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<30.愚者撃滅>

 高原は、右手に持った万年筆で机をコンコンと何度も叩いていた。

 椅子に何度も座り直し、そわそわした様子を見せている。

 高原は腕時計に目を落とした。

 11時20分。

 「遅いな……」

 独り言をこぼす。


 そこは首相官邸の書斎である。

 彼は別に、書き物をしているわけではない。

 いや、本当は気持ちを落ち着かせようとして、書き物でもしてみようかと思ったのだ。

 しかし、とりあえず机に向かって万年筆を構えてはみたものの、何かを書こうという気持ちになれない。集中できない。やはり落ち着かないのである。


 高原はイライラしていた。

 本来ならば、もう松岡から「芭皇邪九を始末した」との連絡が入り、祝杯でも上げている頃なのだ。今日はこれといった公務も無いので、芭皇を殺した話を肴に、美味しい酒を飲むつもりだったのだ。

 ところが、なかなか松岡からの連絡が入らない。

 幾ら相手が優れた殺し屋とは言っても、1人の男を殺すのに、1時間20分も掛かるとは思えない。

 「ということは、芭皇が遅刻したのか。あるいは警戒して、現われなかったのか……」

 高原は額に手を当てて、考え込んだ。


 その時、ドアをノックする音が聞こえた。

 「入れ」

 高原は机を凝視したまま、苛立ちの混じった声で、ドアの向こうに呼び掛ける。

 「失礼します」

 声がして、ドアが開いた。

 「何の用だ?」

 顔を上げずに、高原が聞く。

 「それは、説明しなくても分かると思うが」

 総理大臣に対する言葉にしては、えらく横柄だった。


 高原は、そこで初めて、相手が自分の部下ではないことに気付いた。

 彼は、パッと顔を上げる。

 「そんな……」

 高原の口が、あんぐりと開いた。

 そこに立っていたのは、予定では既に死んでいるはずの男だった。

 「貴様、なぜ……」


 「どうも総理大臣殿、ご機嫌いかがですか?」

 芭皇が、ニッコリと高原に笑い掛けた。

 そして一転、相手を鋭く凝視し、荒っぽい口調に変える。

 「この俺は、すこぶる元気だぜ」

 「どうしてだ?貴様、太陽館に行かなかったのか?」

 高原は立ち上がり、詰問した。

 「いや、行ったよ」

 芭皇の態度は、また軽いものに戻る。

 「太陽館へ行って、それからここに来たのさ」


 「で、では、まさか松岡がやられたというのか?」

 「そういうことだ。残念だったな。あいつ、せっかくヘンな靴まで履いていたのにな。ついでに言っておくと、まあ分かるだろうが、松岡が用意した連中も討ち死にしたぞ」

 「そんな。信じられん」

 高原は顔を引きつらせる。

 「信じられないのなら、別に信じなくても構わないが。俺にとっては、どうだっていいことだからな」


 「ちょっ、ちょっと待て」 

 慌てた様子で高原が言う。

 「そんなことより貴様、どうやって入って来た?」

 「どうって、そりゃあ官邸の玄関から入って、書斎まで歩いて、部屋のドアをノックして入って来たんだが」

 「そんなことを言っているんじゃない。警備の連中はどうした?官邸の門にも庭にも、大勢のボディーガードがいたはずだぞ」

 「ああ、いたな」

 芭皇は、あっさり答えた。


 「だったら、貴様はボディーガードに捕まるはずだ。いや、その場で射殺されていたはずだ。ここまで侵入できるはずがない」

 「でも、実際に侵入できちゃってるからね」

 芭皇は肩をすくめる。

 「何をしたんだ?」

 「いや、特に変わったことはやっていないぞ。ただ単に、邪魔をするボディーガードの連中を倒して入ってきただけで」

 「馬鹿な。争うような物音は聞こえなかったぞ」

 書斎の防音設備は優れたものだが、それにしても銃声があれば聞こえるはずなのだ。それに、侵入者に気付けば、ボディーガードは高原に連絡を入れるはずだ。

 「そうか?耳が悪くなったんじゃないか」

 芭皇が落ち着き払って言う。

 「まあ、ほとんど相手には何もさせずに、1人ずつ確実に始末したから、それほど大きな音はしなかったかもな。悲鳴を上げる暇も、発砲する暇も与えなかったしな」


 「くそっ、だったら今からでも撃ち殺されろ」

 そう言い放ち、高原は机の横に設置してある丸いボタンを押した。

 「何だ、そのボタン?」

 「待ってろ、すぐに分かる」

 高原は動揺を必死に静めながら、怒鳴り付けた。

 「はは~ん、なるほど。もしかして、まだ倒されていないボディーガードの連中を呼ぼうとしているとか?」

 「その通りだ、察しがいいようだな」

 強気な微笑を浮かべ、高原が言う。


 「アンタは察しが悪いな」

 芭皇は哀れんだような物言いをした。

 「何だと?」

 「官邸の中に、まだ無事でいるボディーガードなんて1人もいないぞ」

 「なぜだ?」

 「そこも察しが悪いな。この状況を見て理解しろよ。ここまで俺が入ってきているんだから、そういうことだ」

 「で、では……」

 高原の顔は青ざめ、全身の体毛が逆立った。

 彼の脳裏には、ある答えが導き出された。そんなことは信じたくなかったが、それ以外の答えは思い浮かばなかった。


 高原は声を上ずらせながら、確認作業としての質問を投げ掛ける。

 「まさか、貴様が全て倒したというのか?」

 「まあ、そういうことだ」

 軽い調子で、芭皇は返答した。

 「ただし、どこかに隠れている奴でもいたら、撤回しなきゃいけなくなるが」

 そう付け加えたが、その可能性がゼロだということは、芭皇だけでなく高原にも分かっていた。

 「そんなことが……。ボディーガードは、全部で20人はいたはずだ。それが、たった1人を相手にして全滅とは……」

 高原は、愕然とした。

 全身の力が抜け、フラフラと椅子に座り込んだ。


 「首相官邸ってのは警備が厳重だと思い込んでいたが、どうやら違ったようだな。ボディーガードを過信したのか、監視カメラや警報装置の設置も杜撰なようだし。まあ、おかげで俺は入って来られたわけだが」

 「むうっ……」

 腹立たしくはあったが、高原は言い返す言葉が無かった。

 確かに彼の中には、侵入者を防ぐことより、侵入者をボディーガードに抹殺させて快感を味わいたいという意識が優先していた部分があった。

 「首相の命を狙う連中も、臆することなくチャレンジすれば、意外と楽に成功できていたかもしれんな。高原よ、もうちょっと腕のいいボディーガードを雇った方が良さそうだぞ。こう簡単に倒されたのでは、おちおちと眠ることも出来ないからな。その代わりに、永眠は出来そうだが」

