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解釈

 次の日の昼前、スミス個人精神病院のジェイムズ・スミス医師からマーテンスに連絡が入った。

「昨晩、Eメールを受け取ったスミスですが、わたしの方も気になることがあるので、お昼でもご一緒しませんか?」

 そこで場所を指定し、マーテンスは出かけることに決めた。

 何度か行ったことがあるスシ・バーで、精神科医としては珍しいがっしりした体躯のジェイムズ・スミス医師を見つけると、マーテンスは僅かに恐縮しながら握手を求めた。

「ラルフ・マーテンスです。半年前の、ポートサイドでの学会以来ですが、結局、呼びだしてしまったようで申し訳ない」

 すると、名を名乗ってからすぐ、スミス医師が本題に入った。

「思い当たる節がありましてね」

 とスミス医師が言った。

「以下はオフレコですが、おそらく、あなたの仄めかした患者はロイ・バーネットでしょう。シンシア・バーネットの兄である」

 マーテンスは首肯いた。

「それで、もしかしたら、あなたはシンシアの口から、ジャック・トーマスなる名前が出てくるのを聞きはしませんでしたか?」

 言われて、マーテンスは記憶を探った。正確な名前は憶えていない。が、確かにシンシアはその名前の主から電話がかかってきたと言い、自分に近づいてきたのではなかったか?

「ええ、憶えはあります」

 とマーテンスは答えた。

「もっとも、その人物と話はしませんでしたが……」

 マーテンスが答えると、ジェイムズ・スミス医師は、うむ、という感じで首を縦に振った。

「単刀直入に言いますと、その名前の人物と、もうひとり、ジル・クレムという名前の女性は存在しません。その二人はバーネット兄妹が創り上げた想像上のカップルなのです」

「カップルですか?」

 疑問を呈し、マーテンスは自分の中で事実関係が仄かに繋っていくのを感じた。

「ええ、カップルです」

 とスミス医師が答えた。

「もうお気づきでしょうが、ティーンエイジャーの頃、二人は性的関係にありました。最初はただふざけていただけらしいですが、性的にもっとも興味が膨らむ年頃でもあり、両親が旅行で出かたその日、二人は結ばれました」

「それは、今でも?」

「いや、そのとき一回だけだったようです。もっともわたしの判断では、それから二、三回は関係があったように思われますがね。後になって、精神的ダメージを多く負わせたのが、最初の一回だったのでしょう。だから、彼女もその後のことは本当に忘れていた」

「シンシアもスミス先生の患者だったんですか?」

「最初の患者は彼女の方だったんです」

 ウェイトレスがにぎりの上と茶と醤油と割箸を運んできたので、二人は箸を割り、スシに手をつけた。マーテンスは、食味の違いから特に旨いとは思わなかったが、スミス医師はその日本料理が好きなようだった。

「バーネット家は比較的厳格なピューリタンでしてね。そのこともあり、彼女は行為に対して罪悪感を抱くようになった」

 暫くしてから、ジェイムズ・スミス医師が言った。

「それはお兄さんのロイ・バーネットの方も同じで、いつしか二人はあの行為を創作に変えてしまったんです。何処から名前が出てきたのかは調べられませんでしたが、シンシアはジル・クレムとなり、ロイはジャック・トーマスとなり、最初はその二人の魂が乗り移り、兄妹に行為をさせたのだ、と子供らしく想像していたらしいんですが、そのうち自分たちの存在が消え、名前の人物だけが実在するようになってしまった」

「しかし潜在意識はそのことを忘れておらず、ときとして相手が心配になった際、名前の人物が出てきて兄妹を助けしようとした」

「おそらくシンシアは、あなたに話しかけるきっかけが欲しかったのでしょう。それでジャック・トーマスが出現した。実際の状況はどんなでしたか?」

「シンシア・バーネットが自分の携帯にわたし宛の電話が入ったと言い、診療室を覗き込みました」

「なるほど。……とすると、わたしの読みは外れていなかったわけだ」

 マーテンスの言葉を聞いて、ジェイムズ・スミス医師は大きく首肯いた。牛の握りを口に運ぶ。

「けれども当然、受け取ったその電話は切れており、あなたが不思議がっている心の隙をつき、彼女はあなたに話を持ちかけたわけですね。もっとも彼女は、あなたの心の隙をつくなどと考えてはいなかったでしょうが……。純粋にロイのことを心配していたのでしょう。今となっては通常の恋愛感情とは呼べませんが、彼女はお兄さんが好きなんですよ。妹としてね。だから、ロイの態度が普通でないと感じたとき、とても心配になったのです。しかし相談する相手がわたしでは、忘れたはずの昔のことを思い出してしまう、と彼女の潜在意識が彼女に注意を喚起した。そこでシンシアは相談をあなたのところに持っていったのです」

 マーテンスは黙り込んでしまった。確かに、そのような背後関係があれば、シンシア・バーネットの行動は説明できるかもしれない。昨夜、妻に話した自分の看板解釈のようなものだ。が、とマーテンスはその何処かにすっきりとしないものを感じていた。パズルの要素がまだ出揃っていないのだ。例えば、黒服の男についてはどうなるのだろう? それも、兄への心配が生んだシンシア・バーネトの妄想だとでもいうのだろうか?

「わたしは、こんなふうに考えれば良いと思います」

 マーテンスの疑惑に答え、スミス医師がコメントした。

「その黒服の男の正体は、たぶんジャック・トーマスなんですよ。もちろん正体といったって、彼女が意識の表面では感じていない、潜在意識が信じている正体という意味ですが……。あなたが実際に見られた本物の黒服の男の正体は、もちろんわたしにもわかりません。それこそ、奇妙な偶然だったのでしょうね」

「お兄さんの方の病状はいかがですか?」

「あれは――わたしの判断では仕事疲れが原因だと思いますが――回復に向かっているといって良いでしょう。調べてみると、バーネット家は両親とも精神に少し脆いところがありましてね。両親も若い頃に精神病に罹患した事実があるんです。ずいぶんと前の話ですが……。だから、ロイとシンシアの病気に遺伝でもあります」

「先生は、兄妹のことはご両親には?」

「話していません。もっとも当時、薄々気づいていたかもしれませんがね。だが、信じたくなかったのでしょう。そんなことをすれば、今度は自分たちの精神の方がやられてしまいますから……」

 言って、ジェイムズ・スミス医師は豪快に笑った。

 マーテンスは、それがこの精神科医のストレス発散法なのだろう、と感じた。柔らかではあるが、断定的な話し方もそうだ。人間の精神は他人の影響を受け易い。だから油断していると、精神科医といえども――その罹患機構を良く知っているだけに尚更――患者から精神病を移されてしまうのだ。

「先生の見解では、シンシアのお兄さんの態度に特に異常は見受けられない、というわけですね」

 しばらくしてからマーテンスが訊ねた。

「LLS204は、その効能を発揮しているだけだ、と」

 すると、ジェイムズ・スミス医師はこう答えた。

「ロイはまだ完全に治癒したわけではありませんから、そういった意味では誰か他人に異常感を与えることがないとはいえません。ですが、マーテンス先生の仰るように、あの薬がそれを誘発しているとは、わたしには思えませんね」


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