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リンと鬼  作者: すすす
旅時期
10/16

10:やまびこ

「リン。起きろ。交代の時間だ。」


 鹿角(しかづの)さんは鬼ですか。

 鹿の角と枯れ草色のたてがみと、薄黄色の目と残酷そうな牙をお持ちの、確かに鬼ですが。

 鹿角さんは、容赦なく私をゆり起こします。


 たき火の見張りを交代する時間ですね。

 私はうまれたての子ヤギのように、おぼつかない腕力で体を起こしました。

 子ヤギは、子馬は子牛は子羊は……、外敵から身を守れるように、生まれてから、すぐに立ち上がれるのです。

 私は寝ぼけた頭で、強い意志を持ち直し、ばっと体を持ち上げました。

 しかし……目が、しばしばします。まだ開け切れません。

 突如、私は目を含む顔の上半分をわしづかみにされました。


「ぬあ!?」


 頭蓋骨の危機を感じる感触に、私は短く悲鳴を上げます。

 あぁ、そんなミシミシぐにぐにとされては、手のひらで握りつぶされる予定のリンゴになった気分です。


「し……鹿角さん……?」


 鹿角さんの冷えた指先が目のマッサージにちょうど良いですね。もう一度、安らかな睡眠へ(いざな)われそうです。


「……ぐう。」


「起きろ。」


 ……人の頭を放ることはないと思います。

 いや、すみません。起きます起きます。交代ですものね。鹿角さんも今日はお疲れの所を見張って頂いて、今度は私が、よしがんばりますよ。


 鹿角さんは座り直して、背中を木に預けて仮眠の体勢です。姿勢を楽に整えて眠りに入りました。

 私は、火の隣に目をやると、ちょうどよいたきぎが置いてあるのに気が付きました。

 私が眠っている間に、鹿角さんが集めて下さったようです。

 今夜どころか、二、三日はだいじょうぶそうな量です……。鹿角さんは働き者ですねぇ。過剰な気もしますが……。


 私は体育座りのような体勢になり、火の具合を見守っていました。

 木を適当に足します。おっと火の勢いが強くなりすぎました。いかんいかん。


 昔は火遊びをすると、寝小便をすると言われていましたが、あれの根拠は一体なんだったんでしょうねぇ……。子供に対するいましめだとしても、やはり火を消すには水ということで、小便小僧的な消火方法を人間の本能で察知などと取り留めのないことを考えていたら、ふいに、後ろから声を掛けられました。






「もし。」


 高くも低くもないその声に振り返ると、木々の間に、線の細い美女が佇んでおりました。

 山歩きには不釣り合いな程、白くて美しい着物姿です。

 長い髪を後ろでまとめた、女性の一般的な髪型。声も姿も美しいのですが、どこか薄い印象を与えます。


 心なしか、女性のまわりは、ぼんやりと明るいです。

 人の気配にさといはずの鹿角さんは、まだ眠ったままです。


 私は、女性の微笑みに見とれながら、違和感のある状況にとまどいました。

 ひとけのない山中に、女性がひとり。着物には、泥や葉もついてません。

 女性の服装は、近所の散歩といった軽さですが、この辺りに、人の集落がある気配はなかったです。


 耳を澄ませば、虫や動物など、森の様子も妙に静かでした。


「鹿角さん。」


 私は鹿角さんに声を掛けます。……鹿角さんは眠ったままです。


 怪談によくあるアレですか。夜中に自分だけ目を覚まして、他の人はどうやっても起きない。そして自分だけが怖い思いをするとかいう、あれですか。他の人は声を掛けても揺すっても、絶対に目を覚まさないのです。


