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南条翔は其の狐の如く  作者: つゆのあめ/梅野歩
【第二幕ノ肆】魂の在り処
151/158

<十六>その狐花よ、忘れることなかれ



 社務所裏を去った比良利は、早足で参道を辿っていた。

 その足取りには、はっきりとした焦燥感が滲んでいる。ひとえに天馬の指摘のおかげさまだろう。情けない話、少々心が動じているようだ。

 ああ、まさか齢十九の烏天狗小僧に、「先代に刃を向ける許可」を求められるとは。あのような酷なことを言わせてしまうとは。北の神主ともあろう狐が情けない。


(天城惣七が現世に返り咲いた。それだけならまだしも、まさか妖御魂およずれみたまの身に宿るとは。あやつは一体、どこまでわしに世話を焼かせるつもりじゃ)


 ただでさえ黒百合には四尾の妖狐、黒狐の来斬がいるというのに。鬼才と呼ばれた四尾の妖狐、白狐の天城惣七まで相手にしなければならないなんて。共に修行時代を過ごしていた者達が各々敵対関係になっている、この現状に正直吐き気がしてくる。


 天城惣七は本当に才溢れる妖狐であった。

 どこを取っても非の打ち所がなく、比良利はあの狐に一度たりとも勝ったことがない。腹立たしいくらい完璧な狐は今まで、喧嘩はすれど常に比良利の味方にいた。あれが味方だと思うだけで、本当に心強かったものだが……。


(今度の惣七は敵。あれにわしが……果たして勝てるじゃろうか)


 弱い心が不安な未来を予想させる。

 天城惣七の実力を知っているからこそ、比良利の心中に強い不安が根付いていた。それはきっと、他の神職らも同じ気持ちだろう。彼を知る者達ならば、誰だって不安に駆られてしまう。そのような心を持ってしまうものだから、天馬にいたらん気遣いをさせてしまった。悪循環とはこの現状を指すのだろう。


(我らはみな分かっている。誰を選び、誰を討つべきか、それは分かっている。されど)


 ため息をひとつ零し、歩みの速度を緩める。

 その時だった。


「比良利さまっ!」


 血相を変えた紀緒から呼び止められてしまう。その方にはおばばの姿も見受けられた。

 はて、どうしたのだろうか。まさか、黒百合が玉葛の神社に攻めてきたのか。脳裏にめぐる嫌な予感を必死に抑えながら、「如何した」と尋ねる。彼女はわたわたと握りこぶしを上下に動かしながら、このような質問を投げてきた。


「翔さまを見掛けませんでしたか?」

「は?」


 それはまったく予想していない問いであった。

 間の抜けた声が出てしまう。いま、なんと?


「ですから、翔さまを見掛けませんでしたか?」

「いや待て。紀緒よ、ぼんは薬湯を煎じて、寝かしつけたのでは……?」


 そう命じた記憶もある。比良利の記憶違いだろうか。


「はい。飛び切り眠れる、つよい薬湯を煎じたつもりなのですが。少し目を放した隙に、布団がもぬけの殻になっていまして。翔さまったら、寝る直前まで今宵は指一本動かせないと申されていましたのに。ああもう、油断しておりました。あの方はとても強靭タフな狐ですよ。まったく」


 比良利の糸目がさらに細くなる。

 またしてもあの狐ときたら、人目を盗んで、いやいや狐目を盗んで勝手なことをしてくれているようだ。此度の騒動で誰よりも心身傷を負っているのは翔だというのに、一体全体何をしているのだ。あの狐。


 紀緒曰く、青葉とギンコが翔の行方を探しているそうだ。一度はその身を、かつての同胞の御魂に乗っ取られているので、もしかすると……万が一のことがある。ぜひ比良利も一緒に探してほしいと、紀緒は懇願するように頼んだ。


 しかし。紀緒の肩に乗っているおばばは、焦る彼女とは対照的に大あくびをして一声鳴く。


『みんな大げさだよ。坊やはきっと、夜の散歩をしたくなっただけさね。なんせあの子はやんちゃ者。じっとすることが苦手な狐だから、適当に散歩したら戻ってくるよ』


「おばばさま! 翔さまは昼間にたいへんな思いをされているのですよ。それに、もしものことがあったら」


『齢十九でも、一応は南の神主なんだ。簡単にはやられないよ。ねえ比良利。お前さんもそう思うだろう? それに――もしかすると双子のお前さんしか分からない場所で、坊やは夜風に当たっているやもしれないねぇ』


