第十一話 初めてヒトを殺した日
「じゃあすまないね、少し頼むよ」
「はい」
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【 右腕の判子注射 ―呪われたヒト― 】
***
小児棟で祟人が出たその翌日。今日の授業は昨日に引き続き休みになったので、俺は早速柳瀬の部屋に向かった。
「やーな……あれ?」
いつもはベッドの上で本を読んでいる柳瀬。でもそこに柳瀬の姿はなかった。それどころか部屋のどこにもいない。クローゼットにも、トイレにも、シャワールームにもいなかった。休みの日はあまり部屋の外に出ない柳瀬が部屋にいないなんて、珍しかった。まして今は激しい運動を禁止されている。筋トレや特訓はできない。
「どこ行ったんだろう……あっ」
俺は、もしかしたらあそこにいるかもしれないと思い出した場所へ足を運ぶ。
「失礼しまぁす。あっ、いたぁ」
「ん、瀧田。どうした、怪我か」
そう、医務室だ。寝ている双子を起こさないように静かに入る。医務室に雪姉さんはいなかった。
「あれ、雪姉さんは?」
「雪さんなら今少し出てる。臨時会の資料を印刷するだけだって言っていたから、そうかからないと思うが、緊急か?」
「あ、ううん、気にしないで。俺は柳瀬に会いにきただけだから」
「は、はあ?」
俺の言葉を聞いた柳瀬は困惑の表情を浮かべた。
「へへっ。ふたりはまだ起きない?」
「あー、いや。奈央斗は一度目を覚ました。奈子はまだだ」
「そっか。早く目が覚めればいいけどね」
静かになる暇もなく、医務室の扉が開いた。
「失礼しまぁ……。アンタたち、なんでいつもあたしが行くとこ行くとこにいるのよ」
「あ、七森〜。双子見に来たの?」
「そうよ。雪さんは?」
「雪さんは今いない。用事があって少し出ているだけだ。すぐ戻る」
「ふぅん。奈子は起きた?」
「いや、まだだ。奈央斗は一度目を覚ました」
「そ。よかったわ」
そう会話を続けながら七森は医務室の中まで入ってきた。双子が寝ているベッドの間に椅子を置くと、そこに座る。それからはしばらく、だれも喋らなかった。柳瀬は集中できていない様子で本を読み、双子の様子を見ていたし、七森はただボーッと医務室の壁を見つめていた。
「……初めてヒトを殺した日のことを、覚えてるか」
なにに触発されたのか、静かな空間で柳瀬がそう言った。柳瀬は読んでいた本を閉じる。本を読むのは諦めたようだ。
「……珍しいね、柳瀬がそんな話題を提供するなんて」
「べつに、そういうんじゃねえし」
「あはは、そっか。……覚えてるよ、もちろん」
「そりゃ、忘れたくても忘れられないわよね」
「……そうか」
俺たちのその言葉を聞いた柳瀬は、少し複雑な表情をした。安堵しているような、でもどこか悲しそうな表情。
「柳瀬は?覚えてるの、初めて人を殺した日」
俺は、そんな柳瀬に聞いた。すると柳瀬は、顔を俯かせて泣きそうな顔をして笑顔を作った。
「……覚えてる」
***
「あたしは柊に連れて行かれたときね。あったでしょ?現場に慣れるためにって何度か見学に行かされたこと」
「ああ、あったな」
次の四月から実際の現場で対処をすることになっていた俺たちは今から約半年前、年が明けてから先生が行く現場に代わる代わる見学という名目で連れて行かれていた。
「あのとき柊にボコボコにされて動けなくなった祟人に、これも練習だーってナイフを握らされた。あまりにも非情だったわ。あのときはまだ心の準備ができていなかったの。自分が人を殺すなんてこと、理解はしていたけど考えられなかった。仕方のないことだとしても、すごく怖かったのを覚えてる」
「……瀧田は」
あぁ、これ、全員言っていく感じなのね。柳瀬がそう言って俺のほうを向いたとき、そう思った。その瞬間、俺は悲しい記憶を思い出す。
