表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ肆】魂の在り処
152/158

<十七>天命の末路に恐れるべからず



 ※ ※



「玉葛の神鏡を、此の世から消してほしい?」


 翔が比良利と共に流に呼び出されたのは、三晩経った深夜のことであった。

 この三日間、翔は不自由で疲れ切った体を布団の中で休めたり、別荘の地下に置いてきた名も知らぬ妖らの御魂を鎮めに回っていた。あの別荘地下で見た妖らの骨の山を目にしてしまった手前、どうしても鎮魂しなければ、と思った。


 翔には名も種族も知ることのできない妖らが、どのような凄惨な死を遂げたのか、想像すらできないものの、彼らはもっと生きたかったに違いない。このような終わりなど望んでいなかったはずだ。

 その無念を、怒りを、悲しみを鎮めるために、翔は神職らと祈った。救えなかった命に、ただただ祈りを捧げ回った。


 一方で深く心に誓った。これ以上、悲劇は繰り返さない。必ずや黒百合を討ち取り、先代の御魂を救ってみせる、と。


 また黒百合の足取りになるものがあれば、と三日間、別荘の焼け跡や周辺のお山を歩き回ったのだが、てんで収穫は得られなかった。見つかるのは犠牲となった妖らの骨ばかりだったので、いたたれまない気持ちになった。


 ようやっと落ち着きを取り戻した、三晩の夜に翔と比良利は流に声を掛けられた。本人たっての希望で、社殿には二人だけで訪れた。願い申し出てくるその顔は、ただただ澄んでいた。

 その時点で流が何か、肚に決めたのではないか、と察していたのだが、切り出された話は翔の想像以上であった。


「流さん。いえ、流殿。それは誠のお気持ちでしょうか」


 聞き間違いではないか、と思い、流に確認を取る。

 狐の顔をした当主は、こっくりと静かに頷いた。彼は平坦な声で繰り返す。

 玉葛の神鏡を見つけ次第、どうかそれごと此の世から消してほしい。玉葛の神社に情けをかける必要はない。黒百合らが持っていた時点で、鏡面を割り、それをばらばらに砕いてほしい。狐火で燃やし尽くしてほしい、と。


 願いを叶えることは簡単であるが、その行為は安易にすべきことではないことくらい、翔にとて分かる。

 玉葛の神鏡は、宝珠の御魂ほどではないが、この土地を守護する神器。鬼門の方角に祀られ、降りかかる災いを祓っていた。それはそれは里にとって、そして玉葛の神社にとって大切な神器だ。それを壊してほしい、消し去ってほしい、と願われても、簡単に頷ける話ではない。


 ただでさえ里から、この神社を信仰する者が減っている。

 以前、彼は役所の人間がこの神社を壊す計画を立てていると言っていた。

 そこに神器を失えば、必然的に玉葛の神社は衰退していく。統べる力を失い、守る力を失い、神社はこの里から消え去ってしまう。

 それでは流達はどうなってしまう? 玉葛の神社に集う妖狐らは?

 しかしながら、流は翔と比良利を交互に見やると、この度の悲劇の元凶は「玉葛の神鏡」にあると言って、両手を添えると、深くその場で頭を下げた。


「一度ならず二度までも、我ら玉葛の神職は神鏡の悪用を許しました。その責は取らなければなりませぬ」

「流よ。同じ神主として気持ちは察する。しかし、お主の願いは自棄にも捉えられる。まこと責を抱いているのであれば、神鏡を取り返し、この地の者達にあるべき形で使用するべきではなかろうか?」


 それが犠牲になった者達の鎮魂と、これからこの地で生まれる命の平穏にも繋がるのでは。

 比良利の諭す言葉にも、流は耳を傾けることはなかった。そっと顔を上げると、彼は力なく鳴き、笑い、ゆるりと首を横に振る。


「玉葛の神鏡は常世を映すのみの神器。さりとて、見方を変えれば常世と(うつつ)を繋げることのできる神器。そこを力ある者が利用をすれば、此度のように現世に戻って来てはならぬ御魂を呼び戻すこともできます」


