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後編



 王都、並びに国王の身柄が一夜の内に押さえられ、結果を言えばウォルテシア王国は反乱軍の手によって亡びた。

 元首が変わって国の在り方が大きく変化する、これからの統治を考慮して、反乱軍の首魁は貴族や王族を生かし、協力させることを決定したが、国内にいる全ての有力者……特に亜人排斥派の人間は全員、奴隷の逃亡防止用に首輪を嵌められる、無理に外そうとしたり、ある特定の人物たちの命令によって、内側から刃が飛び出して首の血管を切る魔法の首輪を嵌められることとなった。

 これにより、これまで亜人たちを散々蔑んできた貴族たちは苦渋を呑んで亜人たちに従う日々を送る羽目となる。


 一方、顔に一生消えることのない大きな傷を残し、意識を失っていたシルヴィアが目を覚ましたのは、貴族たちに首輪が嵌められた翌日の事だった。最初に状況を聞いた時は、自分も他の貴族たちと同じように首輪を嵌められ、馬車馬の如く働かされるのかと思ったが、事態は思いもよらぬ展開になっていた。


「シルヴィア・レゾナンス……我らの宗主と、元ウォルテシア王家の盟約により、お前は俺の妻となることが決まった」


 あの夜、騎士たちの肉体を引き千切るようにして惨殺し、これまで数多の功績を上げたことで将軍として遇されることとなったクロウの妻となれと命じられたのだ。

 これは政略結婚だ。亜人たちは貴族たちを殺さないという約束を反故せず、これまでの復讐として人間を奴隷にするつもりなどないということを証明するために、ウォルテシア王家の血を受け継ぐ未婚の娘を差し出したのである。

 ハーフエルフとは言え、王家に姫が居ない以上、最も王家の血を色濃く受け継ぐのは、王家所縁の家であり、これまで幾人もの王族の降嫁先、婿入り先として選ばれたレゾナンス家の娘、シルヴィアだ。

 

 しかしそれは、言い替えれば人間と亜人が手を取り合う平和な国の実現の為の生贄……シルヴィアはそれに選ばれた。


 クロウに嫁ぐこと……それ自体に不満はなかった。元々シルヴィアは亜人への理解もあり、魔物のような外見への抵抗もない。目の前で多くの騎士が惨殺されたので、クロウの気性を恐ろしく感じてはいたが、戦いは殺すか殺されるかということなので、理解はできる。

 新しい国の将軍となるクロウと、王家の血を引く貴族女性の結婚は必要だろう。


 だがシルヴィアが助かったのかと言われれば、答えは否だ。


 シルヴィアの体に半分流れる亜人の血は人間たちからは嫌悪され、王侯貴族としてのもう半分の血は亜人たちから憎悪される。国外追放ならまだマシな方……この国に留まることが決まった彼女は、針の筵に立たされることとなった。

 シルヴィアは、自分を蔑み、冤罪を着せて殺そうとしてきた者たちが、自分の命を助けるために亜人たちに差し出した生贄なのだ。

 

 そしてそれを率先して提案したのが、他のでもないエドワードだと聞いた時、シルヴィアは心底絶望した。


 かつて夢見た結婚式は祝福に満ちたものではなく、安堵と侮蔑、憎悪と疑念が交じり合ったものでしかなかった。

 新居として用意された屋敷に住むようになり、少し表を歩けば人間たちからは「やはり亜人の血を引いてるから優遇された」「自分が助かる為に化け物に腰を振った淫乱」と怒りと侮蔑の視線を送られる。


「何でクロウ様が忌々しい王家の血を引く女を妻になど娶らなければならなかったんだ」

「本当にそれな。あの方なら、望めば他里の美姫を娶ることだってできたというのに……宗主様は一体何をお考えなのだ」


 そしてそれ以上に厳しい視線を送ってきたのは亜人たちだ。夫となったクロウは亜人たちの間では英雄視されるほどの戦士であり、貴族の奴隷として虐げられてきたところをクロウによって救われ、彼を慕う亜人たちは数えきれないほどいる。

