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魂の羽化師は夢を斬る 平安鎮蝶譚  作者: 平本りこ
二章

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7 梅殿へ②

 助けを求める女人の訪れに、穏やかならざるものを感じたのだろう。しばらく騒ぎ立てると、ろくな誰何(すいか)もなく躊躇いがちに門が開かれた。顔見知りの雑色(ぞうしき)が、目を丸くしている。


「あいや、柏の二の姫様? こんな夜中にいったい」

綾埜(あやの)!?」


 眠っていたのだろうか、肌着にしている小袖に袿を羽織っただけの姿で(きざはし)を駆け下りてきたのは、暁潤(あきみつ)だ。気が動転していると見え、冬にもかかわらず額に汗が浮いている。


「何かあったのかい。どうして一人で」


 屋内にぽつぽつと明かりが灯る。目の前で息を切らす暁潤を見上げ、綾埜は胸を切り裂かれるような痛みを覚えた。


(……ごめんなさい)


 だが、ここで立ち止まるわけにはいかないのだ。


暁兄(あきにい)様、こんな時間に突然の無礼、申し訳ございません。でも、助けていただきたいのです。詳しいことは魂蝶頭にお話すべきかと」

「でも父上はもう」

「私に用事か」


 暁潤の困惑をよそに、手燭を片手に(ひさし)に現れたのは、この邸宅の主である魂蝶頭守影友潤(もりかげのともみつ)だ。息子とは違い、そのまま外に出られそうな直衣のうし姿である。まさか綾埜の訪れを予見していたわけでもないだろうから、大内裏から戻ったばかりなのかもしれない


 友潤はじっと綾埜を見つめてから、招き入れるように半身を引いた。


「とにかく、こちらへ来なさい。夜更けに庭で騒がれては、妙な噂になる」


 通された部屋の燈台に、女房が油を注いで回っている。彼女らは一様に口をつぐんではいるものの、貴族の姫らしからず単身乗り込んできた綾埜の姿に、好奇心を隠せないようだ。


 畳の上に座った友潤は、女房が去るのを待ってから几帳越しに綾埜に声をかけた。


「一人か。いったい何があった」

「お騒がせして申し訳ございません。ですがどうしても、お聞きしたいことがございます」

「聞きたいこと? 門を叩く時、助けを求めていたと聞いたが」

「お詫びいたします。物の怪が出たのでも不届き者に襲われたのでもありません。ただ、火急のことでしたため」


 綾埜はきっぱりと返し、腰を上げた。


「ちょっ……綾埜」


 父の斜め横に腰を下ろしていた暁潤が、几帳の上から守影父子を見下ろす格好になった綾埜の姿を仰ぎ見て上ずった声を出す。一方、友潤は黙ったまま、綾埜に視線を返して続く言葉を待った。


「ご覧ください」


 綾埜は懐から、弱々しく明滅する蛹石を取り出した。近くに取り次ぎの女房はいないので、綾埜は大胆に足を進め暁潤に蛹石を手渡した。


「刻まれた名前をお読みいただけますか」


 暁潤は怪訝そうに眉間に皺を寄せたものの、素直に蛹石を裏返す。


「ええと……柏……」


 口を半分開いたまま絶句して、眼球が零れそうなほど目を見開き綾埜を見上げる。それから父へと顔を向け、混乱を露わにしたまま蛹石に視線を戻した。


「柏、正則(まさのり)。綾埜のお父上ではないか。どうしてここに……いいや、そもそも羽化していなかったのか?」

「姉と私も、お父様の蛹石は羽化師の手に渡り蝶になって飛び立ったのだと思っていました。でも、そうではなかった」


 父の蛹石は、暁潤の手のひらを淡く照らし出している。


「まだ完全に光を失ってはいなかったのに、無光堂(むこうどう)で供養されていたのです。そして、年末の浄蝶祭(じょうちょうさい)で、危うく焚き上げられるところでした」


 もしかしすると、浄蝶祭で虹色の煙になった蛹石の中には、父のようにまだ光ることができたものもあったのかもしれない。息も絶え絶えな薄紫の光など、強烈な炎の朱色に呑み込まれれば、誰の目にも留まらないだろうから。


「一瞬だけ、父の蝶夢(ちょうむ)に入りました。そして見たのです。魂蝶頭(こんちょうのかみ)。あなたが父に、まだ光る蛹石を無光堂送りにするよう命じたことを」

「綾埜。それはさすがに気のせいだよ」


 混乱を隠せず口を挟んだ暁潤に、綾埜は返す。


「この件だけではありません。他にも同じように不当に扱われた蛹石はたくさんあって、遺族の依頼を受けた颯がいくつも羽化させるのを見てきました」

「光る蛹石を、どうして無光堂に送る必要があるというんだい」

「それは、魂蝶頭がよくご存じでしょう」


 強い意思の籠もった綾埜の視線を、風のない夜の湖のように凪いだ瞳で受け止めてから、友潤はふっと息を吐いた。


「近年の流行病や天災で、新たに生まれる蛹石が増えている。ただでさえ羽化師不足だということは、おまえも知っているはずだろう。全ての蛹石に十分な時間をかけることはできない」