 呼び戻された御魂は、いたずらに生死を弄ばれるばかり。

 (うつつ)に呼び戻された九代目南の神主も然り、黒百合に利用された名もなき妖らの御魂も然り、討ち取った黒百合ですら玉葛の神鏡を通して復活したのやもしれない。これはあくまで推測であるが、可能性は大きい。百鬼一族の手腕であれば、それも夢ではないだろうから。

 今まで当主として、玉葛の神鏡を取り戻さなければ、と焦りを募らせていた。先代から玉葛の神社を託され、この里を守るため、神社を存続させるため、あれやこれやと思考をめぐらせていた。

 さりとて。(くだん)のことで、本当に守りたい想いに気づいたと、流は語る。


「私が神主として、まこと守りたいのはこの地に生きる妖、人間、里そのもの。それが玉葛の神鏡によって、里の安寧秩序が崩れている。それだけではない。知らぬところで、多くの命が消えてしまった。それでも、なお神鏡に執着する意味などありましょうか。いえ、ありますまい」


「流殿」

「これほどの不幸をもたらしておきながら、我らに責がない、とは言い難い。私は神主として責を取らねばなりませぬ。そうは思いませぬか?」


 一度ならず二度までも玉葛の神鏡を奪われ、悪用されたというのならば、当主として責を取らねばなるまい。

 流は里の未来のためにも、玉葛の神鏡は消滅させたいと願い乞うた。常世と現を繋げる神器など、本来此の世にあってはならなかった。魔の手から里を守りたいのであれば、此の地を統べている自分達で何とかしなければならなかったのだ。

 神社を守りたい気持ちは依然持っているが、存続を優先させるべきか否か。問われれば、間髪を容れず否なのだと、彼は苦笑いをこぼす。


「神鏡を消滅させることで、玉葛の神社は衰退し、やがて消えていくでしょう。私の代で玉葛の神社は仕舞いだと覚悟しております。なあに簡単にくたばるつもりはありませんよ。神鏡が消えても、私は最後まで当主としての務めは果たすつもりです。この寿命尽きるまで、里を守っていきますよ」


「流。お主はこの神社と運命を共にしようと」


 比良利の気遣いに、狐は苦い笑みから、慈悲溢れた微笑みにかえた。


「神社が衰退していく話は先の話となりましょう。優先すべきことは、黒百合でございます。あやつらの持つ神鏡をどうか、見つけ次第、壊して下さい。遠慮は不要です」


 嗚呼。

 翔は目を伏せて、流の想いをただただ噛み締めた。

 流は本気で自分達に願いを託してきている。神鏡を壊した先を見据えて、なお強い覚悟で願い乞う。誰より玉葛の神社を衰退させたくないのは流だろうに、彼は一当主として、成すべきことを果たそうとしている。

 玉葛の神鏡を盗んだのは悪しき想いを抱いた人間であり、悪用したのは黒百合と百鬼一族だ。非はあれらにある。かといって、まこと流に非がないのかと問われれば否。同じ統べる者として責を取ると口にするだろう。

 彼は里と玉葛の神社を守護する者。この地を守るよう天命を授かった狐。翔が流の立場なら、同じことを願い申し出るだろう。


「――承知した。貴殿の願い、この比良利が必ずや叶えよう。決して、貴殿の想いは無下にせぬよ」


 先に返事したのは比良利であった。

 翔以上に当主の気持ちが分かるのだろう。

 彼は野暮なことはもう何も言うまい、と答えた。心なしか声に悔しさが含まれていたような気がするが、翔は気づかない振りをした。


「ありがとうございます。もう一つ、願いを聞いていただいても?」

「遠慮なく申せ。出来る限りのことはしよう」


「ナガミとナノミ、そして里の妖狐らをあずかっていただきたいのです」


 玉葛の神社に携わっていた神使と妖狐らを、どうか翔と比良利であずかってほしいと流。

 七百年生きている自分は神社と運命を共にする覚悟は決まっているものの、ナガミやナノミはまだまだ若い妖狐。運命を共にするには酷な年齢だ。また己の我儘で、妖狐らを巻き込むわけにもいかない。