「俺は、四歳の頃」
「四歳?!」
そのあまりにも早い殺しに、七森が驚いた声を出す。当然だ。俺だって逆の立場なら同じように声を出すだろう。
「ふたりは、無属性って知ってる?」
「……無属性?」
「だよね、今はもういないらしい。少し前から減っていて、最後にいた無属性の呪人を、俺が殺した」
「……」
「俺のね、初めての友達だったんだ、その子。一個下の女の子で、名前は中島小幸っていうの。小さな幸せって書いてコユキって読むんだけど、大人のみんながオサチってあだ名つけて呼んでた。だから俺も同じようにおさちって呼んでたんだ。おさちと俺は結構仲がよかったんだよ。お互いに同じ時期に施設に入って、それに加えて当時、同い年に呪人がいなかった。ふたりともひとりぼっちだったんだ。ふたりで一緒に毎日遊んでた。俺はおさちのことおさち〜って呼んで、おさちは俺のこと、にぃにって呼んで。でも、ある日おさちが小児棟に来なかったんだ。いつもは小児棟の先生に連れてこられるのに、その日はどれだけ待っても来なかった。不安で仕方なくなった俺は、いつもおさちを連れてくる先生に聞いたんだ。おさちはどこ?って。そしたらその先生、黙って俺を担いで小児棟の医務室に連れて行った。医務室の診察台の上には、ぐったりと体を横にして目を閉じているおさちがいたんだ。右腕には黒いあざ。そのあざがひどく顔にまで渡っていた。おさちは祟人になってたんだ」
無属性の呪人は祟人になっても人に危害を与えられるような対象にはならない。でも、祟人になったらアウト。意識は戻らない。ずっと目を覚まさない。
「もうおさちは殺すしかなかった。仕方ないことだった。俺が医務室に行ったとき、おさちはまだ殺されていなかったんだ。だから俺がナイフを握った。でもそれは自分から言い出したのか、だれかに握らされたのか覚えてない。記憶にあるのは、ナイフを抜いたその傷から血がダラダラと流れ出てくる無惨なおさちの姿だけ。そのとき言われたんだ、そこにいた大人のうちのひとりに。よくやったね、えらいねって。世界を知らなかった俺が、初めてそれが世界だと認識した瞬間だった。殺しは殺しでも、毒に毒された存在を殺せば賞賛の言葉がかけられるんだ。それから柳瀬が来る日まで、俺はずっとひとりだった。たった二年ぽっちだけどね。それでも、孤独の中ではなにをしたって孤独だった」
一通り話した俺は、柳瀬の目を見て話を続ける。意識的に笑顔を作って、涙を堪えた。
「柳瀬が来てくれて、ホントよかった。ありがとう」
柳瀬はまた複雑な表情をしていた。なにか言葉を出そうとしているのか、口を開ける。でもその口はブルブルと震えていた。そんな柳瀬になにか言われる前に、俺は柳瀬に話を振った。
「じゃあ、次は柳瀬な。教えてくれる?」
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第十一話【 初めてヒトを殺した日 】
***
「……俺のは特に目立った話じゃない。至って普通の、初めての殺しだった」
ただ単純に、事実としてヒトを殺した日。それでも俺は、あの日のことが忘れられない。
「俺が殺したのは関東本部にいる火属性の呪人の中で一、二を争うほど力の強かった人だ。覚えてるか、桧山先生」
「あーたしか、俺たちの担任になる予定だったよな」
「ああ。俺の特訓にもよく付き合ってくれていたし、アドバイスも的確だった。あの人がいなければ俺はもっと弱かった。……不運だったとしか言いようがない。初めての対処が、お世話になっていた先生だなんてな。時期は七森と同じ頃。先生の現場に引っ付いて行っていた頃だった」
