待状08 - ガーデンノット05
クールな女性が庭園を進んでいくと、しばらくして周囲の情景が変わり始めた。彼女を取り囲むように現れたのは、ガールズバンドのメンバーと思われる女たちだった。服装こそラフだが、その表情にはそれぞれ異なる疲労の色が色濃く滲んでいた。
一人が弱々しく、力のない声で呟く。「……私たち、売れないね」
もう一人が諦めきった溜息を吐き出す。「音楽は好きだけど、誰も聴いてくれないなら意味がないよ。ネットに上げても反応ゼロだし……もう嫌になっちゃった。ショックが大きすぎるよ」
最後の女は俯き、絞り出すような低音で告げた。「私……彼氏の子を妊娠したの。もうバンドなんてやっていられない」
クールな女性はその場に佇み、彼女たちの言葉を一つひとつ噛みしめるように聴いていた。やがて、彼女は口を開いた。声そのものは大きくなかったが、そこには長年押し殺してきた怒りと痛みが凝縮されていた。
「黙れ! 黙れ! 黙れ!!」
次第に張り上げられていく声。ついに感情の堤防が奔壊したかのように。「私たちが始めた時……ガールズバンドなんて未来がないことくらい分かってて、それでも突き進んだんじゃないの!?」
彼女の声が微かに震える。限界を迎えた感情が溢れ出していた。「なんで5年も経たないうちに終わらせようとするの!? 私は好きだから曲を作ってきたの! あなたたちは違ったの!?」
その叫びには、かつて背中を預け合った仲間へ向けた真実の痛みが宿っていた。庭園に束の間、静寂が訪れる。まるで風さえも息を呑んだかのように。
群衆の端に立つ駱馥琪が、低く呟いた。「彼女……本当に心から思っていたのね」
酷酷な女性の悲痛な叫びが、余韻となって庭園内に響き渡っていた。
鄭愷苑はその震える背中を見つめ、言葉に宿る重みに胸を突かれたようだった。彼女は古珞鸒へ振り返り、真剣な眼差しで問いかける。「……あなたはどう見る?」
古珞鸒はすぐには答えなかった。クールな女性の姿を静かに見つめ、声の余韻が完全に去るのを待ってから、ゆっくりと口を開く。
「あなた……この人たちがどうやってこの副本に引き込まれたと思う?」
鄭愷苑の返答を待たず、彼女は平淡なトーンで言葉を紡ぐ。「さっき神様が言っていたわ。『ここでは異物が猛威を振るうことは許されぬ』って——私たちが『魔物』だと指摘した瞬間、即座に排除されたでしょう?」
古珞鸒は首を微かに傾げ、パズルのピースを提示するように繋ぎ合わせた。「この副本……ただの縁結び(糸の引き合わせ)だけに留まるものじゃないのかもしれないわ」
彼女は視線を上空へ走らせ、再び庭園へと戻した。それ以上は何も語らなかった。鄭愷苑もつられて空を見上げたが、視界には何も映らない。視線を戻すと、庭園の中でようやく呼吸を整え始めた女性の背中に落とした。理解しきれてはいないものの、水面下で何かが蠢いているのではないかという予感が、彼女の胸に芽生え始めていた。
◇
その時、クールな女性が突然振り向き、鋭い視線を潘穎嫆とオタ活の女(追星女)の方向へ一直線に突き刺した。あまりにも唐突な、先ほどの「黙れ」という怒りの余熱を帯びた眼光。収まりきらない感情の、新たなハケ口を探し当てたかのような鋭利さだった。
潘穎嫆はその視線に気圧され、思わず半歩後退した。「……な、何よ?」
自分が何か咎められるようなことをしただろうかという、純粋な困惑が声に滲む。
巻き添えを食らったオタ活の女も意図せぬ矛先に驚き、あからさまに一歩退いて、安全な距離を保とうとした。