 どうか里の外へ連れ出し、新しい土地で生活させてほしいのだと、彼は言葉を重ねる。

 できれば、宝珠の御魂が統べる南北の地が良い。そこならば、きっと妖狐らも上手く生活していけるはずだ。みな田舎狐であるが、都会に憧れを持つ狐も多いので、すぐに馴染んでくれるだろう。


「それじゃ流さんが一人になるじゃないか」


 話の途中で、つい口を出してしまう。

 口調も態度も崩れてしまったが、居ても立っても居られなかった。

 最後まで玉葛の神社と共にすると覚悟を決めた流とは対照的に、他の妖狐らをみな里から放出する。それでは流は一人となる。そんなの妖狐らが、とくにナガミやナノミが許さないと思うが。

 いくらあれらが若い妖狐でも神使なのだ。一人になる流を放っておくはずがない。

 しかし。彼は若い芽を摘みたくないのだと鳴く。責を取るのは自分だけで良い。若い狐らに重荷を背負わせたくない。もっと広い世界を見てほしいのだと繰り返し、どうか彼らをあずかってほしい、と頼んできた。


「とくに生まれながら、神使の天命を授かったナガミやナノミは自由にしてやりたいのです。神使として育ててきた彼らには、ずいぶん苦労を掛けてきました。そんな彼らに、私ができることは自分の意志が通る道へ背中を押してやることくらいですので。

 比良利さま、翔さま、明日ここを発つと仰っていましたね。先に二匹を里から連れ出してくれませぬか? 彼らには玉葛の者として、宝珠の者らに力添えするよう言っておきます。黒百合のこともございますので、神職の数は多い方がよろしいかと」


「もう、ここに帰さぬつもりなのじゃな?」

「なあに。恋さみしくなったら、私の方から顔を見に行きますよ」


 うそだ。

 流はことが落ち着き次第、彼らの前に二度と姿を見せないつもりだ。

 そのような顔をしている。


「流よ。お主は里に残るのじゃな」

「里のお山は瘴気に溢れているところがございます。三日間、比良利さま達に手伝っていただきましたが、まだまだ数は多い。浄化せねばなりませぬ」

「浄化が終わるまで手伝うよ。先に日輪の者が帰って、月輪の者が浄化を手伝うってこともできるんだからさ」


 翔の思いつき案は、丁寧に断られた。


「翔さま、双子の御魂を持つあなた方が離れ離れになってはなりませぬ」


 二つでひとつの魂が離れ離れになったことで、多くの悲しみや憎しみが生まれてしまった。それを忘れてはいけない、と流。

 何も言えなくなる。

 確かに離れ離れになったがゆえに、翔は黒百合に奇襲され、大怪我を負った。先代天城惣七は黒百合らに討たれ、その命が奪われた。紅の宝珠の御魂を持つ比良利は九十九年、対を失い、多大な苦労を負った。離れ離れになったがせいで。


「比良利さま、翔さま。私は思うのです。貴殿らの宝珠の御魂は、つよい力を宿している一方、身を滅ぼすほどの力を宿しているのではないか、と」

「身を滅ぼす……」


「宝珠の御魂は他者を畏れさせ、それらを従わせるほどの大きな力を持つのです。いくら妖とはいえ生身のカラダには、大きな負荷となるのは目に見えている。だから、宝珠の御魂は二つに分かれ、依り代となる神主らの身を滅ばせないようにしたのではないでしょうか?」


