<一>雪童子の要求
彼、錦雪之介と名乗る妖は、ゆったりとした歩調で足を動かしている。
目的があるように思える足取りに、警戒心を募らせながら、朔夜はスラックスのポケットに手を忍ばせた。そこには、愛用している数珠がおさめられている。妙な真似をすれば、いつでも取り出せるという寸法だ。隣を見やれば、飛鳥も同じことを目論んでいるようだ。両の手をダッフルコートのポケットに入れている。
日が暮れていくに連れ、肌寒さが増した。前方を歩く雪之介と、後方を歩く朔夜と飛鳥の間には、殺伐とした空気が流れるばかり。
「妙な真似をしたら、彼の命はないよ。あれは美味しそうな肉付きをしているから、きっと食べごたえがあるだろうね」
その一言が空気を凍らせる。やはり、翔は。
「なーんてね。冗談だよ、冗談。雪童子は、人間なんて食べないよ」
足を動かしたまま、雪之介が首を捻ってくる。間延びした口振りは、凍てついた空気を見事に溶かした。
また、この時点で妖の正体を知ることができる。この化け物は雪童子と名乗った。つまり雪の妖、四季折々が生んだ化け物だ。
「君達は物騒だね。わざわざ背中を取らせているのに、法具を忍ばせて。安心してよ、僕は無闇に人を襲う趣味なんてないから。無闇に妖を襲う趣味を持っていそうな、君達と違ってね」
おどけながらも皮肉を零してくる妖は、道の端に寄り、対向側の自転車を避けた。会釈してくる自転車の主に会釈を返す雪之介は、まるで人間と同じ行動を示している。
学ランという洒落た格好も、思わせぶりではなく、ちゃんとした学生の身元を明かす証である。朔夜は、彼の制服に見覚えがあった。
学生なのか。尋ねれば、今年で受験生だと返事される。
「ショウとは、どういう関係なんだい?」
核心に触れると、雪之介は目を細めて笑った。
「翔くんは、君達に僕のことを話していないようだね。僕は君達のことを聞いているよ。名前、関係、出逢い。すごいね、幼稚園からの、小中高校一緒なんだって? ああ、そんなに睨まないでよ。質問には答えるから。翔くんと僕は――単なる友達さ」
単なる、の語気を強めてくる。相手の心情が読めない。
「友達、ね」
「疑っているの? だったら君達は、彼の何だい? 単なる幼馴染、じゃないの? 特別、優位があるような言い方をしないでよ」
お互い、単なる関係の一部だと彼は肩を竦め、前方に視線を戻してしまう。そして、その物の言い方は挑発的であった。とどめを刺すように、彼は謳うのだ。いまの二人は、翔のことを何も分かっていない、と。
苛立ちを募らせた飛鳥が呪符を取り出し、それを放つ。堪忍袋の緒が切れたのだろう。
すると。体ごと振り向いた雪之介が、人差し指の先端を、放たれた呪符に向けた。人差し指から、青白い閃光が放たれ、呪符に直撃。念の篭った呪符は氷柱を立たせ、氷結してしまう。
間もなく、それは音を立て、アスファルトに落ちた。
「いまのは正当防衛だからね」
町のど真ん中で妖力を使うも、仕掛けてきたのは、そっちだ、と雪之介。責任は自分ではなく、仕掛けてきた飛鳥にあると鼻を鳴らし、もう少しで痛い目を見るところだったと肩を竦める。
表情に変わりないが、目は笑っていない。ちょっとやそっとじゃ倒せるような妖ではなさそうだ。いつも退治している妖とは格が違う。
「僕は、そこらへんの低俗な妖と、わけが違うよ」
此方の心情を見抜いたのか、彼は簡単に調伏されてやらない、と小ばかにしてくる。
なにせ、自分は人の世界で生まれ育ち、時に妖祓に身を狙われながらも、人間に紛れて生活している。ゆえに、護身術は持っていると素っ気無く伝えてきた。
「これでも苦労してきたんだ。幼い頃から、妖を祓わなければいけない、君達のようにね」
雪之介は意味深長に吐息をつく。
「さてと、本題に入ろうか。翔くんは三日前、病院に搬送されたよ」