祟人になってさらに強くなった桧山先生を、あの人は簡単に対処まで追い込んだ。そして市街地に倒れた桧山先生を対処するためにナイフを刺しに行ったとき。桧山先生の周りにはたくさんの一般人がいた。近くを歩いていた会社勤めの若い男性、井戸端会議をしていた数人の専業主婦の中年女性、わんこの散歩をしていたおばあさん、友だちと遊んでいた小さな子どもたち、騒ぎを聞きつけてやってきた多くの野次馬。その人々のもとに、先生と俺は降り立った。先生はそんな一般人には目もくれず、俺にナイフを渡してきた。
『え……』
『今日は颯真がやってみよう。練習だよ』
俺は先生の言葉になにも言うことができず、素直にナイフを受け取る。人々の視線が痛かった。その人々の口から、心無い言葉がスラスラと出てくる。
『いやね、呪人がいるからアタシたち国民の命が脅かされているっていうのに』
『すみません、近くで祟人が出たらしくて。戻るの、少し遅くなります』
『知ってる?あの人たち呪われたヒトって言うんだよ』
『早く殺しなさいよね、目が覚めて襲ってきたらどうするっていうのよ』
『うわー見て、人殺しやってるよ、殺人現場目撃〜』
コソコソと小声で話している人がいれば、聞こえるようにわざと大きな声で話している人もいる。でも、どんな人の声もすべて俺の耳に入ってくる。声の大きさなんて関係なかった。桧山先生の胸にナイフの先を置き、そこから突き刺せないでいる俺に、先生は近づいた。俺の手に自分の手を重ねると、グッと力を込める。途端、その胸にナイフが飲み込まれていった。
『い、いやだ……先生!』
ナイフを抜こうとこちら側に力を入れる俺に対して、先生は容赦なかった。柄の部分までナイフを突き刺すと、先生はその手を離す。
『まったく、人騒がせな奴等だな』
『なんで生きているのかサッパリだわ』
『いつもビクビクして暮らさないといけないこっちの身にもなって欲しいよ』
口々にそう漏らしながら散っていく野次馬は、少し経てばそこに残る者はいなかった。祟人になっては怯えられ、殺されれば罵られ、もはや呪人として生きているだけで文句を言われるそのザマに、自分たちはどれだけ知らない人間のために頑張っても肯定されることのない存在であるということを知った。人々のそういった態度は、俺たちは褒められた存在ではないと知るには充分だった。
こんな人たちのために、人を殺さないといけないのか。こんな人たちのために、大切な人を失わないといけないのか。顔も名前も素性も知らない、こんな人たちのために、俺たちは命を懸けなければいけないのか。
そんなことを呆然と考えていた俺に、先生は近づいて言った。
『惨めだねぇ』
俺は、あのとき先生が言ったその言葉が忘れられない。それは俺のことを言ったのか、周りにいた一般人に言ったのかは分からないが、そう言った先生は静かに微笑んでいた。
***
その頃医務室の外では。
「随分と深い話をしているねぇ」
「現役高校生の年齢であるあの子たちが話す内容でも、殺し屋でもない至って真面目な子たちが話す内容でもないな」
「呪人であるっていうその事実だけで、こうなっちゃうなんてね」
「そういう柊はどうなんだ。初めての殺しはいつだった」
「さーね、覚えてないな」
「はは。すべての殺しの記憶は鳴宮碧が塗り替えてしまったかな」
「おま……なんでアイツの名前」
「さぁね、覚えていないよ」
「こんの……クソ生意気なやつ……」
「どうとでも言えばいい。さて、臨時会はいつ始まるのだったかな」
「……あ、やべ、資料印刷してねぇ」
「ふふふ。早くしないとまたおじいちゃんに怒られてしまうよ」
「お前先生のことおじいちゃんって呼ぶのウケるからやめろよ」
「さて、どうしようかね」
子どもたちの話を聞きながら、柊と倉田がそんなことを話していた。




