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右腕の判子注射 ―呪われたヒト―  作者: 結川翔己
第一章

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第二四話 ヒト殺し

「……梛桜、か……」


***


【 右腕の判子注射 ―呪われたヒト― 】


***


殺してしまった、本当に、父親を、あたしの手で。そう思った瞬間、目から涙が溢れてきた。

スッと目から赤いそれが消え、腕のあざも消えていく。祟人から呪人へと戻った父が、あたしの涙でぐしゃぐしゃになった目を見て言った。

「パパ……パパ……ごめんなさい……」

「ははっ……そうか、梛桜だったか」

「え……」

「私を殺してくれたのは、梛桜だったのか」

苦しそうに胸を抑える父は、一生懸命に笑顔を作ってそう言った。

「は……ハッ……パパ……ッ」

過呼吸のように息が切れる。父と一緒に死んでしまおうかと父の胸に刺さるナイフに手をかけると、父はそんなあたしの頭を自分の肩に引き寄せた。

「梛桜、お前はまだ死んではいけないよ。私たちは梛桜を愛している。だれよりも強い子に育ちなさい。そして、罪なき人々を守りなさい。弱き人々を助けなさい。梛桜は優しい子だ、私のためにこんなに泣いてくれるなんて。愛してるよ。……葵、柊葵に言ってくれ。うちの娘をよろしく頼むと。梛桜を、こんなにも優しい子を大切に育ててくれと。梛桜、私を殺してくれてありがとう。相変わらず優子に似て綺麗な顔をしているな。それ以上泣くんじゃない、綺麗な顔が台なしだ。お前を私たちのたったひとりの子どもとして迎えられたことを嬉しく思うよ。梛桜、ありがとう、愛しているよ」

泣きじゃくるあたしになにも言わせずに自分の言いたいことだけを言いたいだけ言った父は、満足した表情をしてそのまま息を引き取った。


***


第二四話【 ヒト殺し 】


***


父が亡くなって三日が経った。父の葬儀は中国支部の施設内で行われたが、あたしはそれに参加しなかった。関東本部に戻ると、いつもの日常が始まる。私情を持ち込んではいけないと分かっているものの、情緒がそれに追いつくはずもなく、授業も出ずに部屋でひたすら泣くことしかできなかった。食事もロクに取っていないためか、体の力も入らない。そんなあたしを見兼ねてか、心配する表情で毎時間といってもいいほど頻繁に部屋を覗きに来る柳瀬と瀧田。最初はドア越しに声をかけるだけで済んでいたが、次第にドアを開けての会話を試み、今では許可なくズカズカと部屋に入り込んで来る始末。放っておけと言ってもなお構わずに部屋を訪ねてくるふたりに、あたしは言った。

「なんでそんなにあたしに構うのよ」

それに瀧田が子犬のような目を向けて言う。

「七森って、平気そうな顔して実は溜め込むこと知ってる。でも今回はそんなんじゃない。我慢強い七森が我慢できないほどツラいんだろ。俺は両親のどちらも呪人じゃないし顔も知らないからなにも言えないけど、それでも親を自分の手で殺すって、すごく怖いことだと思うから。……ご飯持って来ても食べる元気もないくらい落ち込んでる七森が心配なんだ。なぁお願い。その恐怖を俺たちにも分けてよ、俺たちのこと頼ってよ、仲間だろ」

瀧田から出た、仲間だろ、という言葉に心臓が痛くなる。母が亡くなったあと、父はたったひとりのあたしの家族だった。世界中のだれが敵となっても、父だけはあたしの仲間であると思っていた。でも、祟人となったらそうはいかないことを改めて知った。血の繋がった家族であっても、あたしのたったひとりの家族であっても、祟人となり、人々に脅威をもたらす存在となってしまえば殺さなければいけない。それを知って、怖くてたまらなかった。

「ばかね……。その仲間がいつ敵になるかも分からない呪人のあたしたちが、どうやってお互いを頼れって言うのよ。明日にはアンタたちが祟人になってるかもしれないのよ……」

俯きながら言ったあたしの言葉に、珍しく瀧田が強い言葉をかける。

「バカなのは七森だよ。いつ敵になるか分からない俺たちだから、お互いを頼るんだろ。俺たちには明日が保証されてない。今からこの中のだれかが祟人になるかもしれない。だから、今を大切にして、仲間を頼らないと……きっと、だれかが後悔する」

ハッとした。あたしは苦しみたくないがために人を頼らなかった。人を仲間だと思わず、一定の距離を保っていた。でもコイツは逆だった。後悔したくないがために、人を仲間だと呼び、その仲間を頼っていた。