くるっと踵返して歩みを再開する妖は、現れない事情を説明する。驚愕する二人に、嘘だと思うなら、自分の指定する総合病院に足を運んでみるといい。彼はそこで検査入院をしているから、と雪之介。
どちらにしろ、今から見舞いに赴くところだと、彼は淡々と語った。
「三日前、翔くんは救急車で運ばれた。昏睡状態に陥った意識障害によるもので、彼は三日前から今日に至るまで一度も目覚めないんだ」
原因は一切不明。
医者が原因を突き止めようと奮闘しているものの、今のところ、お手上げ状態だ。雪之介の声が低くなる。芳しくない状態なのだろう。
飛鳥と半信半疑で話を聞いていた朔夜だが、彼の言うことが本当だと信用をせざる得なくなるのは、それから十五分後のこと。
近所では大手と言われている、総合病院に到着した朔夜と飛鳥は、雪之介の先導により、三階の307号室前に立った。病人の表札を確認するとそこには確かに【南条翔】と見知った名が刻まれている。
此処は相部屋らしく、他にも名が刻めるように、下三つに空白ができている。四人部屋のようだ。
「失礼します」
雪之介が挨拶をして扉を引くと、四つのベッドが視界に飛び込んできた。内、三つは空っぽ。日当たりの良い窓辺のベッドのみ占領されている。
傍らのスツールに腰を開けているのは、幼馴染の母親だった。
「ああ。雪之介くんじゃない。それに朔夜くん、飛鳥ちゃんまで。来てくれたのね」
自分達の姿を見るや否や、母親が力なく綻んでくる。どうやら、雪之介は翔の母親と顔見知りらしい。
「今日も来てくれてありがとう」
微笑する母親の表情は蒼白していた。疲労困憊は目に見える。
丁寧に挨拶をする雪之介は、相手を気遣うように病人の容態を尋ねる。母親はかぶりを振り、まったく目覚めないのだと涙声になった。
朔夜が、そっとベッドを覗き込むと、そこには見知った顔が瞼を下ろしていた。胸上まで毛布が掛けられている、寝巻き姿の幼馴染を目にした瞬間、朔夜と飛鳥は“彼”の異変に気付いたが、それを口に出すことない。
表向きは、ただただ眠っている病人に、眉を下げるばかり。掛ける言葉も見つからない。
翔の母親が二人に話を振る。朔夜と飛鳥まで、見舞いに来てくれると思わなかった。連絡は殆ど誰にもしていないのに、と言う彼女に、自分が連絡をしたのだと雪之介が名乗り出る。
「翔くんから、今日は彼等と、花見をする約束があると聞いていたので」
「そうなの。ごめんなさいね、朔夜くん。飛鳥ちゃん。折角約束してくれたのに……」
涙ぐむ母親に気遣いつつ、彼に何が起きたのだと飛鳥が恐々質問する。
分からない。母親は返事した。三日前の夕方から眠りに就き、それから、一度たりとも起きないのだと鼻を啜る。
「翔。最近おかしかったの」
朝にはめっぽう強い子なのに、日がのぼっても起きることができず、登校ぎりぎりまで布団に潜っていた。春休みに入ると、昼過ぎまで寝ることが多くなり、大層呆れていたと母親は言う。
学校から授業中の居眠りの話を聞いていたので、夜な夜なゲームをして遊んでいるのでは、と部屋を何度も覗き込んだのだが、不可解なことに、いつ見ても息子はベッドで寝息を立てている。
息子は一日中眠っているようなのだ。少し前まで夜遊びをしていたが、最近ではそれもなくなり、安心していた矢先のこの出来事。
あの異常な眠り方は、体の不調を訴えるものに違いなかったのだ。母親は悔やんだ。どうして、息子の異変に気付いてやれなかったのか、目元を人差し指で押さえる。悔やんでも悔やみきれないのだろう。指先から、大粒の涙が零れていた。
仰向けになって眠っている病人が、小さなうめき声を上げる。
心臓を飛び上がらせる朔夜と飛鳥を余所に、「翔? 起きたの?」と、ベッドに駆け寄り、母親が顔を覗き込んでいた。病人は眠ったまま、うわごとを漏らす。
「や、くそく……さく、や。あすっ」
ああ、聞くに堪えられない。彼は約束を守ろうとしている。今宵の約束を、守ろうとしている。
「さく、ら」
