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右腕の判子注射 ―呪われたヒト―  作者: 結川 翔己
第二章

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第二四話 頑張る理由

「雪姉さん!柳瀬は!!」

「おや、凪沙か。安心しなさい、寝ているだけだよ」

「柳瀬……」

「……少しここで様子を見ていてくれるか、お手洗いに行ってくるよ」

「あ……うん……」


***


【 右腕の判子注射 ―呪われたヒト― 】


***


意識がゆっくりと覚めていくのが分かる。生きていることを脳が噛み締めているかのようだった。意識が覚めてくれば布団の温かさとだれかが隣にいるような温もりを感じた。その人は目を瞑る俺の顔を撫でた。その人も俺が生きていることを噛み締めるように、そして、大事ななにかを愛でるように優しく触れる。布団の中から俺の手を取ると、それを自身の額に当てた。

「柳瀬……お願い、死なないで……」

瀧田の声だった。そうか、隣にいるのは瀧田なのか。

瀧田の声と、冷気に触れて少し冷えた腕が俺の意識を覚ます。ゆっくりと目を開けて瀧田を見る。瀧田の姿は神様に願いを乞うているようだった。その姿にフッと笑ってしまう。

「……悪いな、まだ生きてる」

「やな……」

瀧田は間抜けな声とともに顔を上げた。目が合い、その瞳が涙で潤うと同時に立ち上がる。

「ハッ……、柳瀬!!」

一度短く息を吐くと、その勢いで寝ている俺に抱きついた。

「い、いた……いたい……」

「あっ、ご……ごめん……」

俺の言葉にビクッとして体を離す。冷気がまた俺の体を襲う。俺はまだ、自分に力を回せるほど体力が回復していない。

「ん……寒い……」

ひどく疲れていた。それだけじゃなく、人の温かさが恋しかった。俺は痛む腕を広げてそう言った。すると瀧田はまた泣きそうになりながらこちらへ体を寄越した。

「生きててよかった……」

「ん……」

しばらくの間、俺は瀧田に抱き締められていた。瀧田は驚くほど温かかった。


***


「雪さん!柳瀬は」

「こんなところでなにしてんだよお前」

「柳瀬さんの様子は……」

梛桜、柊、芳人くんが三人で並んでこちらにやってきた。梛桜は特に焦っているように見えたが、その三人に向けてシーッと口元に人差し指を置く。

「今感動の再会を果たしているところなんだ。しばらくふたりにしてやろう」

走っていた梛桜はゆっくりと歩いてきた。医務室の中の様子を覗き見ると、少し不服そうな顔をして私の横に並んだ。

「嫉妬しているのかい?可愛いねぇ」

「そ、そんなんじゃ……べつに、そんなんじゃないです」

「まぁ、梛桜とあの子たちとじゃ一緒にいた年月がかなりちがう。仕方がないといえば仕方ないが、それでも思うことはあるだろう」

「……あたしは、ここに異動してきてまだ二年かそこら。でもふたりは一緒に過ごしてもう十年くらい経つの。あたしはふたりのこと、思ってるより知らないのかもしれないって、最近よく思って」

「そうかい。ふふ。梛桜がふたりと仲良くなっているのを感じて、私は嬉しいけどね」

「……仲良く?べつに仲良くはないわ、普通よ」

「年頃の男女にしては、ちょうどいい仲の良さだと私は思うけどね」

「……年頃の男女」

「そう。変に色めき立つこともなく、だからといって常に対立するわけでもない。珍しくちょうどいい関係だ」

「……そう」

「まっ、颯真のことをいちばんよく知ってるのは僕だけどねっ」

「突然横から首突っ込んできてんじゃないわよクソ教師」

「ヒッ、ヒドいワ梛桜ちゃんッ」

「キモい」

「その歳でそれはキツいぞ柊。でもね梛桜、お前は綺麗な顔をしているんだからそんな言葉を使うなんてもったいないよ」

「はーいっ」

会話が一段落すると同時に医務室の扉が開いた。凪沙が中から顔を出す。

「おっ、ほんとだ。みんなごめん、入って」

凪沙に言われ、全員が医務室に入る。ベッドに寝転んだままの颯真は、まだ意識が完全に覚めていないのかうつろな目をしている。こちらに目を向けた颯真は、いつもの気遣いで体を起こそうとする。

