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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【肆章】九代目南の神主代行
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<十>瘴気が齎すもの




 束の間の休息を過ごし、青葉と共に月輪の社に戻ると、珍しい客人が訪問していた。


 日輪の社を守る巫女・紀緒だ。

 普段から社を留守にすることは少なく、今は比良利の看病を買って出ているため、彼女の訪問は極めて貴重だ。

 紀緒自ら月輪の社に、しかも夕暮れ時に訪れるということは、何か善からぬことが遭った証拠だ。

 急いで参道でおばばと会話している、紀緒の下へ走る。


「紀緒さん!」


「翔さま。お帰りになりましたか」


 首を長くして待っていたのだろう。翔が来るや否や、紀緒が大変だと肩を掴んで縋ってくる。

 常に冷静を保っている紀緒にしては珍しい態度だ。


「何かあったの?」


 眉根を寄せ、事情を尋ねる。

 すると紀緒はくしゃくしゃに顔を歪め、捲し立てるように事態を教えてくれる。


「ヒトの世界を守る妖祓が、人里に隠れ棲む同胞達を捕縛し始めました」

「なっ」


「同胞達は次から次に捕らえています。時に調伏もしているようなのです」


 翔に衝撃が走った。


「妖祓が同胞達を捕縛し始めている……うそだろ」


 更に紀緒は青褪めた面持ちで、言葉を重ねる。


「追い撃ちをかけるように、比良利さまが昏睡状態に」


 ただでさえ日月の神主が不在している最中、最悪の事態が起こってしまった。

 きっと瘴気の影響が、ヒトの世界に大きく出ているのだろう。

 ヒトを守り、妖を祓う仕事を専門職にしている妖祓達が現状を見かね、ついに動き始めた。


(くそ。いずれ来るとは思っていたけど……こんなにも早いなんて)


 下唇を噛み締めたところで、紀緒が指を組み、妖達が日輪の社に避難し始めていることを教えてくれる。

 けれど、避難よりも妖祓達の手の方が早い。避難してきた妖達は、口々に仲間を助けてくれと救済の手を待っている。一刻の猶予もない。


「わたくしは避難してきた妖達を、先導致します。どうか、翔さまはヒトの世界にいる同胞達を先導して下さいまし」


 負担を掛けているのは承知の上だが、一人でも多く同胞を避難させてくれないだろうか。自分も出来る限りのことをすると紀緒が申し出た。

 言われるまでもない。翔は大きく頷き、右手で輪を作ると指笛を拭いた。甲高い音を聞き、颯爽と中庭から参道に向かって銀狐が駆けて来る。


「ギンコ。頼む!」


 大きく地を跳んで飛躍すると、ギンコが見る見る加速する。

 その風貌が大きな体躯、より長い尾、額には勾玉が現れ、妖型へと変化していく。


「行くぞ、青葉!」


 背中に飛び乗ると、青葉に手を差し伸べた。その手を取る彼女の肩におばばが飛び乗ってきため、翔は社にいるよう促すが、猫又は小生意気だと鼻を鳴らした。


『おばばを舐めるんじゃないよ、伊達に歳は食っちゃないさ』


 子供達ばかり働かせられないと言って聞かない。聞く耳を持ってはくれなさそうだ。

 話す時間も惜しいため、翔はギンコに行ってくれるよう指示し、月輪の社も避難所にして欲しいと紀緒に言う。


「どうぞお気を付けて」


 紀緒が会釈すると同時に、天高く鳴いたギンコが鳥居に向かって走る。やがて助走をつけて石段を蹴りると、宙を翔けて外界へ飛び出す。


 ギンコが空に昇ると、銀の体毛が夕暮れの強い陽射しを浴びて、煌びやかに光った。その眩しさに目を細めていると、何処からともなく狐の鳴き声が聞こえてくる。


 振り返ると、金色の体毛が眼球を刺す。同じく、赤い陽を浴びながら宙を翔けて来る大きな妖型の妖狐に、翔は口角を持ち上げた。


「ツネキ。来てくれたのか」


 北の神主が倒れ、一層社を守る役目を担っている金狐が応援に来てくれたのだ。それは一妖達のためであり、許婚の負担を軽くするためだろう。

 ギンコを追い越し、先頭に立つ金狐は此方を一瞥。まずは、こちらの地の妖から避難させようと一声鳴いて誘導する。

 了解だと言わんばかりに翔も一声鳴き、畳まれた和傘を握り締める。


(頼むから、妖とヒトが衝突するようなことは起きてくれるな)