 実際、彼の部下の兵士や屋敷に仕える侍女たちの多くは、奴隷でいたところをクロウに助けられてきた者たちだ。彼への恩義があるからこそ、憎むべきウォルテシア貴族の血を引くシルヴィアが、クロウの妻の座に収まったことが心底面白くないらしい。


「はぁ……どうしてクロウ様のお相手がウォルテシア貴族の血を引く女なのかしら。クロウ様が新婚にも拘わらずに屋敷に寄り付こうとしないのも無理はないわね」

「案外、他所に女性でもいるんじゃないかしら? 今回の結婚だって宗主様のご意向だっていうし。ウォルテシア貴族の血を引く女なんて、相手にされなくて当然よね」


 不幸中の幸いというべきか、直接危害を加えることはしないが、それもクロウの顔を立ててのこと。屋敷では、どこへ行っても自分を悪く言う侍女たちの陰口が聞こえてくるし、仕事と割り切りつつも視線や態度は常に氷のように冷たく固い。

 彼女たちの言う通り、クロウは結婚してすぐに遠征に出かけており、一ヵ月以上もの間、シルヴィアとは顔を合わせてもいなければ手紙のやり取りすらしていない。

 その時間は「クロウも妻となったシルヴィアを疎ましく思っている」と思わせるには十分すぎる時間であり、シルヴィアの肩身はますます狭いものとなった。


 まさに血の呪いともいうべき冷たい視線が絶え間なく突き刺さる。幾ら生活が保障されたからと言っても、それも続けばある種の生き地獄だ。出ていこうにも、片腕を失った上に頼れる身寄りのないシルヴィアが一人で生きていけるほど、この世界は優しくない。


 しかし、そんな不満を声を大にして発することすら出来ないのが、敗戦国からの生贄という立場であるシルヴィアだ。下手に亜人たちを刺激すれば、最悪命すら奪われかねない。亜人たちの貴族への恨みは、それほどまでに深い。


「それでは私は……一体どうすればいいのですか……!?」


 一度目の死から奇跡のような体験をして生き延びたにも拘らず、人間からは侮蔑の視線を、亜人たちからは憎悪の視線を、本来妻を守るべき夫も帰ってこない。いっそのこと首でも括ってしまいたいと考えたが、自ら死を受け入れられるほどシルヴィアは強くなかった。


   =====


 そんなどうしようもない現実に苛まれる中、突然屋敷に戻ってきたクロウ。歓迎するように出迎える侍女や部下たちの人垣を分けて、彼は表情が分かりにくい竜の顔をシルヴィアに向けて告げる。


「少し……話さないか?」


 そう言われて、クロウに連れてこられたのはどこまでも広がる青々とした高原を一望できる小さな丘、そこに立つ木の陰だった。柔らかな草の上、クロウとシルヴィアは向かい合うようにして座る。

 一体どういうつもりなのだろうか……シルヴィアは戸惑い半分、恐れ半分といった気持ちでクロウの言葉を待っていると、彼は突然頭を下げた。


「まずは、お前に謝らねばならん。遠征を理由に、お前を良く思わない者たちの中に、お前を一人置いて行ってしまった。すまない」

「いえ、そんな……頭をお上げください」


 まさか謝られるとは思っていなかったシルヴィアは改めてクロウと向き合う。肉食獣のように鋭い瞳孔だったが、彼の目は初めて出会った時に数多の騎士たちを惨殺した者とは思えないほど、穏やかに澄んでいた。


「情けない話だが、俺はこのようなみてくれの上に、武骨で面白味のない男だ。まともに話したことのある女など、母と妹、侍女や女医の数名程度でな。出会って間もなく妻となったお前とどう向き合っていくのか……遠征に出ている間、故郷で手紙をやり取りしたり、知り合いの女医に相談したりして、色々と考えてきた」