「寝ていなさい」

そう言い、額に手を当てた。まだ熱い。熱は下がっていないようだ。

「喋れるかい?」

「……はい」

無理をして頷く颯真に短い息を吐く。少し休ませてやりたいが、あまり時間がないのも事実だった。

「すまないね。休ませてやりたいが、話を聞かせてくれ。今欲しいものはあるかい?」

「いえ……」

「……柊、白湯を準備してくれ」

「はいはい」

「口を開けて」

「あ……」

「喉の赤みはかなり引いているね、痛みはあるかい?」

「いえ……ほとんどないです」

「そう、よかった。熱を測るよ、平熱は三十五度だよね」

「はい」

「了解。じゃあ芳人くん、あとは頼むよ」

「かしこまりました」

芳人くんは私と場所を変わると簡単な事情聴取が始まった。


***


「……すみません、覚えてません」

変な感覚に襲われた。数時間前までは覚えていたはずのすべての出来事が思い出せない。俺はなにをしていた?どこにいた?だれといた?どうしてこんなに多くの傷を負っている?どうして連れ去られた?そもそも連れ去られたのか、その記憶すらない。なにも思い出せなかった。

「……すみません」

「いえ、ご協力ありがとうございました。なにか思い出しましたら些細なことでも構いませんのでお伝えください」

「はい……」

眞部さんは立ち上がり、医務室を出ていった。先生に作ってもらった蜂蜜白湯は、すでに冷たくなっていた。無意識に体の力が入っていたのか、息を吐くと同時にその力が抜けた。


***


柳瀬がその目を再び閉じたとき、うしろからひどく鋭い視線を感じた。

「……先生?」

さっきまで必死にその怒りを鎮めていた先生の視線だった。血の繋がっている大切な柳瀬を傷つけられたことに怒っているのだろう。先生は大きく深呼吸するとなにも言わずに医務室を出ていった。その様子が少し心配になって立ち上がると、雪姉さんに動きを止められる。

「今はそっとしておけ。しばらく放っておけばいつも通りに戻るさ」

俺は雪姉さんのその言葉に頷くことしかできなかった。

「触らぬ神に祟りなし、ね。 ……アンタは、なにも思い出せないの」

七森が俺に放った言葉だった。俺も約一ヶ月前、柳瀬と同じように男に攫われていた身だった。

「……ごめん」

なんの役にも立てないその不甲斐なさから、そんな言葉しか出てこなかった。眠っている柳瀬の頬に触れると、殴られた場所が痛むのか、少し顔をしかめた。


***


第二四話【 頑張る理由 】


***


「えっ」

「うぇ?!眞部さん今日誕生日なの?!」

「うるさ……」

「そうだよ、芳人くんはこの頃忙しいから忘れているだろうけどね」

「当人が誕生日を忘れるほどの忙しさって……相当よね」

「にしても……ふふ、驚いた。凪沙も知らなかったのかい?」

「知らなかった!祝いに行ってくる!!」

「廊下は走っちゃいけないよ」

「うん!!!」

あの日から二日が経った。俺は現場終わりに七森と車椅子に乗る柳瀬を連れて医務室に来ていた。七森が現場で顔に傷を負ってしまったためだった。そしてそこで眞部さんについての驚きの情報を入手した。眞部さんの誕生日、今日らしい。

