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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ伍】日出づる夜もすがら
155/158

<三>月は夜に変わりけり





 たった百年、されど百年。

 ヒトの暮らしはこれほどまでに変わるものなのか。


 その化け物、妖御魂(およずれみたま)のこと、天城惣七は臙脂色の浄衣を纏い、能面な顔で高層マンションの屋上から明るい地上を見下ろしていた。



 時刻は暮夜を過ぎた頃。


 季節は夏季のため、夜の空はまだまだ夕焼け小焼けに染まっている。もう一刻も経てば、夜のとばりが広がっていくだろう。


 そのような空の下、ヒトが暮らす地上は大層明るかった。

 地上が星空になってしまったのではないか、とくだらない疑問を抱くほど、まばゆい光を放っているので、少々不快感を抱いている。


 どのような成り行きで(うつつ)に舞い戻ってこようと、やはり己は暗い夜を好んでいるようだ。

 いつだって心は化け物、この夜景は己にとって眩しすぎる。そう思っても仕様がないだろう。


 ああ、百年前はもっと静かな夜景が目の前に広がっていたというのに。あの世界で生きていけるヒトの気が知れない。


(いつも思う。歳月とは残酷なものだ)


 長い寿命を持とうと、短い寿命を持とうと、歳月の在り方は変わらない。


 歳月はいつだって残酷だ。

 その中で過ごす者らは少なからず変わっていくのだから。


(一度は死人となった俺も変わってしまったのだろうか。いや、変わったのだろう。きっと)


 飽きもせずに地上を見つめていると、背後から気配を感じた。


 それは懐かしくも、忌まわしいニオイを持つ者。



「そう殺気立つなって。いまは何もしねえよ、いまは」



 当代南の神主から奪った大麻を胸元まで持ち上げると、四尾の妖狐、黒狐の来斬が陽気に嗤った。

 天城惣七の魂に残る記憶が疼く。それはかつて同じ釜の飯を食った同胞であり、心許した者。


 なにより天城惣七の命を奪った者。

 それが背後に立つのだから、殺気立って当然のことだろう。


 とはいえ、まあ、とはいえ。


 いまの天城惣七はあの頃の天城惣七ではないのだから、そのような記憶が疼いたところで思うことはない。

 天城惣七が喰らった妖御魂(およずれみたま)はそれに一応、信頼を置いていたようだが、自分はそのような気持ちを持ち合わせていない。


 己の目論見の邪魔立てをするのであれば、それは敵だろうし、己の目論見に加担するのであれば、それは味方と呼んで良い存在だろう。


 いまの惣七にとって来斬はそのような存在だ。


 ひと言でいえば、どうでもいい。


「どうだ。百年ぶりの現世は」


 他愛もない話をしに来たのだろう。


 黒狐に戦意も殺意も感じられない。

 まあ、争ったところで無意味だろう。今の自分達は瘴気で結ばれた、魂の同胞なのだから。


(瘴気で結ばれている同胞は五人)


 妖御魂。

 骨傘の弥助。

 四尾の妖狐、黒狐の来斬。

 四尾の妖狐、白狐の天城惣七。 

 そして三尾の妖狐、白狐の南条翔。


 おのおの瘴気を魂に抱えて生きている。

 だから魂の同胞と呼ぶべき存在に相応しい。

 黒百合は天城惣七の魂を器に、それを留める依り代を南条翔に定めて、宝珠の御魂に匹敵する神器を作ろうとしているようだが……正直なところ、いまの段階では不可能に近いだろう。


 なぜなら天城惣七のこと自分が、神器になりたがっていないのだから。神器なんて冗談ではない。


 さらに、これは誰にも言えないことだが、三尾の妖狐、白狐の南条翔から瘴気の気配が消えている。

 瘴気で結ばれているはずの魂から、瘴気が一切感じられない。


 少し前まで遠くにいても感じていたというのに。


 代わりに己の魂を感じる。

 半分はあの狐の中に置いてきたので、当たり前といえば当たり前だろう。

 魂を置くことで、それがどこにいるか手に取るように分かるし、宝珠の御魂の力を使用したい時は遠距離であろうと、魂を通じて使える。


 それは都合の良いことだと分かっているのに、疑問が溢れかえる。


 なぜ、あれから瘴気の気配が消えている。己の魂の色が強すぎるのだろうか?