 穏やかな口調で語るクロウの言葉に、シルヴィアはまたしても瞠目した。亜人たちにとって、シルヴィアの体に流れるウィルテシア貴族の血は憎悪の対象……クロウもてっきりシルヴィアが疎ましいと感じているとばかり思っていたのに、まさかこんな風に自分の事を考えてくれているなんて思ってもいなかったのだ。


「それでな……考えて、考えて、俺なりに考えて一つの結論に至ったのだが、お前の事を知らないのなら知っていけばいいと思ったのだ。だから、誰も聞き耳を立てる者のいないこの場所で、お前の事を教えてほしい」


 こうしてしばらくの間、クロウとシルヴィアは交互に互いの事を質問しあった。

 好きな遊び。好きな食べ物と嫌いな食べ物。互いの生まれ育ち。思想。得意分野と苦手分野。気が付けば、夕焼けが高原を橙色に染めるまで語り合い、次を最後の質問にしようというクロウの提案を受けて、シルヴィアは問いかける。


「どうして私を妻に選んだのですか……? 貴方様ならば宗主様のご意向を背き、お好きな女性を妻に出来るほどの功績を上げていると聞きました。なのになぜ、私を妻にせよという命を受け入れられたのですか?」


 シルヴィアは一番の疑問を口にする。もしクロウが自分との結婚に不満があるというのなら、その時はどんな形でもいいから彼から離れよう。きっとクロウ自身もシルヴィアを妻にし続けるなど、本音では嫌なはずだ。

 そんな後ろ暗いことを考えていたシルヴィアだが、返ってきた答えはまたしても予想とは違うものだった。


「少し、違うな。ウォルテシアの王侯貴族の娘と結婚するように言われはしたが、最終的にお前を選んだのは俺だったのだ」

 

 驚いて顔を上げるシルヴィア。その様子が可笑しかったのか、クロウの纏う雰囲気が少し柔らかなものになる。


「あの夜、お前が救ったハーピィの子供たちを保護したのは作戦開始直前だった俺が指揮する部隊でな、子供らは皆して貴族の娘が救ってくれたと言っていた。そして塀を破壊した先に血を流して倒れるお前を見て、すぐに分かった。この女は亜人の子のために戦ってくれたのだと」


 ただ同胞を救っただけでなく、シルヴィアが人質になり得た子供たちを逃がしてくれたおかげで、学院の占拠は容易なものとなったと言って過言ではない。この時点で、クロウはシルヴィアを先入観による偏見で見ることはなくなった。


「それからしばらく、お前の事を聞いて回った。元王太子の妻となるはずだったこと。家同士の付き合いを円滑にするための駒にするため、エルフの奴隷に産ませた子供であるということ。そして見切りを付けられ、冤罪の元に処される寸前であったこと。その上片腕まで失い、人間たちも亜人たちも疎む血が流れるお前に生きる場所があるのかと思ってな……宗主殿の意向にかこつけて、お前を娶った次第だ。悪い言い方をすれば、切っ掛けは同朋を危機から救ってくれた者への単なる同情だった」

「…………」

「自分勝手に助け出したにも拘らず放っておいて、ますます面目が無いがな」

 

 臆面もなく同情だったと言い切るクロウ。周囲の人々が言うように勇猛で高潔な人柄だが、それ以上に誠実で真っすぐな気性なのだろう。その事に少し救われた気分になったシルヴィアだったが、だからこそ自分のような者が何時までも面倒を掛けるわけにはいかない。政略結婚という形で結ばれた以上難しいだろうが、やはり別れを切り出した方が互いの為だ。


「だがな……今日こうして話してみたのは正解であった。やはりお前を妻として良かったと、俺は思うぞ。まだまだ互いの事を知っているとは到底言えないが、お前と上手くやっていきたいと考えている」