 避けられないことだと分かっていても、祈らずにはいられない。

 瘴気によって発狂する妖達、傍若無人に振る舞われ傷付く人間達、それを敵と判断する妖祓。


 各々の立場が理解できるからこそ、翔の気持ちは焦燥感にまみれていた。


『翔の坊や。お前さんは先導する側だ。混乱した指示は、より一層混乱を招く』


 心を見透かしたおばばが、落ち着くよう注意してくる。


『場合によっては、お前さんが状況を悪化させるかもしれないんだ。いいかい、何度でも言うよ。坊やは先導する頭領だ。先導するだけの高い地位を持っている。だからこそ、まずは落ち着くんだ。視野は常に、広く持っておくんだよ』


 手厳しい一言を頂戴した翔は、冷静になろうと深い呼吸を繰り返す。


(落ち着け。比良利さんが戻った時、取り返しのつかないことになってたら、それこそ本末転倒だ)


 北の神主が不在の間は、翔がこの地を統べる者。

 それを忘れては駄目だ。焦っても駄目だ。大丈夫、自分ひとりではない。青葉やギンコ、おばば、それに応援に来てくれたツネキがいる。社には紀緒もいるのだ。自分は代行としてやれることをやればいい。


 高鳴る心臓を押さえるように、ぎゅっと白張(はくちょう)を掴む。


『坊や。仮に妖祓に遭っても戦いは避けるんだよ。相手は妖の玄人。まともに戦ったら最後、ただじゃあ済まない。わたし達の目的は妖を避難させること。忘れるんじゃないよ』


「分かったよおばば。青葉、俺が冷静じゃなくなったら止めてくれな」


「任せておいて下さい。お守はしっかりとしますので」


 頼もしい限りだ。翔は薄っすらと口角を持ち上げる。


「ギンコは妖を見つけたらすぐ俺に教えてくれ。一人でも多く同胞を避難させたい」


 クオーン、銀狐が鳴く。それにつられ、金狐もクオーンと鳴き、翔ける速度を上げた。




 日が暮れていく。

 空を翔け回っていた一同は、何度も遠吠えをし、身を潜める妖達に、社へ避難するよう指示していた。


 最初こそ応答がなかったが、その内、わらわらと妖達が顔を出し始めた。

 それは旧鼠(きゅうそ)であったり、猫又であったり、三つ目小僧であったり、ぬらりひょんであったり。付喪神(つくもがみ)となった櫛や針、日本人形などもやって来たが、不自由そうに動いていたため、手を差し伸べ、その体を持って狐達の背に乗せてやった。


(今のところ。みんな、俺達の言葉に耳を傾けてくれているな)


 若すぎる代行に従わない妖がいるのではないか、と不安を抱いていたが、妖達は宝珠の御魂を宿している翔の指示にちゃんと従ってくれた。


 それだけ、宝珠の影響が強いのだろう。従う彼等の気持ちまでは見抜けないが、表向きはきちんと従ってくれるため、翔はホッと胸を撫で下ろす。

 ここで反対の意を唱えられたら、どうしようかと思った。


 途中、のっぺらぼうの藤兵衛(とうべい)と再会する。以前、日輪の社で踊りや面をくれた、あの気さくな青年である。


「おめぇ。立派になったのう。おいら、翔の坊主が代行になったって聞いた時はぶったまげたよ!」


 神主代行の噂を耳にしている藤兵衛は、あの時とは顔つきが違う、まるで別人だ、と翔を褒めた後、自分達も手伝うと言ってくれた。


「手を貸せることは少ねぇが、少しでも多くの妖達を社に運ぶことはできるべ」


 近くに荷台があるのだと言ってくれる彼に、何度も感謝し、厚意に甘えた。協力の手が不足している今、彼の親切は有り難かった。



 こうして、少しずつではあるが、妖達を避難することに成功した翔は、青葉達と夜通し社と外界を行き来した。


 幸い、まだ妖祓には遭遇していない。霊力も感じないため、付近にはいないのだろう。言い換えると、別の地では仲間が捕縛、調伏されているのかもしれない。

 どうか無事でいて欲しい。祈る気持ちを胸に抱え、再びヒトの世界に出た翔は、妖達に避難の声を掛けていく。


「まだまだヒトの世界に、妖達が隠れていると思うんだけど……」


 隈なく目を配り同胞を探していると、地上から妖の悲鳴が聞こえた。

 断末魔にすら聞こえるそれを感じ取り、空を翔ける金銀狐が高度を下げて行く。

目に映ったのは建築中の一軒家。骨組みの上で妖鳥が同胞を銜え、身を貫いて食らっていた。血を啜り、美味そうに肉を味わう姿はおぞましい。


「な、なんだよあれ」


 同胞が同胞を食らうなんて、まるで共食いだ。低俗の妖が起こす行動は本当に理解しがたい。舌を鳴らすと、青葉がただの悪しき妖ではないと指差した。


「妖力の数値が高い。あれは瘴気を吸った妖鳥です。その証拠に、形が歪過ぎます」


 青葉の言うように、妖鳥の姿かたちは歪だった。

 六つもある目は葡萄のように眼球が重なっており、瞳が忙しなく、ぎょろぎょろと動いている。青い舌は異常に長く、カメレオンのよう。体躯よりも大きい翼を広げ、次の獲物を探している。


