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13. 兄が見ている世界 —帰宅—

近くで客待ちをしていたタクシーを見つけ、兄は後部座席の右側へ乗り込んだ。


真ん中には、にこやかなおばさん。

左側には、いかついおじさん。


そのとき――

助手席に、女の人が座っているのが見えた。


…いつの間に?


いかついおじさんと、おばさんが即座に警戒する。


『あのひと――』

わたしが言いかけた瞬間、


『黙れ』

兄が低い声で遮った。


白い着物の女の人とは違う。


全体的に暗く、

髪もぼさぼさで、

顔もよく見えない。

別人…だと思う。


兄は、運転手の後頭部だけを見るように、視線を固定していた。


運転手がバックミラー越しに聞く。

『どちらまで?』


『〇〇の墓地までお願いします』

その言葉に、運転手が少しだけ表情を固くした。


『え……墓地ですか?』


『はい。

少し疲れているので、着いたら起こしてもらっていいですか?』


そう言うと兄は目を閉じた。


『……わかりました』

運転手は微妙な声で返事をした。


しばらくして、

『お客さん、着きましたよ』


その声で兄が目を開ける。

料金を確認しようとした瞬間―


助手席の女が、

運転席と助手席の隙間から顔を出し、

こちらをじっと見ていた。


『ひっ……』

わたしの声が引きつる。


兄は視線を向けないまま、

『料金いくらですか?

目が悪くて見えなくて』


『1800円ね!』


『ありがとうございます。

1800円です。確認お願いします』


支払いを終え、

タクシーを降りるまでの間。


その女は、

ずっとこちらを見続けていた。


タクシーが去ったあと、わたしは兄に言った。


『墓地までって、普通に言うなよ……。

運転手さん、めっちゃビビってたじゃん』


『じゃあ何て言えばいいの?』


『適当に近くで降ろしてもらえばいいじゃん』


『毎日疲れてるの。移動中くらい休ませてよ』


兄は面倒そうに言った。


『ていうか、運転手さんの隣にいた女の――』


『言うな。無視しろ』

兄が鋭く遮る。


『興味持たれたって思われたら、

追ってくるから』


『え……』

思わず周囲を見る。


すると、

少し離れた場所に、

さっきの女が立っていた。


いかついおじさんと、にこやかなおばさんが、すぐ前へ出る。


近寄らせないように威嚇しているようだった。


『もうこの体嫌だ……』

わたしが泣きそうな声で言うと、


『じゃあ今から病院戻る?』


『絶対やだ』


『じゃあ贅沢言わない』


『はい……』

わたしは素直に黙った。



夕方のお務めは、

朝とほとんど同じだった。


兄は、

すれ違う人へ丁寧に挨拶をしながら歩いていく。


墓へ着くと、

伸びた草を見つけては抜き、

鞄から取り出した袋へ入れていく。


そのあと、

深く息を吸い込み、

静かに一礼した。


『今日一日、

ありがとうございました。

これからも、どうかよろしくお願いいたします』


そう言って経を読み、

最後にもう一度、

深く頭を下げた。


帰ろうとしたそのとき。


遠くに、白い服を着た長髪の女が立っていた。


ずっと、こちらを見ている。



家の敷地へ戻ると、

兄は、

いかついおじさんと、

にこやかなおばさんへ礼を言った。


離れへ入ると、遊んでいた子供達が、一斉にこちらを見る。


『あー!

あつしさま、おかえりなさいませー!』


『ただいま。

今日もいっぱい手伝ってくれたんだよね。

いつもありがとう』

兄は笑顔で頭を下げる。


さらに、

子供達の後ろに立っていた、

若い女の人達にも礼をした。

『皆さんも、

今日一日ありがとうございました』


…やっぱり、

兄には普通じゃないものが見えてる。

そう思うしかなかった。



『さて、風呂入るか』

昨日あれだけ騒いだし、

今日は静かにしておこう。


…そう思っていた。

でも。


『あっ!下、ちょっと生えてきてる!』

思わず叫んでしまった。


『今日は赤飯か!?』


『違うだろ』

兄が真顔でツッコむ。



食卓へ向かう。


『お茶漬け、たくわん、味噌汁、冷奴……』

わたしは固まった。


『病人食か?』


『今の俺の食べたい物だから、

何も言うな』

兄はげんなりした顔で言う。


『夏バテ気味で、

食うのもしんどいんだから』


『だから成長遅いんだよ』


『おっぱいの?』


『違うわ!そっちじゃねえ!ち〇こだよ!』


『今日、ありちゃんのことめっちゃ見てたじゃん』

『あれはロマンだろ!もはやメロンだぞ!』


わたしが力説すると、兄は真剣な顔になった。


『確かに。必死に薄い胸動かして、

頑張って呼吸してるの見たときは、

俺も泣きそうになった』


『誰が薄い胸だ!!』


『自覚あったんだ』


『わたしも、おっぱいちゃんとあるわい! しっかり見てみろ』


『次お見舞い行ったとき、ちゃんと見てみるよ』


『やっぱ見るな!!』



食事を終え、歯を磨いたあと、

兄は母屋へ向かった。


外は少し暗くなり、提灯を持った人達が歩いている。


兄は、見かけるたびに挨拶していた。


母屋へ着くと、仏壇の前で深く頭を下げる。


今日無事だったことへの感謝。


そして、これからもよろしくお願いします――


そんな内容を静かに唱え、経を読む。


終わると、兄は離れへ戻った。


『昨日もやったの?』

わたしが聞くと、


『毎日してるよ』

兄は当然みたいに答えた。


『昨日は、終わった後、

離島から戻ってきた人がいて、

そのまま病院へ強制連行されたけど』


『……来てなかったら、わたしどうなってたの?』


兄は少し考えてから言う。

『耐えられなくなったら飛び出して、

また吸い寄せられて……

それを容体安定するまで繰り返してたんじゃない?』


『じゃあ、

今の状態になってなかった可能性もあるの?』


『わかんない。

別のタイミングでなってたかもしれないし』


いつも通り、曖昧な答えだった。


『……この状態で良かったのかな』


その問いに、兄は少しだけ真面目な顔になる。


『それは、俺じゃなくて、

これからあいちゃんが決めることだよ』


ほんと、この兄は――。



『じゃあ行くか』

兄は立ち上がり、両親の部屋へ向かった。


『何するの?』


『明日の三者面談。

この三社のどれかにしようと思ってる』

母は静かに頷いた。


『あっくんの将来なんだから、

あっくんが決めなさい』


『じゃあ〇〇株式会社で言うからよろしく』


それだけ言って、兄は自室へ戻った。


軽っ!!


『将来の話だよ!?

二分もかかってないじゃん!』

わたしが叫ぶと、


『そもそも忘れてたくせに何言ってんの?』


その一言で、わたしは黙り込む。


兄は目を閉じたまま、秘密箱を開き、

ノートへ何かを書き込む。


そしてまた、静かに閉じた。


『……相変わらず器用ですこと』


そこまでして、わたしに見せたくないらしい。


わたしは呆れながら、小さくため息をついた。

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