 二つに分かれた御魂は互いの魂と、依り代の身を守っているように見える。少なくとも、自分の目にはそう見える。

 流は翔と比良利の顔を交互に見やり、「離れ離れになってはいけませんよ」と、言って諭した。それは長生き狐からの助言であった。


「あなた方の持つ御魂は二つでひとつ。何があろうと魂を一つにして、神主道を歩んで下さい。黒百合のことがあろうと、決して屈してはいけませんよ。南北の地には呪詛があるらしいですが、どうか長く生きてください。これを乗り越えて、九尾狐になってくださいね」


 それはまるで遺言のような言葉であった。

 喉元まで出た気持ちを嚥下すると、翔は場の空気を和ませるために、横目で比良利へ視線を投げた。


「だってさ。比良利さん、俺が心配でどうしようもないのは分かるけど、過保護になって俺を置いて行くのはやめてくれよぃイぃいいイデデデデデッ! 抓るのはなしっ、なし!」

「お主は一言も二言も多いわ」

「本当のことじゃんか! すぐ過保護になって、泣きそうな顔になるじゃんアダダダ!」

「ぼーん。後で覚悟せえよ。不自由な足であろうと、なんじゃろうと、わしはお主にたっぷり稽古をつけてやろうぞ」


 思い切り尾っぽを抓ってくる比良利に、きゃいきゃい、きゃあきゃあと鳴いて、手加減するよう叫ぶ。

 それを見て、流はおかしそうに笑っていた。先ほどまで真剣な顔で、願い乞うた顔は、もうそこにはなかった。




(――玉葛の神社と運命を一緒にする、か)


 翔は松葉杖に寄り掛かり、参道から夜の玉葛の神社を見渡す。

 今宵の境内も静寂に包まれていた。遠くでは虫の声や、風になびく草木の音が絶え間なく聞こえる。それが心地良い。今は神社を守護する神鏡がないものの、境内は平和であった。ただ少し物さみしいだけで、争いもなにもない。平穏がここには在る。

 この神社がいずれ滅びるだなんて、想像するだけで苦痛だ。

 誰よりも苦悩しているのは、流だろうが、彼は覚悟をしている。この神社と共に生涯を終える、と。


(俺が流さんなら、きっと同じことをするだろうな)


 巫女や神使を神職のお役から降ろし、自分は統べる頭領として最後まで社に残る道を選ぶ。それが頭領の務めだと思っている。

 神主は神使のように、妖らを導く存在ではない。巫女のように、妖らの声を聴く存在でもない。妖らを統べる存在だ。統べるということは、妖らを従わせているといっても過言ではない。悪く言えば力でねじ伏せている。それの代償と責は極めて大きい。

 神主は頭領のお役も担っている。

 もしも流の立場に追い込まれたら、問答無用で愛する青葉やギンコからお役を取り上げ、そっと市井の妖として生きさせるに違いない。


(ただ、された方は堪ったもんじゃねえよな。これは神主のエゴだ)


 足音が聞こえたので、そっと振り返る。

 噂をすればなんとやら。翔は小さく吐息をついて、両隣に並ぶ青葉とギンコから視線を外す。


「翔殿。お体の方は如何でしょう? 相変わらず布団を抜け出してばかりですが」

「そう怒るなって。俺がじっとしていられない狐なのは、お前も知っているだろ? なあギンコ」


 足元に座る銀狐に同意を求めるも、じっとりとした眼を向けられたので、翔は苦い顔をする他ない。可愛いギンコにそんな目をされるなんて、今夜はショックのあまり一日中泣いて過ごすやもしれない。

 松葉杖をその場に置いて、ギンコを抱き上げようと手を伸ばすも、つんっと弱々しくそっぽを向かれたので、翔は多大なショックを受けてしまう。がちで泣きそうだ。いやもう泣いている。涙で前が見えない。


