<29.殺人集団>
「そろそろ、だな」
松岡は、壁の時計を見上げてつぶやいた。
午前9時58分。
そこは、太陽館の修練場だ。
松岡は座禅を組み、修練場の一番奥に鎮座している。
その両足には、牙刺靴が装着されている。
松岡の左右には、黒い道着を身に着けた30人の男達が並んで立っている。
道着姿の男達は全員、その手に武器を持っている。ある者は日本刀、ある者は匕首、ある者は鎌。いずれも、確実に殺傷能力がある武器ばかりだ。
その連中は、太陽館の師範代と準師範だ。
すなわち、松岡が育成した殺し屋である。
松岡と30人の弟子達は、1人の男の到着をじっと待ち構えている。
予定通りならば、もうすぐ彼は現われる。
緊張感に包まれる中、修練場の時計が、その時刻を指した。
午前10時。
それと同時に扉が開き、一斉に男達の視線が向けられる。
その先に、彼らが待っていた人物が姿を見せた。
芭皇邪九が現われたのだ。
「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ。バカを倒せと俺を呼ぶ」
そんな言葉を口にしながら、芭皇が修練場に足を踏み入れる。
「来たな、芭皇邪九」
松岡は座ったまま、重く言った。
「時間ピッタリとは、良い心掛けだな」
「分かりやすい罠によって、お招きを頂戴したんでね」
芭皇が言う。
「そうか、罠だと知りながら、やって来たわけか」
「俺が来なかったとしたら、どうせまた命を狙ってくるだろうからな」
胸の前で腕を組み、芭皇が冷めた目で松岡を見る。
「どっちにしても、うるさい蝿を始末しないと終わらない。だったら、そっちの罠に乗ってやった方が楽かと思ってな」
「どうやら口だけは達者のようだな」
「口から生まれた口太郎なんでな」
そんな芭皇の言葉に、松岡は見下すような笑みを浮かべる。
「その減らず口も、今日で終わりになる」
「そうだな、お前にとっては終わりだろうな。何しろ死んでしまえば、2度と俺の減らず口を聞くことは出来ない」
「今の内に、ほざいておけ」
松岡は鋭い眼光を飛ばした。
「では、お言葉に甘えて、もう少しだけ、ほざかせてもらおう」
芭皇は、修練場を見回しながら言う。
「念のために聞いておくが、どうせ高原は来ていないんだろうな?」
「当たり前だ」
「そうか、そりゃそうだな。そうでなければ罠の意味が無い」
小さくうなずく芭皇。
「だったら、ここに長居する意味は無い。お喋りはそろそろ終わりにして、やることをやってしまおうか」
芭皇は懐から破田を取り出し、松岡に向かって歩き始める。
「物分かりは悪くないらしいな」
そう言って、松岡は左右に立った男達へと目をやった。
「おい、仕事だ」
松岡が顎をしゃくり、指示を出す。
男達は無言のまま、ババッと修練場に散らばった。そして、芭皇をぐるりと取り囲むようにして陣形を取った。
「1人を相手に、これほど大勢でお出迎えとはな。よほど自信が無いらしい」
芭皇は、男達を見回す。
「それは浅はかな考えだな」
松岡は座禅を崩し、余裕の態度を取る。
「ライオンはウサギを殺すにも全力を尽くす。それと同じことだ」
「ってことは、全力を尽くさないとウサギにも負けるような、弱いライオンなんだな」
「弱いかどうかは、すぐに分かる」
「では、分からせてもらおうか」
芭皇は破田を鞘から抜き、戦闘体勢を整える。
「よし、お望み通りにしてやろう」
松岡は不敵な笑みを浮かべ、道着姿の30人に命令を出す。
「お前達、行け、やってしまえ」
男達は一斉に、芭皇に向かって飛び掛かった。
*
5分後。
修練場には、喧騒の後の静寂が訪れていた。
「確かに、すぐに分かったな」
芭皇が息を整えながら、周囲を見渡してつぶやいた。
「やはり、弱いライオンだったらしい」
修練場の畳には、30人の男達が無惨な姿で倒れていた。
彼らが再び立ち上がることは、絶対に無い。
なぜなら、全員が死んでいるからだ。
「まさか……」
松岡は、無意識の内に立ち上がっていた。
信じられないといった様子で、目の前の光景を見つめていた。
その顔は引きつり、頬がピクピクと小刻みに痙攣している。
「30人だぞ。それも、殺し屋として徹底的に鍛え上げた30人だ。それが、わずか5分で全滅するとは」
常に冷静沈着な松岡だが、さすがに焦りの色を隠せない。
「下手な鉄砲も数打ちゃ当たるという言葉があるが、あまり下手すぎると、一発も当たらないようだな。俺の射撃と同じだ」
芭皇は、そう言ってのけた。
「むうっ……」
松岡は小さくうなり、唇を噛む。
「さて、残りはお前だけだぞ」
芭皇に指を差され、松岡は怒りの表情を見せた。
「こいつらを倒したからといって、いい気になるなよ。ここからが、ようやく本番だ。こいつらは所詮、露払いだ」
「お前も口は達者らしいな」
「口だけではないことを、見せてやる」
松岡は、両足に履いた牙刺靴で畳を踏み締め、その先端から鋭い刃を出した。
「ほう、なかなか面白いオモチャだな」
芭皇が言う。
「そのオモチャで、お前を地獄へ送ってやろう」
