四章 女子高生と人殺し
∴ ∵
「そういえば、兎警部から今朝、電話がかかってきました」
「え? マジか?」
私と深夜はあのまますぐに電車に乗り、安西さんの大学に向かっています。目的や確固たる意思を持っての行動ではないですが、きっと、大学に行けば、あの人に会えるだろうと思っての行動でした。
「どんな用件だったんだ?」
「小さな声で『あの……昨日の事は忘れてくれたまエ……』と言っていました」
「……そ、そうか」
深夜にも事件のあらまし、篝さんが犯人ではないことを伝えてあります。深夜はなんとも言い難い表情で聞いています。
「まあ切る寸前、慰めの言葉をかけましたが」
「……へぇ、なんて言ったんだ?」
「昨日という出来事は私の一生の思い出となるので決して忘れません。兎警部、失敗や間違い、選択ミスに痛恨のミスはよくある事ですから、気にしないで下さい、と。兎警部は検挙率で言うと2.1%の方でしたが、次は頑張って下さいと。思いつく限り、出来る限りのフォローをその後もしたんですが、何故かその後、鼻をすする音と共に電話を切られました」
「……兎警部、旅に出たかもな」
「何故ですか? 今回の事がそんなに応えたのでしょうか?」
「うん、電話なんかしなきゃよかったと思ってるよ」
兎警部、役割はピエロだったんですかね。
やがて大学のある駅に着きました。私と深夜は以前来たとき同じように、普段と変わらない会話をしながら大学に向かいます。ほどなくして校門が見えました。最初は入るのに、色々ゴタゴタがあるかもしれないと思いましたが、あっさりと、中に入ることが出来ました。
「意外にすんなり入れたな」
深夜が不思議そうに言います。殺人事件があったのに、身分証の確認もせずに中に入れるというのは、いささか警戒が足りないように思えますが、開放的な大学という仕組みが問題なのかもしれません。それとも、日本という国の危機管理能力が低いのか。
「面倒にならないに越したことはありません。さあ、安西さんの研究室に行きましょう」
安西さんの研究室にまっすぐ向かいました。そして、研究室のある建物に入ろうとしたところ、また以前のように、篝さんは中庭でコーヒーを飲んでいました。私たちは研究室に向かうために進めていた足を、篝さんへと方向転換させます。
篝さんは凛々しい表情の中に、若干の疲労感を滲ませていました。それでも、私と深夜が声をかけると、その疲労感を隠し、笑顔を私たちに向けて挨拶してくれました。
「お前等か、どうしたんだ?」
「こんにちは。昨日は大変だったみたいですね」
「ああ……本当にな。でもま、無実が証明されたからよかったよ」
「私たちも篝さんが無実だと知っていましたから、良かったです」
ふと、私は右手に見える食堂を見ました。そこの窓ガラスに、とても学生とは思えない二人組みの男性が、こちらを見ています。その二人に目を向けると、慌てて目を反らします。
「篝さん」
「解ってる」
篝さんは呆れたように、溜息と共に言いました。
「大方、私が何かボロを出さないか見張っているんだろ。証言があったと言っても、売店のおばちゃん一人の証言だからな。見間違いや勘違いってーのも考えてるんだろうな」
「無駄ですのに」
私のその台詞に、篝さんは苦笑しました。
「嬉しい事を言うな。ま、真犯人でも捕まらない限り、私の疑いは晴れないだろうがな」
自重気味に篝さんは言います。真犯人。未だ警察も掴めていない、それどころかなんの手がかりもなくなったこの状況で、篝さんを犯人にしたくてしょうがないのでしょう。身の潔白が証明された今、それは間違いだというのに。
「では、真犯人を捕まえに行きましょうか」
「え?」
驚いた表情を浮かべる篝さん。そんな篝さんに微笑みながら、聞きました。
「一つ、篝さんに聞きたいことがあるんですが」
「あ、ああ……なんだ」
「今日、篝さんは何故大学に来たのですか?」
「それは……」
篝さんは、僅かに躊躇いを見せながらも、言います。
「橋本に、言われて……」
「橋本さんに、誘われたんですね?」
篝さんが言うよりも、先を読んで私は言いました。警察からストーカーされている篝さん。好奇の視線だけでなく、不審に疑心の視線までも投げかけられる視線の数々。私は篝さんの目を見ます。困惑の色を見せましたが、それでもはっきりと、予想通り頷きました。