「あれは」


 よく目を凝らすと、旧鼠(きゅうそ)が鋭い鉤爪に捕らわれている。チュウと鳴き、四肢をばたつかせ、もがき苦しんでいた。助ける間もなく、握りつぶされ、思わず目を逸らしてしまう。

 妖鳥は愉しげに鳴くばかりだ。


「くそっ! 玩具にしやがって」


 もはや、あれは同胞ではない。新たな犠牲者が出る前に葬ってやらねば。翔は和傘を構えた。

 と、空に飛び立った妖鳥が、翔達に気付き、こちらへ向かってくる。


「来るぞ」


 青葉達に身を引き締めるように一喝した、その直後のことだった。

 建築中の一軒家の陰から、ぬっと白骨した大きな手が伸び、妖鳥の身を無造作に掴んだ。ぐしゃり、圧迫された身は風船のように弾け、消滅してしまう。


「……こ、今度はなんだ?」


 愕然とする翔達に向かって、その手が伸びてくる。急いで避けるよう金銀狐に指示し、翔は和傘を開いて風を起こした。

 間一髪、白骨した手から脱がれることができたが、持ち主は諦めた様子もなく、骨組みから身を乗り出して姿を現した。


「あれはガイコツ、か?」


 翔は目を眇める。

 現れたのは建築中の一軒家よりも大きな体躯を持つ、巨大なガイコツだった。

 保健室や理科室で一度は見たことがある、全身白骨のガイコツが虎視眈々と金銀狐を狙う。身がなくとも、目玉はあるようで、狐達の動きを逃さないよう、機敏に動いている。


『あれはがしゃどくろっ』


 また厄介な妖が現れたものだとおばば。


「がしゃどくろ?」


 初めて聞く妖の名前だ。翔はどんな妖なのか、と尋ねる。


『がしゃどくろは怨念の塊さ。戦死や野垂れ死んだ人間の魂が、怨念となって巨大なガイコツの姿となったものだよ。ただでさえ気性の荒い奴でねぇ。意味も無く同胞や人間を襲うんだ。あの様子だと瘴気を吸ってより凶暴化したようだねぇ』


「……今までどうやって身を潜めていたんだ? あんなにでっかい体をして。ギンコッ、上に飛べ!」


 いつまでも下りてこない翔達に焦れたらしく、がしゃどくろが己の骨を一本抜いて、投げてきた。


 銀狐は身の毛を逆立てながら、急いで空へと昇る。

 許婚に何をするのだと金狐が吠え、尾に青白い火を宿らせると勢いよく放った。火力は十二分にあるが、焼くための身がないせいか痛みは感じていないようだ。いとも容易く火を両手で揉み消してしまう。


「ツネキ! よけろ!」


 悔しそうに唸る金狐に向かって、また骨の一本が投げられる。大きく旋回して骨を避けるツネキに苛立ちを覚えたようで、がしゃどくろは狙いを金狐に定めてくる。


「これ以上、日輪の社の神職を減らすわけにはいかないぞ」


 ツネキは日輪の社の守護獣だ。北の神主が不在の今、守護獣には傷一つ負わせるわけにはいかない。


「青葉。がしゃどくろの弱点は?」


 翔はゆらりと立ち上がる。


「核となる部分を壊すことです」


 青葉もおばばを肩から下ろして、片膝を立てる。


「がしゃどくろは怨念の塊。その集っている場所を狙えば仕留められます。翔殿、狙うは胸部、心の臓です。行きますよ」


 伸びてくる白骨の手を合図に、翔と青葉は宙に身を投げる。

 妖型となる青葉の背を踏み台に天高く飛び上がると、翔はツネキを狙う手に向かって、蛇の目模様の傘を横一線に振った。


 生まれる暴風に気付き、がしゃどくろの眼球が、落下する翔へ向く。そのおぞましい、目玉に見据えられ、恐怖に尾を膨張させるものの、どうにか気持ちを振り払い、伸びてくる白骨の手を構えた。