「もうだめだ。俺、生きていけない」


 両膝を突いたところで、ギンコが猛ダッシュで腕の中に飛び込んでくる。

 どうやら、おとなしく療養していなかったことを怒っていただけのようだ。嫌っていない、絶対に嫌っていないから、と何度も頬を舐めてくる。

 それが分かるや、翔はギンコの頭を何度も撫でた。よかったよかった、嫌われていなかったようだ。


「翔殿……オツネばかこそ直すべきでは?」

「青葉、それじゃあただのばかになっちまうって」

「ただのばかの方が、まだ扱いも楽ですよ。はあ、オツネも大概で翔殿ばかになって」


 こめかみに手を添える青葉に手を伸ばし、立たせてくれ、と頼む。

 仕方なさそうに手を掴み、翔の体を引き上げると、彼女は翔の足を見やり、「あの時は動いていたのに」と呟く。それは天城惣七に意識を乗っ取られていた時をさしているのだろう。彼女の表情はとても苦々しい。

 翔は己の足を見つめると、右足を持ち上げ、ゆっくりと曲げてみた。素直に曲がってくれた。この調子でいけば、杖無しの歩行も夢ではないだろう。


「また振り出しに戻ったな」

「ええ。ですが、決して黒百合を逃がすつもりはありませんよ」


 必ずや討ってみせる。

 青葉は意を決したように、翔に思いの丈をぶつけてくる。

 討つ。それは文字通り、黒百合全員を討つ意気込みなのだろう。強い意志が眼に宿っていた。大好きな人ですら、討とうとしているのだから、本当に青葉は不器用な巫女だと思う。

 翔はギンコの頭を撫で、青葉の頭に手を置くと「約束する」


「先代の魂は俺が取り戻すから。幸い、半分は俺が持っている。後の半分を取り戻して、オオミタマさまの下へ送ろう」

「ですが、翔殿」


 言いたいことは分かっている。

 今の先代は悪意と憎悪にまみれた死人。討つべき存在だ。それでも。


「青葉、お前は惣七さんに救われたんだろう? だったら、今度はお前が惣七さんを救ってやれ」


 弾かれたように自分を見上げてくる彼女に、「青葉ならできるよ」と、言って軽く額を小突く。


「お前は鬼才に見込まれた巫女だ。先代を救えるまで、何度でも足掻けよ。俺も手伝ってやっから」

「……翔殿」


「俺は大切な家族の悲しむ顔を見たくない。周りが無理無茶だと言っても、俺は先代の魂を救うと決めている。救えるまで、しつこく足掻いてやるさ。たとえ青葉やギンコが、諦めたとしてもさ」


 だから安心してほしい。

 優しい言葉をかけてやると青葉は、泣きそうな、嬉しそうな、安堵したような、そんな顔を作った。表情を作れないギンコもきっと、同じような顔をしているのだろう。腕に鼻先を押しつけていた。名を呼んでも顔を上げようとしない。

 ああ、約束したからには、まず本調子に戻らなければ。いつまでも、みなに迷惑を掛けていては申し訳も立たない。


「青葉、ギンコ。俺は先代の魂を救う。それが当代から先代にできる、最大の手向けだと思っている」


 とはいえ、今の自分には大麻すら手元にないボンボン狐。

 誰かの助けなければ、きっとすぐに黒百合に討ち取られることだろう。大口を叩いて終わるのは癪なので、どうか自分を支えてくれないか、と言って、翔は青葉とギンコに微笑む。


「頼りになるんだか、ならないんだか」


 ようやっと、悪態をつけるようになったのか、青葉が苦笑した。


「すんませんね。まだまだハナタレ狐なもんで」

「その分、お世話しますよ」

「頼みますー」


 軽い口ぶりもほどほどに、翔はそっと巫女と神使に尋ねた。

 それは先ほどから、ずっと胸をくすぶっていた話題。


「なあ。もしもさ。月輪の社にもう先がなくて、その社が滅ぶことになったら、お前らはどうする?」

「翔殿と同じ道を辿りますよ」


 間髪容れず、青葉は答えた。

 考える間もなかったので、思わず驚きかえる。そんな翔に青葉は眦を和らげた。


「翔殿のことです。私達からお役を降ろして、自分は社と運命を共にすると言うでしょう。しかし、忘れないでください。私やオツネもまた月輪の社を任された者だということを。我ら三職で月輪の社を守っているのです。であれば、私達もまた運命を共にします」