◇
男性陣の側では、精明男が横から歩み寄ってきた。傍らには一人の連れを従えている。紹介するような、慎重な面持ちで口を開いた。
「彼は僕の友人でしてね。最近、この副本に巻き込まれるようになったんです。僕らは臼井レイキ(臼井靈氣)の学びを通じて知り合いまして」言葉の唐突さを懸念するように、一拍置く。
明兄(陽哥)は彼を一瞥し、飾り気のない直球を投げかけた。「お前もコバンザメしに来たのか?」
精明男はそこまでストレートに言われるとは思っていなかったらしく、表情を硬直させた。「あ……ええと、ということは……あなたも?」
陳硯之はそのやり取りには加わらず、視線をクールな女性へ向けたまま首を傾げた。「なんで誰も、あの女が急に人を睨みつけた理由を考察しないんだ? 彼女が睨んでたのは古珞鸒たちの方向——いや、おそらくアパン(潘穎嫆)だな。一体どうしたんだ?」
劉張三が思案の末、慎重に推測を口にする。「……逆恨みかもしれないな。さっき二人に対して自分から紅い糸を投げたのに、何の反応も返ってこなかったからだろ」
陳硯之は眉をひそめ、納得のいかない様子で反論した。「頼んでもいないのに勝手に投げてきたのは向こうじゃないか」
程晉陽が何かに思い当たったように口を開く。「さっきのガールズバンドの幻影で、自分の中に怨みや怒りが溜まっていたんじゃないか? その鬱憤を、自分に糸を返してくれなかった二人へぶつけた……とか」
陳硯之は頭を掻きむしり、ややこしさに溜息をついた。「糸をくれたと思ったら、今度は逆恨みかよ……」
クールな女性は視線を外し、相変わらず険しい表情のまま歩みを再開していた。振り返ることもなく、佇むこともない。先刻の刺すような眼差しだけで、言葉を必要としない感情の発散を完了させたかのように。
しかし彼女の見せた反応は、男女双方の陣営に明確な警戒感を抱かせるに十分だった。誰もが不審の念を強め、この庭園のルールが当初考えていたほど単純なものではないかもしれないと、認識を改め始めていた。
潘穎嫆は手元に増えた新たな紅い糸を見下ろし、割り切れない苛立ちを漏らした。「はぁ……この糸、切り捨てたくてたまらないわ」
鄭愷苑は彼女を一瞥し、心底安堵したように呟く。「ほんと、縁なんてものは自分の思い通りにならないわね……早く中に入っておいて正解だったわ」
その言葉を聞いた駱馥琪は、あからさまに焦りを表情に浮かべた。「そんなこと言われると怖くなってきたわ……私も早く入ったほうがいいかもしれない」彼女の視線が庭園の入口へ泳ぐ。今すぐ突入すべきか計算を巡らせている様子だった。
古珞鸒も小さく溜息をつき、滅多に見せない躊躇いを声に滲ませた。「……私も、順番が気になり始めてきたわね」
◇
クールな女性が進むにつれ、庭園の景観が無音のうちに切り替わっていった。
前方に現れたのは彼女の父親だった。長年蓄積されてきた不満を、ここぞとばかりに吐き出すように険しい表情を浮かべている。傍らには母親が立ち、宥めようと試みていたが、その言葉は夫の怒声と娘の沈黙の間に掻き消され、対話の確心に届くことはなかった。
「バンドなんてバカな真似はやめろ」「早くまともな仕事を探せ」「時間を無駄にするな」「男を見つけて嫁に行け」——吐き捨てられる言葉は、どれも焼き直しのようなものばかりだった。
クールな女性は反論しなかった。聞き古した言の葉を淡々と浴びながら、摩耗していく境界線を静かに引き締め直すように佇んでいた。微かな声すら発することなく。