 だとしたら、お騒がせ狐を探すのはきっと自分達じゃあない。

 おばばはしゃがれた声で不気味に笑う。けっけっけ、と笑うその声は実に楽しそうであった。そして、どこまでも他人事であった。


 とどのつまり、双子のお前が探しに行け、と言いたいのだろう。


「どいつもこいつも……」


 比良利は世話の焼ける双子だと唸った。先代も当代も本当に世話ばかり焼かせる。なぜ、自分ばかりこんな目に遭うのか。


「見つけたら、まず愛用の煙管で額を割ってやろうかのう」


 物騒な言葉を置いて、比良利は紀緒とおばばの脇をすり抜ける。

 お騒がせ狐の居所なんぞ皆目見当もつかないが、なんとなく動かす足先がこっちだと急かしてきた。身に宿す宝珠の御魂が居所を教えてくれているのやもしれない。

 社殿を通り過ぎ、摂社の裏にある小道へ足を伸ばす。そこは草木が伸び放題の道で、見たまんま獣道であったが、よく目を凝らすと人工的に固められた土くれの平たい道が続いていた。


 やがて行き止まりに辿り着く。

 そこは木々に囲まれた小さな花畑であった。からくれない色の鮮やかな花々がひとかたまりに咲いている。うつくしいヒガンバナの集まりであった。ひと目で分かる。ここは自然の憩いの場だ。


 さてさて。真っ赤なヒガンバナの集まりの真ん中に、つくねんと松葉杖をついている白い狐が立っていた。

 みなまで言うまでもない。噂のお騒がせ狐だ。体毛もさながら、真っ白な浄衣を纏っているせいで、からくれない色の花畑の中に白色がぽっ、と浮いているように見える。


 花畑の中に立っている翔は何をするわけでもなく、そこに立っていた。

 果たして、ここで何をしているのか、比良利には一抹も分からない。ここで夜風を感じているのか、それとも独創的な花に見惚れているのか。それすらも分からずにいる。


「ここのヒガンバナ畑は、玉葛の神社のつどい場なんだって。神事やお祭りがある時は、妖狐のみんなでここに集まるんだってさ。流さんが教えてくれた」


 一度たりとも、こちらを向かないものの、翔は比良利の存在に気づいているのだろう。前触れもなく他愛もない話題を振ってきた。おかげで毒気が抜かれてしまう。見つけたら、一番に額を煙管で割ってやろうと思っていたのに。

 手元に用意していた煙管の出番が、役目もなく終えてしまった。


「ここで何をしておる。紀緒が血相を変えておったぞよ」


「なあんにも。ただ惣七さんを想っていた。ここに立っているだけで、惣七さんの御魂を感じる。そんな気がして」


 翔が力なく笑声を漏らす。


「俺が初めて惣七さんに会ったのも、真っ赤なヒガンバナ畑が見えるところだった。すごく綺麗だった。あそこのヒガンバナ畑はどこよりも綺麗だって言える。みんなに見てほしいくらいに」


 ああでも。あそこにいた時の惣七は、なんだか寂しそうであった。あんなにも綺麗なヒガンバナ畑を前にしても、どこか悲しそうな背中をしていた。それはなぜだろう?


 翔がやっと比良利の方を向いた。

 相も変わらず、その顔は感情豊かで負けん気に溢れている。しかしながら、どこかその輪郭は淡くぼんやりとしていた。儚い、そんな言葉が相応しい。


「比良利さん。もし迷っているのなら、俺は迷わず惣七さんを選べって言うよ」


 比良利は翔を凝視する。呼吸が止まりそうになった。一体何を言われているのか、北の神主の名を持っても分からずにいる。


「一体何を」


「難しい話をしているわけじゃない。ただ、いざとなったら惣七さんを選ぶのが正解だって言うだけの話。だって、そうだろう? 俺と惣七さんを比べたら、やっぱり凡才より鬼才だし、過ごしてきた時間だって惣七さんの方がずっと長い。今後の南北のことを考えると、断然天城惣七の方が良いと俺は思う」


 だから、もしもの時は天城惣七を選んでほしい。翔がゆるりと正面を向き、比良利と向かい合う。距離こそあるものの、見つめてくるその瞳には迷いどころか確固たる覚悟が宿っていた。勇ましい瞳だった。