「……そっか。そうだな。俺達は三職で守っているよな」

「ええ」

「疑問の理由は聞かないんだな」

「聞いたところで答えてくれないでしょう?」

「んっ」


「やっぱり。翔殿のそういうところに、私達は苦労しますね。ね、オツネ」


 わしゃわしゃとギンコの頭を撫でる、青葉の表情は極めて柔らかい。

 こりゃあ何を言っても、自分と同じように社と運命を共にするだろう。でも、そういうものなのだろう。三職で守っている以上、そういうものになってしまうのだろう。

 翔は流の決意を思い返し、一人になることはできないだろう、と苦笑した。

 過程で上手くいこうとも、きっと彼は一人で社に残ることはできない。なぜなら、玉葛の神社は神主一人で守護しているわけではないのだから。



 翔の予想は早々に的中する。

 数日、空けている社に戻るため、名張天馬の父、名張天五郎に車で迎えに来てもらった一行はそれに乗り込んだ。妖狐達は大層、嫌な顔をしていたのだが、それはさておき。

 自分達と一緒に来る予定だったナガミとナノミは、里に残ると言って聞かなかった。

 最初こそ流に言われるがまま車に乗ろうとしていたのだが、見送る流の姿を見るや否や、尾っぽを翻して彼の下へ駆けてしまった。彼が二匹の身を抱いて、車に乗せようとした途端、大暴れしたものだから大層な騒動になった。


「どうしたのです。ナガミ、ナノミ。車に乗りなさい」


 ぶんぶん、狐らは頭を横に振った。

 流も一緒ならば車に乗ると鳴いて聞かない。

 流はホトホト困りながら諭す。自分は里に残って、瘴気を浄化しなければいけない。ナガミとナノミは宝珠の者達と、黒百合を追ってほしい。彼らに手を貸してほしい、そう言っても嫌だ嫌だと鳴くばかり。

 仕舞いには流の七つ尾っぽの毛を噛んで離さなくなった。これでは連れて行けそうにない。


「弱りましたね。ここまで聞かん坊狐になるなんて初めてですよ。どうしたものか」

「流さんと色々と話したいことがあるんじゃないの? な、ナガミ、ナノミ」


 翔は面白おかしそうに笑いながら、車の窓を開けて、ナガミとナノミに話し掛ける。

 うんうんっと頷く狐らは流の思惑を察しているのやもしれない。絶対に車には乗らない、流と一緒にいると言い張るばかり。いやいや、鳴き張るばかり。

 だったら狐らの気持ちを尊重してやるべきだろう。流の決意に茶々を入れるつもりはないが、それを神使に伝える必要性はあるだろうから。


 それに。ナガミとナノミとて玉葛の神社の神使。温度差はあれど、この里を愛しているに違いない。

 その気持ちは先日、比良利達と離れ離れになった際、見せてくれた。愛する気持ちがあるからこそ、神使の力を発揮していた姿を、翔は目の当たりにしている。


「ふむ流よ。此度は、ナガミとナノミを我らの下であずかるのはよした方がよさそうじゃの。次の機会にでも、あずかるゆえ、狐らとよーく話しておくがよい」

「ひ、比良利さま」

「おやおや? 何を焦っておるか。わしは口止めなんぞ、一切されておらぬぞ」


 悪い狐もいたものだ。

 比良利の一声でナガミとナノミは、あずかるとは何だ、自分達の知らないところで何を決めたのだ、とけたたましく鳴いた。きゃいきゃい、きゃあきゃあ、と飛び跳ねて鳴いた。

 それはそれは手が追えないほど鳴くので、流がげんなりと尾っぽと耳を垂らしていた。


「はあ。敵は身内にいましたか」

「くっくっ。妖狐は狡い部族であることをお忘れか? 天五郎よ、出発しておくれ。社が心配じゃ。流よ、また(ふみ)を出す。くれぐれも黒百合には気をつけてたもう。何かあればすぐに知らせておくれ」