(瘴気が消えてもらっては困る。あれを依り代にするためには、瘴気で結ばれた魂でなければならないのだから)


 願うはふたつ。

 生前のように力を取り戻し、己を死に追いやった者らに報復すること。宝珠の御魂を葬ること――ああ憎い、己を見殺した双子の対が。やれ忌まわしい、己の身に宿っていた宝珠の御魂が。


 そしてただただ恋しい、みなぎる肉体と生気に溢れた依り代の体が。


 思えば思うほど、どす黒い欲にまみれていく。一方で生きかえった実感が湧く。気持ちは喜びと憎しみに溢れている。


 惣七はそっと己の胸に手を置き、ぽつりとこぼす。


「一刻も早く、当代南の神主の肉体が欲しい」


 あれが手に入ったら、より生命を実感できるに違いない。

 想像するだけで飢えてきた。妖御魂の肉体ではちっとも満たされない。依り代の心身を喰らえば、きっと満たされるはずだ。


 いや足りないやもしれない。

 だったら、双子の対である心身を喰らおう。きっと満たされるはずだ。


 まだ足りないやもしれない。

 宝珠の御魂そのものを喰らうのも手だろうか。あれは葬るべきものだと分かっているものの、やはり飢えには勝てない。


 惣七は満たされたい気持ちでいっぱいだった。

 それを世間話程度に来斬に伝えると、「とんだ悪食っぷりだな」と、皮肉られた。


「妖御魂の魂を喰らって満足しているかと思ったら、予想を超える食欲だな」


「あんなもの腹の足しにもならん。俺は喰らいたい、当代南の神主を。双子の対を。宝珠の御魂を」


 ああ、想像するだけで満たされそうだ。

 口を歪曲にゆがめ、そっと大麻を見つめる。

 生前には抱かなかった想いが心地良い。それはなぜだろう。自分が化け物だからだろうか。


 来斬に問うと、「それが生きているってことだ」と、言葉を返してきた。


「神道は穢れを嫌うが、生きることに綺麗ごとなんざねえ。生きたいから、他者の命を喰らう。死にたくねえから、他者を蹴落とす。強さが欲しいから、他者の屍を超えていくんだよ」


 生きるってのはそういうことだ。

 黒狐は肩を竦めた。

 正論だと惣七は思った。生きることに綺麗ごとはない。生前はいつも綺麗ごとを思い描いていたが、それはきっと無駄な想いだったのだろう。


「来斬、死を経験したお前は知っているだろう」

「あん?」


「死の先に待っているのは、虚無だということを――いまの俺はすっからかんだ」


 なあんにも持っていない。

 だから飢えているし、満たされない。こみ上げてくるのは憎しみと悲しみと、虚しさばかり。


 そのような己はつまらない。さっさと満たされなければ。


 額に陰陽勾玉巴を開示させると、惣七は満目いっぱいに映るヒトの世界を見つめた。


 今すぐにでも当代南の神主の肉体を手に入れたい。

 居場所は把握しているが、おいそれと赴いたところで返り討ちになる可能性は否めない。


 土塊で出来た自分達の肉体は生気を纏う肉体よりもずっと脆いうえに、あれの傍には忌々しい当代北の神主がいる。

 考えなしに突っ込んでも、痛い目に遭うのは事実明白。


 だとしたら。そう、だとしたら。


「いくぞ、久しぶりにヒトの地で戦がしたくなった」

「ほう? 平和大好きで、ひょろっちいお前がそんなことを言うなんてねえ」


「せっかく現世に戻ってきたんだ。派手に戦がしたい」


「戦っつってもなあ。ヒトの地は広いぜ? どこに行くつもりだ」

「黒百合と繋がるヒトの下へ」


「その後は?」


 面白おかしく問いかけてくる来斬に嗤い、臙脂色の浄衣を翻す。



「我らと対等に渡り合えるヒトの下へ」




 ※




 彼女、楢崎飛鳥は米倉聖司の行方を追っていた。


 彼を探し続けて、かれこれ一週間ほど経っただろうか。

 右目に牛鬼を宿した重傷人の足取りは一向に見つからない。高い熱に魘されていたのだから、そう遠くには行っていないはずなのに、神隠しにでもあったかのように手掛かりが掴めない。