 「貴様、化け物か……」

 高原は恨みがましい目で芭皇を睨み、ノドの奥から絞り出すような声を発した。

 「人聞きが悪いな。突然変異でもない限り、化け物ではないと思うぞ。両親は共に人間だったからな。どこかで拾われたのなら、話は別だが」

 芭皇は、すました顔で答える。


 「私を……殺しに来たのか」

 高原は、そう尋ねた。

 しかし芭皇が答える前に、頭を振って次の言葉を発した。

 「いや、聞くまでもないことだな。私を殺す以外に、ここまで来る理由は無い」

 「勝手に自己解決するなよ。まあ、その通りだが」

 「今さら、私の美貌で魅了しようとしても、無駄なのだろうな」

 高原は、そう言いながらも、芭皇に流し目を送って惹き付けようと試みた。

 「無駄だな」

 芭皇はキッパリと言い切った。

 「だって、お前はちっとも魅力的じゃないからな」

 「そんなことを言われたのは、生まれて初めてだな」

 高原は苦笑した。

 「へえ、初めてか。だったら、今までは裸の王様だったんだろうよ」


 「魅力的じゃないか……。ならば、貴様にとって魅力的な物は何だ。やはり金か?」

 「お金か。まあ、少なくとも、お前よりは圧倒的に魅力的だな」

 「そうであるならば、幾ら金を出せば、私を殺す考えを撤回する?」

 「おいおい、何を1人で早合点しているんだ?お前よりは金の方が魅力的だと言っただけだ。買収される気は無いぞ」

 「では、どうすれば私を殺さないのだ?望みを言ってくれ」

 高原は、高飛車な態度を崩さずに尋ねた。

 「答えの無い質問をするなよ。俺の望みは、お前を殺すことだぞ」

 芭皇は淡々と言う。


 「どうあっても、私を殺すというのか」

 「くどいな。くどい男は嫌われるぞ」

 「……私の下で働くことは拒否し、鷹内の味方に付いたということなのか……」

 「敵とか味方とか、そういうことではない。安易な二極化はやめておけ」

 「なぜだ?なぜ鷹内の味方をする?」

 「おい高原、ちゃんと人の話を聞けよ」

 芭皇は、やや語気を強めた。

 「誰の味方になったわけでもないと、そう言っているだろうが」

 「ならば、なぜ鷹内の依頼は引き受けたのだ。彼の味方になったからだろう?」

 高原は納得しない。

 「俺は誰から依頼されたとか、一言も言っていないんだがな」

 芭皇は、うんざりした様子で言った。


 「貴様が鷹内の考えに同調したのであれば、それは愚かなことだぞ。私を殺したら、この国は終わりだ」

 「お前を殺したら、この国が終わり?」

 呆れた様子で、芭皇が聞き返す。

 「そうだ」

 「バカバカしい」

 芭皇が失笑する。

 「たかが1人の男が死んだだけで、国がオシマイになるかよ」

 「私は、ただの男ではない。この高原清澄こそが、日本を正しい道に導くことの出来る唯一の男なんだぞ」

 高原は真っ直ぐな目で告げる。

 「そう思い込んでいるイカれた男だろ」

 「違う。お前は間違っている」

 高原は激しく反発した。

 「これまでアメリカという金魚の糞であり続けた日本という国を、この私がようやく独立した強い国として立て直そうとしているのだ。その私を殺したら、日本は滅びる」

 「そう簡単に、国ってのは滅びないんだよ」

 「いや、滅びる」

 高原は断言した。

 「中国や北朝鮮、ロシアなどの軍事的脅威は、日に日に高まっている。それに対抗するために、今までの日本はアメリカにすがるしか無かった。だが、それでは、いずれアメリカに取り込まれてしまい、日本が日本でなくなってしまうだろう。それを防ぐために、私は強い独立国家としての日本を作り上げようとしているのだ。その道半ばにして、私を殺してもいいのか?」