花見をしたい。そう笑顔を零していた幼馴染は、いま、ベッドの上で苦痛を浮かべていた。彼は二人の名前を呼んでいる。約束に間に合わないと嘆いている。桜が見たいと望んでいる。だから――ここから出して、と懇願している。
だれか、たすけて。
声なき声が、二人に届いた時、彼の正体を知りながら、朔夜と飛鳥はベッドに駆け寄った。放られている手を、おのおの強く握り、自分達は傍にいると教えてやる。目を開ければ、ここにいるのだと強く訴えた。
だが、病人は答えない。うんうんと唸り、額に汗を滲ませるばかり。彼の両の手首には包帯が巻かれていた。聞けば、両手足首が火傷したように腫れ上がっているらしい。
「翔は、とても怖い夢を見ているのね。口にする、うわごとは苦しみばかり」
彼の母親が、朔夜と飛鳥の肩にそれぞれ手を置き、軽く首を横に振る。そっと握っていた手を放すと、苦痛を浮かべていた翔の表情が安らかなものとなった。気持ちが届いたように思えた。
「朔夜くんや飛鳥ちゃんの約束、本当に心待ちにしていたのね。意識がない状態でも約束を口にするなんて、相変わらず二人が大好きなんだから」
それは昔から変わらない一面だと苦笑し、母親は再三再四、見舞いに来てくれた朔夜達に礼を告げた。
「この子はきっと、すぐに目覚めるわ」
だから、ちょくちょく遊びに来てやって欲しい。大好きな友人達が足を運んでくれたら、息子も目を覚めることだろう。そしたら、また仲良くしてやって欲しいと頼む母親は、どこかで自分に言い聞かせているようにも見えた。
静かに病室を後にした三人は、建物を出るまで誰一人口を開かない。ようやく口が利けるようになったのは病院を出て、近場のコインパーキングを過ぎろうとした時だった。
それまで口を閉ざしていた朔夜は、うわごとと苦しみを述べていた幼馴染の姿を思い出し、ついに足を止める。
「ショウに、何が起きているんだい」
雪之介に問い掛ける。必死に抑えている感情が、今にも爆ぜそうであった。
「あれはショウじゃない。見た目はショウでも、僕達の目を、誤魔化すことはできない。ベッドに寝ていたのは形代。身代わりだ」
形代は陰陽師や神主が祈祷の時に、よく使う代物で、謂わば身代わり人形だ。
一般人の目には人に見えるも、それは、霊力のある人間の目を誤魔化すことはできない。朔夜が目にした病人も、禍々しい気が纏っており、彼が人ではないことを証明していた。
とはいえ、身代わり人形は、本体と繋がっている。どこかで、翔はもがき苦しんでいるのだろう。助けを求めていると知った以上、じっとなどしていられない。
「錦、答えろ。なぜ、ショウの形代が本体とすり替わっているのか。そして、あいつ自身になにが起きているのか。お前はすべてを知って、僕達をここまで案内したんだろう」
語気を強め、喧嘩腰になっていく朔夜を、雪童子は横目で見るばかり。
その目を、暮れてしまった空に向け、そっと眉を寄せる。いい加減もったいぶるのはやめろ、掴み掛る勢いで声を張ると、彼は悲しげに目を細め、ずれそうな眼鏡のブリッジを押す。
「彼は妖祓が原因で、捕らわれている。そう言っておくよ」
息を詰まらせてしまう。それは、どういう意味なのか。
「先日、君達は白狐を捕縛したね。知らないとは言わせないよ。宝珠の御魂を持つ、三尾の妖狐を、鬼門の祠で捕らえている筈だ。愚かなことをしてくれたね――妖祓、君達は赤狐の怒りに触れてしまった」
体ごと、こちらを向く雪童子の表情は険しい。それまで、へらへらと笑ったり、おどけたりしていた顔がうそのように消えてしまっている。
雪之介は告げる。この地を統べる赤狐が、人間が肚に何かを抱え、宝珠の御魂を狙っていることに気付いた、と。北の神主は憤っている。大切な同胞を奪われただけでなく、宝珠の御魂を狙う、その愚考に。
だから。彼は一呼吸置き、二人を見つめた。
「翔くんが、あんな目に遭っている。君達が白狐を捕縛してしまったせいで」
