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戦艦大和は、歴史を書き換えられるか。 ~未来を知る帝国海軍士官の決断~  作者: 春野ケイ


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3/11

第3話 未来への誓い

昭和十六年十一月二十二日


広島県 呉海軍工廠


 夜明け前の呉は静かだった。


 宿舎の窓から見える軍港には薄い霧が立ち込め、停泊する艦艇の輪郭だけがぼんやりと浮かんでいる。


 秋月誠は机の前に座り、昨夜書き始めた一冊の大学ノートを見つめていた。


 表紙には『未来の記録』。


 たった五文字。


 しかし、その重みは軍刀よりも重かった。


 ゆっくりと頁を開く。


 そこには自分の字で書かれた一行だけが残っている。


『昭和十六年十二月八日――』


 それ以上は書けなかった。


 見えた未来は断片的で、年月日は分かっても、その出来事の前後までは思い出せない。


 無理に書けば、誤った記録になる。


 秋月は筆を置いた。


「焦るな……。」


 自分に言い聞かせるように呟く。


 軍人は憶測で命令を出さない。


 それと同じだ。


 曖昧な記憶を事実として扱えば、多くの人を危険にさらすかもしれない。


 ならば今、自分がやるべきことは一つしかない。


 未来を少しずつ思い出し、確かなことだけを書き留めること。


 その考えに至った時、不思議と心は落ち着いていた。


 午前七時。


 秋月は大和へ向かう。


 今日も工廠は忙しかった。


 就役まで一か月を切った大和では、艦内各所で最終調整が続いている。


 兵たちは訓練を繰り返し、工員たちは寸分の狂いも許されない表情で機器を点検していた。


 秋月は砲術科の集合場所へ向かう。


「少尉、おはようございます。」


 若い兵曹が敬礼した。


「おはよう。」


 まだ互いに名前を覚えきれていない。


 それでも少しずつ会話が増えてきた。


 同じ艦で勤務する以上、互いを知ることは重要だった。


 朝礼ではその日の予定が伝えられる。


「本日は主砲塔内の設備確認、および非常配置訓練を実施する。」


 指揮官の声が艦内へ響く。


 全員が一斉に返答した。


「はっ!」


 訓練は淡々と進んだ。


 防水扉の開閉。


 消火設備の確認。


 非常通路の移動。


 どれも地味な内容ばかりだ。


 しかし、秋月は兵学校時代の教官の言葉を思い出していた。


『戦場で命を救うのは、派手な戦果ではない。日々の訓練だ。』


 その意味が、今ならよく分かる。


 昼前、砲術科士官たちは砲塔下部の区画へ集められた。


 担当士官が分厚い図面を広げる。


「艦が完成しても、我々の仕事は終わらない。就役後も改善点は見つかる。その積み重ねが艦を強くする。」


 秋月は真剣に図面を見つめる。


 その瞬間だった。


 図面の上へ置かれた海図が目に入る。


 昨日見た映像。


 『ミッドウェー』という文字。


 炎上する飛行甲板。


 四隻の空母。


 断片的な記憶が脳裏をかすめる。


 しかし、すぐに消えた。


「……まだ思い出せない。」


 未来は見える。


 だが、必要な時に必要な情報だけを思い出せるわけではない。


 秋月は改めて理解した。


 未来の知識は万能ではない。


 だからこそ慎重にならなければならない。


 焦って行動すれば、歴史を変えるどころか、自分自身が疑われるだけだ。


 その日の午後。


 秋月は艦首甲板で海を眺めていた。


 瀬戸内海を渡る風は冷たく、空には冬の雲が広がっている。


 工廠の汽笛が鳴り、一日の作業終了を告げた。


 ふと、大和の艦首へ手を置く。


 冷たい鋼鉄。


 この艦は、まだ何も知らない。


 これから訪れる戦いも。


 待ち受ける運命も。


 そして、自分だけが知る未来も。


 秋月は静かに目を閉じた。