「ギンコ! 頼む!」


 一声鳴くギンコが、尾っぽに火を宿らせる。稽古の成果が出ているようで、青葉と揃って狐火を繰り出した。二つの青い炎が渦巻き、がしゃどくろの視界を遮る。

 宙を返ってがしゃどくろの手の甲に飛び乗った翔は、そのまま転がるように腕、肘、そして肩へと走る。


 狙うは胸部、心臓となる核。


 魂が集っているであろう核は、胸部の左で暗紫の塊として息づいていた。あれを壊せばこれは片付く。

 肋骨部分に飛び乗り、怨念の塊を見据えた、次の瞬間。


「いっ?!」


 左の手が容赦なく向かってくる。頓狂な声をあげ、すぐさま背骨まで飛躍して、骨にしがみつく。


「こいつ、自分で自分を傷付けにきやがった」


 がしゃどくろの行為に驚いてしまう。その手は骨をへし折らんばかりの勢い。自滅ともいえる力の加減で、翔に向かって手を振り下ろしてきたのだ。

 裏を返せば、それだけ核が大切だということだ。骨の破片が目に入らないよう、開いた和傘を盾にしつつ、翔は建設中の一軒家の骨組みに着地する。


 もう一度、胸部を狙うため、その顔を上げると、破損した骨の部分が自己再生を始めた。


「なるほどな。だから、自分を攻撃することに、ためらいがなかったわけか」


 ちょっとやそっとじゃ相手は倒れないと見た翔は、青葉に向かって一声鳴き、化け物の注意をそちらに向けてくれるよう頼んだ。


 鳴いて返事する青葉が、ジグザグに空を翔け、がしゃどくろの目の前を通る。

 大きな目玉が青葉を捉えた。その一瞬を突いて飛躍、しようとしたのだが、翔の耳にチュウっと助けを求める鳴き声が聞こえる。


 地を見下ろせば、骨組みの根元で体を震わせている、小さな旧鼠(きゅうそ)達。皆、幼い子供のようだ。


 中には負傷している者もおり、みな諸手を広げ、兄弟を助けて、弟妹を助けて、と翔に鳴いて訴えてくる。妖鳥にやられた旧鼠は彼等の親だったようだ。頼れる大人もおらず、彼等は縋る思いで翔に向かって鳴く。いつまでも鳴いた。


「あの時、助けてやっていれば……待ってろ。すぐに行く!」


 翔は悔恨を噛み締めると、つま先の方向を変え、鉄パイプの骨組みから飛び下りる。

 和傘を閉じて着地すると、迷わず幼い旧鼠が足にしがみ付いてきた。言葉こそ分からなかったが、みな親を目の前で殺された絶望、そして死ぬかもしれない恐怖に怯えていたのだろう。


「もう、他に兄弟はいないか?」


 腕に抱いてやると、白張を握ってくる旧鼠達が一斉に鳴いた。まだ、兄弟が残っているようだ。いま、ここにいるのは六匹。子どもによれば、もう一匹いるらしい。はぐれてしまったのだろう。


「どこだ、出て来い! お前の兄弟はここにいる! 助けに来た!」


 声音を張ると、奥の骨組みの根元ですすり泣くような、ネズミの声が聞こえた。

 残りの旧鼠だ。どの兄弟よりも体が小さいことから、あれは末っ子なのだろう。

 この騒動で骨組みの一部が落ちてきたのか、鉄パイプに囲まれ、身動きが取れずにいるようだ。よく見ると尾っぽが挟まっている。


「お前ら、しっかり俺にしがみついておけよ」


 腕にいる旧鼠達にそう言って、翔は急いで鉄パイプを両手で持ち上げる。それによって、尾っぽが解放され、旧鼠は自由の身となった。


「ひとりでよく頑張ったな。兄ちゃんと一緒に行こう」

 鉄パイプを横に置き、怯え切っている旧鼠に手を差し出す。幼い子どもは、兄弟を見て安堵したのか、翔の指にしがみついて鳴いてきた。


 心が痛む。この子らは、どれほどの悲しみを味わったのだろうか。


『翔殿――!』


 青葉の叫び声。

 弾かれたように天を見上げると、大きな足が下ろされた。

 旧鼠達を守るように飛躍して、その足から逃れる。ブロック塀に頭をぶつけたが、旧鼠達には影響がなかったようだ。大丈夫か、と声を掛けると、七匹は揃って頷いてくる。


「まずはこいつ等を避難させないと。ギンコの背中に乗せてやることができれば」


 そのためにも、がしゃどくろから遠ざかることが先決だろう。再び下される白骨した足から逃れるため、翔は持ち前の三尾を靡かせて駆け出した。


 間もなくのこと。


 がしゃどくろの胴に鎖を模ったような光が現れ、それはすかさず化け物に巻きついた。翔は足を止めて瞠目する。太い鎖が妖の動きを、見事に封じている。青葉の術だろうか。いや、空の向こうにいる彼女も驚いている様子。彼女の仕業ではないようだ。