 けれども。比良利にとって非常に疎ましい瞳だと思った。


「寝言は寝て申すがいい」


 口から出た言葉は、地を這うような低い低い声であった。

 正直に言おう。比良利はたった一言によって、完全に頭に血がのぼっている。大層な六尾の毛が逆立つほど。


「なにが惣七を選べ、か。では選ばれなかったお主はそれで良いと申すか?」


 うん。翔はひとつ頷く。それが比良利の怒りを煽る。


「それでよくもまあ、『南の神主』と名乗れたもの。お主が今まで積み重ねてきた努力はどうなる? 想いを託した者は? 想いを寄せる者は? お主を失うことで多くの者が悲しむ。それはお主自身が幾度も経験しておろう!」


 うん。翔はまたひとつ頷く。

 それでも、これは仕方がないことだと言葉を付け加えて。


「比良利さん。俺は小僧でも一端の神職であり神主。生まれ沈む南北の妖達のことを一番に考えたら、これが最善の策だと思うんだ」


「黙れっ、それが戯言じゃと申しておるっ!」


 暴言に近い、荒々しい口調にすら翔は臆する様子はない。ただただ静かに比良利を見つめてくるばかり。その心は曇り硝子のよう。何も見えてこない。


「ぼん。お主が何を考えているのか、これっぽっちも理解できぬが、いま一度頭を冷やして考えてみよ。天城惣七は一度、神上かむあがった身。本来、現世に返り咲いてはならぬ存在。それが今、自然の理に反した存在として返り咲いておる」


 対照的に翔は今この瞬間を生きている存在なのだ。

 たとえば天城惣七の御魂が現世に舞い戻ってきたとしても、その器となる者が南条翔で、それの御魂が犠牲になってしまうのであれば、やはり返り咲いた天城惣七の存在は間違っている。いま生きる者達のためにも討たなければならない。


 とはいえ、天城惣七はかつての同胞であり、比良利の対であった者。少なからず、彼と双子として過ごしてきた日々が心に残っている。討つ行為に迷いが出ないわけがない。

 かといって、今の対である翔に対して情が無いわけがない。こちらも比良利の大切な双子の片割れであり、成長を楽しみにしている弟分なのだから。


「そうだとしても、比良利さんは選ばないといけないんだよ。双子の対として。もしもの時は俺か惣七さんか、どちらか選ばないといけない。惣七さんなら、たぶん南条翔を選べ、なんて言うんじゃないかな。俺は惣七さんを選べって言うけどさ」


「ふざけておる。お主も、惣七も」


 そもそも選べという方が、無茶な話なのだ。

 選ばれる方はそれで良いかもしれないが、選ぶ方は堪ったものではない。選んでどちらか不幸になるというのならば、いっそ選ばない方がずっとマシだ。


「選んでよ」

「選ばぬ」


「ねえってば」

「聞こえぬ」


「困った狐だなぁ」

「分からぬ狐じゃのう」


 ざっ。ざっ。ざっ。

 ざっ。ざっ。ざっ。


 土を踏み分ける音が迫ってくる。

 ゆるりと視線を持ち上げると、目と鼻の先に翔が立っていた。憤りを抱きながら見下ろす比良利に対し、翔は澄んだ瞳でこちらを見上げている。ふっと笑ったのは後者であった。


「知っていたよ。比良利さんがどっちも選ばないことくらい。誰よりも比良利さんの背中を見て追い駆けているのは俺なんだぜ? 選ばない選択を取ることくらいお見通しだって」


 彼はおもむろに比良利の右手に持つ煙管を奪い取ると、「隙あり」といたずら気に笑って、自分の額を容赦なく叩いた。本当に容赦がなく、その音だけで額が赤く腫れたと分かる。

 額を押さえて呆ける比良利とは対照的に、翔は「間抜け面だよ」と笑みを深め、持っていた煙管を口に銜えた。


「なら、それで良いじゃんか。何を迷ってるんだよ。とっくに答えは出てるじゃん」


 選ばない。それも一つの答えではないか、と翔は軽く比良利の胸を小突く。


「俺からしてみれば、無理に選ぶ必要なんてないと思うんだ。どっちも大切なら、どっちも選択するか、どっちも選択しないか。それで良いんだと思うよ。いやあ、さすがにこれで迷わず惣七さんを選ぶなんて返事されたら、ブチギレようと思っていたんだけどね」


