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戦艦大和は、歴史を書き換えられるか。 ~未来を知る帝国海軍士官の決断~  作者: 春野ケイ


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第19話 旗艦の責務

昭和十六年十二月二十日


瀬戸内海


 冬の朝日が、穏やかな瀬戸内海をゆっくりと照らし始めていた。


 戦艦大和は、聯合艦隊旗艦として演習海域へ向かっていた。


 海は凪いでいる。


 艦橋から見渡す水平線は青く澄み、遠くには僚艦の艦影が小さく浮かんでいた。


 秋月誠は第二砲塔前の通路を歩きながら、ふと足を止める。


 昨日、山本五十六大将が語った言葉が頭から離れなかった。


 「軍艦は一隻では戦えん。」


 大和という巨艦に乗っていると、その存在の大きさに目を奪われる。


 しかし、実際に艦隊運動へ参加して初めて分かった。


 旗艦とは、先頭に立つ艦ではない。


 艦隊全体を一つにまとめる「中枢」なのだ。


 その考えは、今日の勤務でさらに実感することになる。


 午前七時三十分。


 艦内放送が流れる。


『各部署へ達する。本日、聯合艦隊司令部による通信訓練を実施する。各科は所定の配置につけ。』


 砲術長が秋月たちを見回した。


「今日は砲を扱う訓練ではない。」


 そう言って通信管制図を広げる。


「旗艦から発せられる命令が、各艦へ正確に伝わるかを確認する。」


 若い水兵が不思議そうな顔をした。


「砲術科も関係あるんですか。」


 砲術長は頷く。


「大いにある。」


「命令が一分遅れれば、砲撃開始も一分遅れる。」


「戦場では、その一分で勝敗が決まることもある。」


 艦内が静まり返る。


 秋月も思わず背筋を伸ばした。


 通信科だけの仕事ではない。


 旗艦では、すべての部署が命令を支えているのだ。


 訓練が始まると、艦橋から次々と命令が下る。


「面舵十五度。」


「速力十五ノット。」


「隊形維持。」


 命令は信号室、通信室を経て各部署へ伝達される。


 艦内電話の受話器越しに聞こえる声は短く、無駄がない。


「第二砲塔、了解。」


 秋月も復唱する。


 その声を確認した兵曹長が小さく頷いた。


「いい返答です。」


「復唱は命令を確認する最後の砦です。」


 秋月は受話器を静かに戻した。


 兵学校では何度も教わった手順だった。


 だが、実際に旗艦で行うと重みが違う。


 自分の一言が、この艦の動きを支えている。


 その責任を肌で感じていた。


 午前十時頃。


 艦橋から新たな命令が届く。


「信号旗、掲揚。」


 上甲板へ出ると、信号兵が手際よく旗を準備していた。


 色とりどりの信号旗が冬の風を受け、大きくはためく。


 その様子を見ながら、隣に立つ兵曹長が静かに言った。


「少尉。」


「旗艦で一番大切なのは、立派な主砲じゃありません。」


「正確な命令です。」


 秋月は信号旗を見上げる。


 一本の旗が揚がる。


 その意味を理解した僚艦が、一斉に針路を変える。


 海の上で、言葉は届かない。


 それでも、艦隊は一つの意思で動いていた。


 秋月はその光景に目を奪われる。


 大和の使命とは、砲を撃つことだけではない。


 艦隊を動かすこと。


 その責任の重さを、今日初めて実感していた。


 その時、艦橋の方から短いラッパが鳴り響く。


 新たな命令が下されようとしていた。


ラッパの音が海原へ響く。


 艦橋では航海科士官が双眼鏡を手に周囲を確認し、信号兵が新たな命令旗を準備していた。


 秋月は第二砲塔付近から、その一つひとつの動きを目で追う。


 「信号、掲揚。」


 号令とともに、色鮮やかな信号旗が冬の風を受けて高く揚がる。


 ほぼ同時に、遠くを航行していた巡洋艦の旗も動いた。


