事だ。
また、ティアラが力を失った日の夜、ベースキャンプにて一名の自殺者が出た。
その兵士――ダグ・ショーカーは遺書を残しており、そこには、ティアラにそそのかされてマイアとラーイを手にかけた事、自分でもなぜそのような事をしたのかわからない事、そして二人と家族に対する贖罪の気持ちが切々と綴られていた。
また、遺書には共犯者として三名の兵士の名が挙げられていた。
その三名には厳しい取り調べが行われた。事が事だけに精神操作系魔術を併用しての取り調べとなったが同情の余地はない。連中の自白はダグの遺書を裏付けるものだったので、フェルン樹海では早速マイアとラーイの遺体の捜索が行われた。
第一部隊を指揮していたアベルは、帰還から二か月が経過した今も城内の自室にて謹慎処分という名の軟禁状態に置かれている。
マイアの死だけでなく、ティアラに操られていた事がよほど堪えているようで、祈りと懺悔の日々を過ごしているようだ。
アベルには申し訳ないが、目に見える形での責任を取ってもらわなければいけないだろう。責任の一端は自分にもあるだけに、イーダルは苦いものがこみ上げてくるのを感じた。
樹海における遺体の捜索結果をイーダルはアベルに伝えられないでいる。
ラーイ・イェーガーの遺体は証言通りの場所から見つかったが、マイア・モーランドは付近をくまなく探しても見つからなかった。
イーダルは報告書を再び手に取ると、マイア捜索中の死傷者リストを探した。
死者五名、行方不明者二名、重傷者二名、他軽傷者多数――。
イーダルが注目したのは、その中の行方不明者の部分だ。
行方不明者の一名は新兵で、捜索中魔蟲の不意討ちを食らい、大怪我した所を連れ去られたようだ。確実に亡くなっていると推測されるが、遺体の回収ができなかったため行方不明者に分類された。
イーダルが気になるのは、もう一人の行方不明者、ルクス・ティレルなる名前の傭兵である。
王族が率いる陸軍第一部隊は精鋭揃いである。その討伐遠征に招聘される魔蟲狩りを専門とする傭兵は、それなりの実績を持つ猛者揃いだ。
聖女失踪の混乱状態にあったせいかもしれないが、彼がどのような経緯で行方不明になったのかの情報は一切なかった。
マイアが仮に生きていたとすると、この男に助けられてどこぞに出奔したのではないか。そんな考えがイーダルの脳裏をよぎる。
自殺したダグ・ショーカーはマイアにとっては護衛兼衛生兵として、ずっと側近くにいた人物だ。
側近の裏切りの背後にトリンガム侯爵家の令嬢がいたのだ。身の危険を感じたマイアが姿をくらませてもおかしくない。また、マイアと娶せる予定だったアベルとの関係も決して良好とは言えない状態だった。
アベル自身はマイアを気に入っていたが、自分の息子ながら表情筋が死滅している男だ。しかも不甲斐ないことにその好意が空回っているのが見受けられた。
平民のマイアにとって、上流階級との縁談が苦痛だったであろうことは想像できる。
イーダルが妻として迎えたフライアも元は平民の商家の出身で、王族としての暮らしに馴染むまでは苦労の連続だった。
それを知っているからこそ、イーダルはフライアと共に城内でマイアが過ごしやすいよう心を砕いてきたつもりだった。
外戚の介入を避けるために平民のまま留めおいたのが今となっては悔やまれる。トリンガム侯爵家に匹敵する家柄の貴族の養子にしておけば、もしかしたら戻ってきてティアラを糾弾する気になってくれたかもしれない。
イーダルがマイアの生存を疑う理由はもう一つあった。
ティアラの不審な治癒力の正体を探るためにトリンガム侯爵領に監察官を派遣したところ、かの地では人間を生贄とするおぞましい儀式魔術陣が展開されていたという事がわかったのだが、どうも生贄として攫われてきた人々の中に若い女の魔力保持者がいたらしい。
赤茶の髪に青金の瞳、十代後半に見える容姿、華奢な体格――リズ・クラインと名乗っていたという女の特徴はマイアを思わせるものばかりだ。
トリンガム侯爵は生贄の調達のためにどうやらアストラの人間にも手を出していたようだ。城内をくまなく捜索した結果生贄として調達した人々のリストが書斎の隠し金庫から見つかった。
だからリズはアストラが報復のために寄越した囮である可能性も拭い去れない。
こちらの監察官がトリンガム侯爵家の所有する城に乗り込んだ時には、アストラの介入を疑わせる痕跡があちこちに残っていた。
破壊された儀式魔術陣、救出された生贄や城内の人々に残された精神操作魔術の痕跡――特にトリンガム侯爵とその息子のジェラルドは、情け容赦のない強度での精神操作魔術を受けており、意味不明の言葉をぶつぶつと呟くだけの状態になっていた。
他の者に関しては後遺症の出ない程度にとどめられていたことを考えると、相当な技量を持った魔術師が介入したと考えられる。
魔術の痕跡が見られた人々が共通して証言したのは、金色がかった水色の瞳を持つ人物を見たら意識が遠のいたというものだ。
目の印象が強すぎたのかその魔術師の容貌をはっきりと覚えている者はいなかったが、数々の証言を総合すると、五十代前後の男だったらしい。
そのような特徴を持つ魔術師は現在イルダーナにはいないので外国の魔術師の可能性が高い。
今のところアストラは沈黙を守っているが、それは当然とも言えた。こちらの貴族を手にかけているのだ。下手な表明は戦争の火種になり得る。
トリンガム侯爵を害した男の魔術師についてはこの際どうでもいい。仮に魔術の影響がなかったとしても侯爵の所業は極刑に相当するし、下手につついて薮から蛇を出したくない。それよりも気になるのはリズ・クラインの正体だ。
マイアなのか、それともアストラの密偵なのか――。
(生存者にもう一度確認すべきか……)
イーダルは深く息をつくと、報告書に再び向き直った。
トリンガム侯爵家の面々の証言がほとんど取れない状態なのが痛い。特に兄や父と違って正常なはずなのに、自己中心的な発言を繰り返すティアラの態度はイーダルの怒りを煽った。
一連の事件の処理が終わった後の彼女の処遇は既に決まっている。禁忌の儀式魔術を受けた希少なサンプルだ。魔術研究所に所属する魔術師が興味を示しているので、今後の魔術の発展のために大いに協力してもらうつもりだった。




