贄 03
室内の時計は一時を指していた。
夜中にも関わらず訪れたのは、こちらの健康状態を確認するためなのだろうか。監禁部屋にやってきたトリンガム侯爵は、マイアの顔を見て明らかにほっとした表情を見せた。
未婚の女性の部屋を訪れるような時間ではないが、囚われの身の上では指摘できないのが腹立たしい。
「……ようやく目覚めたか。正直やりすぎたかと思って肝が冷えた。申し訳なかったね、マイア殿」
こちらに話し掛けながら、トリンガム侯爵はマイアが座るソファの向かい側に当然のような顔で腰を下ろす。
感情を表に出してはいけない、と思いつつも、マイアは目の前の男を睨みつけずにはいられなかった。
「怒るのも無理はない。しかし私は感謝しているんだ。やはり聖女の血液は違う。媒体としての品質が平民とは比べ物にならない」
「……一体どれだけの命を犠牲にしてきたのですか」
「人聞きが悪いな。複数の平民を飼い、採取間隔を空ける事でなるべく殺さないよう配慮はしている。ただどうも、血液採取の際に発動する術式が普通の人間には毒になるようだ。月晶石に触れた時、魔力が体内に流れ込む感覚があっただろう? あれが良くないらしい」
マイアは体の中に流れ込んできた異質な魔力のおぞましさを思い出した。
「安心しなさい。あの魔力は我々魔力保持者にはそう大きな害は及ぼさない。しかし普通の人間は脆くて困る。どんなに採取量に気を使って間隔を開けても何度かあの地下に連れて行くと体調を崩して死んでしまう」
ああ、やっぱり。この男に買われた人たちは皆殺されていたんだ。
世間話をするような口調でさらりと残酷な言葉を口にするトリンガム侯爵が恐ろしかった。
やはり親子だ。夢見がちな表情でアベルとの接触を避けるよう強要してきたティアラとの共通点を感じる。
「人を何人も殺して罪悪感は感じないのですか」
「何故? 生きていたところで大した役にも立たない平民……それもほとんど捕まえやすさの観点から貧民窟の浮浪児たちだ。連中は無事成長したとしてもろくな人生を歩まない。むしろティアラの魔力の源になれたのだから喜ぶべきでは?」
狂ってる。狂人に倫理感を求めても無駄だ。マイアは悟った。
「ああ、怯えなくてもいい。何度も伝えているがあなたは特別だ。ティアラが喜んでいたよ。あなたの血液を魔術陣に捧げた直後から治癒魔術の威力が上がったらしい。簡単に殺そうとして悪かったと謝っていた。だから許してやって欲しい」
どうしよう。目の前の狂人に対してどう答えを返せばいいのかわからない。
許すと伝え機嫌を取るのが正解なのか、それとも怒るべきなのか。
理解の範疇を超える生き物を目の前にして、マイアは固まるしかなかった。
「ああ、簡単に許せと言われても困るか。あなたがそう簡単にティアラを許せない気持ちは理解できる。でも良かったね、フェルン樹海から無事抜けられて。差し支えなければどうやって生還したのか教えてもらいたいな」
――来た。詮索されるのではないかと覚悟はしていた。でも、やっぱりどう答えていいのかわからない。
「ティアラによると、表向きは駆け落ちしたという事にしたあなたを討伐部隊総出で捜索したのと同時期に一人の傭兵が行方をくらませたと言うんだ。不思議な符合だ」
その男に助けられたのだろう?
トリンガム侯爵の目はそうマイアを責め立てていた。
「名前はルクス・ティレルと言ったかな? まだ若いのになかなかの腕だと聞いた」
「……閣下の仰る通りです。私はルクスに助けられました」
とぼけるのは得策ではない。認めたのはそう思ったからだ。
「首都に戻りティアラの暴挙を訴えなかった理由は? その傭兵に誑かされたのかな? 結果的にそれで我々は助かった訳だが」
「訴えても信じてもらえないかもしれないと思いました。私は平民、ティアラ様は侯爵家のお嬢様です。訴えが食い違った時、どちらの言い分が採用されるのか……確証がなかった私には逃げる以外の選択肢がなかっただけです。ルクスは私に同情して手を貸してくれただけです。あの人は何も悪くない」
ルカが隣国の魔術師で間諜だという秘密だけは拷問されても絶対言わない。マイアは腹を括るとじっとトリンガム侯爵の顔を見据えた。
「成程……筋は通っている。確かに当家とマイア殿で主張が食い違えば、ただの孤児であるあなたには分が悪い。ルクス・ティレルとはどこまで同行を? あなたを追っている可能性があるのなら対処しないと……」
「樹海を抜けた後別れました! そこから先は知りません」
「一介の傭兵が金づるにもなる聖女をそう簡単に手放すだろうか」
「私を利用しようとしているのはあなたたちだわ!? あの人を一緒にしないで!」
「随分と下賎な傭兵に肩入れする……その様子だと一緒に売られてきた連中よりもルクス・ティレルの方があなたに対するより強力な切り札になりそうだ」
トリンガム侯爵はマイアに酷薄な笑みを向けてきた。
まずい、と一瞬思ったがすぐにその考えを打ち消す。
今のルカは髪と瞳の色も名前も変えている。侯爵が傭兵ルクスを追い掛けてくれるのなら、それは逆に目くらましになるのではないだろうか。
「ルクスに手を出さないで」
マイアは傭兵ルクス・ティレルに執着している演技をする事にした。
「さて、それはあなた次第だ」
「お願い! 何でもするから!」
「では二度目の血液供給に協力を」
「……わかりました」
「明朝迎えに来るのでそれまでは体を休めるように」
トリンガム侯爵は尊大な態度で告げると席を立った。