「お主……」


「大体、怒りたいのは俺の方だっての。みんな、俺の顔を見て、まーた惣七さんと重ねる。俺は俺、惣七さんは惣七さん。一緒にしないでくれよ。俺の立場なくなるだろっ!」


 そもそも同じ土俵に立てる相手ではない。

 才能は勿論、過ごした時間は惣七が神職達と築き上げたもの。比べたところで翔の負けは見えている。とはいえ、比べる方がおかしな話なのだ。翔とて神職達と過ごした時間があり関係があり絆がある。翔にしか築けないものがある。


 それでも。神職達は現世に返り咲いた惣七を想い、自分を想い、どちらか一人を選ばなければいけない、と使命感に駆られている。てんでおかしい話だ。

 誰が二人の内、どちらかを選ばなければいけないという答えを決めたのだ。自分は欲張りだから両方取る。自分も大切だし、惣七も大切だから、どっちも選ぶ道を探す。それがイバラ道だとしてもなんだとしても。


 翔は悩む比良利の心を見通し、その心を盛大に笑い飛ばした。


「選べないなら、どっちも取れば済むだけの話じゃん。悩む必要なんてどこにも無いよ。どっちも取る。それで話はお仕舞いだ」


 だからもう、辛気臭い顔はよしてくれ。白狐は大袈裟に肩を竦める。


「惣七さんの御魂の半分は妖御魂およずれみたまの中にあるけれど、半分は俺の中にある。惣七さんは俺に御魂を半分託した。おおかた、いざって時は自分の御魂を使って妖御魂およずれみたまの中にある、自分の御魂を消せって言いたいんだろうけど……ザンネン。俺は自分のしたいようにするつもりだから、惣七さんの言うことはぜってぇ聞かない」


 惣七はきっと翔の御魂を救い、妖御魂およずれみたまの御魂と自分の御魂を共に葬ってくれるよう願っている。なんとなくそう感じる、

 しかし。翔は自分に半分御魂を寄越した以上、やることは一つしかないのだとハッキリ告げた。


「俺は惣七さんの御魂を必ず取り戻す。相手が俺の身を狙おうと、比良利さんを憎んでいようと、残り半分を取り戻して還すべき場所に還す。それが当代から先代南の神主へできる精一杯の気持ちだと思うし、なにより――俺は先代を想う妖達の心を守りたい」


 どちらか一人を選択しなければいけない、その状況を作り上げたくない。それによって傷つく者達が出てくることを翔は知っているのだから。


「比良利さん。俺は誰がなんと言うと先代の魂を奪い返す。その途中で惣七さんに負けようが、コテンパンにされようが、鬼才に太刀打ちできないだろうが、なんだろうが知ったこっちゃねえよ。要は惣七さんを助けることができたら、俺の勝ちなんだから」


 ああ、だからこの狐には敵わないのだ。

 悔しいが、この狐の心は自分よりも遥かに強い。


 比良利は生意気なことを言って、満足気に微笑んでくる白狐を見つめ、見つめて、ふっと肩の力を抜いた。不安や悩みを心に抱えていた己がばかばかしく思えてきた。


「ぼん。それを貸してみぃ」


 翔から愛用の煙管を受け取ると、懐から刻み煙草たばこが入った印伝を取り出し、それを煙管の先端に詰めて火を点した。


「そろそろ。煙草の味くらい覚えても良かろう」


 一吸いして煙管を翔に返す。


「吸い方がいまいち分かんねぇんだけど……こうか?」


 直後、物の見事に咳き込む狐を見て笑ってしまう。やはり白狐はまだまだ仔狐だ。見よう見まねで煙管を吸う、その覚束ない姿を目にするとホッと安心する。心置きなく兄分を名乗れそうだ。


