16.兄が見ている世界 —三者面談③—
兄がお母さんを呼びに行き、二人で進路指導室へ入ると、担任の先生が口を開いた。
『大坂君は、何事にも真面目に取り組んでいて、しっかり成果も出しています。
教師側から見ても、とても優秀な生徒です』
そこまでは、普通だった。
だが次の瞬間、担任は続けた。
『大坂君は、大学進学は考えていないのか?
国立大学の学校推薦型選抜でも、十分合格できると思っています』
その瞬間、あっくんが目を細めた。
あ、これ少しイラッとしてる時の顔だ。
敵認定までは行ってないけど、かなり警戒してる。
担任が問いかける。
『どうでしょうか?』
すると兄は、少し間を置いてから静かに聞き返した。
『どちらに対しての問いでしょうか?』
お母さんへ聞いているのか。
それとも自分へ聞いているのか。
そこを確認したかったのだろう。
担任は、一瞬だけ言葉に詰まり、
『大坂君は就職希望だったな。
お母さんは、どうでしょうか?』
と、お母さんへ視線を向けた。
するとお母さんは、落ち着いた声で答える。
『この子の将来のことです。
この子の望む通りにお願いします』
だが担任は、なおも食い下がった。
『大学を卒業してから就職した方が、待遇面や給与面でも高卒より有利な場合が多いです。
大坂君なら、推薦でかなり有利に受験できます。
どうでしょう?
大学受験を考えてみませんか?』
この担任、あっくんの顔を全然見てない。
ずっと、お母さんだけを見て話している。
“お前の子供なんだから、お前が説得しろ”
そんなふうに聞こえる。
でも、お母さんはさっき、
「あっくんの望む通りに」
って言ったよね?
どういうつもりなんだろ。
するとお母さんが、静かに確認した。
『私へ問いかけられている、という認識で合っていますか?』
『もしそうであれば、先程も申し上げた通り、この子の望む通りにお願いします』
担任は、不満そうな顔を浮かべると、今度は兄へ向き直った。
『大坂。お前、進学希望だったか?』
え?
どういうこと?
最初の話を無かったことにして、
ここであっくんが「はい」って言ったら、
そのまま進学へ持っていくつもりだったの?
すると兄は、淡々と答えた。
『就職希望です。
この高校へ入学してから、一度も就職以外を望んだことはありません』
だよね〜。
あっくんの意見を強制的に変えられるの、じいちゃんくらいだもん。
そのじいちゃんが今ここにいない以上、覆るわけがない。
兄の返答を聞いた担任は、明らかに不貞腐れたような態度になった。
『で、どこを受けたいんだ?』
さっきまでの丁寧さは、完全に消えている。
兄は気にした様子もなく、
『〇〇株式会社です』
と答えた。
担任は短く、
『おう、分かった。次のやつ呼べ』
と言った。
その瞬間。
周囲の空気が、一気に張り詰めた気がした。
横を見ると、いかついおじさんは今にも殴りかかりそうな顔をしているし、にこやかなおばさんは、いつの間にか小刀を取り出していた。
怖い怖い怖い怖い。
だが兄は、その二人を軽く手で制すると、
『分かりました。ありがとうございます』
とだけ言って、普通に退室した。
進路指導室の外では、生徒指導室のおばさん先生が待っていた。
『じゃあ、決めた会社以外の求人票のコピーは、私の前でシュレッダーに入れてね』
『名前は何だったかしら?』
『大坂です』
『大坂篤志君ね。受ける会社はどこかな?』
『〇〇株式会社です』
『じゃあ、〇〇重工と〇〇製作所の求人票をシュレッダーへ入れてね』
『はい』
兄は、二社分の求人票を静かにシュレッダーへ入れた。
紙が裁断される音だけが、やけに大きく聞こえる。
『はい、確認しました。お疲れ様』
『失礼します』
その様子を見ていたお母さんが、
『私は先に帰るけど、一緒に帰る?』
と聞いた。
すると兄は、
『今日は久しぶりに部活へ行くから、帰りはバスで帰るよ』
と答えた。
その後、兄は廊下で待ってる次の順番の人を呼んだ。
『まりちゃん、次どうぞ』
次、まり姉だったんかい。
わたしがそう思っていると、まり姉が小声で兄へ尋ねた。
『どこに決めたの?』
『〇〇株式会社』
兄が答えると、まり姉は少しだけ表情を和らげた。
『教えてくれて、ありがと』
そんなに急いで聞くことかな〜。
そう思いながら教室へ戻ると、すぐにクラスメイトから声が飛んできた。
『大坂、どこ受けることになったの?』
『〇〇株式会社』
兄が答えた瞬間。
『うわ、一枠消えた……』
そんな声が、あちこちから聞こえてきた。
第一希望だった生徒は、進路希望の会社名の蘭へ二重線を引いている。
その光景を見て、わたしはようやく理解した。
学校推薦での就職って、“受けたい会社を受ける”んじゃない。
“枠を取った人しか受けられない”世界なんだ。
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