 だからこそ、クロウがそう言ったことに誰よりも驚いたのは、シルヴィアに他ならなかった。


「……私は、貴方様が思うほど優れた人格者ではありません。ハーピィの子供たちを助けたのだって、自分が助からないと悟った私が、自分の最後を後悔で飾らないためにしただけのことです」

「己の窮地に周りが見えぬ者など幾らでも居る。にも拘らず、お前は行動に移したではないか。それだけでも称賛に値する」


 シルヴィアの白い片手が、スカートを強く握りしめる。


「……私は亜人の方々が憎く思うウォルテシア貴族の血を引く女です。そんな女を妻としたとあれば、いつか貴方様の名誉にも傷が付きます」

「俺は元より、山里出身で名声には特に興味が無い。周りが俺をどう見ようと、やるべきことは何も変わらんのだからな」

「……貴方様自身が、私に流れる血が憎くないのですか? 私に流れる血は、貴方様の同胞を幾万人も虐げてきた王侯貴族のものなのですよ?」

「俺は幸運にも、常に見ず知らずの同胞を救う立場でな。他の者たちの様に身内の仇討ちと怒りを燃やす者ではない。そして何より、人の本質は血筋に宿るものなどではないと考えている。お前自身が、亜人たちを奴隷にしていたわけではないのだろう?」


 シルヴィアは未だに癒え切らない、失われた腕の傷口を震える右手で包帯とドレス越しに掴む。


「…………私は片腕です。貴方様のお役に立てる働きが出来るとは到底思えません」

「ならば出来ることを探せばいい。それでも見つからないのであれば、俺が手を貸そう。互いの至らぬ部分を補い合うのが、夫婦というものであろう?」


 シルヴィアの肩が……声が、涙混じりに震える。


「顔だって……こんな、大きく醜い傷が刻まれています……っ。こんな女……妻にしたところで……!」

「その傷は恥ずべき逃げ傷などではない。お前が現実に抗い、歯向かったことで出来た、戦士の勲章たる傷だ。女のお前がそれをどう感じるか俺には測りかねるが……少なくとも俺は、今のお前の顔が何よりも美しいと感じている」


 もう何も言えなかった。これまでの王妃教育の一環として、人前で涙を見せぬように躾けられてきたシルヴィアに出来るのは零れそうになる嗚咽を耐えることだけで、そんな彼女にクロウは近づき、片膝をつく態勢で手を差し伸べる。


「これから俺とお前がどのような関係になるかは分からん。だがこうなったのも何かの縁……王侯貴族の血筋や政略など関係ない。俺は他の誰でもない、お前を理解する努力と、お前と寄り添う努力をし続けたいのだ」



 家族になろうぞ、シルヴィア



「あ……あぁ……っ!」


 もう耐えることなどできなかった。シルヴィアは滂沱の涙を流し、これまで抱え続けた苦しみを全て吐き出すように嗚咽を叫びながら、クロウの手を縋るように握り返す。

 自分のそれよりもずっと大きく、固い鱗と鋭い爪が生えた力強い手。それを握る右手から伝わる温もりは、シルヴィアが知る中で最も心安らぐものであった。


   =====


 それからというもの、シルヴィアは悲嘆に暮れるのは止め、前向きに生きていくことを決意した。手始めに屋敷内で出来ることをしようと、これまで会話らしい会話もなかった亜人の侍女に頭を下げ、仕事を任せてもらえないかと頼み込む。


「貴女たちの仕事を奪ってしまう行為であるということは重々承知しております。ですが私にはもう、ただ館に引き籠って何もせずに過ごす日々を送ることはできません。こんな私を受け入れてくださったあのお方に少しでも報いたいのです。どうか……どうかお願いします……!」


 最初は勿論渋った侍女だが、恥も外聞をかなぐり捨てるように必死に頼み込むシルヴィアに根負けし、本当に簡単な雑用だけならと、片腕でも出来る仕事を任せることにした。

 本来、将軍夫人となった女がする行いではないし、やっている仕事も些細なものばかりだ。クロウの為という謳い文句についつい仕事を任せたが、侍女たちは初めの内は無言で冷遇されるシルヴィアが周りによく思われるためのパフォーマンスであると信じて疑わなかった。