 涙目になって咳き込む翔の頭に手を置き、煙管をふたたび己の手中に収める。


「わしに発破をかけるとは、いい度胸じゃのう。お主」


 げほっ。翔はまたひとつ咳を零し、悪びれた様子もなく舌を出す。


「しょーがないだろ? 俺は比良利さんの双子なんだ。比良利さんが迷っていたら、そら背中を蹴らないといけないだろ? これでも目いっぱい勇気を出した方なんだぜ?」


「うそを申せ。乗り乗りだったではないか」

「こうでもしないと本音を聞かせてくれないと思ったんだよ」


「生意気に額を叩きよって」

「先にやっとかないと俺がやられそうな気がしたんだよ」


「察しの良い狐じゃのう」

「あっ、やっぱり叩こうとしたな? あっぶねーの」


 向かい風が拭く。それを顔で受け止めると、ヒガンバナの甘い香りが鼻孔をくすぐった。


「もしも、わしが『選ぶ答え』を出していたらどうするつもりじゃった」

「もしも、比良利さんが選ぶ答えを出していたら……うーん、それはそれとして、俺の方で勝手にしていたと思う。俺は自分も、惣七さんも大切だからね」


「左様か」

「左様でぇす」


 たゆたう紫煙が天にのぼっては消えていく。それもまた仄かに甘い香りがした。


「相変わらず欲張り狐じゃのう」

「そんなの、とっくに知っているだろ?」


「ああ。知っておる。お主は諦めが悪く、理想に貪欲な無鉄砲狐じゃな」


 おかげで迷いが吹っ切れた。そこは素直に感謝したい。比良利は心中で呟く。声に出しても良かったが、なんとなく、それはやめておいた。つまらない自尊心プライドが邪魔したせいだろう。


 翔も比良利の性格をよく知っているため、深くは突っ込まなかった。

 二人でヒガンバナ畑の真ん中に立ち、揺れ動く花々を眺める。


「綺麗だな」

「そうじゃの」


 相づちを打つ。


「さっき、惣七さんの話をしたじゃん?」

「したのう」

「やっぱり、そこのヒガンバナも綺麗でさ。ずっと見ていたくなる綺麗さがあったんだ」

「左様か」


「だけどさ」

「なんじゃ」


 翔がその場に腰を下ろすため、松葉杖を手放した。

 軽く手を貸してやると、白狐は土の上に尻をつき、無遠慮にごろんと寝転んでしまう。ヒガンバナを見上げ、「圧巻だ」と呟いた後、途切れていた話を再開した。


「ひとりでずっと、ヒガンバナ畑を眺めるのはさみしいよ。惣七さんは死んで九十九年、現世でもない常世でもない、はざまの世界で彷徨っていたのかな……だから現世に返り咲くことができたのかな。本当なら神上かむあがって、オオミタマさまのところに還るべきなのに」


 比良利もまたその場に腰を下ろし、白狐の隣で煙管をふかす。

 ヒガンバナを同じ目線で見ると、これまた味わい深いものがある。普段はヒガンバナを見下ろすばかりだから。


「戯け狐の考えることは分からぬ」

「みんなのこと、心配してたんじゃないか?」


「何を今さら。自分から今後のことを託しておいて、我らの何を心配しておるのじゃ。つくづく腹立たしい狐じゃのう。心配するくらいならば、最初から最期まで生きるために足掻くべきだったじゃろうに」


「そうだね」


「翔よ。わしは選ばぬぞ。お主のことも、惣七のことも」

「うん」


「ひとつしか選べぬというのならば、どちらも選ばぬ。選ばなければならないのならば、どちらも選ぶ」


「それが比良利さんの答えなら、それを最後まで貫くべきだよ。俺も最後まで貫くつもりだし」


「一丁前に我らの心を守りたいというのならば、無茶だけはするでないぞ」

「うーん。死ぬ気で生きるつもりだけど、無茶しない保証はできないなぁ。俺、無鉄砲狐だから? 何か遭ったら、比良利さんが止めてくれるだろうし」


「ったく、お主は」


「反対に比良利さんが、また迷いそうになったら、背中蹴っ飛ばしてやるか、もしくは額を煙管で叩いてやっから」


「もう額を叩かれるのはごめんじゃのう。あとで天馬に謝罪しておかなければ」

「あれ? 天馬にも何かしたの?」


「お主がしたことを、わしもしたのじゃよ。少々手加減してやれば良かったのう」


 比良利は寝転がる今の双子の対の隣で、幾度も胸の内をこぼした。

 合の手を入れる翔はいつまでも聞いてくれる。いつまでもいつまでも聞いてくれる。それが心地良かった。

 いま二人の間に流れているのは師弟の時間ではなく、確かな双子の時間であった。


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