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17. お姉ちゃんを襲う悪意



 ジスランが中期経営計画書を手にウォルジー伯爵家へ押し掛けてから、数週間。


「殿下! この収支表、計算が間違っていますよ!」

「申し訳ない! すぐに直す!」


 王子を新人事務官のごとく教育する継母の鋭い叱り声が響く。

 その傍らでは、ジスランの助言を参考にしながら、植林による治水対策の現場責任者として、フルールが生き生きと蔓を操っていた。


 そして何より、王家御用達の銘酒と極上料理に釣られ、私よりも先に籠絡(ろうらく)されてしまった父。

 ……今や実の娘の顔を見るより、彼との晩酌を喜んでいるのではないだろうか。



 そんな騒がしくも奇妙な光景は、いつしかウォルジー家の「新しい日常」となっていた。






 だが、その平穏は唐突に、思いもよらない形で破られることになる。


「……見つけたよ、ソフィー。今度こそ僕を、僕の愛を受け入れてくれ」



 とある日の午後。

 執務室で一人、ペンを走らせていた私の前に現れたのは、帝国の元王子レオポルドだった。


 屋敷の警護は万全だった。

 並の賊であれば、敷地内に足を踏み入れることすら許さないほどに。


 だが、王家に次ぐ財力を持つ公爵家が、禁断の道具にまで手を伸ばし、組織的な力をもって強行突破してくるとは想定していなかったのだ。


「レオ、ポルド……様。どうしてここに……」


 反射的に魔法を使おうと右手を掲げた瞬間、レオポルドが手鏡を模した古びた魔道具を突き出した。


 室内を淡い光が満たし、指先に集まりかけた魔力は霧のように形を失い、大気へと溶け消える。


「ど、どうして魔法が使えないの…!?」


「その力のせいで、ソフィーは間違ってしまったんだね。魔法なしでちゃんと僕と話をしよう? そうすれば君だって、僕こそが運命の相手なのだと思い出せるはずだよ」


 まさか、あれは――。

 戦時下に開発され、あまりの凶悪さゆえに封印されたという、周囲の魔力を強制的に霧散させる禁忌の遺物。


 ……あんなおぞましいものが、どうして彼の手に。



 レオポルドの瞳は濁っていた。


 あの夜会で令嬢を襲おうとしていた低俗な男どもと同じ。あるいはそれ以下の、救いようのない下卑た笑みで、彼はじりじりと私に迫ってくる。



 魔法を奪われてしまえば、私はただの非力な小娘でしかない。


 距離を詰めるレオポルドに抗う術もなく、私は一歩、また一歩と後退し、とうとう壁際まで追い詰められた。


 レオポルドの獣のような荒い呼吸が耳元まで迫る。


 私は奥歯を鳴らし、固く目を閉じて身をすくませた。


 指先一つ動かせない。

 背後の壁の冷たさだけが、逃げ場のない現実を突きつけてくる。




 だがそのとき、私の視界を遮るように、黒髪の青年が猛然と立ちはだかった。


「彼女に――その汚い手で触れるな……っ!」


 ジスランだ。


 彼は魔法が使えない分、日々鍛え上げているその身体で、力強く床を蹴り、驚異的な速さでレオポルドの懐に飛び込んだ。

 そのまま襟首を掴み、力任せに投げ飛ばす。


 だが、レオポルドも元王子として最低限の武術の心得はあるのか、難なく受身をとって即座に立ち上がった。


「……お前は、帝国の元王子だな? 祭典で見かけたことがある。何故、ここに……」

「……ねぇ、ソフィー。なんで僕以外の男が、君の側にいるの?」


 レオポルドはジスランの問いなど耳に入っていない様子で、その全身を舐めるようにねめ回した。


 やがて、ジスランの騎士服の肩口に刻まれた、この国の王家を示す紋章を認めると、その顔を醜く歪ませる。

 どこから情報を得ていたのか、彼は低く「お前か……」と毒を吐くように呟いた。


「お前が、ソフィーをたぶらかした悪い虫か。ソフィーの隣は僕の場所だ。……邪魔な人間には、消えてもらおう」


 相手が丸腰であるとわかったからだろう。

 レオポルドは怯むどころか、獲物をいたぶるような目をジスランへと向けた。


 魔道具を握りしめていない方の手で、腰から短剣を抜き放ち、ジスランに切っ先を向ける。



「ジスラン、さま……っ!」


 私は無力だった。

 あの夜会の令嬢と同じように、身体を縮こませて震えることしかできない。



 研ぎ澄まされた刃が、ジスランの胸を狙って突き出される。

 ジスランは武器を持たぬ身であることを恐れず、紙一重で刺突を躱し、隙を突いて重い蹴りを叩き込む。


