距離を縮めるには、愛称。
「ふ、ふん。あれは貴女の為ではないわよ。格下の家の令嬢に借りを作ったままなんて、プライドが許さなかっただけ」
「ふふっ、そうですか」
嫌味が通じないことに、彼女は驚いている。どれだけ酷い言葉を投げつけられようとも、攻撃力はゼロどころか「アンドリッサらしい」と微笑ましく感じるだけなのだ。
「フォーサス公爵令嬢には、猜疑心というものがないのかしら。誰にでも簡単に心を許していると、簡単に足元を掬われるわよ」
「ぜひ、マーガレットとお呼びください。なんなら、マギーでも」
「脈略のない人ね!」
愛称を呼ばせようとする私を指差して、彼女は憤慨している。おそらくは、羞恥と喜びを誤魔化す為だろう。
「お姉様!」
その時、遠くから全力疾走で私の名前を呼ぶライオネルの姿が目に入り、その場にいた誰もの首がそちらへと向いた。
「無事ですか、マーガレットお姉様!」
動きやすい軽装に訓練用の剣を片手に持ち、荒い呼吸が隠せないほどに肩を上下に震わせている。
「まぁ、ライオネル。訓練お疲れ様。よければ一緒にお茶とお菓子をどう?今日はチーズケーキよ」
「本当?それは嬉しい……じゃなくて!」
側から見れば、私に向かって人差し指を突きつけながら赤い顔で眉を吊り上げているアンドリッサは、どう見ても私を叱責している。彼は偶然それを見て、私を助けだそうと急いでやってきたのだろう。
「今、コンドルセ公爵令嬢にお願いをしていたの。ぜひ、私を《マギー》と呼んでいただきたくて」
「マ……っ!それはお姉様の愛称……!」
ライオネルは目を血走らせながら、がつっと私の肩を掴んだ。
「どうして、どうしてそんな⁉︎僕でさえ、まだ一度も呼んだことがないのに!」
「だって、仲良くなりたいんだもの」
そう口にすると、今度は彼の茶色の瞳がみるみるうちに潤み始める。私を心配したりヤキモチを妬いたり、なんて可愛い弟なのかと、今この場で悶えそうになってしまった。
「それに、コンドルセ公爵令嬢にはご恩があると忘れたわけではないでしょう?」
「あれはお姉様が命を張って助けたからで……っ」
「だから返されて当たり前だと言うの?貴方はそんな考え方はしないわよね?」
ぐっと覗き込むように顔を近付けると、彼は困惑した表情で唇をへの字に曲げた。
「弟の無礼をどうかお許しください」
「わ、私は別にこの程度のことで腹を立てたりはしないから」
「流石です、コンドルセ公爵令嬢」
褒められて嬉しいのか、それともまだ不満があるのか、彼女はむっとした顔で視線をあさっての方向へ向けた。
「この私と懇意にしたいと言う割には、貴女だって名前で呼ばないじゃない。やっぱり口だけなのね」
「お姉様を悪く言うのは止めてください!」
「こら、ライオネル」
いちいち噛みつく弟を宥めるのは、なかなかに骨が折れる。ゲームの中では義理といえど姉弟だったのに、今は馬が合わないらしい。
「ファーストネームで呼ぶことを、許可していただけるのですか?もしくは、アン様と」
「……貴女、なぜ私の愛称を知っているのよ」
「それは、私達は縁者ですから」
薄っぺらい設定の遠い遠い親戚で、ちゃんとした血の繋がりがあるのかすら怪しいけれど、まぁ上手く利用するに越したことはない。
「私とても嬉しいです、アン様」
「許可した覚えはないわ、まったく」
口ではそう言いつつも、彼女は止めろと言わない。正にツンデレの鑑のような女の子だと思う。
「お姉様!僕のことも愛称で呼んでください!」
すかさず、ずいっとライオネルが体を前に突き出してきた。
「あら、貴女嫌がるじゃない。私にはちゃんと名前を呼んでほしいって」
「それとこれとは話が別です!」
とんだ謎理論でも、ライオネルなら全て許せてしまう。
「ちょっと。今彼女は私と話をしているのよ。さっきから横槍を入れてばかりで、失礼だわ」
「お姉様は僕のお姉様です!」
これはさすがに、公爵令嬢に対して取るべき態度ではない。こっそりと彼の手を握り、厳しい視線で合図を送った。
「申し訳ありません、アン様」
「ふん、分かればいいわ」
「これに懲りず、どうかまた我が屋敷へいらしてくださいね」
にこにこしながらそう言うと、彼女は照れ隠しのように小鼻を膨らませていた。




