Ⅰ
凍てつくような冬の息吹が、王都アルディミアの重厚なる石造りの城壁を容赦なく打ち据えていた。鉛色に淀んだ分厚い雲は天空を低く垂れ込め、陽光の恩恵を地上から完全に奪い去っている。風が尖塔の間をすり抜ける度に、まるで古の亡霊たちが嘆き悲しんでいるかのような、甲高く物悲しい咆哮が王城の広大な中庭に木霊していた。灰色の石畳には前夜から降り続いた雪が薄らと積もり、黒鉄の門扉に施された王家の紋章――双頭の鷲――の上にも、冷酷なる白が音もなく降り積もっている。この厳冬の景色は、かつて栄華を極めながらも無惨に没落した、ある一族の運命そのものを象徴しているかのようであった。
王城の奥深く、陽の光すら届かぬ薄暗い回廊を、一人の女が歩みを進めていた。彼女の名は、エレオノーラ・フォン・ヴァーレンベルク。いや、今となってはその誇り高き家名すら、口にすることを禁じられた罪人の娘に過ぎない。かつてヴァーレンベルク公爵家は、建国の祖よりこの王国において最も神聖なる血脈を受け継ぎ、王室の剣にして盾として、数多の戦場において赫々たる武勲を立ててきた名門中の名門であった。しかし、半年前の春、王位継承を巡る醜悪なる宮廷の陰謀と、政敵たちの卑劣なる偽造書簡により、公爵家は「国家叛逆」の濡れ衣を着せられた。敬愛する父である大公は、真実を弁明する機会すら与えられぬまま、冷たい雨の降る処刑台にてその高潔なる生涯を閉じた。領地は没収され、一族は離散し、一人残された大公の純潔なる令嬢エレオノーラは、その命を長らえさせる対価として、かつて自らが主人として君臨したこの王城において、最も身分の低い下働きとしての労役を科せられたのである。
彼女の身を包むのは、もはや上質な絹でも、異国より取り寄せられた豪奢な天鵞絨でもない。粗末な麻で織られた、灰色にくすんだ侍女の衣であった。暖炉の火を起こし、冷たい井戸水を運び、床を磨き上げるという過酷な労働は、かつて琴の弦を弾き、刺繍の針を持っていた彼女の白魚のような指先を容赦なく荒れさせた。しかし、どれほど外見が貶められようとも、エレオノーラの内に宿る精神の気高さまでを奪い去ることは、誰にもできなかった。彼女の歩みは、冷たい石の床を踏みしめる度に、まるで神殿の祭壇へと向かう巫女の如き静謐さと威厳に満ちていた。背筋は古き神殿の大理石の柱のように真っ直ぐに伸び、亜麻色の長い髪は質素にまとめられているものの、その一筋一筋が微かな光を捉えて黄金の如き輝きを放っていた。彼女の双眸――深く澄み渡った湖面を思わせる蒼玉の瞳――には、絶望も、悲哀も、怨嗟の炎すらも宿ってはいない。そこにあるのは、ただ静かに運命を受け入れ、己の魂の純潔のみを死守せんとする、氷のように冷たく、そして刃のように鋭い「矜持」であった。
その夜、王城の中心に位置する「琥珀の間」においては、冬至を祝う豪奢を極めたる大餐会が催されていた。天井に描かれた天地創造のフレスコ画を照らし出すのは、幾千もの蜜蝋燭が灯された巨大な水晶のシャンデリアである。その無数の光の粒は、壁面に掛けられた金糸銀糸のタペストリーに反射し、空間全体を黄金色の海のように染め上げていた。長大な樫の木の食卓には、王侯貴族たちの虚栄心を象徴するかのように、過剰なまでの馳走が並べられている。香草を詰め込まれた白鳥の丸焼き、蜂蜜と葡萄酒で煮込まれた猪肉、異国から運ばれた色彩豊かな果実の山。そして、銀の杯に次々と注がれる真紅の葡萄酒は、まるで彼らが吸い上げる民の血の如き濃厚な香りを放っていた。