 仮に黒百合に出くわしても、深追いだけはしないでほしい。

 切実に願う比良利に、流は一礼して、神使二匹を抱き上げると、他の妖狐らと共に尾っぽを振って見送ってくれる。それこそ自分達が見えなくなるまで、ずっと尾っぽを振ってくれた。

 翔もまた流らが見えなくなるまで、車の窓から顔を出し、後ろを振り返っていた。


(神鏡を壊さない道があれば……いや、仮に俺達が神鏡を壊さずに返したところで、流さんはきっと――流さんはつよい狐だよ。尊敬する。本当に立派な当主だ)


 玉葛の神社を目に焼き付けておこうと思った。

 これから先、どのような末路を迎えようとも、流は最後まで神社と里を守るだろう。

 いずれ衰退していくと知りながら、滅ぶと知りながら、それでも迷わず神鏡を壊すのだろう。悲劇を繰り返さないために。神社よりも、我が身よりも、里を想う流のように生きたい。力になれることがあれば、手を貸してやりたい。ナガミやナノミが彼の想いをどう思うか分からないが、一件が落ち着いたら、またあの神社には足を運ぼう。つよく思った。



 ※



 数日ぶりに日月の社が存在する南北の地に帰って来た翔は、それこそ一年ぶりに帰宅した気分に陥っていた。

 それだけ濃厚な時間を里で過ごしたせいだろう。

 何も解決していないし、得られたものも少ない。寧ろ、黒百合に大麻は取られるわ、体を乗っ取られるわ、先代天城惣七が敵となるわですったもんだなことばかりだった。

 それでも総出で里へ行って良かったと翔は思っている。単体や数匹で行くより、ずっと得られるものはあったはずだ。

 社に帰宅したら、まず状況の整理をしよう。それから今後の対策だ。

 あれこれ車に乗っている間、思考をめぐらせていた翔だが、妖の社が隠されている表社に着くや禍々しい妖気に考えごとをやめた。


「な、なんだ。この気持ち悪い妖気。ぞわぞわする」


 肌が粟立つほど、おぞましい妖気を感じる。

 それが悪意にまみれた妖気であることは、すぐに分かった。まさか黒百合の刺客か。それに似た妖気を感じた。

 翔が分かるのだから、当然みなも気づいている。漂ってくる妖気に警戒心を高め、おのおの武器を持った。漂ってくるのは、表社と妖の社を繋いでいる異界の狭間(はざま)

 留守の間に何者かが侵入したのだろうか。悪意ある妖気であれば、妖の社に張られている五方の結界で弾かれるので、社に侵入はしていないはずだ。しかし、来斬の前例があるので油断はならない。


「比良利さま。翔さま。天馬と様子を見てきますので、しばしお待ちを」


 運転席から降り、天五郎が天馬を呼びつける。

 二人だけで大丈夫だろうか。ここは神職も行くべきでは。

 みなに同意を求めるものの、妖狐達は大層顔色が悪い。口元に手を当てて、うっぷ、という息遣いが聞こえたり聞こえなかったり。

 なるほど車酔いをしているおじいちゃん、おばあちゃんを見て、自分達が率先して動くべきだと判断したのだろう。翔自身は足が不自由だ。天馬と天五郎が行くのが最善の策だと言える。


『情けないねえ。オツネもツネキもぴんぴんしているよ? 老いぼれ猫婆ですら、元気なのにねえ』


 おばばに返す言葉もないようだ。


「……遅いな天馬と天五郎さん。もう十分くらい経ってると思うんだけど」


 携帯で時間を確認する。

 待てど暮らせど、烏天狗らが戻って来ないので、そろそろ痺れが切れそうだ。

 おもむろに車の鍵を解除すると、松葉杖を持って車から降りる。おおよそ、翔の行動を見越していたのだろう。短気ですね、と言いながら青葉も後に続いてくれた。まだ顔色は蒼白だった。