庭園の端でその背中を見つめていた古珞鸒が、過去の記憶を手繰り寄せるようにぽつりと呟いた。
「……あの姿、ある人を思い出させるわ」
鄭愷苑が振り返る。「誰?」
古珞鸒の手が、そっと自分の後頸に触れた。「周可兒よ」
潘穎嫆が鄭愷苑よりも早く反応し、うんざりした声を上げた。「またあの女なの!?」
鄭愷苑は一瞬無言になり、深く頷いた。「……そう言われると、確かに少し似ているわね」
それ以上、誰も言葉を継がなかった。
庭園内では、クールな女性が父親の幻影を通り抜けていた。振り返ることも、足を止めることもなく。
庭園を抜け出そうとしたその瞬間、范樂儀が彼女に向かって一筋の紅い糸を投げ入れた。大袈裟な動作ではなかったが、一切の躊躇いもない一投だった。
クールな女性は手元に落ちた糸を見下ろし、露骨な驚きを表情に浮かべた。
范樂儀は多くを語らず、複雑な感情を宿した平淡な面持ちで言い添えた。「……親の件、わかるわ」
それ以上は何も言わなかった。紅い糸が、彼女の手元でゆらりと揺れた。
古珞鸒は微かに首を傾げ、范樂儀の背中に視線を走らせて思索を巡らせた。
鄭愷苑も視線を追い、さして気に留めない風で口を開く。「案外、気があうのかもしれないわね」
潘穎嫆も考えを巡らせて言った。「人の縁なんて分からないものね。本人も予想外だったんじゃない?」
その時、駱馥琪が意を決したように庭園の入口へ向かって急ぎ足で踏み出した。気が変わらないうちに境界線を越えてしまおうという、躊躇のない足取りだった。
残された三人が同時に呆気にとられ、鄭愷苑が真っ先に声を上げた。「どうしたの!?」
駱馥琪は振り返ることなく、一言だけ投げかけた。「長居は無用よ!(夜長夢多)」
その身はすでに、庭園の領域へと踏み込まれていた。
◇
酷酷な女性が庭園を出てくると、彼女はオタ活の女へ一瞥を投げた。怒りの残滓を帯びた「忘れていないからな」という無言の牽制。そのまま足を止めることなく、彼女は范樂儀のいる方向へとまっすぐ歩み寄っていった。
鄭愷苑はその根に持った視線を見送り、「……相当、根に持ってるわね」と呟いた。
潘穎嫆は手元の糸を見下ろし、真剣なトーンで反芻した。「……ほんと、引きちぎりたいわ」
◇
庭園内に入って間もなく、駱馥琪の側端から声が上がった。高くも低くもないが、しっかりと彼女の足元へ届く通る声。
「……見つけたぞ」
彼女が声の主へ視線を向けると、そこには背の高い男が立っていた。確信に満ちた口調で告げる。「前回の時から、君とは気が合いそうだと思っていたんだ。紅い糸を贈るよ」
駱馥琪はあまりにも唐突な言葉に絶句した。
後方からその光景を目撃した鄭愷苑は、思わず声を張り上げた。「おおおっ!? 全然気づかなかったわ!」
潘穎嫆も驚きを隠せずに見入る。「……意外ね、あの時の古宅で認識されてたんだ?」
駱馥琪は手元の紅い糸を見下ろし、すぐには状況を飲み込めずにいた。顔を上げ、再びその男を注視する。人違いではないことを確認すると、彼女は慎重かつ礼儀正しく微かに頷いた。
「……前回の古宅の時の人ですね。ありがとうございます」
◇
反対側では、一向に動こうとしない湯志傑に対し、劉張三が不審そうに問いかけていた。「お前、なんで投げないんだ?」
湯志傑は頭を掻き、気まずそうに答える。「いや……あまり接点がないから、何て話しかければいいか分からなくてさ。それに、もう別の男から投げられてるだろ? なら糸の節約かなって」
陳硯之がそれを聞き、心底意外そうに目を丸くした。「何度か一緒に副本を攻略した仲じゃないんですか?」