朔夜は眩暈を覚えた。つまり、妖祓に報復の意味を込めて、翔が犠牲になったというわけだ。
一度だけ目にしたことのある北の神主は、大層恐ろしい妖であった。桁違いの妖力に、千里眼を持つような鋭い眼光。余裕のある不敵な笑み。どれも勝機を粉砕してしまう。その妖が手ぐすねを引き、このような騒動を起こしたというのならば、雪之介の言う通り、原因は妖祓にある。
「ショウくんを解放して。彼は一切関係ないよ」
飛鳥の申し出に、雪之介はかぶりを振った。
「僕にそんな権限があると思う? 神職でもない、ただの妖なのに……だけど、僕だってこのままじゃ嫌だ。だから、君達に頼むんだ。白狐を解放して」
あの妖狐もまた、雪之介の大切な友人だと彼。白狐を解放すれば、おのずと翔も解放されることだろう。赤狐の怒りは、あくまで白狐が捕らえられたことにある。あれは、同胞の妖達をこよなく愛する頭領。誰彼、傷付けられてしまえば、当然腰を上げる。
そこで白狐を解放し、宝珠の御魂を狙ったことに詫びと、狙った理由を説明すれば、赤狐を筆頭に神職達の怒りも静まる。妖祓も馬鹿な人種ではない。私利私欲のために狙ったわけではない、と妖側も睨んでいる。
熱弁する雪之介は繰り返す。白狐を解放してくれ。自分の、大切な友人を返してくれ、と。
「さっきの台詞、そっくりそのまま返すよ。僕達に、そんな権限があると思っているのかい? 解放の権限を持つのは、長だけだ」
「だったら、白狐の様子を教えてよ。彼は、彼は無事なの? 君達の家にいるんでしょ?」
あっという間に、立場が逆転した。朔夜達が翔のことで焦りを募らせているように、雪之介も白狐のことで焦りを募らせているのだろう。
「錦、お前は白狐を取り戻すために来たんだな?」
「少し違うよ。白狐と、翔くん、両方助けるために、君達の前に現れたんだ。僕にとって、どっちも大切な友人なんだよ。いまも、正直余裕がない。白狐を捕らえたことで、翔くんが危ない、だなんて」
だから、どうか白狐を解放して欲しい。雪童子は幾度も主張してくる。いつまでも身代わり人形が、病院のベッドを陣取っているわけにはいかないと彼。それについては同意見だが、生憎無理な要望だ。
今しがた述べた通り、権限は妖祓にある。解放するには、当主達の許可がいる。それに、今の白狐は気が狂ったように暴れている。鬼門の祠の瘴気に当てられたせいなのか、目覚める度に結界を破ろうと身を投げている。冷静を欠いた白狐を、解放することは危険だと判断するに違いない。
相手にそう告げると、はじめて雪之介が声音を張り、朔夜に掴みかかる。
「彼は気なんて狂っていない! パニックになっているだけなんだ! ワケも分からず、妖祓に捕縛されてしまった。その状況に恐怖して暴れているんだよ!」
瘴気に当てられたことに対しても、あれは簡単には狂いやしないと雪之介。化け狐は宝珠の御魂を持つ妖、その守護で瘴気から守られていることだろう。
ああ、それでも、それでも。彼は泣きそうな声で、顔を歪める。
「どうしてっ、白狐を捕縛したんだよ。彼は誰よりも、人間を愛している妖なのに。どうしてっ、僕は人間の友達と、妖の友達、両方を奪われないといけないんだよ」
どうしてを繰り返し、妖祓を責め立てる雪童子は、今まで出逢ってきた妖とは一味も二味も違った。
朔夜が出逢ってきた妖は、大抵人間に危害を加え、妖祓の肝を狙う、低俗なものが多かった。自己中心的な者達が大半で、更なる力を得ようと人間を、妖祓を襲い、その命を食い荒らす化け物達ばかり。ゆえに、雪之介のような妖は新鮮で、新しい気持ちで妖を見ている気分になる。
この雪童子を信じて良いのか分からないが、ひとつ言える。彼は自分達と同じ気持ちを抱え、苛み、不安になり、恐怖を噛みしめているのだ。
「あの白狐は、南の地を統べる、頭領だと聞いている。だけど、今のあれに話は通じない」
そこが問題となっている。朔夜は解放条件の枷となっている点を教えた。