松岡は、そう言うが早いか、勢い良く芭皇に飛び蹴りを放った。
「むっ」
芭皇はサッと体を右側に倒し、その攻撃から逃れる。
着地した松岡は、すかさず方向転換した。
すぐに右足で、上段回し蹴りを見舞う。
「死ねっ!」
「ごめんだ」
芭皇は、首をすくめて蹴りをかわした。
いや、かわしたつもりだった。
ところが、松岡の右足は空中でグイッとV字のように曲がり、芭皇の顔面へ飛んだ。
「何っ?」
瞬時の判断で、芭皇は体を捻る。
おかげで直撃は逃れたが、その左頬を牙刺靴がかすめた。
スシュッ。
頬を薄く、そして鋭く刃が通過する。
傷が刻まれ、ツゥーッと血が垂れる。
「くそっ、仕留めたはずが」
松岡は舌打ちした。
「なるほど、口だけではないらしいな」
芭皇は左頬を触り、手に付いた赤色を確認した。
「屈折蹴りをかわすとはな。さすが伝説の殺し屋だ。しかし、いつまでかわせるかな」
再び松岡が襲い掛かる。
「少しは休ませろっての」
芭皇は迎撃体勢を取る。
「てえいっ!」
松岡の下段蹴りが、左、右、右と連続で放たれた。
芭皇は、後ろへ下がって攻撃をかわす。
「やあっ!」
さらに松岡は間髪入れず、中段の左回し蹴りから右の上段後ろ回し蹴りへと繋いだ。
芭皇は、後退して中段蹴りを回避する。
だが、続く上段蹴りは、またも途中で軌道が変化したために避け切れず、咄嗟に左腕で防御した。
「ぐっ」
牙刺靴の刃が作務衣の袖を貫通し、腕の肉に突き刺さる。
一瞬、芭皇の顔が苦痛に歪む。
しかし、芭皇はたじろぐことなく、蹴り終わった松岡の体勢が整う前に、破田を振り下ろした。
「甘いっ」
動きを見切った松岡は後ろに飛び、攻撃を回避する。
破田は、道着の端を切っただけだった。
松岡は芭皇と少し距離を取って構え、薄笑いを浮かべた。
「ふっ、どうやら私の方が一枚上手のようだな」
「お前なあ、コンディションが違うだろうが」
芭皇は肩で息をしながら、そんな愚痴をこぼした。
作務衣の左袖口は、赤く滲んでいく。
「こっちは数十人と戦った後なんだぞ。一応は余裕の態度を見せているが、本当はメチャクチャ疲れているんだよ」
「形勢が不利になって、急に弱音を吐くとはな」
「そうじゃなくて、事実を述べただけだ。正々堂々と戦うつもりなら、休憩タイムぐらいプレゼントしてくれてもいいんじゃないか」
「ふっ、笑止だな。殺し合いに、正々堂々もクソも無い」
「まあ、言われてみれば、その通りだな」
芭皇は軽くうなずく。
「では、そろそろ死ねっ!」
松岡が叫んだ。
そして連続の飛び回し蹴りを放ち、芭皇に迫る。
「イヤだね」
言うと同時に、芭皇は後ろ走りで素早く移動し、蹴りから逃れる。
「怖気付いたか」
続けて松岡は、前蹴りを放って来た。
芭皇は左後方に前転で飛び込む。
そのままゴロゴロと転がり、修練場の隅まで行く。
修練場の角で、芭皇は立ち上がり、壁を背にして構えた。
「愚かだな、芭皇邪九」
松岡は、ニヤリと笑った。
「自分から隅に追い詰められるとは、途方も無く愚かな奴だ」
「いや、俺を愚か者だと思うお前が、愚かなのさ」
芭皇もニヤリと笑い返す。
「これで終わりだ!」
松岡が叫び、ダッシュを掛ける。
彼は中段の蹴りで芭皇の腹部を確実に捉え、上段の屈折蹴りで仕留めるつもりだった。
脳内で描いたイメージには、完璧な自信があった。
だが、その予定は、最初の蹴りを出す前にして早くも狂いが生じた。
左足を振り上げようとした瞬間、芭皇が素早く鉄楊枝を取り出し、投げ付けたからだ。
ヒュンッ。
目にも止まらぬ速さで、鉄楊枝は松岡へ向かって飛ぶ。
想定外の攻撃に、松岡は防御行動を取ることが出来なかった。
鉄楊枝が、松岡の左目に突き刺さる。
「ぐわっ!」
思わず、松岡は左手で顔を覆う。
その隙を、芭皇が見逃すはずはなかった。
彼は鉄楊枝を投げると同時に走り出していた。
命中した時には、既に松岡との距離を詰めていた。
松岡は、芭皇の接近に気付くのがやっとだった。攻撃を回避する動きを取るには、時間が無さすぎた。
芭皇は破田を握り締め、松岡の腹部に思い切り突き刺す。
ズジュブッ。
「ぬはっ!」
松岡が絶叫する。
「お前の言う通り、これで終わりだよ」
無表情で言いながら、芭皇は破田をえぐるように深く捻じ込んだ。
「ぐうっっっ……」
松岡は眼球に目を血走らせ、苦悶する。
苦悶しながらも、何とか蹴りを出そうと試みる。
無駄だった。
既に、そんな力は失われていた。
「お疲れ様」
芭皇は松岡の耳元に顔を近付け、囁いた。
それから破田を持った右手首に左手を添え、ゆっくりと引き抜いた。
「き……さ……ま……」
かすれた声を切れ切れに発しながら、松岡はゆっくりと膝を落とした。
そして彼は、正座の形で固まり、そのまま絶命した。
「ふうっ」
芭皇は、大きく息を吐く。
死体となった松岡の傍らに座り込み、深呼吸を数度、繰り返す。
改めて修練場を見渡し、彼は戦いの痕跡を確認した。
「さてと、露払いは終わりだな」
淡々と、芭皇はつぶやいた。
「いよいよ、真打ちに登場してもらうとするか」
真打ちとは、もちろん高原のことである。