 「あのな、高原よ」

 芭皇は、ため息をついた。

 「どれだけ熱弁しようが、俺を言いくるめるのは無理だぞ」

 「貴様は、この国がアメリカに取り込まれてもいいというのか?」

 「お前の話は、いちいち極端だな。まあいい、仮に、そうなる可能性があったとしよう」

 「仮定の話ではない。私を殺せば、現実に起きる問題だ」

 「ああ、分かった、分かった」

 芭皇は、なだめるように言った。

 「だがな、俺は別に日本が日本であろうと、アメリカに取り込まれようと、どっちだって構わないんだ」

 「貴様、非国民か」

 高原は声を荒げた。

 「えらく古い言葉を持ち出したな。まあ、別にそれでもいいさ。ホームレスだから、ある意味では非国民だしな」

 「この国に対する愛国心は無いのか」

 「少なくとも、お前のような奴が思っているのと同じ愛国心は持ち合わせていないな」

 芭皇は飄々と言う。

 「俺はな、自分と仲間が適度に満ち足りた生活を過ごせるのなら、お上が日本だろうがアメリカだろうが、どっちでもいいんだ」

 「こんな考えの奴がいるから、日本はダメになるんだ」

 高原は険しい顔で、芭皇を睨み付けた。


 「こんな馬鹿に、この高原清澄が殺されなければならないのか」

 「バカにバカと言われたくないな」

 芭皇は口を尖らせた。

 「何だと。私は馬鹿ではない」

 「いや、お前はバカだよ。バカ以外の何者でもない」

 「私のどこが馬鹿だというのだ」

 「それに気付いていない時点で、相当にバカだな。いいか、俺がお前の命を狙ったのは、どうしてだと思う?」

 「どうしてだと?それは、貴様が鷹内の依頼を引き受けたからに決まっている」

 「違うな」

 芭皇は首を振った。

 「最初に俺は、お前の手下になるという話を断った。すると、お前は殺し屋を送り込んで俺を消そうとした。どうせ俺が目障りになったんだろう?」

 「そうだ。邪魔者は消さねばならん」

 「そこだよ」

 芭皇は言葉を被せるように告げ、高原を指差した。


 「そこ、とは?」

 「俺はな、自分が命を狙われたから、殺されることを防ぐために、お前を始末すると決めたんだ。お前が俺を殺そうとしなければ、俺は何も手出しをしなかった」

 「デタラメを言うな」

 高原はすぐさま言い返す。

 「私が狙わなくても、お前はきっと鷹内や、あるいは他の反政府組織の人間に雇われて私を殺そうとしたはずだ」

 「思い込みの激しい奴だな。俺は、殺し屋稼業に戻る気など全く無かったんだぞ。それなのに、お前が余計な刺激を与えるから、復帰するハメになってしまった」

 「ウソをつくな」

 「それをウソだと思うのもバカだな。お前は、勝手に俺を敵視して、命を狙われることになったんだ。無駄に敵を作るってのは、バカな奴のすることだ」

 「違う。そんなことはない」

 「お前はバカだ。本当に心底から徹底的に致命的に決定的に、頭のてっぺんから爪先まで、どうしようもなくバカだ」

 芭皇は、罵る言葉を淡々とした口調で並べ立てた。


 「うるさい、黙れ!」

 高原は怒鳴った。

 「貴様は私を殺しに来たのだろう?だったら、いつまでもダラダラと喋っていないで、さっさと殺せばいい」

 「最初に会話を始めたのは、お前だったような気もするが」

 落ち着いた様子で、芭皇が言う。

 「まあしかし、その通りだな。いつまでも喋っていたって、意味が無い」

