二人きりの夕食
よろしくお願いします。
急いで湯船にお湯を張ると、テオを浴室に押し込めた。
「着替えの用意をするからゆっくり暖まってて。濡れた服は預かるから扉の隙間からでも出しておいてね」
「わかった。ありがとう、クレア」
テオの返事を聞くと、寝室へ向かいクローゼットを開ける。奥から引っ張り出したのは型の古いくたびれた男物の服。実父のものだ。
父は出て行く時に最小限の荷物しか持って行かなかった。残った荷物を母は処分しようとしていたので、わたしはこっそり自分のものに紛れ込ませて隠しておいた。
母が再婚する時にも、どうしても処分できずにリュドガー邸へと持って行き、こうして一人暮らしをしても手放せずにいた。
服が悪くならないように日干しをしたり、綻びも繕っているからまだ着れるはずだ。だけど服を広げて唸ってしまった。
「……テオの方が腕も脚も長いのよね。だけどこれしかないし。とりあえず着てもらってから考えましょうか」
下着も一応用意はしたけれど、他人が着た物は嫌かもしれない。そう思って、着替えを持って浴室の外からテオに声をかける。
「ねえ、テオ。使い古しの下着はさすがに嫌よね? どうすればいい?」
「え、クレアの?」
テオの素っ頓狂な声に、今度はわたしが驚いた。
「そんなわけないじゃない! お父さんのよ! ちゃんと綺麗に洗ってあるし、もうずっとしまいっぱなしだったんだけど、それでもよければ」
そう言うと、ほっとしたような声が中から聞こえてきた。
「そうだよね。びっくりしたよ。それなら借りてもいいかな?」
「ええ、もちろん。それじゃあ、ここに置いておくわね。ついでに夕食も一緒に食べましょう?」
「だけど、そこまで甘えるのは……」
「一人暮らしにも慣れたけど、やっぱり寂しいの。たまには誰かと一緒に食べたくて。テオが良ければお願いしたいのだけど」
少し間があって、返事があった。
「じゃあ、お願いするよ」
「ええ、任せて。今から料理するからテオはゆっくりしててね」
それだけ言うと、テオの濡れた衣服を回収する。外はまだ小雨が降っていて乾きそうにないから、ある程度絞ってから暖炉の傍に吊るした。一人の時は贅沢だからとあまり火を入れないけれど今日は特別だ。
暖かな空気の中、早速料理を始めた。
「そういえば、自分の料理を人に食べてもらうのは初めてだわ」
食べて行ってと言ったものの、舌の肥えたテオに気に入ってもらえるかはわからない。元々の庶民暮らしが性に合っているせいで、ついつい食事が質素になってしまうのだ。
今日の献立はパンと野菜のごった煮スープ、それに焼き魚にするつもりで、それ以外には買っていなかった。テオを招くとわかっていたら、もっと豪華にしたのに。
野菜を切りながらそんなことを考える。こういうところでもテオとの違いを感じてしまう。テオは気にしないのだろうか。
「クレア、お風呂ありがとう」
「ひっ!」
考え事に没頭していてテオが後ろにいることに気づかず、思わず小さく悲鳴をあげる。その拍子に手が滑ってナイフで手を切りそうになってしまった。
「クレア、料理をしているときに考え事は危ないよ」
呆れたような物言いに、わたしはナイフを置いて振り返る。
「テオが急に声をかけるから……」
そこまで言ってわたしは吹き出した。
「……っぷ。やっぱり、長さが、合わなかった、のねっ」
シャツは長袖のはずなのに、肘が隠れるくらいまでしか長さがないし、スラックスは脛が出てしまっている。テオの顔が整っているばかりに残念な印象しかない。
テオは顔を顰める。
「そんなに笑わなくてもいいじゃないか。それならもう脱ぐよ」
きっと着る時も苦労したのだろう。脱ごうとしても、短い袖が引っかかってうまく脱げないようで、もぞもぞする様子がまたおかしい。笑いを堪えて謝る。