せめて、落ち着きを取り戻し、話が通じる程度になれば、些少ならず妖祓長も見方を変えるだろう。妖祓長は、鬼門の祠について南の頭領と話がしたいのだ。言葉が通じなければ、話し合いどころか、解放すらままならない。
すると、感情的になっていた雪之介が冷静を取り戻す。掴んでいた手を放し、「そう」と、ひとつ相づちを打った。
「だけど、今の白狐はパニックになっている。落ち着けと言われても、簡単には聞く耳を持たないだろうね。しかも、おおよそ彼の妖力は乱れている。妖型から戻れないんじゃないかな」
苦い顔を作ると、雪之介は制服にポケットから、紺の巾着袋を取り出し、それを差し出してくる。
「これは?」
隣に立つ飛鳥がそれを受け取り、中身を紐解く。そこにはビー玉ほどの玉が三粒入っていた。ガムボールのようなそれは、黒帯びている。
「薬だよ。白狐の精神安定剤のようなものかな。それを呑めば、少しは落ち着きを取り戻すと思う」
暴れている原因の一つに、異常に昂った妖力も入っていると睨んだ雪之介は、この薬を白狐に呑ませて欲しいと頼んできた。勿論、ただとは言わない。これを呑ませてくれるのならば、それなりの代価を払うとのこと。
彼は翔の携帯を左の手で持ち、約束を果たしてくれるのならば、これを渡すと約束してくれた。大したことない代価だと思いきや、雪童子は目を細め、こう言うのだ。
「この携帯には、翔くんの秘密が隠されている。最近、彼の様子、おかしくなかった?」
それは朔夜と飛鳥が、なにより知りたいものであった。
雪之介は言う。翔の携帯には、その秘密が眠っている。自分はその秘密を知っている。なにより、これは彼が望むべき展開ではない、と。
「分かっているんだ。これは翔くんから伝えるべきこと。僕なんかが、しゃしゃり出て良いことじゃない。僕の独断で、どうこうして良い問題じゃない」
述べる弁解は、まるで、自分に言い聞かせているように思えた。雪之介の顔に苦悩が垣間見せる。
「それでも、僕は取引をしたい。君達に協力を願いたい。このままだと白狐が、翔くんが、傷付き続ける。悪い取引じゃないと思う。この情報を得ることで、君達は翔くんを救うことができるかもしれない」
さあ。どうする。幼馴染の秘密とやらは、ぜひとも知りたい。しかし、雪童子を信用して良いのだろうか。あの携帯は、確かに翔の物だろう。が、得られる情報が有力とも限らない。
とはいえ、だ。白狐を解放しなければ、翔も危ないと主張する雪童子に、うそ偽りはないように思えた。
雪之介の条件を突っぱねても、先に得るものはないだろう。
「分かった。その条件を呑むよ。薬を白狐に呑ませればいいんだね」
「加えて、彼の支えになって欲しい。きっと、白狐は君達の言葉なら聞く筈だから」
「妖祓に無茶な要求だね」
ついつい呆れてしまう。欲張りな化け物だ。
「無茶でも何でもないよ。君達だからこそ、できる役割だ」
過大評価だと皮肉るが、そんなことはないと力なく頬を崩す雪之介は、朔夜の手の上に携帯を置く。冷え切った機体に身震いをしてしまう。雪童子が握っていたせいだろう。
その携帯に目を落とすと、LINE画面が開かれたままであった。彼が故意的に開いていたのだろう。なんとなく会話を読む。それは三日前の会話、『錦雪之介』と『南条翔』が他愛もないことで盛り上がっているように思えた。
と、あるやり取りが目に留まる。
『雪之介が紹介してくれる友達って、みんな妖か? お前と同じ雪童子?』
『色んな部族の妖に声を掛けたよ。まあ、僕繋がりってだけあって、季節の妖が多いかな』
幼馴染が妖のことを、雪之介の正体を妖だと知っている。彼は霊力も持たない一般人である。妖は知っていれど、存在など到底信じるわけがない。
『俺と同じ妖狐とかはいたりするのか?』
なのに。彼は当たり前のように、妖の存在を受け入れている。我が目を疑ってしまった。
