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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ伍】日出づる夜もすがら
154/158

<二>結び目の先へ




 患者のこと、米倉の意識が戻って早三日。

 依然高い熱を出している彼の容態は、落ち着きを取り戻しつつあった。


 これもひとえに付喪神の一聴と助手お歯黒べったりのお有紀が尽力してくれたおかげだろう。

 彼らの手厚い治療と介抱のおかげで、彼は誰かの手に支えられながら身を起こすようになった。量は少ないが重湯や水も自力で呑み込もうとする姿が見受けられる。


 また受け答えは十二分にできるようで、短い会話なら卒なく話すこともできた。


 その一方で患者は医者を含む、みなの姿に戸惑いを見せていた。


 それも仕様がないこと。彼はヒトの子なのだ。

 四つの目玉がついた聴診器に治療され、真っ黒な歯が並ぶ顔なし女に介抱され……かと思ったら、顔見知りには耳と尻尾が生えているわ、その周囲の奴らも似たり寄ったりの姿だわ。


「……目が覚めたら、どこもかしこも化け物ばっか。地獄かよ」


 米倉が戸惑うのも無理はない。


 彼なりに受け入れようとしている姿勢は見えたが、冗談軽口を叩けるのは翔ばかり。

 他の者には声を掛けられても言葉を詰まらせてしまうことが多い。


 たいへんおぞましい生き物に見えるのだろう。

 介抱してくれる妖らから触れられそうになる度に、大げさに身構える行動が目立った。


 比較的にヒトのかたちをしている者に対しても、いぶかしげな顔を作ることが多いので、米倉にとって妖は「不気味」な生き物なのだろう。

 さらに変なところで正直者なので、翔や比良利の耳や尾っぽを見る度に、彼は小さく唸って、ぽつり。


「野郎の耳と尾っぽは可愛くねえよな。うん」


 やはり女の方が可愛い、なんぞと素直な感想を述べてくれた。

 こちらを一瞥しては笑いをかみ殺してくれた。堪え切れず、「南条似合わねえ」と声を出して笑ってくれた。


 その度に翔は無言で召喚した和傘を振り上げたし、周囲からはどうどうと止められてしまった。

 仕方がないではないか、相手は悪友の米倉。暴言を吐かれて我慢しろ、という方が少々無理な話であった。



 とはいえ、米倉は目覚めた初日よりもずっと落ち着きを取り戻している。それはとても良いことだ。


 片や良いことばかりではなかった。

 米倉の容態が落ち着くと、一聴が患者の心身を深く診るために、彼と対話を始めた。


 所謂、問診であった。

 翔は早いところ米倉の身に何が起きたのか、根掘り葉掘り聞きたかったが、医者がそれを許さなかった。患者のことは誰よりも一聴が熟知している。

 そのようなことをすれば取り乱すと判断したのだろう。


 同席は許されたので、翔は対話を見守るかたちで参加した。

 口出しは絶対にしない、と約束をしたので、黙って様子を見守ることにした。


「はてさて。私の姿かたちに見慣れぬでしょうが、どうかお許しを。貴殿のお名前は?」


 対話のはじめから、米倉は躓いてしまった。

 彼は上の名前はすんなり口にしていたが、下の名前になった瞬間、息を止めてしまった。書くものを用意してやっても、それは同じであった。


 彼は半紙と睨めっこし、「なまえ……」と、小さな呟きを繰り返した。


「漢字も出てこねえ」


 なんだっけ。彼は呆けた顔で繰り返した。


(なんだよ。お前の名前は「米倉聖司(よねくらせいじ)」だろ)


 熱のせいでど忘れしてしまったのか? 頭が煮えてしまったのか?