「では、認めるのですね?」

「来世へと導くべき高潔な魂が羽化を待っているのだ。そのような状況で、道端の屑のような蛹石に時間を浪費することなど許されない」

「道端の、屑?」

「優秀な魂ならば、生まれ変わっても帝とお国の役に立つはずだ。何としてでも羽化させようとするのは道理だろう」

「優秀って何。財力や権力があるかどうか。ただそれだけの違いでしょう?」


 直截な言葉に、友潤の眉が軽く動いた。綾埜は唇を噛みしめ、拳を握る。


 颯と共に羽化させてきた色とりどりの翅の煌めきが、脳裏に蘇る。


 世間から悪し様に言われ、それでも純粋な乙女のような薄紅色を捨てなかった藤原篤子。自身を犠牲にして、庶民のために咳逆(がいぎゃく)と戦った純白の直。愛憎に溺れた己の浅ましさと向き合い認めることで、誇り高い深紫の翅を広げた貴族の男。そして、光る蛹石を放棄したことを悔やみ蝶夢に囚われている父の、まだ見ぬ蝶姿。


 羽化に苦戦する蛹石は皆、自身の心に葛藤を抱え、現世に未練を残している。だからといって、人として劣っているなどということはない。


「友潤様は、お父様の蛹石のこと、全てご存じだったのですね。お父様は、あなたの昔からの友人だったはず。それでも父は道端の屑だと……そうおっしゃるのですね」


 鋭い言葉で斬りつければやっと、友潤は口を動かす。


「正則の羽化は、何度も試させた。だが、だめだったのだ。見込みの薄い蛹石にいつまでも手をかけることなどできない。たとえそれが友であったとしても。これは差別ではない。平等で合理的な判断だ」

「結局は、もっと供養料を出した人が後に詰まっていただけでしょう?」

「ま、待ってください父上、綾埜も」


 睨み合う二人の間に、暁潤が割り込む。


「いったい何の話ですか。蛹石は、完全に光を失うか蝶になるまで、羽化師の手にあるはずです。羽化の優先順位が高いのは、先に寺社に持ち込まれた蛹石でしょう」


 同時に振り向いた綾埜と友潤の視線を受けて、暁潤はたじろいだ。そこに演技は見えない。どうやら彼は本当に、魂蝶寮が抱える闇のことを知らないらしい。


「おまえは私の息子。守影の嫡男であり、ゆくゆくは魂蝶寮の重鎮となるべき存在だ。事実を告げるにはいい機会だった」

「そんな……」

「綾埜」


 友潤は、呆然とした様子の息子から視線を切り、綾埜に目を戻す。


「おまえの父親がなぜ亡くなったのか、見たか?」

「……え?」

「その様子だと見ていないな。暁潤、それをここに」


 促され、暁潤は正則の蛹石を父に手渡した。


「綾埜、こちらへ」


 その意図を汲んだ綾埜は大きく息を吸う。


 彼は、綾埜と共に正則の蝶夢に入ろうとしている。旧友の死の真相がそこにあると踏んでいるのだろう。もしかすると、過去に試したことがあるのかもしれない。


(蝶夢に入ったらどのくらいの時間囚われるかわからない。その間に颯が処刑されてしまったら……ううん、でも)


 父の死の真相は知らねばならないし、魂蝶頭を説得して颯への訴えを撤回させることが、根本的な解決をもたらすのだ。それならば。


(やるしかない)


 覚悟を決めると綾埜は、友潤の正面に座した。


「では、共に行こうか」


 突然、強く腕を引かれる。友潤は綾埜の手のひらごと蛹石を握った。友潤に導かれるようにして、蛹石の明滅が不規則になる。光の強さにも波がある。何とか他人の魂を受け入れようとして、光度を増そうと奮闘しているかのようだ。


「ち、父上……」

「おまえはくるな」


 正則の蛹石は、心許ない燐光を帯びている。乳白色の表面は、爪を立てればぼろぼろと削れてしまうほど劣化が著しい。この上、一気に三人もの魂蝶(こんちょう)の干渉を受ければ、ひび割れ崩れてしまうかもしれない。


 綾埜よりも経験のある正羽化師の暁潤は、父が引き止めた理由を察したらしい。蛹石に向けて伸ばしていた片腕を所在なげに彷徨わせている。


 綾埜は淡紫色に染まっていく世界の中で、心配そうに眉尻を下げている暁潤を見上げて訴えた。


「魂蝶寮の真実から目をそらさないでください。暁兄様の異母兄は、見て見ぬふりなんてしませんでした。暁兄様もどうか……」


 視界が光に塗りつぶされる。暁潤がどのような表情を浮かべたのか、見届けることはできなかった。

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