俺たちは医務室を出て三人で廊下を歩く。いやまぁ、柳瀬に関しては車椅子なんだけど。事務室の扉を開けると、さっき現場報告をした眞部さんが驚いた様子でこちらを見た。

「眞部さん!」

「はっ、はいッ」

「ボリューム考えろ馬鹿、眞部さん萎縮してんじゃねえか」

「あ、ご、ごめ、な、さ……」

柳瀬の言葉で少し冷静になる。忘れてた、ここ事務室だ。

「突然すみません。雪さんに、眞部さんの誕生日が今日だってこと聞いて」

「誕生日……あぁ、そういえばそうですね」

「だから眞部さん、俺たち祝いに来た。お誕生日おめでと!」

『おめでとうございます』

「わ、わざわざすみません、ありがとうございます」

眞部さんは一瞬申し訳なさそうに肩をすぼめた。でも、すぐに嬉しそうに笑った。その純粋な笑顔に、少し申し訳なくなった。

「ごめんね、なにも持ってきてない。今日初めて知ったからおばさんたちにケーキも作ってもらってないし」

「いえ、構いませんよ。こうやって祝ってくださったことがすごく嬉しいです」

眞部さんのその言葉に俺も嬉しくなった。自然と笑顔になる。

「へへっ、喜んでくれて嬉しい。来年からはみんなでちゃんと祝おうね」

「そうね、せっかくの誕生日なんだもの。その日くらいは仕事も忘れて純粋に楽しみましょ」

俺と七森の言葉に静かに頷く柳瀬。柳瀬も俺たちの意見に賛成しているようだ。眞部さんは俺たちの様子を見てまた笑顔になった。

「では、来年はお言葉に甘えますね。皆さん現場で疲れたでしょうから、部屋でお休みになってください」

「うん、分かった!眞部さんこそ、今日は特にムリしないでね。せっかくの誕生日なんだから!」

「はい、ありがとうございます」

眞部さんに送り出されて、俺たちは事務室をあとにした。


***


「柳瀬、もう熱は大丈夫?」

「ああ、問題ない」

まだ体を自由に動かせない柳瀬に代わって俺がその体をベッドに移動させる。昨日まで微熱が出ていた柳瀬は、今朝になるとその熱も完全に下がっていた。それでも殴られたり蹴られたりした体の痛みは引かないらしい。

「腹、見せて」

「大丈夫だ。触ると痛いってだけで、普通に過ごす分には痛くも痒くもない」

「んもーそんなこと言って!」

「本当のことだ」

「ちょっと、イチャイチャするんだったらあたし帰るけど」

「わーごめんごめん!」

「イチャイチャなんてしてねえ」

「言ってろ」

七森が帰ろうとするその行動に柳瀬は服をめくった。柳瀬の白い肌に、痛々しい痕が映える。

「うっわ、昨日も見たけど、相変わらず見てるだけで痛くなるような痕ね」

「さっきも言った通り、触らなければ痛くはない。騒ぐだけ無駄だ」

柳瀬は昔ほど俺たちに隠しごとをすることがなくなったし、ちゃんと甘えてくれるようにもなった。でも、十年以上自分をないがしろにする性格で生きてきた。たまにそれが顔を出す。

「……俺、治癒能力身につける」

『……は?』

自然とそんなことを口にしていた。俺の言葉にふたりが反応する。なにを言っているんだ、という目を向ける。

「お前……治癒能力って……本気か?」

柳瀬は言葉を詰まらせながら言った。にわかにも信じがたい様子だった。

「本気だよ」

「でも……瞬くんでさえ半月かかったんだぞ、半月でも早いって言われるレベルだ。一ヶ月以上は普通、三ヶ月の鍛錬を続けても会得できない人だっている。時間もかかるし労力も必要だ、もちろん集中力だって並じゃ足らない。……分かって言ってるのか」

「もちろん。俺、バカだけどそれは分かってる。でも、柳瀬や、七森のために頑張りたい」

「が、頑張りたいって……そんな理由で」

「柳瀬昔言ってくれたよね、次なんてないって」

「えっ」

柳瀬は驚いた顔をした。柳瀬にそんなことを言われたのは随分と前だった気がする。柳瀬が今のように素直になる前のことだった。

『次があればきっと』

なにかの現場のとき。現場が終わってだったかな。悔しそうに唇を噛む柳瀬に俺がそんなことを言った。もちろん励ますためだった。でもそんな俺の言葉に柳瀬は怒った。

『次?俺たちには次なんてねえんだよ、次は自分が殺されるかもしれねえんだぞ!』

あんなにも冷静さを失った柳瀬は初めて見た。

そのときは大袈裟だと思っていたその言葉の意味は、祟人が大量に発生するようになってから理解できた。

「次なんてないんなら、後悔を残して死にたくない!」

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