「……フッ、あたしにばかって言うなんて、いい度胸してんじゃないの」

「へっ、いやっ、だって、先に言ったのは七森で」

「瀧田、表出ろや」

「えっ、や、柳瀬助けて」

柳瀬に助けを求める瀧田だったが、その柳瀬はそっぽを向いてこちらに関わろうとしない。

「ひや、柳瀬えええ!」

「柳瀬、アンタも出なさい。レディーの部屋にズカズカと入ってくるアンタも同罪よ」

「え、や、は、なんでだよ」

「いいから出るのよ!」


***


「やぁやぁグッドモーニング。おっ、梛桜は久しぶりの授業だね〜」

三日ぶりに会う柊は、いつもと変わらずやかましかった。事情を知っている食堂のおばさま方もいつも通りの対応で、腫れ物に触るような扱いを受けることはなかった。

考えてみればばかみたいなことだと思う。明日あたしに殺されるかもしれないのに、なにがあってもこうやって普通に接してくれる人はいつだってあたしの味方だ。食堂のおばさま方、眼人の眞部さん、主治医である雪さん。ここの施設で過ごす呪人以外の全員は、呪人に恨みも偏見もない優しい人ばかり。それはもちろん呪人も例外ではなく、というか、呪人こそ、人の痛みや黒い部分を知っている優しい人間が多いように思う。そういった人は全員仲間であると、隣にいる瀧田はきっと言う。優しい人は優しい人でも、全員が善人であるとは限らないと、その隣にいる柳瀬は言うだろう。でもねパパ、それは仕方ない。考え方は人それぞれちがうもの。あたしは、あたしが仲間だと思ったら、その人はどんなことがあったとしても仲間なの。もちろんそれはパパもそう。ママだってそう。パパとママはあたしの仲間であり、家族でもある。会えなくなったから変わるわけではない。祟人になったから変わるわけでもない。パパもママもいなくなってしまったのは悲しいけど、パパがあぁ言ってくれたからあたしは今生きていられている。

「まったく、騒がしいわね」

「え〜?そんなこと言って、ずっと僕に会ってなかったから寂しくなってきたんでしょ」

「ばか言ってんじゃないわよ、そんなんじゃないっての」

キッカケはすごく悲しいし、今でも認めたくはない。それでも、パパが祟人になったことで、日常が当たり前ではないことに気付けたし、人に対する価値観が変わった。

「まぁ、これがいちばんよね……」

「……ヒヒッ。よ〜し、じゃあ今日はみんな大好き体術だ〜!」

「うぇ〜マジか〜、今日も医務室行き〜?」

「そうとは限らないよ〜。梛桜は見学ってことにするとして今日は特別に!僕対ふたり、ね」

「うぇ?!なんかいきなり勝てそう!」

「どっから来るんだよその自信……」

「えぇ、だって俺たち対先生だよ?正直ふたりとも筋はいいじゃん」

「つっても、相手はあのバケモンだぞ」

「うぇぇ……なんかいきなり自信なくなってきた……」

なによりもこういった、日常と呼べる日々を送れるということがいちばんいいものだと、今日、初めて知った。


***


「なぁ柳瀬ぇ、七森のとこ行かない?」

「……いいけど」

七森が自身の親を殺して数日間部屋から出てこなくなると、瀧田が毎日弱々しい表情で俺の部屋を訪ねてきた。天性のお人好しとお節介が滲み出る。こういうとき、俺は瀧田から溢れ出る善人オーラに負けてしまう。

前を歩く瀧田についていく俺は、いつも七森に慰めや前向きな言葉をかける瀧田と違い、基本的になにもしない。ただ、ひとりで七森のもとへ行く勇気のない瀧田と一緒にいるだけだ。正直、俺は七森になにか慰めの言葉を言えるほど大人ではない。俺も七森と似たような経験をしたことがあるが、それには何年経っても慣れないし、信じたくないと思っているからだ。

俺はまだ、彼女が亡くなった現実を受け入れられていない。

「なぁ七森、授業行こ?食堂がいい?おばさんたちも七森と話したがってるよ」

「……」

瀧田の言葉に反応しない七森と同じように、俺はずっとなにも言えないでいた。七森と俺の少し状況はちがうが、大切な人が亡くなったのには変わりない。それに七森は自分の手で殺したのだ。なおさら立ち直るのは難しいだろう。

「あっ、七森ほら、今日はお前が好きって言ってた麻婆春雨だよ」

食堂からいただいてきた昼食の中には七森の好物である麻婆春雨。七森仕様にしっかり激辛となっている。七森はここ数日、必要最低限の水分しか取っていない。俺たちの見る限り、食事は取っていない。部屋に置いてある常温のペットボトルの水だけは少しずつ減っていっていた。水分は取っていても栄養が取れていないので当然体は痩せ細るし、同じように筋力も低下している。トイレに向かうときでさえ低下した筋力で立つこともままならなくなっていた。そのため、拒む七森の言葉を無視して結局瀧田が運んで行った。そろそろ食事を取らないと筋力の低下だけでは収まらなくなる。そんなとき、七森がぶっきらぼうに言った。

「なんでそんなにあたしに構うのよ」

連日部屋を訪れていた瀧田と俺に苛立ちを感じて発した言葉なのだろう。そこには優しさのかけらもないように感じた。ただただひとりにしてほしいと、その言葉が言っているような気がした。

結局その後、瀧田の言葉で立ち直ったように見えた七森は、数日ぶりに授業に参加した。七森は強い。それは技術どうこうの話ではなく、メンタルの話だ。俺たちは祟人となった呪人を殺すために日々特訓をしている。その特訓で技術や体力がついても、実際の現場で自分の手で祟人を殺すと、殺すという行為に罪悪感を感じ、気に病む呪人もいる。これは慣れだという呪人もいれば、何度やっても慣れないという呪人もいる。俺はどちらかというと後者だ。瀧田は前者で、先生もそう。人を殺すという行為について、俺たちは慣れなければいけない。それはすごく怖いことだ。勇気のいることだ。

「美代ちゃん……」

部屋でボソッと放った言葉は、たったひとりのその空間にひどく響いた。目を瞑れば思い出される彼女の顔。笑顔で俺の名前を呼ぶ彼女は、俺にとって眩しくてたまらない存在だった。

「は……女々しいか……」

強制的に考えるのをやめれば、ベッドに力なく倒れ込んでしまう。起きる気力もない。外はもう暗い。部屋の電気もつけていない。ただ月の光が、暗い部屋を照らしていた。

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