 お疲れの所申し訳ないのですが、私は両腕に力を込めて、鹿角さんを揺すりました。

 しかし、びくともしない鹿角さんの図体に、逆に私が、自分で自分に揺すられました。

 体重差を忘れるとは、うかつ。

 女性は、ふふ、と笑って、私に手をさしのべます。


「怖がらなくても大丈夫です。わたしは山彦、または木霊(こだま)です。」


「やまびこさん……。」


 やまびこと言うと、山に「やっほー」と言うと「やっほー」と返ってくる、音響現象ですね。

 なんと言うことでしょう。あれは、このやまびこさんが言い返してくれていたんです。

 やまびこのお姉さんは続けました。


「ここ三日ほど、わたしの縄張りに、あなたがたが迷い込みましたが、あなたがたの心の声が、あまりに賑やかなので、こうして出てきた次第です。」


「心の声……?」


 やまびこさんは、「やっほー」といった声だけでなく、心の声まで聞こえるのですか。


「ええ。その鬼の心の内なんてあなた、」


 その時、寝てると思った鹿角さんが飛び起きました。






「鹿角さん、起きたのですか。」

「めんどくさいから寝たふりをしていたが、そうも言ってられないようだな。」


 鹿角さんはおもむろに、やまびこさんに向き合います。その手はやまびこさんの口をふさごうと狙っていました。

 寝たふりだったんですか。


 やまびこさんは「そうですね。」と、鹿角さんに頷きます。


「そこのリンさんとやらが、鹿角さんとやらの腕にしがみつくなんて、滅多に無いことですしね。寝たふりもしますよね。」

「この木霊……! くそッ、何が望みだ。」


 鹿角さんは、やまびこさんに、ジリリ、と交渉を挑みます。

 薄黄色の瞳は闇夜に光り、にわかに殺意をうつしました。

 こういう交渉の切り出し方をするとは、鹿角さんは、かなり追いつめられているようです。


 やまびこさんが、ニヤッと妖怪らしい笑い方をします。


「いいえ、望みなど。ただ、わたしの遊びに付き合って頂ければ、結構なのです。」

「くっ……、愉快犯とは始末に負えぬ……。」


 鹿角さんは苦々しく吐き捨てます。やまびこさんは、きれいな三日月型の口を開きました。


「そうですね。まず、その鹿の角を持つ鬼の思うところは、「リンが、」……」

「ちょっと、待っ!」


 鹿角さんの手が、やまびこさんの口、いや、通り越してノド元に向かいます。いつもよりやる気に満ちてます。

 しかし、やまびこさんは高く笑いました。


「あはは、つかまえてごらんなさい。鬼さんこちら、手の鳴る方へ、ってやつですね。」

「きさまっ! ふざけおって!」


 やまびこさんはパチ、パチ、と手拍子を打ちます。

 どうやら、やまびこさんの姿は幻のようで、姿を現す箇所は自由自在です。

 鹿角さんは翻弄され続けました。

 どうでもいいですけど、楽しそうですね。


 鹿角さん……。「リンが、」で始まる、知られて困ることを思っていたのですか。

 もしかして、私が役に立たないとか、足手まといだとか。だとしたら、その通りは言え、私は落ち込みます。

 隠し事をすべて無くすことが、信頼に繋がるとは限りません。いや正直、知るのが怖いのです。

 私は鹿角さんの隠し事を、追求しませんでした。






 鹿角さんが肩で息をしています。

 体力無尽蔵と思われる鬼さんを疲れさせるとは、やまびこさん恐るべし。

 汗一つかかないやまびこさんは、さっらーと髪を流し、今度は私に向き直りました。


「さて、黒髪切れ長の目の人のお嬢さんが思うところは、「鹿角さんが、」……」


 ドキリ。私は知られて困ることは思っていないはず。

 鹿角さんのしっぽのことも最近は、そんなに思ってないです。いやほんとに。

 やまびこさんは「鹿角さんが、」と言いましたから、「鹿角さんが、」……最近、怖くなくなってきました。

 これは鹿角さんに聞かれても、まずくはないです。

 むしろ、私の警戒心が薄れたことを知って頂く、良い機会です。


 やまびこさんの続く言葉を、私はじっと待っています。

 やまびこさんはしばらく私を見つめ、そしてそのまま顔をずらし、鹿角さんの肩をぽん、と軽く叩きました。


「リンさんは、心の内に隠したい事は、特にないようです。どんまい。」


 やまびこさんと鹿角さんの、大小の背中が、スクラムを組むように身をかがめました。


「なぐさめなどっ……いらぬ……っ。」


 鹿角さんの後ろ姿が、いつもよりも心細く見えました。






 そうこう遊んでいると、空がいつの間にか、白んでまいりました。

 夜明けです。

 やまびこさんは、夜と朝の狭間にある星空を、すっと仰ぎます。


「とまあ、こうして朝まで遊んで頂きましたが、わたしに心の声が聞こえるなど、ウソですよーん。」


 よーん……?


 私と鹿角さんの視線は、それぞれの体勢のまま、やまびこさんに集まりました。

 あっけと安心感と脱力感が混ざった、不思議な気持ちです。


「心の声が聞こえなくても、二人を三日ばかし眺めてれば、見当がつきます。」


 やまびこさんは、けらけらと悪気なく……いや、鹿角さんを若干、不憫気に見ておっしゃいました。

 そして、白く美しい着物を翻し、薄く微笑みます。


「ほほほ、わたしとひと晩、遊んで頂いたお礼です。」


 すっ、と日の出から、少しずれた方向を、指さしました。


「こちらの方角に十日ほど進むといいです。森を抜けられます。」


 そして、やまびこさんは、朝日にとけるように、木々の間から姿を消されたのでした。


 その方向を、私と鹿角さんは、ほぼ徹夜の目を向けて見送ったのです。

 別れがさびしいのか、鹿角さんの腕は、ちょっと震えておりました。

 結局、鹿角さんは、やまびこさんの口を、一度もふさげませんでしたね。


「──覚えてろよ!」


 鹿角さんの捨てぜりふじみた声が、夜明けの山間に木霊したのでした。


 その声はいつまでも響き、やまびこさんは、いつもより多くサービスして下さったようです。






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