 さらに駆逐艦が針路を変え、艦隊全体が滑らかに隊形を整えていく。


 まるで見えない糸で結ばれているようだった。


 「きれいですね。」


 思わず口をついて出た言葉に、隣の兵曹長が笑う。


 「ええ。」


 「ですが、この『きれい』を保つために、何百人もの人間が動いています。」


 秋月はもう一度、艦隊へ目を向けた。


 一隻だけを見ていては分からない。


 艦隊とは、互いを信じて動く組織なのだ。


 昼過ぎ。


 通信訓練はさらに複雑になっていく。


 命令が艦橋から発せられ、通信室を経由し、各部署へ伝達される。


 復唱。


 確認。


 実施。


 その繰り返しだった。


 途中、通信室から電話が入る。


 「第二砲塔、通信確認。」


 「第二砲塔、異常ありません。」


 秋月が応答すると、兵曹長が小さく頷いた。


 「少尉。」


 「はい。」


 「命令は、正しく伝えるだけでは半分です。」


 秋月は首を傾げる。


 「半分……ですか。」


 「ええ。」


 兵曹長は海を見つめたまま続ける。


 「受けた者が、同じ意味で理解して初めて命令になります。」


 その言葉に、秋月はしばらく返事ができなかった。


 言われてみれば、そのとおりだった。


 どれほど正確な命令でも、受け取る側が勘違いすれば意味がない。


 旗艦の責務とは、命令を出すことではない。


 誰にでも分かるように伝えることなのだ。


 午後三時。


 一連の訓練が終了し、艦隊は帰投の針路を取る。


 冬の日差しは少しずつ傾き、穏やかな海面を橙色に染めていた。


 秋月は艦尾から航跡を眺める。


 白い波が長く伸び、その先で静かに消えていく。


 その景色を見ていると、不意に胸の奥がざわついた。


 耳鳴りがする。


 ほんの一瞬だけ、視界が揺らいだ。


 白い航跡。


 その向こうに見えたのは、濃い煙だった。


 黒煙を上げる軍艦。


 海面へ落ちる航空機。


 誰かが何度も叫んでいる。


 「……左舷!」


 その声だけが強く耳に残り、映像は途切れた。


 「少尉?」


 兵曹長の声で現実へ引き戻される。


 「大丈夫ですか。」


 「少し海風に当たりすぎたようです。」


 秋月は苦笑して答えた。


 兵曹長は深く追及せず、「艦内へ入りましょう」とだけ言った。


 帰路についた大和は、夕暮れの瀬戸内海をゆっくりと進んでいく。


 艦橋では今日の訓練結果がまとめられ、各部署では反省点が話し合われていた。


 砲術長は最後に一言だけ告げる。


 「今日の訓練で終わりではない。」


 「旗艦に完成はない。」


 その言葉に、誰もが静かに頷いた。


 秋月はもう一度だけ海を見つめる。


 さきほど見た映像の意味は分からない。


 分かったのは、未来が少しずつ近づいているということだけだった。


 だが、焦る必要はない。


 今日、自分が学んだこと。


 今日、自分が見た景色。


 その一つひとつが、いつか未来と向き合うための力になる。


 そう信じながら、秋月は帰港する大和の甲板を静かに歩き始めた。


 ――続く。


あとがき


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今回は「旗艦の責務」をテーマに、戦うことではなく「命令を伝え、艦隊を動かす」という旗艦の役割を描きました。派手な戦闘はありませんが、こうした積み重ねが実際の海軍を支えていました。


また、未来の記憶は物語の軸として、ごく短い断片だけを描く形にしています。これらの断片は今後少しずつ繋がり、一つの歴史へ収束していきます。


本作は史実への敬意を第一に、歴史と創作の境界を大切にしながら描いています。面白いと感じていただけましたら、ブックマークや評価、感想で応援していただけると励みになります。


次回 第20話「静かな海」

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