「……俺は何を守りたい。」


 問い掛けても答えは返ってこない。


 それでも一つだけ、胸の奥ではっきりしていることがあった。


 未来を変えることが目的ではない。


 救える命があるなら、救いたい。


 そのために、自分はこの未来を知ったのかもしれない。


 そう思えた時、秋月の迷いは少しだけ晴れていた。


夕刻。


 勤務を終えた秋月は、宿舎へ戻る前に呉軍港を見渡せる小高い丘へ足を運んだ。


 海は夕陽を受け、黄金色に輝いている。


 軍港へ出入りする曳船。


 補給を終えた小型艦艇。


 岸壁では翌日の作業に備え、資材が整然と積み上げられていた。


 この景色は、平和そのものだった。


 だからこそ、昨日まで見てきた未来の光景が信じられない。


 燃え上がる艦隊。


 沈みゆく兵士たち。


 祖国の敗戦。


「……本当に、あれが未来なのか。」


 答えは出ない。


 だが、あれほど鮮明な映像を夢で片付けることもできなかった。


 宿舎へ戻ると、秋月は机へ向かう。


 引き出しから『未来の記録』を取り出し、静かに開く。


 今日は思い出せたことだけを書こう。


 推測は書かない。


 曖昧なことも書かない。


 軍人として、事実だけを記録する。


 秋月はゆっくりと筆を走らせた。


『昭和十六年十二月八日 対米英開戦』


 そこで筆が止まる。


 続きが思い出せない。


 無理に書けば、それは未来ではなく想像になる。


 秋月は一度深呼吸し、次の頁へ移った。


『巨大戦艦・大和は沈没する』


 そこまで書いて、再び筆が止まる。


 どこで。


 誰と。


 どのように。


 そこだけが思い出せない。


「断片だけか……。」


 悔しさよりも、不思議と冷静だった。


 未来のすべてを知っているわけではない。


 だから、自分は万能ではない。


 それでも、この断片がいつか誰かの命を救うかもしれない。


 そのためにも、思い出したことは一つ残らず記録していこう。


 秋月はノートを閉じた。


 窓の外では軍港の灯が一つ、また一つと灯り始める。


 その光景を見つめながら、小さく呟いた。


「まずは焦らない。」


「歴史を変えるのは、その後だ。」


 今の自分は一人の少尉に過ぎない。


 いきなり司令部へ駆け込み、「未来を見ました」と言っても信じてもらえるはずがない。


 むしろ軍人としての適性を疑われ、任務から外される可能性すらある。


 だからこそ、今は学ぶ。


 艦を知る。


 仲間を知る。


 海軍を知る。


 未来を変えるなら、その土台が必要だった。


 机の上の『未来の記録』を見つめ、秋月は静かに決意する。


「歴史は、知識だけでは変えられない。」


「信頼を積み重ね、その時が来るまで待つ。」


 それが、自分にできる最初の戦いだった。


 窓の外では、大和が夜の呉港に静かに浮かんでいる。


 まだ一発の砲弾も放っていないその巨艦は、来月の就役を待ちながら、静かに眠っていた。


 秋月は敬礼するように姿勢を正し、小さく頭を下げる。


「必ず……。」


 その言葉の続きを口にすることはなかった。


 まだ、その資格は自分にはない。


 だが胸の奥には、確かな決意だけが芽生え始めていた。


 それは、未来へ抗うためではない。


 未来と向き合うための、最初の覚悟だった。


 ――続く。


あとがき


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


本作は、史実をできる限り尊重しながら、「もし未来を知る一人の海軍士官がいたら」という視点で描く歴史IF架空戦記です。実在した出来事や人物への敬意を忘れず、史実を土台に物語を積み重ねていきます。


面白いと感じていただけましたら、ブックマークや評価、感想で応援していただけると、とても励みになります。


次回 第4話「聯合艦隊司令部」

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