 ならば、これは。


「お前は随分と愚かだね。こんな住宅街で、どでかい図体を曝け出すなんて、僕達に祓ってくださいと言っているようなものだ」


 じゃら、じゃら、じゃら。

 数珠を鳴らし、一歩、また一歩と敷地に入って来る人間の少年に、翔は身を強張らせた。

 見慣れた銀縁眼鏡を押す彼は、法具を右手に構えた。


「お前なんて捕縛する価値もない。この場で消えるといいよ」


 無慈悲に断を下し、冷然と数珠を左右に振る。


「天地陽明、四海常闇、満天下陽炎の如く成りけれ。さすれど一点翳成り。即ち祓除の刃を下さんとする」


 彼は数珠に霊力を集約し、暗紫に光らせる。不気味に鳴らす数珠から膨大な霊力を感じた。


「祓除の刃、即ち業火の制裁――雲散霧消」


 数珠を絡ませた右の手から光が放たれる。

 暗紫に発光していた光は、宙に放出された瞬間、目の眩むような紅の光と生まれ変わった。矢の如く鋭い紅い筋となり、それは躊躇いもなく、がしゃどくろの核である心臓を貫く。


 一直線に放たれた光に貫かれ、がしゃどくろは奇声を上げた。頭部が落ち、肋骨、骨盤、と順に形が崩れていく。


 その骨に無数の呪符が貼られた。それは彼の後ろに立っていたセーラー服の少女が放ったもので、両手を合わせると、「祓除浄化!」声音と共に呪符が発光する。


 がしゃどくろの身は水蒸気のように消えてしまった。



 その様子を見ながら彼、和泉朔夜は、一つ感謝すると、浄化される妖に向かって微笑んだ。



「お前のおかげで、僕らの捜し求めていた妖が見つかった。その図体も役に立つものだね」



 一撃、たった一撃であの巨体ながしゃどくろを祓った。


 これが妖祓。妖達が恐れる人間。まだ実力の一片も見せていないであろう、少年少女に、幼馴染達に翔は少しならず怖じた。


 同胞を捕縛している妖祓が現れた。しかも、ただの妖祓ではない。共に同じ時間を過ごし、成長してきた人間。お互いの性格を知り尽くした幼馴染。

 異種族となってしまった朔夜と飛鳥が目前に現れ、翔は背中に冷たい汗を流す。


(勝てるか、あいつらに……半妖の俺が)


 ゆるりと朔夜が視線を投げてくる。


「ようやく見つけたよ。白狐」


 彼は形のよい唇を持ち上げた。


「なかなか、姿を現さないから、困っていたんだよね」


 ここ数日、手当たり次第に妖を捕縛することに専念していたが、ハズレばかりで落胆していた。本当に落胆していた。朔夜は目を細めて笑う。眼はどことなく冷たかった。


「だから逃さないよ。僕はお前を捕縛する」


 数珠をしっかりと右の手に絡ませる彼と向かい合い、翔は最悪だと舌を鳴らした。


(今のタイミングかよ。こっちには、ネズミのガキ達もいるっつーのに)


 翔は察していた。朔夜は自分を妖と見ているのだと。同じ目をしている飛鳥を一瞥した後、恐怖に鳴く旧鼠を優しくあやす。この子らを守らなければ。


「妖祓。よくも、同胞を……捕縛した同胞達をどうする気だ」


 己の気持ちに蓋をすると、妖祓に詰問した。罪もない同胞を捕縛していることは、すで耳に入っている。何故、同胞を捕縛するのだ。すぐ解放しろ。怒声を上げるも、相手は飄々と返した。


「解放? ご冗談を」


 おどける朔夜は、簡単に解放するわけないではないか、と翔の訴えを一蹴した。


 妖達のせいで人間の町に甚大な被害が出ている。瘴気の影響を受けた妖達が凶暴化し、傍若無人な振る舞いを見せているのだ。罪もない人間達が傷を負っている。妖祓として見過ごせるわけがない。新たな頭領代行が出たところで状況は悪化する一方だ。