思わず、これは雪之介が偽装した会話なのではないか、この携帯事態偽物なのではないか、と疑ってしまい、LINE画面を友達一覧に戻す。その一覧にグループを見つけた。【幼馴染】と明記されている、そのグループを開くと、朔夜と飛鳥が連絡の催促をしている。今日付けであった。間違いなく、翔の携帯だ。
「錦。これ、これは」
どうか、この予感が当たりませんように。朔夜は、震える唇を動かし、彼に確認を求めた。嘘だと言って欲しかった。
「あいつは、ただの人間だ。妖の存在なんて知るはずもない」
「そうだね。翔くんは、ただの人間だ。妖なんて知るはずもなかった」
過去形を強調される。
「なのに、お前の正体を知っている」
「それだけじゃない。彼は、君達の正体も知っている」
朔夜は、これまでの翔の様子を思い返す。
ある日突然、元気のなくなった幼馴染。猫又に憑りつかれた彼は、ある日を境に、自分達と距離を置きたがった。それはまるで、避けているようにも思える行為。態度に我慢できず、原因を追究すると、今は言えないとはぐらかされてしまった。
「まさか」
翔が巻いていた、両手首の包帯を思い出す。犬に噛まれただの、お洒落をしたくなっただの、なんだの言って、一切怪我の原因を教えてくれなかった。聞けば聞くほど片意地を張った。あの出来事は、確か、公園で白狐を捕縛しようとした夜の翌日。
「そんなわけ、がない」
米倉は言った、幼馴染は合コンに行くようになったと。長達は言った、人間にも妖になる者がいると。翔は言った。いつか、自分達は一緒にいられなくなる、と。
「あいつは、ただの人間だ」
白狐が捕縛され、翔が意識障害で倒れた。偶然にしては、出来すぎている。
「こんなことがあって良いわけがない」
朔夜は聡明であった。
これだけの情報で、なぜ雪童子が、天敵の妖祓の前に現れたのか。翔と友人なのか。白狐を支えてくれと、わざわざ自分達に頼みごとをしてくるのか、すべてを理解してしまった。
携帯を落として、ただただ混乱してしまう。
雪童子の仕組んだ、悪い夢だと思いたいのに、彼の悔しそうに唇を噛みしめる姿が、虚言の線を一蹴りしてしまった。ああ、悪夢だ。そうだ。そうに違いない。
「朔夜くん。どういうこと」
まだ事情が呑み込めていない飛鳥が、恐々と説明を求めてくる。双方はしじまに包まれたままであった。先に答えを導きだした朔夜も、取引を求めてきた雪之介も、言葉が喉を通らないのだ。なんと言えば良いのかもわからなず、ただただ佇むばかり。
やがて、夜空となった天を見上げ、雪童子が口を開く。
「お察しの通りだよ、和泉くん。あの白狐は半妖、ヒトから化け物になった妖狐だ。彼の妖名は三尾の妖狐、白狐の南条翔――君達の幼馴染だ」
まるで頃合いを見計らったかのように、妖祓の携帯に電話が入る。それは、白狐が座敷から逃げ出した、という連絡であった。
「ごめんね、翔くん。君から、本当は真実を告げたかっただろうに」
同じくコインパーキングにて。走り去った妖祓を静かに見送り、雪之介はそっと目を閉じる。やりきれない思いが、そこには滲んでいた。
未だに、彼等と取引をして良かったのか、それすら判断しかねる。
けれど、もうここまで来てしまったのだ。遅かれ早かれ捕縛された彼は、幼馴染達に正体が暴かれる。ならば、せめて受け止める彼等に心構えを。捕らわれている白狐の支えとなってくれたら、と思う。
たかだか、並の妖である雪之介では、妖祓から白狐を取り戻すことなど不可能なのだから。
「妖祓はなんで、白狐を……このままだと比良利さんは、残酷な判断を下さないといけなくなる」
妖と妖祓が火花を散らすことになってしまう。血を流し合う結果になるかもしれない。両種族が、傷付きあう姿など、雪之介は見たくなかった。
「白狐を、同胞を、宝珠の御魂を狙うことが、どんなに罪深いことか、分かっているのかな。妖祓は何を考えているんだろう。僕も、翔くんも、こんな争い望んでいないのに」
嗚呼、どうして妖と人は、こんなにも相容れないのだろう。