 そう言って、翔は笑い飛ばしてやりたかった。


 だけど米倉は真剣に、けれど困惑した顔で名前を思い出そうとしていた。

 そのせいで笑うことも、悪態をつくこともできなかった。


 一聴は米倉と様々なことを対話した。

 己の好きなもの、嫌いなもの、己の種族に、日用品の名前について等など、角度を変えて話をしていた。


 米倉は答えた。

 己の種族や日用品の名前、季節のことなど、どれも間違えることなく的確に答えた。


 米倉は答えられなかった。

 己の好きなもの、嫌いなもの、それに友人にあたる南条翔の下の名前など、己の記憶に関わるものについて、上手く答えられなかった。

 無理に思い出そうとすると吐き気に襲われ、寝込んでしまうほど、彼は己の記憶を上手く引き出すことができなかった。ど忘れ、にしてはあまりに不可解だ。


 すると、患者の方から原因を教えてくれた。


「たぶん。牛鬼って奴に喰われているんだと思うぜ。俺」


 だって、ずっと喰われている音が体の内から聞こえている。

 気を抜くと根こそぎ喰われてしまいそうなほど、右目にいる牛鬼が暴れてくれている。ああ、どうしよう。


「喰われる音が聞こえる度に、ひとつずつ何かを忘れていくってのもだるいな」


 今度は何を喰われるのだろう。

 今度は何を忘れてしまうのだろう。

 あとどれくらい喰われる部分が残っているのだろう。


 いっそ喰われるのなら、思い出したくもない恥ずかしい黒歴史を喰ってくれないだろうか。それこそ二度と思い出せないように。


「たとえば、あいつにキスして引っ叩かれたこととかな」


 米倉はそう言って、へらりへらりと笑った。


「あれ? あいつって……誰だっけ」


 笑う声が詰まる。

 あいつと指す、その人物をもう思い出せないらしい。


 記憶に疼く奴だったのに、それがどのような声で自分の名を呼んでいたのか。どのような顔で自分を見ていたか。

 ああ、名前も出てこない。あれは誰だったっけ。無性に腹が立つ奴だったと思うのに、妙に目が放せなかったような気がする。


 誰だっけ。自分はそいつの傍にいてはいけないと思っていたのに。


「南条と繋がっていたような気もするんだけど。まあいいか」


 大層なことだというのに、彼はなんでもない顔で、「思い出せないもんは思い出せねえよ」と諸手をあげた。

 ちゃんちゃらおどける彼だが、それは見え見えの強がりだ。翔は彼の諸手の震えを見逃さなかった。


(ばかやろう。怖いなら怖いって言えよ)


 恐怖をひた隠している患者に、気の利いた言葉は送れなかった。




 五日経つと米倉は軽く憩い殿の中庭を散歩できるまでに回復する。


 相変わらず、米倉の熱は続いているが、患者の方から外の空気を吸いたいと申し出があった。 

 行集殿は四面木板に囲まれた一室なので、窓も景色もない部屋に飽き飽きしてしまったのだろう。


 一聴の方からも、ずっと閉じ込めていては患者の精神が持たない、と助言をもらったので、翔自ら率先して散歩に付き合っている。


 傍らには神職狐もしくは烏天狗が待機しているものの、翔は何も言わず、米倉の気晴らしに付き合った。

 片隅で右目に憑いている牛鬼が暴れないか、患者の精神を蝕んでいないか、とても心配しているのだが、とうの本人は「ここに来てから落ち着いている」と笑いながらいらえた。


「あの聴診器が熱下げの薬草の粥に、お清めの塩を混ぜて寄越してくるんだ」

「塩?」


 それもお清めの塩?

 それは毒も毒だというのに。


 目を丸くする翔をよそに、米倉は真っ赤なヒガンバナ畑を見渡し、その花弁に手を伸ばして、恐る恐るそれに触れていた。

 まったく花に興味がない男だというのに、物珍しそうにヒガンバナを指先で触っている。


「なんでも、それで牛鬼の妖力を下げているんだと。俺はべつにヘーキだけど、妖にとっては猛毒なんだってな」


「そうか。お前の体はヒトの子だもんな」


 食べたところで体に害はないだろう。


「ヒトの子ねえ。じゃあお前はナニの子だ?」

「狐の子だよ。今はな」


「今は、ね。俺にはコスプレにしか見えねえけど、その耳や尻尾は本物だろ? 似合わねえけど」


「ブッ飛ばすぞ。好きで生やしているわけじぇねえってーの」


 頬を引きつらせると、「お前はお清めの塩は食べられないのか」と、尋ねられた。

 翔は素直に頷く。


「ただの塩なら食えるけど、清められた塩は無理だ。浄化されちまう」

「俺が喰ってる粥なんて食ったら」

「死にかけるんじゃねえかな」

「実際、めっちゃまずいけどな。あれを喰う度に俺も死にかける」


「薬粥ってのはそういうもんだ。そろそろつらくなってくる頃じゃね?」


「それな。せめて硬いもんが食いてーよ。あとは味の濃いラーメン。味っ気のない飯に飽きてきた」


 安堵する一方で、翔は米倉の体がまだヒトであることを確認することができた。


 あくまで米倉は牛鬼に取り憑かれているヒトだ。

 お清めの塩が混ぜられた薬粥を食べられているのが何よりの証拠。


 牛鬼の強大な妖力のせいで、体の内を喰われ、喰われて、少しずつを乗っ取られているだけのヒトの子なのだ。


 早いところ牛鬼と米倉を切り離してやらなければ。

 だけど、それは簡単ではない。


(無理に米倉から牛鬼を切り離したところで、牛鬼を完全に取り除くことができるかは分からない。牛鬼は強大な妖力を宿している一方で、ずる賢い化け物だと一聴さんは言っていた)