 となると、誰かが匿っている可能性もある。

 可能性が高いのは悪友としてつるんでいた幼馴染――妖狐の彼が米倉聖司を保護している可能性も十分ある。


 一縷の望みを懸けて、幼馴染の南条翔に訪ねてみるが、彼はいつもアパートを留守にしている。携帯も繋がらない。翔から情報を得ることは暫し、時間を要しそうである。


 結局、探す手段は足のみ。

 飛鳥は予備校も放り出して、米倉聖司の行方を探し続けていた。己を庇って重傷を負った彼を差し置いて、予備校になんぞいけるわけもない。


 朝な夕な、来る日も来る日も彼を探し続けている。



 そのような成り行きがあったせいだろう。

 気づけば、飛鳥は相棒と呼ぶべき男と肩を並べる時間が増えた。元相棒、と呼ぶべきやもしれないが、ここは素直に、朔夜のことを『妖祓の相棒』と呼んでおこう。


 あの頃に比べて口数はグッと少なくなったが、それでも、お互いに目的は一緒なので、私情を押し殺している。


「悪い。僕が注意深く米倉を見ておけば良かったんだ。あの体で、まさか部屋を抜け出すとは思わなくて」


 そうそう。

 朔夜と顔を合わせて、はじめて交わした言葉はこれだった。


 飛鳥の気持ちを汲んでいるのか、それともべつの感情が宿っているのか、朔夜から真摯に謝られた。

 無論、朔夜のせいではないことくらい飛鳥も分かっている。


 なのに、妙に決まり悪そうに謝られたので、こちらも歯切れの悪い返事しか言えなかった。


「飛鳥、後のことは僕に任せてくれないかい?」


 米倉聖司を探し続けて幾日。

 朔夜からこのような申し出があった。暮夜が訪れて間もなくのことであった。


 その日は錦雪之介の下へ訪れ、妖側で牛鬼に取り憑かれた人間を見掛けなかったか、と情報収集をしていたのだが、からっきしであった。

 まったく情報が得られず、さあ、どうしようか、と帰路を歩いていると、朔夜から話を切り出された。

 よく幼馴染三人で過ごしていた公園前の通りに差し掛かった時のことだった。


「もう何日も予備校に行っていないんだろう?」


 公園前で立ち止まり、朔夜は柵に寄り掛かった。

 今もまだギブスをしている左腕を見やり、飛鳥は素直に頷いた。正直、いまは予備校どころではないことを付け加えて。


「気持ちは分かるよ。いまの飛鳥が中途半端に首を突っ込んでも危険な目に遭うだけだ。分かるだろう? 米倉の右目に取り憑いた牛鬼は、滝野澤と深く繋がっている」


 とどのつまり、半端な気持ちで関わっていい事ではない、と朔夜。

 妖祓の道を一本に絞っているならまだしも、飛鳥はいつも己の進むべき道に迷いを見せている。


 それでは誰かの足手まといになりかねない。

 妖祓側は勿論、妖側にいる幼馴染も同じことを言うだろう。


 彼は現実の厳しさを教え、飛鳥に一件から身を引くよう説得を始めた。


 ほんの少し前ならば、頭に血がのぼる訴えだったことだろう。が、いまの飛鳥はただただ冷静に朔夜の言葉を受け止めることができた。

 彼は極めて正論を唱えている。妖祓として半端な気持ちを抱いている己に、反論の余地はないだろう。


 だから。


「早いところ、妖祓の肩書きを返上しなきゃね」

「飛鳥?」


「朔夜くん。私は妖祓から身を引くつもりだよ。代々続いている妖祓の血も、私の代で終わり。おばあちゃんに言えば、きっと楢崎家から勘当されるだろうけど」


 それでもいい。

 自分は妖祓から身を引こうと思っている。

 なぜなら、自分は妖を祓う気持ちが薄れている。ヒトを守る気持ちは変わらない。


 けれど翔や朔夜のように、いざという時に妖と、化け物と、ヒトと、幼馴染と、対峙する覚悟が持てずにいる。

 妖祓は化け物からヒトを守る者達を指すが、飛鳥は化け物も守りたいと思っているので、『妖祓』と名乗るには相応しくない。


「妖祓の肩書きを持っている限り、私は私の本当にしたいことができないと思ったの。ショウくんが妖になって、彼と対峙して……でも一緒に生きていく約束を交わしたから――どっちも守りたくなっちゃった」