 辛辣に評価を下す朔夜が、嘲笑を零す。


「妖の世界の頭領達は何をやっているんだい? あんなに大見得切っておいて」


 翔に疑問を投げかけた後、思わせぶりに考える振りをして、「要求を呑んでもいいよ」と言ってくる。眉を寄せると、彼は翔を指さした。


「長達が欲しいのは白狐、お前だ。だから、お前が僕達に捕縛されたらいい」


 そうすれば、妖達を解放するよう、長達を説得してやると朔夜。

 それこそ冗談ではない。翔は肩を竦め、話にならないとあしらった。


「お前が妖祓の長なら、話に乗ってやらないでもない。だが、お前は一端の妖祓にしか過ぎない」


 とどのつまり、翔が捕縛を呑んだところで、要求が通るとは限らないのだ。それだけの地位を得てから、神主代行と話すべきだと揶揄し、翔は朔夜の提案を否定する。


 それと同時に、飛鳥から呪符を投げられた。急いで和傘を盾にし、放たれた呪符から逃れるが、すかさず朔夜が地を蹴って、自分に向かってくる。

 数珠を持った右の手が振られ、翔は反射的に和傘を閉じてそれを受け止める。妖気と霊気が衝突し、間で大規模な静電気が生まれた。


「ただの和傘じゃないね」


 ならこれでどうだ。

 朔夜が右足を振り上げ、つま先で竹の柄を弾く。手中から和傘がすっぽ抜け、翔は無防備となった。


「しまった!」


 蹴り上げられた和傘に目を向けた一瞬の隙を逃さず、朔夜が懐に飛び込んでくる。

 右手で翔の胸部を突いた。霊気の波紋が生まれ、それは翔の体に大きな衝撃を与える。体が吹き飛び、再びブロック塀に背中を打ちつけた。咄嗟に旧鼠を守ろうと子ども達を抱き締めたおかげで、事なきを得たようだ。