「あの人は所詮、忌々しいウォルテシア貴族の血を引く女ですもの。どうせすぐに音を上げるに決まっているわ」


 クロウを除く、誰も彼もがそうなると確信していた。しかし意外な事に、シルヴィアは慣れない仕事を残された右手をあかぎれだらけにしながら必死にこなし続けたのだ。

 毎日毎日、誰よりも朝早くに起きて、誰よりも遅くまで働き続ける。本来ならば働かなくても誰も文句が言えない立場でありながら、それでもシルヴィアは無心になって働き続けた。

 何か仕事をしていなければ居場所を見い出せない。周囲に少しでも認めてもらいたい。そんな気持ちも勿論あるが、クロウの為という言葉にも嘘はない。そんな心理を態度で示し続けた甲斐があってか、周囲の者たちも少しずつシルヴィアを見る目を変えていく。


「シルヴィア。お前は文字が書け、算術も出来るのであったな」


 そんなある日、侍女たちを中心に少しずつ信頼を勝ち得てきたシルヴィアはクロウから事務仕事の助っ人を頼まれるようになる。

 亜人たちは歴史的差別の影響もあって、識字率が著しく低い。新たに治世者となった反乱軍だが、文字の読み書きがまともに出来る者は少数であり、事務仕事は命を担保として捕虜となった元貴族たちに任せるところが大きいという、実に不安のある現状なのだ。

 戦士階級という、戦えるものが優遇される制度が根強い亜人たちだが、他国からの侵略や野に蔓延る魔物の脅威を防ぐ為には、食料を用意する者、武器を用意する者、それらを取り纏める文官こそが重要であると理解できないほど愚鈍ではない。

 故にクロウは自身が信頼し、最近になって部下の者たちからの信用も得始めたシルヴィアに事務仕事の一端を試しに任せてみたのだが、これまで些細な事しか出来ていなかったシルヴィアの周りからの評価が一新されることとなる。


 初めは亜人の事務官候補たちに文字を教える。元貴族たちが作成した書類におかしな点が無いかを確認するといったことだったが、次第にシルヴィア自身が書類の作成や取り纏めに参加。

 長年王妃教育の一環として鍛えられてきた能力を遺憾なく発揮し、軍務に関する事務仕事は何倍も効率が良くなり、しまいには他の分野を取り纏めていた者たちから助言を求められるほどになった。

 シルヴィアの助言を元にライフラインを開拓し、物流を潤滑にしたことで、屋敷の侍女や兵士たちを含める働く者たちへの待遇も向上。他にも様々な案件を解決へと導き、何時しかシルヴィアは残された右手一本で、事務仕事においては無くてはならない存在となり、亜人たちから一目を置かれる存在となる。


「初めはウォルテシア貴族の血を引く女などと先入観で見ていた我らの盲目たるやよ。誰よりも熱心に働き、夫と我らを支えんとし、結果を残す姿には称賛を浴びせるほかにないな」「最初はただ無気力なだけの人かと思っていたのだけど、傷心中だったのね。実際に話してみると他の貴族みたいに偉ぶったりしないし、見下した目で見たりしない、心も広い素晴らしい方よ」

「今となっては認めざるを得まい。あのお方は大戦士、クロウ・クルワッハ自らが選んだ奥方であるということを」

「片腕で日常生活も大変なのに……クロウ様は最初から奥様の本質を理解なさっていたのかしら?」


 かつて王太子の婚約者であったときには決して耳にすることが出来なかった心からの賛辞。他の誰でもない、自分を認める声にシルヴィアは何とも言えない気持ちになった。

 感無量であることには違いはないのだが、それを上手く表現することができない。それはシルヴィア自身が、自分は大したことはしていないと思っているからに他ならない。 

 

