深い喪失感
これから話すことはテオの気持ちを踏みにじることになるかもしれない。わたしはテオの顔を真っ直ぐに見られず俯き加減になる。
「……お母様、いえ、お母さんとお父さんはすごく仲がよかったの。わたしから見ても羨ましいくらいに。だからわたしは、大きくなったら二人みたいな夫婦になりたいって思ってた。だけど、お父さんはわたしたちを置いて出て行った。お母さんとお父さんの事情なんてわからないけど、お父さんはあの時わたしも捨てたの」
わたしは今でも忘れられない。父がいなくなったことが理解できず、ひたすら待ち続けた。泣くわたしを母は宥めた。世の中にはどうにもならないことがあるのだと。
「……テオは言ったわよね。気持ちは良くも悪くも変わると。それなら変わってしまった気持ちのせいで、周りの人たちを傷つけてもいいの?」
「それは……」
テオは返答に詰まる。わたしは更に言葉を重ねた。
「お母さんと今のお父様が再婚して、わたしたちは姉弟になれた。もし、わたしたちが結婚して、テオの気持ちが変わって別れたら、わたしたちは家族としての関係も失ってしまうのよ? そうしたら両親が悲しむことになると思わない? わたしはそこまでして貫ける思いを信じていないの」
一過性の熱病のような気持ちに振り回されて、大切なものを失うのは悲しい。それならこのままでいたいと思うのは間違っていないはず。それなのに、こうして話しながらも心が痛むのは何故?
だけど、その理由には気づいてはいけない。気づかない振りをすることで守られるものもある。それが結果的にテオのためになるのではないかとわたしは思っていた。
「……それが、クレアの答え……?」
悲しそうなテオの声音に胸が締め付けられる。テオがどんな顔をしているのか見られなかった。わたしはテオを傷つけたのだ。
無言を貫いていると、テオは静かに了承した。
「……わかった」
はっとテオの顔を見ると、テオは笑っていた。だけどその笑顔は痛々しくて、わたしは泣きそうになるのをぐっと堪えた。
「しばらくは気持ちの整理がつかないかもしれないけど、また元の姉弟になれるように努力するよ。だけど、ごめん。しばらくはカフェに行くのをやめるよ」
「……ごめん、なさい、テオ」
「いいんだ。クレアが家族を大切に思う気持ちはわかるから。その気持ち以上に僕の気持ちを信じてもらえなかったことは残念だけど。それよりも、せっかくの料理が冷めてしまうよ。話はそのくらいにして食べよう」
「……ええ」
その後は気まずい空気の中で食事を済ませた。しばらくして服が乾いたからと、テオは着替えて帰って行った。その後ろ姿を見送りながら、わたしはこれでよかったのだと思う反面、大切なものを失ってしまったような喪失感に苛まれるのだった。
◇
「今日も彼は来ないの?」
数日後。いつもならテオが来る時間なのに、ここ数日テオが姿を見せないことを客の女性に問われた。
「はい。そうですが……」
「つまんない。それならどこに行けば彼に会えるか教えてよ」
「いえ、それはちょっと」
そうやってかわしながらも、わたしもテオのことを考えていた。
あの時のテオの痛々しい笑顔が忘れられない。わたしは間違えてないと思いたかった。別れがくれば気まずくなる。そうなれば恋人としての絆も、家族としての絆も失ってしまうのだから。
だけど、そこではたと気づく。
わたしはテオを弟としか思えなかったのではなかっただろうか。これではテオを一人の男性として見ているようだ。
違う、そうじゃないと頭を振る。わたしがこれまでの関係でいたいと望んだのだから。
そんなことを考えていると、厨房にいるリーシャさんに呼ばれた。
「クレアちゃん、ちょっと来てー!」
「はい! お客様、申し訳ございませんが失礼いたします」
「まあ、いいわ」
わたしからテオの情報を引き出せないとわかった女性は、興味を失ったようで、手でわたしを追い払う仕草をした。
一礼して厨房へ行くと、リーシャさんが心配そうに顔を覗き込んできた。
「クレアちゃん、なんだか元気がないけど大丈夫?」
「え? わたしは元気ですよ?」
わたしがそう答えると、リーシャさんはわたしの頰を両手で挟み込んで視線を合わせた。
「嘘ね。空元気にしか見えないわ。ここのところテオドールくんが来ないことと関係あるの?」
その言葉でテオが最後に見せた笑顔を思い出して泣きそうになる。だけど最低なわたしには泣く権利なんてない。痛みを堪えてリーシャさんに笑いかけた。
「何でもないです。それよりも仕事をしないと。お客様が待っているんじゃないですか?」
「今は注文も入ってないし大丈夫。だけど、時間がかかりそうだから仕事が終わってからじっくり話を聞くわ。お店が閉まる時間に合わせてまた来る?」
「……いえ。それなら最後まで働かせてもらっていいですか? その間のお給金は結構なので。ちょっと一人の家に帰りたくなくて」
「そう……動いていた方が気が紛れることもあるものね。だけど、働いた分のお給金は受け取ってちょうだい。じゃあお願いするわね」
「はい!」
その後も何度か女性客たちにテオのことを聞かれた。その度にテオのことを考えそうになったけれど、動いていたら気が紛れて心が少し軽くなったのだった。