「ごめんね。つい……やっぱりお父さんの服は似合わないわね。またこんなことがあるとも限らないから、テオ用に着替えを用意しておくわ」
「僕用? そうか……」
よくわからないけど、テオは噛みしめるように呟く。その表情は嬉しそうだ。
「もうすぐできるから向こうで待ってて」
「いや、僕も手伝うよ」
テオはきらきらと目を輝かせてわたしの指示を待っている。テオのこういうところは変わっていない。
「それじゃあ、食器を出してくれる?」
「わかった」
テオが食器を用意する隣で、わたしは切った野菜を鍋に入れて煮込み、魚を焼く。テオは肩越しに覗き込んで感心したように言う。
「クレア、すごいね。あの家では料理なんてさせてもらえなかったんじゃない? その割には慣れている気がするよ」
その言葉に苦笑しながら首を振る。
「そうでもないのよ。わたしが家を出たいって言ったらお母様が、最低限のことはできるようにならないといけないって仕込んでくれたの。料理人が教えてくれるって言ったんだけど、仕事の邪魔になるから私が教えますって言ってね。かなり厳しかったのよ?」
料理人はきっと気を遣うから、なかなかものにならなかったかもしれない。そう考えると、母でよかったのかもしれないけれど。
味付けに失敗したものは自分で食べなければならなくて、あまりにも美味しくないものを食べるのは苦痛だったから上達したところもある。テオはしばらく寄宿学校にいたから知らないはずだ。
「へえ、母上がねえ……」
「テオもお母様に言ってみれば? テオには優しく教えてくれるかもしれないわ」
「僕は遠慮しておくよ」
テオは困ったように笑う。そんな話をしていたら魚が焦げそうになって慌てて火を消した。
「焦げてなくてよかったわ。もう美味しくないものを食べるのは勘弁だもの」
ほっと胸を撫で下ろすわたしに、テオは不思議そうに問う。
「焦げたものは食べられないんじゃないの?」
「……捨てたりしたらお母様が怖いわよ? 食べ物を粗末にするなって怒られたもの」
「ああ……」
テオも納得したのか、それ以上は言わずに笑って誤魔化していた。
「それじゃあ食べましょう」
机に食事を並べて、向かい合わせに席に着いた。食事の前の挨拶を二人で言って、わたしはテオをじっと見る。
「……クレア。じっと見られると食べにくいんだけど」
テオはスプーンを持ったまま固まっている。
「気にしないで。自分の料理を人に食べてもらうのって初めてなのよ。それにテオは美味しいものを食べ慣れているから、口に合わないかもしれないでしょう?」
「……うん、まあ、それなら」
歯切れ悪く言って、テオは野菜スープを口に運ぶ。その様子をわたしは固唾を飲んで見守った。というと大袈裟かもしれないけれど。
「……うん、美味しい」
「よかった……!」
テオの顔が綻んだのを見て、わたしは安堵の溜息を漏らす。
「テオは舌が肥えているから、わたしの料理は合わないかもって心配だったのよ」
「そんなことないよ。毎日でも食べたいくらい美味しい」
「それは大袈裟よ」
わたしは苦笑するけど、テオの顔は真剣だった。
「本心だよ。毎日こうしてクレアのご飯が食べたい」
前だったら、料理人が作ってくれるでしょうと笑ってかわしていた。だけど、テオの気持ちを知った今はどうすればいいのかわからない。
これは遠回しなプロポーズなのかもしれないと思うのは、わたしの思い過ごしだろうか。そうすると、簡単に毎日でも作ってあげるとは言えなかった。
テオは申し訳なさそうに目を伏せる。
「ごめん。また困らせた」
「……ううん。何も言えなくてごめんね。だけど迷惑ではないの。ただ、自分の気持ちがよくわからなくて……」
そう前置きして、わたしは今の自分の気持ちを吐露した。
「わたしは恋なんてしたくないの」
読んでいただき、ありがとうございました。