 片手に魔道具を後生大事に抱えているせいか、レオポルドの動きはどこかぎこちない。


「王族の分際で、殴り合いだと? 落ちぶれたものだな!」

「黙れ! 彼女を守るためなら、誇りなどいくらでも捨ててやる!」

「お前のような害虫は、彼女の隣にふさわしくない!」

「ソフィーに甘え寄りかかろうとしている寄生虫はお前の方だろう!」


 ジスランは身を削り、切り傷を増やしながらも、決して私への道を開けなかった。



 だが、乱戦の最中。

 もつれ合った衝撃でレオポルドが魔道具を取り落とした瞬間――空気が、止まった。



 ほんの一瞬の間。

 ハッと我に返り手を伸ばすレオポルドより、ジスランの足がわずかに速かった。


「――しまっ、」


 ジスランのブーツの底が、怪しげな光を放つアンティークを容赦なく踏み砕く。


 バキッ、という破壊音。


 次の瞬間。

 抑え込まれていた私の魔力が、ダムが決壊したかのような勢いで溢れ出し、部屋中に吹き荒れた。




 魔力の枷から解き放たれた私は、ゆらりと魔法を全身に纏わせて立ち上がる。


「……ジスラン様。下がっていてください。あとの掃除は、私がやります」

「あ、ソフィー……」


 ジスランが呆然と見守る中、一方的な「蹂躙」が始まった。


 目に見えるほどに凝縮された空気の塊が、衝撃波となってレオポルドを壁に叩きつける。


 息つく暇も与えず、私はさらなる魔力を注ぎ込んだ。

 逃げ場を失った彼を、今度は頭上から降り注ぐ暴風の重圧が容赦なく押しつぶす。慈悲のない風圧は、彼の腐った妄執ごと、その骨を軋ませ砕かんばかりに壁へと縫い付けた。


 そこにいたのは、たった独りで全てを屈服させる、「強者」としての私の姿だった。


「が、はっ……あがっ……!?」


 文字通りボロ雑巾のように転がったレオポルドを見下ろし、私は静かに息を吐いた。



 そこへ、満身創痍のジスランが、瞳を爛々と輝かせて進み出る。


「ソフィー、実に見事な戦いぶりだ。ああ、やはり貴女は素晴らしい」

 陶酔したように語りかけてくるジスラン。



 だが、彼は見逃さなかった。


 魔法という絶対的な力を一時的に奪われ、初めて抗えぬ暴力に晒された私の指先が、今なお微かに震えているのを。




 私は、背後から迫る「別の恐怖」に身を硬くした。


 彼は「強い私」に惹かれたのだ。

 だとしたら、普通の令嬢のように震える無様な姿を晒せば、その期待を裏切ることにならないだろうか。


 差し伸べられた彼の手を、どうしても掴めない。

 触れられた瞬間、我慢していた何かが決壊し、泣き崩れてしまいそうだったから。


 幻滅を恐れ、逃げるように視線を泳がせる。



 ジスランはゆったりと私の前に立つと、その強張った手を逃さず、大きな掌で優しく包み込んだ。

 凍てつく指先に、彼の熱がじわりと溶け込んでいく。


 恐る恐る顔を上げれば、そこには灰色の瞳を細め、慈しむようにこちらを見つめる彼の姿があった。



「俺が、貴女を守れて嬉しい」


 蕩けるような甘い声。



 ――だが、私に注がれていた熱が、レオポルドを射抜いた瞬間に凍りついた。

 王族としての威厳に満ちた、頼もしい支配者の眼差しへと豹変する。


「肉体的な制裁は今、貴女が済ませた。ならば、法的な、そして社会的な抹殺は、ぜひ私に任せてくれないか? 徹底的に、二度と日の光を拝めぬよう、我が名にかけてやり遂げよう」


 そう言って彼は、私の震える肩に、ふわりと自らの騎士服をかけた。その横顔には、私への確かな親愛と、敵を一切容赦しない冷徹な断罪者の貌が同居している。



「だから今回は、俺に甘えて?」


 ジスランは私の耳元を掠めるように顔を寄せ、甘い不穏な余韻を残して微笑む。そして、私の恐れを丸ごと包み込むように、力強く、それでいて壊れ物を扱うような手つきで優しく抱きしめた。


 わずかに血の匂いが混じる、けれどひどく温かな彼の腕の中で。

 私は小さくひとつ頷いて、その広い胸に顔を埋めた。




「法的、社会的な抹殺――我が名にかけて完遂してみせる」


その言葉に偽りなし。

ジスランが仕掛ける、容赦なき「ゴミ清掃」の果てに待っていたのは……


一人の男として、ソフィーの隣に立つ資格だった。


「……もう、『お姉さま』とは呼ばないで」


揺れ動く乙女心と、最強の布陣で挑む最高の結婚式!

伯爵家再興のドタバタ物語、ここに堂々の完結。


最終話は本日18時半頃更新予定です!

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