内臓
シンシア・バーネットを家に送り届け、マーテンスは車を自宅に向かわせた。
イタリアン・レストランとマーテンスの自宅が街の東側で、シンシアの家が街の西南側だったから時間を取られ、時刻は十時過ぎになっていた。
小雨は上がっていた。何の気なしにラジオをつけると、インドの地下核実験や核ミサイル配備、中央アジアの政情不安や暴動等の国際情勢が流れた後、奇妙なローカル・ニュースが聞こえてきた。
「今晩八時頃のことですが……」
とラジオ・アナウンサーが言った。
「ある私立病院に運ばれた女性の内臓器官が焼け爛れ、あるいは融けていたという情報が、病院関係者を名乗る男性から警察に通報されました。その男性の訴えでは、被害者の女性は日頃から日焼けサロンに通っており、その日はついうとうと寝過ごし、照射時間を超過してしまい、それが理由で数時間後体調の不調を訴え、病院に運ばれたところ先の症状を示した、ということでした。知らせを受けた警察が、その私立病院に事実関係を確認したところ、病院側は『そのような事実はない。何故、そのようなデマが流れたのか理解に苦しむ』と困惑を隠せないコメントを公式に表明しました。しかし、それとほぼ同時刻、おそらく先程の男性と同一人物と思われる男性からマスコミ各方面に同じ情報が流され、一部の報道機関がその情報を流してしまったため、病院側は、それから暫くの間、事実関係を確認する一般市民からの電話対応でパニック状態になってしまった、ということです。現在、事態は沈静化していますが、警察は、男性の行方と、また何故そのようなデマが病院に対して流されたのか、背後関係を調べています」
パチン、とマーテンスはラジオを切った。
異常事態はもうこりごりだった。
この街に、いったい何が起こっているんだろう、とマーテンスは思った。
聖パトリック病院の近くを通りかかったとき、マーテンスはふと昼間のリック・ヘンスンの言葉を思い出し、看板に注意しながら車を走らせた。すると、確かに同じ看板が幾つか見受けられた。マーテンスは病院を遣り過ごし、しばらく走ってから、別の方向に車を向け、他にも看板がないかを確認した。看板は全部で十一枚あった。均等とはいえないが、確かに病院を取り囲む形に配置されていた。更にマーテンスは、今見た看板がすべて同じ方向を向いていたのに気がついた。そのどれもが、聖パトリック病院に宣伝面を向けていたのだ。
ぎょっとして、マーテンスはその場から逃げ去るように車を走らせ、一目散に家に向かった。
すでに、家には妻が帰っていた。そのときまでに幾らか気を落ち着けていたマーテンスはコーヒーを入れると、さっき見た看板の状況を妻に話した。
「落ち着いて考えてみれば、」
とマーテンスは言った。
「偶然、だったのかもしれない。看板が宣伝面を聖パトリック病院に向けていたのは事実だが、あの病院は中央道沿いに建っているからね。つまり、看板は道路からよく見える面を宣伝面にして設置されていただけ、とも解釈できる」
すると、妻は眠たそうに答えた。
「見た目の配置と、それが実際そのように配置された状況、ってことね。ああ、ありがとう」
言って、夫から差し出されたカップを受け取り、仄かに薫りたつコーヒーを啜った。
「探偵小説なんかに良く見られる、ミス・リード(読者を誤った解釈に誘導するような記事や文章のこと)みたいなものね。示される幾つかの事実を事実として書けばその重さは均等だけど、そのどれかを印象づければ、読者の目はそれに向かい、うっかり騙されてしまう」
「そういうことだな」
肩を竦めると、マーテンスもコーヒーを啜った。
「妙な暗示に引っかかってしまったのは、こっちの精神の方だったわけさ」
ふう、と息を継ぎ、
「情報操作があったわけじゃないから、もちろん偶然なんだが、仮にこれが幾つも重なると、出来事自体が確固たるものとして存在を主張し始めるだろう。すると、心の中で可笑しいと思いながらも不安だけは膨らんでいく」
「で、やがて精神障害に至る」
「……とは、限らないがね」
とマーテンスは答えた。
「人間の精神は――自分の現実は現実として――思った以上に各人の共通認識を個人の認識の中に取り込んでいるよ。そうでなければ、社会自体が成り立たない」
会話が途切れた。夜の空気が辺りに満ちる。
「わたし、もう寝るわ。明日、早くって……」
暫くしてから、妻のエドナがいった。
「あなたは?」
マーテンスは少し考えてから、
「Eメールを一通送ってからにするよ。新しい精神薬のことで、知り合いの医者に確認したいことがあるんだ」
「わかったわ。じゃあ」
言うと妻は洗面所に向かい、歯磨きを始めた。
マーテンスは書斎に向かった。
パソコンを立ち上げると、送る文面を考え始めた。