 「さあ、私は逃げも隠れもしない。殺せ」

 高原は観念したような様子で言った。

 だが、そう口にしながら、芭皇に見つからないように気を付けつつ、彼は静かに机の引き出しを開けていた。

 引き出しの中には、銃弾の装填されたニューナンブM60改が入っている。

 高原は一瞬だけ、チラッと横目でニューナンブの場所を確認する。


 「逃げも隠れもしない、か。誰も見ていないのに、格好を付ける奴だな」

 言いながら、芭皇は破田を抜く。

 「誰かが見ているかどうかは関係が無い。私は日本国の総理大臣として、誇りを持って堂々と死んでいきたいだけだ」

 「ほう、さすがにスピーチは上手なようだ」

 芭皇は破田を構えた。

 「しかし、口では偉そうなことを言っている一方で、コソコソと拳銃を探っているのは往生際が悪いと思わないのか」

 「何っ!?」

 ちょうどニューナンブに右手を伸ばしていた高原は、その言葉にギクッとした。


 「なぜ、そんなことを?」

 高原は、動揺を必死に抑えながら聞く。

 「バカの考えることは簡単に分かる」

 芭皇は静かに言う。

 「しかし、心配するな。俺は不意打ちを食らわせたりはしない。お前が銃を持つまで、ちゃんと待ってやる。さあ高原、銃を手に取れ。そして、俺を撃ってみろ」

 「余裕だな」

 高原は顔を芭皇に向けながら、視線を引き出しに落とした。

 その手には、確実にニューナンブが握られた。

 「いや、余裕は無いんだが」

 芭皇は、じっと高原を凝視している。

 「ただ、お前に負けじと、格好を付けてみたんだ」


 「それが命取りになることもあるぞ」

 言うが早いか、高原は右腕を上げてニューナンブを構えた。

 人差し指に力を入れて、引き金を引こうとした。

 しかし、彼が実際に起こした行動は、ニューナンブを構えるところまでだった。 

 高原が右腕を上げた時には、芭皇は既に手の届く距離に接近していた。

 ニューナンブを構えた時には、芭皇は既に破田を振るっていた。


 ブォンッ。

 破田は唸りを上げながら、芭皇の肩の高さで横手から放たれた。

 同時に、芭皇は拳銃が発射された場合を考慮して、体の位置を右にずらしていた。

 ズギャバッ!

 高原の左の首筋を、破田が斬り裂いた。

 「ぎひいっ!」

 甲高い絶叫が、高原の口から飛び出す。

 それと共に、彼の首筋からは血がブシュッと噴き出した。

 芭皇は、なるべく返り血を浴びないよう、後ろに下がった。


 「不意打ちを狙って、逆襲を食らうとはな。最後は格好が悪かったな」

 芭皇は冷静に言い放つ。

 「ば……芭皇……」

 高原は、何かにすがり付こうとするかのように、両手を前に出した。

 「私が……死んだら……この国は……」

 「心配するな。お前が死んだら、他のバカが取って代わるよ」

 「そんな……」 

 高原は、さらに何か言いたそうだったが、そこまで命が持たなかった。

 ガクンと腰が落ちて椅子に座り込み、バッタリと机に突っ伏す。

 そして高原は命に見放され、ピクリとも動かなくなった。


 「終わったな」

 芭皇は冷淡な表情で、高原を見下ろした。

 それから、大きく息を吐いた。

 「さてと」

 芭皇は伸びをする。

 「さっさと帰って、『パンスト万歳』シリーズの次回作でも撮るかな」


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