「そうですか、それなら大丈夫です」
私はその答えに満足すると、安西さんの研究室に行くことにしました。
「では、篝さん。これからちょっと行くところがあるので、私たちは失礼します」
「あ、ああ……」
篝さんに挨拶し、13号館へ向かいました。すると、篝さんが私たちを呼び止めます。
「おい!」
私は、ゆっくりと振り向きます。そこには、混乱している篝さんが立っていました。
不幸にも、犯人にされた。
「お前は……灯夜坂は、さっき言ったな」
「………」
「私が犯人じゃないと知っていると」
「………」
「なら……なら……」
篝さんは泣きそうな、苦しそうな顔で、言いました。
「お前は犯人を、この事件の犯人を―――知っているのか?」
篝さんは先ほどより、自分が疑われている時より、悲愴を、疲労を滲ませた声で聞きました。
堪えきれない、感情、表情を、漏らすように、私は、嗤いながら言いました。
「ええ」
肯定の言葉。
篝さんは何も言わず、立ち尽くします。
そんな篝さんを置いて、私達は安西さんの研究室のある13号館へと入っていきます。深夜は篝さんの方と私を不安そうに見て、私の後に付いてきます。
さあ、嗤いましょう。
思い通りになっている現実に、勝利の微笑みを。
∴ ∵
根拠もなく、私はこれから犯人と思しき人物に会いに行くのではありません。
ただ、気になることがいくつかあるのです。
本当に些細なことで、簡単な言い訳で反論ができなくなってしまうレベルの些末。
けれど、これまでの経緯を見て、篝さんが犯人に仕立て上げられた気がしてならないのです。
何故、篝さんが犯人と疑われたのでしょう。ほかにもたくさん、怪しい人やアリバイがない人間がいるにも関わらず、まるで、初めから用意されたスケープゴートのように。
証拠も何もない状態ですが、私は犯人を予想します。兎警部曰く、私は物語の主人公的な立ち位置の、勘違いした女子高生らしいので、だったら何も引け目を感じる必要はないということです。どんな事を言われようと、どんな事になろうと、私が行動した結果は、ミステリ好きのバカ、で済まされてしまう。本当、あの兎警部に言われた事に腹を立てているなんてことは微塵もないですマジで。超ムカつきましたが、兎警部が杜撰で勘違い女子高生よりもお粗末な結果を残した今、怖いモノは何もありません。
私は研究室のある13号館へ、足を踏み入れました。エレベーターが立ち入り禁止となっていたので、仕方なくエレベーターの横にある階段で、安西さんの研究室に向かう事にします。
一階……二階……、やはり、階段で七階まで登るのは辛いです。深夜はそれでも平気そうにしていますが、か弱い私にはとてもきついです。辛いです。嫌です。
「深夜……私を担ぎなさい」
「なんでだ!?」
「か弱い彼女に階段を登らせるなんて、彼氏失格ですよ?」
「これくらい登れよ」
正論を言われました。いつだって正論が人を傷つけるんです。
「解りました。では深夜の意を汲んで、お姫様抱っこでいいです」
「何の意を汲んだの!? むしろそっちの方が危ない辛い!」
「なっ……そうですか、ならいいです。抱っこで我慢します」
「違う違う。担ぎ方の問題じゃないから」
「抱っこでも不満ですか! なら深夜はどう私を担ぎたいというんですか!」
「逆切れ!? だから担ぎたくねえんだよ!!」
大声を出したせいか、疲労が倍になりました。深夜も同じなのか、それから七階に着くまでお互い一言も喋りません。七階に着き、膝に手をつき肩で息をしていると、深夜が言いました。
「燈莉、あれ」
顔を上げ、深夜が指差す方を見ると、そこは安西さんの研究室でした。
誰かが入っていく後姿。ああ、やっぱり。
「なんで、来たんだろう」
「決まってるじゃないですか」
あの日、というより昨日。私と深夜は、安西さんの部屋でアレを見つけました。きっとアレは、誰が見ても何の変哲もない物。しかし、きっと、あの人には、意味がある。
私は近くにある窓から、下を見ます。
篝さんがいる、先ほどいた辺りに。そこには、こちらを見上げる、視線が一対。
見えているのでしょうか、見えていないのでしょうか。と、視線が、絡む。
何を言いたいのでしょう?