劉張三が記憶を辿りながら助き船を出す。「まあそうなんだけどな、会話した回数が少なくて……なんというか、つかず離れずの関係なんだよ」
そのやり取りを聞いていた明兄が、陳硯之へ顔を向けた。「じゃあ俺はどうする? 投げるべきか?」
陳硯之は少し考え、湯志傑と庭園の入口へ視線を往復させながら慎重に答えた。「僕はいつだって傑哥の判断に従ってますから……明兄が決めてください」
明兄は振り返り、精明男を凝視した。「お前、糸はどれくらい残ってる?」
精明男が掌を開いて見せると、明兄の持ち分より明らかに多かった。明兄は続けて彼の友人へ視線を走らせる。「お前は?」友人も差し出してみせたが、精明男よりは少なく、明兄よりは多い。
明兄は一瞬沈黙した後、二人の肩を力強く叩いた。重大な任務を託すような重々しいトーンで語りかける。
「……女性の尊厳を守る役目、お前たちに託す」
微かに首を振り、庭園の入口を暗示するように顎をしゃくった。「彼女も、あの『大物(古珞鸒)』の仲間だ。意味は分かるな?」
精明男の表情が微かに引き締まり、陳硯之の方向を伺うと、大体の意図を察したようだった。友人も一瞬無言になり、手元の糸の量がその「託された重み」に耐えうるか推し量っていた。
陳硯之が隣から真顔で追撃する。「僕も、二人なら理解してくれると信じてますよ」
精明男は覚悟を決めたように頷いた。「……傑哥の糸が心もとない以上、僕が代理を務めましょう」
彼は意を決し、手中の紅い糸を駱馥琪に向かって投げ入れた。堂々とした声で宣言する。
「傑哥と僕自身の誠意を込め、紅い糸を贈ります! 手ぶらで帰る心配はなくなりましたが、受け取ってください!」
湯志傑(傑哥)は耐えかねて大爆笑した。「ハハハ! 若いのに気が利くな! 気に入ったぞ!」
劉張三は自分の頼りない手元を見下ろし、後ろめたそうに呟いた。「助かった……そうでもしないと俺たち、相当気まずい空気になるところだったからな」
精明男の友人も周囲の熱気に背中を押され、決意を固めて糸を放り投げた。緊張で声を上ずらせながら。「僕の気持ちも明兄と同じです! この紅い糸に僕の真心と誠意を込めます!」
鄭愷苑は吹き出し、腹を抱えて大笑いした。「プッ、ハハハハ! 事情を知らない人が見たら、あいつと明兄がそういう関係かと勘違いするわよ!」
潘穎嫆も笑いを漏らす。「緊張しすぎでしょ!」
駱馥琪は手元に増えた新たな糸を見つめ、苦笑しながら首を横に振った。「ありがとうございます! でも、私大した役には立てませんよ?」
予期せぬバトンリレーの末に届いた糸に、彼女自身一番驚いているようだった。
古珞鸒も思わず笑みを零した。「あの人たち、どうして『紅い糸』と『男の尊厳』を同義に捉えているのかしら?」
だが言葉の終わり際、彼女の微笑みが微かに陰った。冗談めかした言葉の裏にある、無視できない真実に自ら触れてしまったかのように。「……あるいは、本当に同義なのかもしれわね」
于奕孺玄が揺るぎない確信を込めて追従した。「間違いなくそうですよ。周りの女たちが、みんな見ていますから」
古珞鸒は彼女の視線を追い、周囲の女たちの眼差しを巡らせると、黙って頷いた。
鄭愷苑の笑い声は未だ収まらず、野次馬としての満足感を漂わせる。「これで琪も最低三本ね。上々の滑り出しじゃない」
潘穎嫆は自分の手元を再び引き気味に見下ろし、どこまでも真剣なトーンで呟いた。
「私の一本……本気で引きちぎりたいんだけど」




