『ノア』
「『隼』も堕ちたか」
そう、笑みの滲んだ声を震わせる。そうして、装置と繋がれた十字架に張り付けられた少女を眺める。うなだれた身体。しかし尚その瞳は、気丈に皇帝を睨みつけていた。
「もう、終わりです。ノアが来てくれる」
「ふ、『烏』が来る。それがどうした?」
「ノアが、貴方を止めます。楽園は成りません」
『祈憶姫』かつて、逃げ延びた王妃がそうであったように。代々の『祈憶姫』がそうだったように、引かず、屈さず、信じて、目の前の悪を糾弾する。
「奴が現れて、どうする。余を倒すか? それはできぬのだよ、姫」
「……?」
「己がその足枷になるという自覚は、ないのだろうな」
「ッ――! そんな……」
「奴は、姫、貴様がいる限り余を倒すことはできない。『烏』の弱点など、余が知っていて当然であろう?」
不気味に、卑しい笑みを浮かべて、来る一羽を嘲て見せる。絶対なる自信、それが、帝国皇帝であり、最強の七人を統べる者の余裕。
王に、相応しくない。そして、頂点として最高の理想。それが、ジェローム・ヘルシャ・ブレン十三世。
一切の躊躇なく、目的の為ならば全てを犠牲にする男。
その一端を目の当たりにし、インネは背筋に冷たいものを覚える。
「ノア……」
ただ、彼を祈りながら、磔にされた少女は瞳を伏せた。
◇◇◇
二人の進軍に瞳孔を大きくした帝国兵達を屠り、ノアとクロノスは玉座の間の目の前まで到達した。これまでの道筋、遭遇した帝国兵は数人程度。その警備の手薄さに違和感を覚え、クロノスに同意を求める。
「まるで罠、とでも言いたげだな」
「十中八九そうだろうな、とでも言いたげですね」
軽口を叩きながら、しかしその瞳に笑みはない。リロードを終えた銃を構えて、ノアは隣の師に目配せする。頷いたクロノスを横目に、ノアはその扉を蹴り開けた。
「インネッ――!」
見慣れた玉座の間。深紅のカーペットが敷かれ、ただひたすらに薄暗い空間。そして、玉座の上に磔にされた、一人の少女。
「ノア! 逃げ――」
「――来たか、『烏』」
ぱっと、明るくなった空間。突然の閃光に目を細める。声の主を探すため、ぐるりとあたりを見回したノアは、ついにキャットウォークのような二階部分に、その姿を捉える。
「皇帝――!」
ふんと鼻を鳴らした皇帝は、そのままノア達を睥睨し、次に磔にされたインネを見やる。力なく項垂れているインネ。特に外傷は見当たらないことに安堵したノアは、握る回転式拳銃を皇帝に向ける。
「『七核』は落ちた。もう貴方は終わりだ、インネを解放しろ」
「ジェローム。もういいだろ、テセウスがいない今、お前に手はない」
吠える二羽を無言で見つめたジェロームは、片手を額に当て顔を俯ける。手駒の消失に絶望した、かのように見受けられた皇帝。しかし次の瞬間には
「ふ、ふふ。はははははは‼ ――終わり? 否、始まりだ」
仰け反る程の笑みを零し、額を支える指の隙間から、ぎらつく眼光を覗かせた。その双眸に、ぞくりと背筋に何かが走るのを覚えたノア。全身が鳥肌に包まれ、嫌な予感が脳裏で警鐘を鳴らす。
「のう、『烏』」
「……?」
猛禽類のような鋭い眼光をこちらに向けて、にやけた相貌を晒しながら語りだす。
「余が、なぜ貴様に退役を許したと思う?」
「なにを……?」
「なぜ、余が『七核』を全て貴様にぶつけたと思う」
「僕を、疲弊させるためじゃないのか?」
「否。なら『隼』だけでよい」
「――何が言いたい?」
以前として意図のわからい問いを投げるジェローム。終わらない問答に苛立ちを覚え、ノアは鋭く問う。しかし、ノアの心とは裏腹に、問答をやめるつもりはないと皇帝は瞳で語る。
「よくぞ、全ての『七核』を打倒した」
「は……?」
「余の見込みは違えておらなんだ。――貴様らは余の計画が、その小娘を使った支配だけだと思っているだろう」
「……まかさジェローム、貴様!」
「師は察しがいいようだな、クロノス・ウォーリ」
「――ッ!」
拳を握りしめるクロノス。しかし、気づいたはずのその先の言葉を紡ぐに至らない。それが、どれほど恐ろしいことで、そして、それがどれほどノアに影響を与えるか、わからなかったから。しかしそれが余計に、ノアを混乱に陥らせる。
「ふ、師の口からは語れぬか。よい、余が直々に高説垂れてやろう」
「『烏』よ、貴様は全ての『七核』を倒した。『英雄』、『隼』をも打倒した。それが何を意味するか、貴様にはもう理解できよう」
「――っ!」
『鳰』『梟』『鷲』『鷹』『隼』。帝国最強の五人を打倒し、そして皇帝の御前で銃を構える。それが何を意味するか。もはや、考える必要もない、名実共に、ただ明白な一つの事実
「――帝国最強。貴様はもはや誰も超えうることのない存在、余の計画の一端、それはな『烏』。貴様だ」
「僕が、貴方の計画……?」
「『祈憶姫』、その力で支配する。だが、そのためには圧倒的な武が不可欠。それが貴様だ」
そうして、歓喜に震える声で、皇帝は手を差し伸べる。
「『烏』よ、もう一度余の手駒となれ」
「なっ――! どんな冗談だ……!」
「冗談、余は妄言などつまらぬことは言わん。余につくのなら、そこの姫は無傷で返そう」
「な……⁉」
なにを、言っている。そう続けるはずの言葉が、途中で停止する。無意識に、向けていた銃口が下がり、思考が麻痺する。
「おい、ノア⁉」
銃を下したノアの異常に一早く気づいたクロノスが、その名を呼んで正気を確かめる。しかし、もはやノアに、その声は届かない。ただ、一つの目的を、それで果たすことができるのなら、ノアは――
「ふ、その気になったか」
「だめッ――ノア‼」
叫ぶインネの声が響き、ジェロームが不敵に笑う。クロノスが顔を伺おうとしたその時、うつむけた顔を上げたノア。そうして、ゆっくりと腕を持ち上げる。
選びかけた選択肢。それは、違う。それでは何も守れない。そんな未来は御免だ。だから、
その手に、確かに銃を握りしめて。
「大丈夫、インネ。僕は、君を助ける」
その、どちらともつかない返答に、眉を顰めたジェローム。困惑するインネを横目に、ノアは皇帝に向き直る。
「……その手には乗らない。テセウスとも約束したんだ、貴方を、否定すると――!」
「…………」
握る愛銃のサイト越しに、彼の敵をその瞳に捉える。絶対なる決別と、確固たる決意を手に、ノアは紡ぐ。
「僕は、『アンタレス』のノアだ」