何が言いたいのでしょう?
解りませんよ、解らない。もし知りたいなら、ここまで、来ればいいしゃないですか。
私は、貴女を呼びません。視線を逸らしました。
「さて、それじゃあ、行きましょうか」
私は歩き出します。一歩一歩、迷うことなく、迷う必要なく。
安西さん、私は貴方を疑っています。きっと、締沢さんを殺したのでしょう。
あの笑顔。あの笑顔は、嗤っていて、笑ってない。
恐らく、あれは一線を越えた、いえ、それよりもたちの悪い、一線を超えた事にすら気づかない、最悪の人種。 父から見せてもらう資料の中に、たまに見る存在。
殺人鬼にもなれない、殺人者にもなれない、ただの人殺者。
殺人鬼のような感動もなく、殺人者のような感情もなく、人を殺した人。ただの、人。
それが一番、たちが悪い。
殺人鬼のような愉悦も喜悦も悦楽もなければ、
殺人者のような恐怖も恐慌も恐縮する事もない。
ただ無知に、ただ無我に、ただ無碍に、生き続ける。
そんな貴方は、怖いです。だけど、貴方は死んだ。人殺者の貴方が、殺された。
それは一体、誰の仕業でしょう?
殺人鬼の所業か、殺人者の仕業か、それとも、同じ人殺者の、共食いか。
その答えを知る為に、私はドアを開けます。安西さんの研究室の、ドアを。今まさに、あの人が入っていった部屋の中へ。
「失礼します」
私がノックもなしに部屋に入ると―――橋本さんと、水倉さんがいました。
「ど、どうしたの?」
橋本さんが驚きながら、動揺しながら私に聞いてきます。そうでしょう。ここに私が来るなんて、他の誰かが入って来るなんて、予想外。何故なら……。
「下に、篝さんがいましたよ」
「え?」
橋本さんは、何を言われたのか解らないような表情をしましたが、それは一瞬で、すぐにいつもの優しい表情になりました。
「ええ。私が下で待っててって、言ったの」
この事件の関係者は、今、全員が篝さんを注目しています。
だから、だから、同じ事件の関係者が、同じ場所にいても、目を向けられるのは、篝七。
彼女は身代わりで道化。可愛く愚かな、スケープゴート。
そんな事は露ほども表に出さず、橋本さんはニッコリと微笑んでいます。
私は、そんな彼女を見て、心の底から、『感心』しました。
彼女は見ていません。
友人である篝七を、人間である篝七を、仲間である篝七を、彼女は見ていない。
「確か、灯夜逆さんに深夜君だったよね? 忘れ物でも取りに来たの?」
「おお! どうしたんだ二人とも?」
水倉さん。先程考えた事。それは、この人にも当て嵌まるのでしょうか?
まぁ、まずは全てを告げて、始まりの鐘を鳴らしましょう。
「ええ、大事な事を忘れていました」
橋本さん、水倉さん、それぞれに、同時に、言い放ちます。
「この事件の、犯人に会いに来ました」
その言葉と同時に、ノックも挨拶も無しに、嘉川刑事が入ってきました。
「立ち入り禁止なのにいるのかなってっわっ! 本当にいる!」
「こ、こんにちは」
橋本さんが、戸惑いながら嘉川刑事に挨拶します。私は無表情に無関心に、嘉川刑事を無視します。橋本さんは混乱しているようです。闖入者が二人来たと思えば、来るはずのない警察が、目の前に。まぁ嘉川刑事は、大方兎警部に言われて来たのでしょう。
だから、邪魔だけはされない。だから、問題は別。
「早くしないとGWが終わってしまうので、さっさとする事にしたんです」
私は、薄く、嗤いながら、告げました。
ココロから湧き上がる高揚感。快感に近い、征服欲。この場すべて、私の空間。
「真犯人を、橋本さん、貴方を捕まえに来たのですよ」
頭の中で、嗤い声が聞こえた気がしました。
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