 全員が車から降りたところで、禍々しい妖気が増した。翔はギンコに乗せてくれるよう頼み、青葉を呼んでいち早く現場へ向かう。


「翔さま」


 思いの外、現場は静まり返っていた。

 石段の半ばで天馬と天五郎を見つけたので、声を掛ける。

 烏天狗はその場で膝を突き、ヒトを介抱をしていた。臭いで分かる。四肢を放りだしている、それはヒトであった。妖ではない。禍々しい妖気を纏わせているものの、確かにヒトであった。

 しかし。なぜヒトがここに。肌で感じたところ、霊気は感じられないので、それはただのヒトのようだが。

 訝しげな顔を作っていた翔の表情が、見る見る驚愕に変わる。四肢を放りだしている、気を失っているそれは、右目を包帯で隠している、それは。それは。


「米倉っ、そこにいるのは米倉か!」


 呼び声が力を与えたのか、はたまた目を覚ます契機となったのか。

 ヒトのこと米倉は天五郎の腕を抜け出そうと、もがき、もがいて、力いっぱい烏天狗の体を押しのける。そして自力で立ち上がると、「『見ィーつけた』」と口角をつり上げた。


「『お前が滝野澤の探していた狐。ヒトから妖になったシロ狐っ!』」


 滝野澤……その名前は人災風魔の主犯の。

 と、米倉が右目を押さえ、「うるせぇうるせぇ!」と喚き始める。


「俺がちと寝てる隙に、出てくるんじゃねえぞ喰っちまうぞ。くそが!」


 勝手にヒトの体を乗っ取るな。

 腹の底で叫び、叫んだ後、力尽きたように体を崩す。その勢いで彼の体が石段から転がっていく。止まる様子はない。


「翔殿!」


 迷わずギンコから飛び降りると、その足の不自由も考えず、米倉の身を受け止めて一緒に石段から転がり落ちる。

 どうにか三尾で勢いを弱らせると、肘をついて、石段の上で止まることに成功した。寸時で擦り傷だらけとなったが、そんなの二の次、三の次。翔は上体を起こすと、彼の身を抱き起こした。


「なんだ。この妖気っ……なんで米倉が」


 右目から溢れこぼれる妖気に顔を顰める。

 呪符を貼って、それを封じようとしている努力は垣間見れるが、それでも妖気は溢れかえっている。到底、ヒトの身に宿すような妖気ではない。

 なんで、どうして。此処に米倉が。この包帯はなんだ。その右目は。混乱している翔を我に返らせたのは、小さなうめき声によってだった。


「米倉!」


 相手がヒトだとか、今の自分が妖の姿だとか、そんなのどうでもいい。

 翔は何度も米倉の名前を呼んだ。それこそ、かまびすしく呼ぶと、彼はじわりじわりと左目の瞼を持ち上げた。そして、翔を左目で見つめ、見つめて、嗚呼、と呟いた。


「南条。おれなりに、あいつのこと……抑えているんだけどさ」

「あいつ? 米倉っ、しっかりしろ」

「喰われてる。おれ、あいつに、隙を見せたら……ずっと喰われていて、だせぇな」


 何を言っているのか、一抹も理解できない。

 ただ、米倉が懸命に何かを抑えようとしているのは手に取るように分かる。懸命に何かと戦っていることは伝わってくる。


「誰か。米倉を! 青葉っ、紀緒さん! 頼むっ、米倉を看てくれ。俺の友達なんだ」


 助けを求めた声と、米倉の願い乞う声が重なった。


「おれが、おれで、終われるなら……今ここで終わりたいよ。南条」


 幸か不幸か、それは翔の耳に届かなかった。



 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