 おどけ口調で語り、「後のことは朔夜くんに任せるよ」と、先ほどの返事をする。

 『妖祓』として米倉聖司を追うのは朔夜に任せる。

 自分はこれからは『ただの霊能者』として、一件に首を突っ込むと笑みを浮かべた。


 ただの霊能者であれば、誰の指図を受けることもない。

 ヒトを守ろうが、妖を守ろうが、飛鳥は好き勝手にできるのだから。


「さすがの朔夜くんだって、ただの霊能者に口を出すことはできないでしょ?」


 これが己の決めた道だ。

 妖祓の代わりに、なにか新たな肩書きがほしいところだ。せっかくだから妖祓に張り合えそうな、カッコイイ肩書きがほしい。


 そう言って、ぺろっと赤い舌を出した。



「はあ……飛鳥、ショウに似てきたんじゃないかい」



 ずいぶんと無鉄砲なことを言っている。


 朔夜が疲れたような声を出し、そう指摘するが、飛鳥は右から左へ聞き流す。幼馴染は関係ない。翔に性格が似ている? 知らない知らない。

 これは自分が決めた道だ。


 静まり返る公園の前で、かまびすしい着信が鳴る。

 それによって、二人の会話は途切れてしまったが、間もなくその会話すら頭から消し飛んでしまう。彼は血相を変え、飛鳥に向かって叫んだ。


「襲撃だっ、妖祓長が……じいさまと紅緒さまが襲撃に遭ったっ!」





 妖祓長が襲撃に遭ったのは『花宴の屋敷』と呼ばれる所。

 そこは地元から離れており、住宅街のはずれにある武家屋敷は“妖祓”の集会場になっている。

 今は和泉家長が武家屋敷を所有しているが、代々妖祓の職に就く者達が交代制で屋敷を管理していると聞いている。


 昔から妖祓達は上半期と下半期の二回に会合を開き、地域一帯の妖や悪霊について情報交換をする。その場として設けられている此処、“花宴の屋敷”は表向き武家屋敷として、裏向きは集会場として使用されていた。


 飛鳥や朔夜は幼い頃から、よくそこへ遊びに行き、他の妖祓達と交流していた。


 その集会場が襲撃された。

 今宵は妖祓長が日本東西に分かれている妖祓達と会合を行う予定で、そこに赴いていると聞いていたが、まさか襲撃に遭うだなんて。犯人は妖で間違いないだろう。が、どのような妖が妖祓を襲撃したのか。


 和泉と楢崎の妖祓長を担っているので、あまり心配していないが、やはり身内として不安がこみ上げてくる。妖祓長達は無事なのだろうか。



 タクシーを捕まえて、現場へ向かった飛鳥と朔夜は『花宴の屋敷』を目にして声を失ってしまう。


 立派な武家屋敷があったそこは真っ赤に燃え盛っていた。家屋は勿論、屋根も外壁も植木もすべて赤い炎に包まれている。

 そこはすでに数人の妖祓達が正面玄関側に集まり、人命救助に当たっていた。


 人の手だけで火を消すことは難しい。

 しかし、中に取り残されている者達の命を救うことはできるやもしれない。


 その一心で走り回っている。


「怪我人だ。怪我人が敷地内のいたる所にいるぞ!」


 その声が合図となった。

 飛鳥は朔夜と共に敷地内へ飛び込み、大きく回って裏の中庭へ向かった。正面玄関側は他の者達が見てくれていることだろう。

 ならば自分達は中庭へ。誰も怪我人がいないことを願って。


 中庭の炎は正面玄関側よりも一層、強さを増していた。

 微かに妖気を肌で感じたものの、それ以上の衝撃が二人を襲った。


 そこは真っ赤だった。炎の赤さではない。怪我人の血によって真っ赤だった。

 縁側、中庭の池、植木の下、それぞれに妖祓が倒れていた。見るからに息絶えている者もいた。手足がない者もいた。頭がない者もいた。喰われている者もいた。ヒトかどうかすら分からない者もいた。