楽師たちが奏でるリュートとヴィオールの調べは、貴族たちの空虚な笑い声と、真意を探り合う陰湿な囁き声にかき消されている。豪奢な絹のドレスに身を包み、首筋を重光な宝石で飾った貴婦人たちは、扇の陰で他者の没落を嘲笑い、己の権勢を誇示することに余念がない。その狂乱と退廃の坩堝たる宴席の隅で、エレオノーラはただ静かに壁際に控え、主たちの杯が空になるのを待つという役割を黙々とこなしていた。
彼女の現在の「主」たるは、新興の伯爵家から成り上がった令嬢、マルグリットであった。マルグリットは、かつて社交界の華として君臨し、誰もがその美しさと教養にひれ伏したエレオノーラに対し、長年にわたり暗くどろどろとした嫉妬の炎を燃やし続けていた女である。公爵家が没落した際、マルグリットは多額の賄賂を用いて、わざわざエレオノーラを自らの専属の侍女として引き取ったのだ。それは慈悲などではなく、かつて見上げることしかできなかった高潔なる白百合を、自らの足元で泥に塗れさせるという、下劣極まりない優越感に浸るためであった。
「エレオノーラ。私の杯が空になっているのが見えないの? 公爵令嬢であった頃の傲慢さが、未だにあなたの目を曇らせているのかしら」
マルグリットの甲高い、金切声のような嘲弄が響き渡った。彼女は扇をパチンと閉じ、意地悪く唇を歪めながらエレオノーラを見下ろした。周囲にいた貴族たちは、その声に気づき、面白半分に卑劣な笑みを浮かべて二人を取り囲んだ。彼らにとって、かつての手の届かぬ高嶺の花が屈辱を受ける姿は、極上の見世物に他ならなかった。
エレオノーラは一言も発することなく、優雅な所作で銀の盆を手に取り、マルグリットの元へと歩み寄った。その足取りにはいささかの躊躇いもなく、また媚び諂うような卑屈さも微塵も存在しない。彼女はただ、礼儀作法に則り、正確無比な角度で一礼をすると、重い銀の壺を持ち上げ、マルグリットの杯に真紅の葡萄酒を注ごうとした。
その瞬間であった。マルグリットは意図的に、己の腕を大きく振り上げた。彼女の腕に飾られていた重い金の腕輪が銀の壺に激突し、大きな金属音と共に、壺の中の葡萄酒が宙を舞った。真紅の液体は、マルグリットのドレスの裾ではなく、エレオノーラの灰色の衣、そして彼女の足元の純白の大理石の床に、まるで鮮血のように無惨にぶちまけられたのである。
「きゃあ! 何という愚鈍な真似を!」
マルグリットはわざとらしく悲鳴を上げ、後ずさった。そして、周囲の貴族たちに向けて、誇張された怒りの身振りを見せつけた。
「ご覧なさいませ、皆様! この愚図は、私のドレスを汚そうといたしましたわ。やはり、叛逆者の血筋は、どこまでいっても卑しい野蛮な血でしかございませんのね! さあ、エレオノーラ。這いつくばって、その薄汚れた手で床を拭き清めなさい! 自らの罪の深さを噛み締めながら!」
広間は一瞬にして水を打ったような静寂に包まれた。誰もが息を呑み、次なる惨劇、すなわちかつての公爵令嬢が涙を流し、惨めに許しを乞う姿を期待して、目を爛々と輝かせていた。
しかし、エレオノーラは泣き叫ぶことも、弁明することもしなかった。彼女の蒼玉の瞳は、一切の動揺を見せることなく、ただ静かに己の足元の赤い染みを見下ろしていた。そして、彼女はゆっくりと、実にゆっくりと、床に膝をついた。