「今こうして周りの方々から認められたのも、旦那様が重要な仕事を任せてくださったからです。そうでなければ、こんなにも早く皆様から認められることなど無かったでしょう」


 夫婦水入らずでの語らいの場。最近のシルヴィアの活躍を話題にしたクロウに、当の本人は謙遜もなくそう答えた。

 今のシルヴィアの評価はクロウがお膳立てしてくれたおかげだ。そして個人が輝く場を与えるのは上に立つ者の資質……今回の場合、クロウがシルヴィアを登用したからこそうまくいったのだと言ったのだが、クロウは首を左右に振る。


「さして学のない俺に、そのような先見の明などありはしない。こちらとしては、ただ読み書きができる者の手助けが欲しいと思った程度。お前を称える者たちの声はお前自身の実力によるもの……存分に誇るがいい、シルヴィア。ただ与えられただけの名声とは訳が違う。お前は〝今〟を勝ち取ったのだ」


 その言葉は何よりも力強い保証だった。手にした名声は、決して英雄である夫のおこぼれなどではなく、シルヴィア自身が己を疎ましく思う者たちに抗い続けた結果なのだと、他の誰でもない、一番認めてほしい人に認めてもらった。

 その事実に、シルヴィアはまた泣いた。クロウは困惑しながら「何故泣くのだ」と大きな手で涙を拭ってきたが、シルヴィアはその手を掴んで更に嬉し涙を流すのだった。


   =====


 自分の力で得た誇れるものを手にしたシルヴィアは、今までにない活力に満ちていた。

 女の恥として顔の傷を髪で隠そうとしていたがそれも止め、自分には何も後ろ暗い事など無いのだと堂々と晒すようになり、今となっては《隻腕の将軍夫人》やら、《傷の淑女(スカーレット)》やら、妙に気恥しい異名で称えられるようになっていた頃、シルヴィアを捨てた挙句、冤罪の元に葬ろうとしていたエドワードはというと――――



「いったい何度言ったら分かるんだ!! もう私は王族ではないのだぞ!? 好き勝手に物を買う金などありはしないのだ!!」

「良いではありませんか!! 元貴族としてこんな首輪まで嵌められ、肉体的にも精神的にも抑圧されているのですから、買い物くらい好きにしたって!!」


 亜人たちによる政策も進み、ウォルテシア貴族たちは倫理観の能力を備えた者以外は軒並み一介の文官として遇されるようになった。王族も例外ではなく、エドワードは妻となったリリア共々、未だに処刑道具である首輪を嵌められて、新たな統治者の元で働かされている。

 とは言っても、不遇に扱われている訳ではない。他の元貴族たちにも言えることだが、不正することなく従順に働けばある程度の自由は認められるし、俸給だって支払われる。今のエドワードは、裕福な平民程度の暮らしができるだけの稼ぎがあったが、生活は困窮していた。


「だったら! やることをやって、払うものを払ってから買い物をしたらどうだ!? 掃除もしない! 料理も作らない! 借金まで作ってくる! お前は散財するばかりで、妻としての役割を何も果たしていないじゃないか!!」

「結婚前は何でも好きな物を買ってやるって約束してくれたじゃないですか! それを破るって言うんですか!?」

「だから今と昔とでは状況が違うと何度言えば……!」


 それもこれも、リリアの豪遊癖と我が儘が抜けないのが全ての原因だ。王妃にしてこれ以上にないというくらいに幸せにするという約束を破られた上に、平民にまで身を墜としたリリアは日頃の鬱憤を晴らすかのように、夫であるエドワードが稼いだ金を私利私欲を満たすためだけに使い果たす。

 その上、あからさまな冷たい視線を浴びせてくる亜人たちに囲まれる職場で毎日多大なストレスを抱え、若くして額が後退し始めたエドワードを支えるつもりなど一切なく、過食で肥満になった体を揺らして遊び惚ける毎日だ。