 右目と引き換えに、取り憑いた牛鬼を切り離しても、向こうが知恵を聞かせて右目以外のところを憑いてしまえば米倉はただ視力を失うだけの哀れビトとなってしまう。


 また牛鬼は米倉を内側から喰らっている。彼の記憶を奪い、腹の足しにしている。


 他方で、米倉は牛鬼に感化されたかのように肉を求めようとした一面があった。

 本当に牛鬼は右目のみに留まってくれているのだろうか。呪符を掻い潜って、右目以外のところにも取り憑いているのでは。


 正直、一聴ですら手に負えるか分からない患者だと告げられた。


「南条クン。シカトはよくねえぞ」


 翔は自然と作っていた握りこぶしを緩め、米倉に視線を戻した。


「ん? ああ、なんだよ。布団が恋しくなったか」


「ちげぇよ。あそこに何かいるっぽいんだけど。ねずみにしてはめっちゃ膨らんでるし」


 ぎこちなくヒガンバナ畑の奥を指さす米倉と、その指先を交互に見やり、翔はおかしそうに笑った。


「なんだ。小玉鼠(こだまねずみ)か」

「こだ? ……なんだって?」


「小玉鼠だよ。大丈夫、体を風船みてえに膨らませるだけだから。ああ、でも驚かすなよ。驚かされると、爆発して体内の臓器を飛ばしてくるから」


「げえ、なんだそれ」

「強烈な悪臭を出して逃げる習性があるんだよ」


「……死んでも近づかねえ」


「その目は妖が視えるんだな」


 素朴な疑問を投げると、「右目はな」と彼は答えた。

 曰く、左目は視える時と視えない時があるそうだ。視える時ははっきり妖が視えるものの、視えない時は翔の尾っぽも耳も視えないという。


「お。銀色の狐がいるじゃん。お前なら知ってるぞ」


 白装束の袖を夜風に靡かせ、米倉はその場でしゃがんだ。

 ヒガンバナ畑にひそむギンコを見つけるや、おいでおいでと手招きをひとつ。


「確かお前は南条がよく携帯で見ていた狐だな。高校の時、いつも見せられていたっけな」


 歩み寄る銀狐の頭を撫でようとすると、ギンコがその手をゆるりと避けた。


「お?」


 米倉が右へ左へ手を伸ばす。ギンコも右へ左へ避ける。

 とうとう米倉は笑い声を漏らし、「可愛くねえ狐だな」と言って鼻先を指で弾いた。


 その穏やかな横顔が、胸に安心と不安を渦巻かせる。


 一聴は言っていた、一度牛鬼に喰われたものは――どのような手を使っても取り戻すことはできない、と。

 だから米倉が忘れてしまった記憶の一部たちは、どう足掻こうと戻って来ないのだ。


(忘れた? 違う)


 彼は記憶を奪われ、喰われ、失いつつある。


「んーっ、ちょっと(ふだ)を取ってみっかな」


 思案に耽っていると、米倉からおったまげる発言が聞こえた。


 それはひどく物騒で愚かな考えであった。

 顎が外れそうなほど驚かされてしまい、翔は思わず間の抜けた声を上げてしまう。


 しかも、彼は本当に呪符を剥がし始めたではないか。

 これには米倉の足元にいたギンコも、きゃいきゃい、きゃあきゃあ、かまびすしく鳴いて止めに入る。


「ばかっ!」


 翔が足を踏み出す、その前に縁側にいた青葉が走り、烏天狗が憩い殿の屋根から飛び下りる。

 瞬く間に両者から呪符を剥がす手を止められ、米倉は驚いた顔で周囲を見渡した。

 翔のところからでは見えないが、とても怖い顔で止められたようで、「半分冗談デス」と言って、彼は冷や汗を流した。半分は本気だったようだ。


「何しているんだ米倉。せっかく牛鬼の力を抑えているのに、呪符を剥がしたらまた布団に逆戻りだ。シバき倒すぞ」


「南条クン。お前が一番怖ぇから」


 米倉が愛想笑いを浮かべてドン引いている。そのような顔をしていたのだろう。

 翔はぎこちなく足を動かし、米倉の前に立つと「そろそろ行集殿に戻るぞ」と、不機嫌に言って唸る。呪符を剥がそうとした、その考えと言い訳は行集殿で聞いてやる、と付け加えて。