 凄惨な光景であった。


 その中に見覚えのある人間がいた。


「おっ、おばあちゃん!」


 飛鳥は走る。縁側の下に倒れている祖母の下へ。


「じいさまっ!」


 朔夜も走る。植木に凭れている祖父の下へ。


 飛鳥の祖母のこと、楢崎紅緒は肩に深い傷を負っていた。

 何者かに肩を裂かれ、おびただしい血を流していた。


 しかしながら飛鳥が呼びかけると、間を置かず返事をしてきたので、意識はハッキリしている様子。


「良かった。おばあちゃん、ちょっとだけ我慢してね」


 背中に祖母をのせて、朔夜の下へ走る。

 朔夜の祖父のこと、和泉月彦は紅緒よりも大層、深手を負っていた。


 近寄って怪我人の様子を窺うと、ああ、なんてことだ。左腕がないではないか。もぎ取られている、という表現が合っているだろう。肩から下がなかった。腹部も切り裂かれている。


 このままでは出血多量で死んでしまう。

 そう判断した朔夜が急いで己のシャツを破り、止血を始めた。飛鳥も手伝うために祖母を植木の下へおろそうとした時だった。


「朔夜、もういい。手遅れだ」


 月彦自身が止めてきた。

 意識を取り戻したようだ。荒呼吸を繰り返し、止血する朔夜の手を己の右手で覆った。


「いまは聞けない命令です」


 短く返事をする朔夜は冷静に見えて、少々感情的になっていた。

 妖祓長である以前に、月彦は彼にとって大事な祖父なのだ。このような姿を見せられ、冷静でいられるわけがない。


 しかしながら月彦は朔夜の肩に手を置き、「手当ての時間すら惜しいのだ」と、力なく頬を緩めた。


「頼む、朔夜」


 それだけで、分かる月彦の願いとその心。


 見守る飛鳥は何も言えなかった。

 言われた朔夜も何も言えなかった。

 そして間を置き、下唇を噛み締めて、「はい」と、答える彼の覚悟が切なくなった。


「これは人災だ。怪異の災いではない」

「では、これはヒトの仕業なのですね」


「妖祓に根深い思いを抱いていた百鬼一族を少し見くびっていた。それが今回の敗因だ」

「……百鬼一族っ」


「詳しいことは紅緒に」

「はい」


「百鬼一族は我々の想像をはるかに上回る行動を起こしてくる。妖祓としても、赤狐や白狐と情報の共有を怠るべきではないだろう」

「はい」


 一呼吸。

 激しい咳と吐血、それらを抑えて月彦は話を続ける。


「いいか朔夜。今宵をもってお前が和泉の当主だ。父や兄の二人ではない。お前が当主として、残される妖祓達を先導しなさい。案ずるな、紅緒は必ず助かってくれる。何かあれば良い知恵を貸してくれるだろう。それだけではない。お前には頼もしい相方の飛鳥がいる。幼馴染の翔もいる。頼れる者は多い」


「はい」


「決して一人で背負い込むな。お前の悪いところだ」

「はい」


「妖を、そしてヒトの悪事を憎みなさい。決して、妖やヒトを憎んではいけない」

「はいっ」


 一呼吸。

 月彦はうん、と一つ頷き、静かに己の遺言に耳を傾けてくる朔夜に微笑んだ。


「お前が妖祓長を目指そうと思ったのは妖狐と化し、南の地の頭領となった翔と肩を並べたいからだったな。その道は決して楽ではないだろう。しかし大丈夫、お前ならできる。和泉の血を誰よりも濃く引いているお前なら」


 だから、安心して妖祓長を任せられる。


 勿論心配はあるし、そもそも朔夜自身が未熟な子どもなものだから、今からでも沢山のことを教えてやりたいのだけれど、もう自分にはその時間が残されていない。

 どうか許してほしい、朔夜を立派な妖祓長にしてやると思っていた、あの時の決意と心を偽ることになってしまった。


 なにより。



「ただの孫として接してやれず、ほんとうに……悪かったな。朔夜」



 かわいい孫に、つらい思いをさせてしまった。不甲斐ない祖父ですまない。


 それが最期の言葉だった。

 孫の返事も待たないまま、月彦の体が前のりになった。それを受け止め、受け止めて、朔夜は声を振り絞った。


「悪いと思うなら、僕に助けられてくださいよ……じいさま」


 助けたいと思った気持ちは、月彦が妖祓長だから、ではなく、祖父だったから――その気持ちが強かったのに、どうしてこの人は最期まで妖祓長の顔を見せてくれるのか。


 そんなんだから、自分は最期までただの孫として接することができなかった。できなかったではないか。朔夜はか細い声で呟き、月彦の身を抱きしめた。



(おじいちゃん……)



 下唇を噛み続ける朔夜の分まで、飛鳥の頬に涙が伝い落ちた。


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