 最近では、金で男を釣って不倫しているという疑いまである。初めて出会った時は純粋無垢で心優しい女性だと思っていたから結婚したというのに、いざ籍を入れてみれば本性を表したかのように強欲で怠惰、ヒステリックな性格へと変貌してしまった。


「くそっ! どうしてこうなったんだ……!」


 卒業パーティの日。あの日から、エドワードの人生の全てが狂った。

 王族のとしての身分は剥奪され、亜人のみならず、かつての臣下にすら扱き使われる日々。かつて親しくして居た者たちは皆は疎遠になってしまい、愚痴を吐くことも出来ない。


 テリーは辺境の地で命を散らした。騎士団長の息子として優遇されていたのも過去の話、反乱軍の勝利後は一兵卒にまで身をやつし、自分の剣技一つで成り上がろうとしたが、増えすぎた魔物の間引き中、独断専行の末に魔物に食い殺されるという、父と似たような末路を辿ったらしい。


 ロナルドは文官として働かされていたが、書類を操作して亜人たちを出し抜こうとしていたようだ。亜人は皆学が無い野蛮人と侮った末の行動だったが、文字の読み書きができる一部の亜人によってそれが見破られ、反乱分子とみなされて粛清された。


 ジークもロナルドと同様に文官として働いていたが、慣れない環境の中でミスを連発した挙句に上司となった亜人に食って掛かり、僻地で過酷な肉体労働をさせるために左遷になったらしい。かつては未来の公爵としての地位が約束されていた男とは思えない末路だ。 


 一体自分はどこで間違ってしまったのか……取り返しの付かない後悔に苛まれる日々の中で、エドワードはかつて自分で捨てたシルヴィアの評判を至る所で耳にし、所用があってエドワードの勤め先にやってきたシルヴィアを目にすることとなる。

 腕を失い、顔に傷を負ってなお美しい姿。聞こえてくる評判も全て好評であり、数々の案件を解決に導いた、英雄クロウの妻に相応しい聡明な淑女と謳われ、久しぶりに見た彼女は、長年共に居たエドワードすら見たことが無いくらい活力に溢れ、幸せそうに微笑んでいた。


「あんなシルヴィアは……初めて見た……」


 時を経ても変わらず……それどころか、顔の大きな裂傷すらも装飾として、見違えるほど美しく成長したシルヴィアの姿を妻のリリアと比べ、今になって過去の恋心が蘇り、捨てた女への未練が湧き上がってきたエドワード。

 亜人の救済を諦めず、リリアに目移りなどしなければ、エドワードは反乱軍の力すら取り込み、長らく続いた差別の歴史に終止符を打った王として称えられ、シルヴィアを王妃として娶ることも出来たのだ。

 しかし実際には現実に打ち負かされて楽な道を選んだ末に亜人排斥派に回って今のような待遇を強いられ、リリアに目移りをしたから家事を放棄する上に散財をし、浮気にまで走るような女を娶る羽目になった。

 

「だが今のシルヴィアと結ばれたら、私の地位も向上するのでは……?」


 失った愛を取り戻せるばかりか、王族とまではいかなくとも貴族並みくらいには地位が向上するかもしれない。多くの亜人たちから信任を得た今のシルヴィアには、それほどの影響力がある。

 考えれば考えるほどそうした方が良いと思い始めたエドワード。今となっては煩わしいだけの存在となり下がったリリアを捨てる良い切っ掛けになるし、何よりシルヴィアには個人名義の多額の財産と、それを貯蓄するだけの仕事がある。


「ストレス発散に酒場に通い詰めすぎて借金をしてしまったからな……私名義の借金も返済してくれるだろうし、苦痛しかない職場だって辞められるやもしれん。そうなったらシルヴィアに養ってもらいながら、これまでの傷心をゆっくりと癒してもらうとしよう」


 そうと決まれば早速行動に移し出したエドワード。幸いにもシルヴィアはまだエドワードの事を愛している……そう思い込んだ愚かな元王子は、クロウと別れて自分と再婚しようという内容の手紙をシルヴィア宛にしたためるのであった。