「いってぇ。加減しろよな。俺は半妖だっつーの」


 こめかみから流れる汗を拭い、片膝をつくと、旧鼠の子ども達がびぃびぃと鳴いて自分の体を心配してくれる。心優しい子ども達に頬を緩めた。

 視界の端に呪符の群れがちらついた。


「舐めるなよ」


 群れを避けるために飛び上がる。ブロック塀に飛び移ると、細い塀を伝って、転がる和傘を拾うことに成功した。


「飛鳥、いまだ!」


 朔夜の声。振り返ると、飛鳥が五枚の呪符を放り、人差し指と中指を立て、術を発動させる。


「魔封五行星」


 五枚の呪符は、五つの角を取り、それは光の筋を描いて五芒星形を作り出す。見る見る呪符は青い炎を纏い、それのカタチを強調させた。


 きっとあれは強力な束縛の術だ。本能が警鐘を鳴らすが大丈夫、自分は一人ではない。朔夜と飛鳥が手を組んでいるように、翔にも仲間がいる。


「翔殿――っ!」


 骨組みに着地した青葉が人型に変化すると、翔の背を守るように両手を出す。


「炎よ巫女の我が声に集え。火柱解放」


 彼女の手から炎を生み出され、翔を守るための壁を作った。うねりを上げる炎は、蛇のように波打ち、術者の飛鳥に猛威を振るう。

 それにより飛鳥の口から悲鳴が漏れたが、翔は面に出さず、青葉のいる鉄パイプの骨組み真下まで移動した。


「青葉、助かった」


「私が引きつけている間に、子どもらを」


 ひとつ頷き、近くにいたツネキに呼びつけた。高度を下げてくる金狐の背に旧鼠を乗せるも、子ども達は白張を握りしめたまま離してくれない。

 遠くに行くとでも思っているのだろうか。


「大丈夫だ。兄ちゃんもすぐに乗る。今はツネキの言うことを聞いてくれ。な?」


 どこからともなく、経を唱える声が聞こえ、水蒸気が立ち昇りる。目くらましにしていた火柱が鎮火されたようだ。


 そして真っ白な水蒸気と共に、光り輝く金鎖が青葉の足に巻きつく。がしゃどくろを拘束した術だ。翔はツネキに空に昇るよう胴を叩くと、風の如く青葉の下へ。


「青葉を放せ!」


 和傘を振り下ろし、鎖を断ち切ってやる。それでもなお、光の金鎖が自分達を狙うため、翔は青葉の体を横抱きにすると、骨組みから骨組みへ飛び移った。


「大丈夫か青葉。足は?」


 細い骨組みに青葉を下ろす。

 大丈夫だと簡単に返事する青葉は、相手はかなり手強いと地上を睨んだ。


「貴殿の友は、まぎれもなく優秀な妖祓です」


 つられて地上を見下ろす。見上げてくる若き妖祓達に、人知れず下唇を噛みしめた。

 やはり二人は優秀な妖祓か。あの歳で妖を祓っているのだから、才能はあると思っていたが、予想以上だ。


 二人と距離ができることで、ほんの少しだが余裕を取り戻す。


 翔は再度、何故力のない同胞を捕縛するのだと相手に疑問を投げかけた。

 瘴気の影響を受けた妖が凶暴化し、人の町に甚大な被害を齎していることは認めよう。それは此方に非がある。真摯に詫びよう。


 だが、無闇に同胞を捕縛する行為は見過ごせない。仮に妖が瘴気の影響を受けないための先手としても、ヒトの手に妖の身を渡すわけにはいかないのだ。


「今、同胞を妖の世界に避難させている最中だ。瘴気を受けないよう、此方で同胞を保護する。同胞を解放してもらいたい」


 努めて平坦な声で主張するも、朔夜の条件は白狐が捕縛であった。


「あくまで妖祓の目的は、瘴気を完全に消してしまうこと。それには白狐、お前の体内にある宝珠の御魂が必要だ。分かっているだろ?」


 分かっている。宝珠の御魂を抜き取られそうになった恐怖は忘れようもない。


「まあ、僕と飛鳥にとってはどうでも良いことだ」

「なに?」


 眉を寄せる翔に、これは本心だと朔夜。



「僕達の目的は白狐の捕縛だ。それ以外、なんにも興味がないんだよ。瘴気も、宝珠の御魂も、鬼門の祠も、正直どうでもいい――ショウ、お前の捕縛が目的のすべてだ」



 だから、再び妖祓として戻って来た。

 不敵に笑う朔夜は謳う。今度は決して逃がさない。必ずや白狐を捕縛し、今度こそ妖祓の手におさめる。容赦など一切合財してやらない。


「覚悟しておくんだね白狐。お前は僕達の、妖祓の一面を何一つ知らない。幼馴染である僕と飛鳥の実力を何一つ知らない」


 朔夜が数珠に霊力を溜め始める。


「それは私もだよ。必ず、貴方を捕縛する」


 呪符に霊力を集約する飛鳥の硬い声に、朔夜の主張に目を細め、翔は心中で思う。なんてさみしい光景だろう、と。

 道が分かれただけで、大好きな人達と、ここまですれ違えるなんて。異種族だから自分達はすれ違ってしまったのだろうか。それとも立場が違うから? 守るべきものがあるから? 相容れない存在だから? どの理由にしろ翔は切にさみしいと思う。


 けれど、容赦をしないのは此方とて同じ。


 二人が同胞を捕縛する以上、自分は大麻(おおぬさ)で天誅を下さなければならない。この地を統べる責任者として。妖の頭領代行として。南の神主代行として。


「お前等の言い分は分かった。俺が目的だということも理解した」


 そして交渉が決裂したということも。

 額に二つ巴の証を浮かべ、翔は縦長の瞳孔を膨張させる。

 同胞を解放しないのならば、力ずくでも返してもらう。この地の同胞は、すべて白狐の南条翔が守るべき妖なのだから。


 青葉と視線を交わす。彼女は懐から素早く癇癪玉を取り出すと、それを地上に投げた。火薬が爆ぜ、大きな騒音が静寂な住宅街を満たす。


 中から噴出す煙幕を利用し、翔は青葉と共に夜空へと飛躍した。口では偉そうなことを言ったものの、今の自分達には優先すべき仕事がある。一端の妖祓を相手にしている時間はない。


 人間は空を飛べない。此処まで来れば大丈夫だろう。翔はそう判断し、妖型になる青葉の背に掴まる。


 しかし、煙幕が仇となった。

 自分達の姿が見えなくなるように、此方も妖祓の姿は見えない。彼等が煙幕を利用して術を発動させるとは、思いもしなかった。


「うそだろ!」


 煙幕の向こうから飛んでくる呪符に驚愕する。

 突然のことに翔は和傘を振ることを忘れ、青葉も避ける判断ができず、その場で立ち往生してしまった。霊力に満ち溢れた呪符が目の前で弾けた。熱帯びた稲妻が迸り、二人に襲い掛かる。