 すると。米倉は困ったように笑い、軽く頭を掻いて、夜の空を仰いだ。


「滝野澤が俺を呼んでいる。あんまりにも呼ぶもんだから、ちとあいつのツラでも拝んでやろうかと思ってよ」


 は?


 翔の不機嫌顔が崩れる。

 いまなんと言った。

 まさか滝野澤が米倉を呼んでいる、と言ったのか。


 米倉は本気で言っているのだろう。

 たっぷりと間を置き、「正しくは牛鬼が呼ばれている」と言葉を重ねた。


 なにせ右目の化け物は滝野澤の式神。

 それを目に宿している自分にも影響があって当然だ。


 きっと、呪符を剥がせば、あれの居場所も分かるに違いない。断言はできないけれど。


 だけど安易に呪符を剥がしても一人で抑えられるわけがない。あいつらの傍で剥がしてもだめだ。


 あいつら、というのが誰なのか、もうあまり憶えていないけれど、そいつらの前で呪符を剥がせば最後、死ぬほど自分が腹立たしい思いを噛み締める。癪だと思ってしまう。

 そう言うと、彼は翔を一瞥し、「だから」と語気を強めた。


「俺はお前の下に来た。俺はあいつの好き勝手にさせたくねえ」


 どうやってここまで来たのか、それは憶えていないけどな。

 真顔で語る患者は、ころっとおどけ口調になると、いつものように笑い、「ということでよろしく」と肩を竦めた。


「少しの間、呪符を取りたい。南条、俺を押さえられっか? お前は滝野澤のことを知ってるんだろ? 知れるチャンスだぜ」

「待て、米倉。ちょっと整理させろ」


「なんだよ。こんなに丁寧に説明してやってんのに」


「してねえよ! 大体お前から一言も」

「話を聞いてねえ? それはお互いさまだ。南条、お前も俺に何も話してねえよ」


 それこそ翔が何者なのか、そのことすら。

 米倉は鼻を鳴らし、「それについてはお互いさまだぜ」と言って、軽く手の甲で翔の胸を叩いてくる。


 ついでに無遠慮に耳を引っ張ってきたので、狐の鳴き声を上げてしまった。

 彼はそれについても指摘し、「お前はいつからコスプレ狐なんだ」と不満気に指さしてきた。最初から化け物なのか、それとも途中で化け物になったのか、これっぽっちも聞いていない。


 そう言って米倉は右目を呪符の上から撫でた。


「まあ、お前が神主で身分の高い奴ってことくらいは、すぐに分かったけどさ」


「なっ。なんで俺が神主って」


 まだ何も話していないのに。

 血相を変えると、米倉は翔の浄衣を満遍なく見やり、小さくため息をついた。


「神社で浄衣を着る奴なんて、神主しかいなくね? なに、お前は神社に勤め始めたのか?」

「み、身分が高いってのは」


「ンなの周りの態度を見りゃ一発だろ。おおよそ、南条はみんなをまとめる長ってところか。ああ、そこにいる銀狐は神社の神使ってところか? 色のついた狐はとくべつなんだってな。んーっと、そういう狐を善狐って言うんだっけな。お前は気狐(きこ)って位の狐なのか」


「……狐の位まで知っているし」


「全部本やネットの知識だよ。合っているかは知らねえから」


 曰く、妖祓を調べるついでに、適当な妖怪の知識を頭に入れたと米倉。

 それが合っているかどうかはともかく、予想を立てる際にはとても役に立っているそうだ。


 ただし、自分がどうして妖祓を調べていたのか、あまり憶えていないと彼は続ける。


 なにか大切なことがあって調べていたはずなのに、その理由が曖昧だと苦笑した。


「俺の中で妖祓は、近づいちゃなんねー存在だってのだけ憶えているんだけどな」


 まあ、今はそんなことどうでもいい。

 少しばかり体力が回復した今なら、多少の無茶も利くだろう。



「南条、滝野澤のことが知りたいなら、俺を押さえてくれ。呪符を取りたい」



 米倉はあっけらかんと言った。



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