「……このような手紙を送られてきても困るのですが」


 エドワードから復縁を求める手紙が何通も届いて辟易とするシルヴィア。

 当然の事ながら、エドワードに対しての恋愛感情などとうに無くなったシルヴィアからすれば、未だに自分がエドワードに好意を持っていることが前提の「今ならまだ君を妻にしてあげるよ」とか、「素直になっても良いんだよ」とか、上から目線で勘違いしたような文面をにはただただ困惑するばかり。

 

 長年愛した相手なだけあって、シルヴィアはエドワードの事を忘れられたわけではない。しかしそれ以上に思うところがあり過ぎた。

 なにせ一度目では冤罪の元に侮蔑しながら首を刎ねられ、時間が逆行した二度目においては腕を斬り飛ばした男である。そんな男に何時までも好意を抱いていると勘違いしている手紙は、滑稽過ぎて逆に笑えて来るほどだ。

     

(それに……私は……)


 その時、私室の扉を叩く音と共に夫の声が聞こえてきた。

 その声を聞いたシルヴィアは過去を断ち切るようにエドワードの手紙を燃え盛る暖炉に投げ捨てて、高鳴る胸と紅潮する頬を自覚しながら右手で軽く髪を整えると、見上げるような巨躯を誇る夫を出迎えるのであった。



 ……後に、エドワードが将軍夫人であるシルヴィアに手を出そうとした話が至る所に出回り、職場ではより肩身が狭く、家庭は更なる修羅場となったのは、言うまでもない話である。



   =====


 こうしてウォルテシア王国はエルドラド共和国と名を改め、後に亜人と人間が当然のように手を取り合い、共存する強国として発展することとなる。

 そんなエルドラド共和国において、最も困難が続いた黎明期。迫りくる侵略国や魔物の軍勢から国土と国民を守り抜いぬき、歴史に末永く名を残した、《護国の竜将》と謳われた大英雄、クロウ・クルワッハ。

 彼の傍らには、顔に大きな傷が刻まれ、左腕を失った妻と、彼女との間に生まれた大勢の竜人の子供たちが幸せそうに寄り添っていたという。



・シルヴィア

傷物ガチ系主人公。片腕を失っても、残った腕でペンを握り、多くの功績を残すようになった「ペンは剣よりも強し」を地で行くように。

主人公っぽく、物語の中で成長していった。物語の後は穏やかで幸せな日々を送っている。


・クロウ

ガチ竜人。美男子に変身したりしない、決して。武骨で真面目で面白味が無いというのが自己評価の、懐の深い良い人。魔物っぽい外見をした先祖返りの亜人ですが、美的感覚は他の亜人と同じで、シルヴィアの事は普通に美人だと思っている。


・エドワード

カス。これ以上は説明不要


・反乱軍の宗主

実は反乱軍はウォルテシア王国の敵対国家の工作によって結成されいて、反乱軍の宗主というのはその国の王。ウォルテシア王国は反乱軍に乗っ取られたというよりも、敵国に占領され、属国にされたというのが正しい。

更に昔その国では色々とあり、王の母親……王太后に当たる人物が奴隷にされ、巡るに巡ってレゾナンス家の奴隷となり、シルヴィアを産んだという裏設定あり。

つまるところ、シルヴィアは宗主国の王の異父妹。後々シルヴィアは正式に王妹として認められることとなり、宗主国の後ろ盾を得る。

それを知ったエドワードがさらに躍起になってシルヴィアとよりを戻そうとするが、外見だけの男に興味が無くなったシルヴィアには相手にもされない。




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― 新着の感想 ―
[気になる点] 「ざまぁ」がしっかり果たされない小説はそれだけでゴミ
[良い点] 短編だけど、内容が濃くてよかった!
[一言] 外見だけの男ってか外見も無くなってる気がするw
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