 直撃する。二人が身構えたその時、銀狐の背から飛び出した猫又のしゃがれた声が、超音波を繰り出した。衝撃によって軌道が微かに逸れる。

 地上にいた飛鳥が間髪いれず、翔達に向かって五枚の呪符を放る。五つの角を取り、光の筋を描いて五芒星形となるそれは、先ほどの強力な束縛の術だ。


『お前さん達はお逃げ。妖の器である坊やでは分が悪いよ』


 青葉の頭の上に着地したおばばが、ここは猫又のコマタが相手すると告げ、身を宙に投げた。


「だ、駄目だおばば! あの術に敵いっこねぇ!」


 血相を変えた翔が手を伸ばすものの、祖母の猫又は一喝した。


『坊や。お前さんは、自分の役割を忘れるんじゃあないよ』


 お節介猫又は孫達を守るため、呪符に向かって音波を発した。

 しかし、ただの妖に過ぎないおばばでは、妖祓の巨大な霊力に対抗できるはずもない。呪符を散らそうとした超音波は、その術の前で書き消えてしまう。

 おばばの身は五芒星形に捕らわれた。迸る霊力がおばばの身を焦がし、その四肢と胴に呪符が貼られていく。


 悲鳴すら上げることができない猫又はただ一声、蚊の鳴くような声でにゃあと鳴き、孫達に逃げるよう促して静かに落下。地上へと落ちていく。


「おっ、おばば――っ!」


 翔が身を乗り出して手を伸ばすものの、青葉が目を逸らしように金銀狐の下へ翔けた。


「待てよ青葉! おばばを助けないと。この高さで落ちたら、一たまりもねぇよ!」


『なりませぬ。翔殿、我々には使命があります』


「使命ってなんだよっ。おばばより、大切な使命なんてあるかよ!」


『では貴方様は、南北の地にいる妖達をお見捨てになると申されますか!』


 頭部を土器で殴られたような気分に陥る。


 露骨に動揺する翔に青葉がピシャリと言い放つ。

 このままでは、おばばの努力が水の泡になってしまう。自分達が捕まれば元も子もない。

 忘れたのか、自分達は神職に携わっている者。多くのか弱い妖達が自分達を待っている。ここで捕まってしまえば妖達に大きな絶望を与えてしまうのだ。


『おばば様は、必ずや私達の手でお救いしましょう。大丈夫、ここで終わる祖母ではございません。我々の祖母は強いお方です』


 青葉は翔を懸命に励ました。本当は自分に言い聞かせているのかもしれない。

 しっかりしろ神主代行と声を掛けられ、ようやく翔は自分の置かれた立場を思い出す。くしゃっと顔を歪めると、喉が裂けんばかりに叫んだ。


「今度は俺が迎えに行くから! 絶対に迎えに行くからな! 死ぬなよ、おばば!」


 断腸の思いで、金銀狐と共にその地を後にする。また会えると信じて。




 地上に叩きつけられた猫又は気を失っていた――。


 数秒だったのか、数分だったのか、もっと時間が経っているのか、それは分からない。時間の感覚が分かず、ただただ重たい瞼を下ろしていた。


 ふと浮遊感を感じ、猫又はしゃがれた声を漏らして目を開ける。

 人間の少女に抱かれているのだと気付くのに、少しばかり時間を要した。


 胴を撫でる手が震えている。


 呪符の霊力で体が痛むものの、その呪符を剥がそうと躍起になっている少女に視線を持ち上げ、次に呪符の効力を弱めようとする少年に目を配り、自分は大丈夫だと小さく鳴く。


『だから泣くのはおよし。ババアの心が痛むじゃないか』


 お節介猫又は人間の子供達を励ました。


『お前さん達も辛いねぇ。こんなことしたくないだろうに辛いねぇ』


 でも成長したではないか。こんな老いぼれの身を案じてくれる、優しい子になったではないか。

 以前会話した頃よりも、ずっと素晴らしい成長だ。猫又は子供達を褒める。子供の成長ほど喜ばしいものはない、嗚呼、長生きはしてみるものだ。


『妖祓の坊や達。神主代行となった坊やの意志は強いよ。あの子はわたしの孫。頑固者でやんちゃで意地っ張り、そして芯が強い孫だからねぇ。腹を決めた坊やと向き合うだけの覚悟がお前さん達にあるかい?』


 猫又の問いに子供達が答える。


『なら頑張りなさい。節介ババアは子供達を見守るとするよ』 


 その答えに満足し、猫又はゆっくりと目を閉じる。

 いつだって自分は子供達の成長を見守り、見送ってきた。これは自分の天命なのだろう。ただの猫から、妖の猫又となった自分の、さだめられた運命なのだろう。


 ならば、この命尽きるまで子供達の成長を見届けよう。

 妖もヒトも関係ない。子供の成長を見守るのが大人の、おばばのつとめ。



 そう、信じて四百年と半世紀を生きてきた。ずっと生きてきたのだから。

 


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